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空と海と水精と  作者: 数え唄
7/13

明かされた秘密

とある戦艦の一室。

暗い部屋の中で、燭台に灯された火が儚げに揺れる。

 おぼろげに照し出されるのは豪華な内装の空間。そこに響くのは食器を叩くナイフとフォークの音だけだった。

「――ウンディーネ?」

 リグル・アズベルトはそう聞き返した。

 細身ながらも屈強な身体に青を基調とした軍服を纏い、黒い髪に精悍な面立ちの優男である。粗野っぽさがなく、ナイフとフォークの扱いも優雅で、貴族の嫡男と言っても通りそうだ。

「はい。報告ではそのように」

 女性秘書官が答える。リグルはナイフとフォークを置いてナプキンで口元を拭う。

「……そうか。なるほど。あれだけの軍艦を差し向けて逃げられるわけだな」

 静かに吐息を漏らし、リグルは秘書官に告げる。

「海図を手に入れられただけでもよしとしよう。……捜索用に艦を一つ残して他は戻せ。海図が到着し次第未踏破海域に進軍する」

「はっ!」

 敬礼を残して秘書官はキビキビとした足取りで部屋を出て行った。リグルは椅子に深く腰掛け、食器が擦れる音を聞きながら呟く。

「ウンディーネに辿り着いたか。ダイゼンを脱出したことと言い、つくづく悪運の強い奴等だ」

 部屋にはリグルの他にもう一人居た。その人物は一心に食事を続けるだけで聞くそぶりも見せない。リグルにも聞かせているつもりはなかった。

(だがこれで、全ての鍵は揃った)

 リグルはじっとその人物を見つめる。

 クリアブルーのタイトなドレスの若い女だった。

 青い髪の女はリグルの視線に反応して顔を上げた。伏せがちだった瞳がリグルを直視する。

 彼女の緑眼(・・)を見つめ返しながらリグルは禍々しく笑う。

「手に入れてやるぞ。《アルカディアス》」

 野望を叶える術を手にした彼を止める者は最早居なかった。


                ◇


 小さな陸地があった。

 それは島というにはあまりに小さく、浅瀬に砂が堆積して海上に顔を出しただけの浜だった。

 レイン達が乗ったボートが船底を浜辺の砂に食い込ませて乗り上げる。

「――ミミ、追っ手は来てるか?」

「……少しの間ならここで大丈夫だと思う」

 ミミは沖寄りの位置で遠方に視線を向けながらレインに答える。岩場などの遮蔽物はないが、海抜が低いので暗い内に見つかる可能性は低いだろう。

「そうか……」

 レインは頷いたが、その表情は安堵とは程遠い固いものだ。ナイとジョゼットも似たような雰囲気で、しかもジョゼットの方はかなり疲労した様子だった。

「ジョゼット。大丈夫?」

「……何のこれしきですわ」

 そうは言うものの、彼女の声には力がなかった。都市から出たことがないと言っていたジョゼットには緊張の連続だったことだろう。

「お嬢様。とりあえず船を降りて休みましょう」

「そうしなよ。いざという時動けないと大変だし」

 ナイが心配そうに言うのにミミも同意する。

「ごめんなさい。では少しだけ……」

 ナイの手を借りながらジョゼットはボートを降りようとする。だが、それを遮る声があった。

「待てよ。休む前に説明が先じゃないのか?」

 レインだった。元々目つきと言動が悪い方だが、今の彼はさらに剣呑な雰囲気を醸し出している。彼が本気で怒っているのは誰の目にも明らかだ。

「……すまないが、その話は後にしてくれないか? お嬢様を休ませたらきちんと話すから」

 ナイが宥めるような口調で言う。それが余計癪に触ったのか、レインは拳を握った。

「後だと? おいおいふざけんなよ。……ざっけんじゃねえっ!!」

 レインは操縦桿を横殴りにする。ジョゼットが肩を竦ませた。ミミも驚くような剣幕だ。

「ちゃんと話せよ! あの海図は何なんだ! お前等は何に関わってるんだ!?」

「レイン、少し落ち着いて……」

 ミミは幼馴染みを宥めようとする。が、レインに睨まれて言葉を止める。

「アルセイユがあんなことになったんだぞ? お前だって知りたいだろ!?」

「っ! それは……」

 言葉に詰まったミミはそのまま説得を諦める。気になっているのは本当だからである。

「……もちろんお話しますわ」

 僅かな沈黙の後にジョゼットが言った。ナイがハッとして彼女を見る。

「お嬢様それは……」

「こうなっては仕方ありません。……いずれ話すことになってましたわ」

 ジョゼットはそう言ってレインに向き直る。

「アクエリアスの大地が海に沈む前は、文明が発達した世界だったことはご存知ですわよね? あの海図は、その時代に造られた《遺物(アーティファクト)》の隠し場所を記していますの」

「遺物? そんなカビの生えた物が欲しくて、奴等は船長達を殺したってのか?」

 レインが歯軋りして呟く。旧時代の遺産には現代では金に代えられないほどの価値があるが、それでも仲間の命とは比べるべくもないというのはミミも同感だった。

「……あの人達は何でそこまでして……。その遺物って一体何なの?」

 ミミに尋ねられたジョゼットは神妙に答える。

「《アルカディアス》と呼ばれる兵器ですわ。それもただの兵器ではありません。手にすれば世界を支配出来るほどの代物と聞いています」

 ミミとレインは顔を見合わせる。目を丸くした二人の考えは同じだ。

「世界って……なんの冗談だそれ?」

 さすがのレインも戸惑い気味に聞き返す。大事(おおごと)であることは予想していたが、スケールの規模が想定外過ぎてピンと来なかったのだ。

「残念ながら冗談ではないんです。そうでなければこんなことにはなっていない」

 そう言ったナイの口調は真剣そのものだ。続いてミミが問うた。

「その、アルカディアスっていうのは、本当に世界をどうこう出来る物なの?」

 すると、ジョゼットは決まり悪そうに首を振った。

「私も実際に見たことはありませんの。恐らく、この話を私にした父も……」

「まさかあるかどうかも分からないってのか? 何でお前等はそんなもんが存在してるって思ってんだよ? いくら海図があるって言っても普通信じないだろ、ガキじゃあるまいし」

 レインが刺のある物言いをする。ジョゼットは甘んじて嫌味を受けた。

「そうですわね。けれど、父は決して嘘を語る性格ではありませんでしたし、リグルは確証のない行動はしませんわ。世界を支配出来る兵器をあの男に渡すわけにはいきません」

 事情を語るジョゼットの表情に偽りの色合いはない。だが、レインは眉間に皺を刻む。

「お前等だってアルカディアスを探そうとしてたじゃねーか。アイツ等とどう違う?」

 レインは鋭く問うのに対し、ジョゼットは反射的に言い放つ。

「違います! (わたくし)達がアルカディアスを探すのは、あれを破壊するためですわ!!」

「壊すって……そんな方法があるの?」

 目を丸くするミミへ静かに頷いて、ジョゼットはネグリジェの襟に手を入れる。取り出したのはずっと首に掛けていたペンダントだ。だが、黒い紐にぶら下がっていたのは宝石やロケットの類ではなく、子供の掌に収まりそうな小さな金の鍵であった。

「父はこの鍵を使えばアルカディアスを破壊出来ると言っていましたの。具体的にどこでどう使うのかまでは分かりませんが……」

「待てよ」

 続けようとしたジョゼットの言葉を遮ったのはレインだった。

「海図もそうだけどよ、何でお前がそんな物持ってる? ……お前等一体何者だ?」

 はぐらかすことを許さない強い口調を向けられたが、ジョゼットにそのつもりはないようで迷いなく正体を明かした。

「私の一族は古くからアルカディアスの在り処を守ってきたそうですの。その凄まじい力を振るうべき時を見定め、悪しき者の手に渡った時は命を懸けて破壊する。そういった役目を持っているそうですわ」

「そっか。だからジョゼット達はその兵器について、いろいろ知ってたんだね」

 ミミはようやく納得し、ジョゼットの話に真実味を感じる。ジョゼットはミミに頷き返した。

「父はダイゼン襲撃の時に亡くなりました。リグルを止められる者はもう私とナイだけです。だから私は――」

「……気に入らねえ」

 不意に、レインがポツリと言った。低く唸るような声だった。ジョゼットは目を伏せる。

「……こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと思っています。でも、私達には誰かの協力が必要で――」

「違う。そうじゃない」

 レインはジョゼットを遮った。鼻白むジョゼットを無視して彼は二の句を継ぐ。

「別に巻き込まれたことに文句は言ってねえ。元々何かあるのは分かってたし、そういうのを気にしてたら運び屋稼業は出来ねえ。俺が気に食わねえのは……」

 そこで一旦言葉を切り、レインはギッとジョゼットとナイを睨みつける。

「お前等が――俺達を全く信じてなかったってことにだ!!」

 レインは瞳の奥で憤怒の炎を燃やし、今にも殴りかかりそうな剣幕で吠えた。ジョゼットの身に危険を感じたナイが二人の間に入る。レインは構わず二人に詰め寄った。

「何で言わなかったんだよジョゼット! 船長は言ってたよな? どんな仕事でも引き受けた以上は必ず果たすってよ。あんたは言ったな? 船長の腕を見込んで頼りに来たってよお!? そのくせにお前、俺等を信用してなかったのかよ? なあおいっ!?」

 一向に答えようとしないジョゼットとナイに業を煮やし、レインは歯軋りして言い放つ。

「そんな奴等を守るために船長達は死んだってのか? ――ふざけんな!!」

 突き立てるようなレインの怒気に、ジョゼットは苦し気な面持ちで言葉を返そうとして、結局何も言えないまま俯いてしまう。そんな彼女を背に庇い、ナイは静かな口調で告げる。

「勘違いしないでくれ。お嬢様に黙っているよう進言したのは僕だ」

「ナイ……!?」

 ギョッとするジョゼットの反応を見て、レインの目つきが一層険を含んだものになる。

「……ウゼェぞテメエ。そのお嬢様を庇おうってのが丸分かりなんだよ」

「違うと言った。……何で話さなかったのか、だったかい? 簡単だよ」

 冷笑とともにナイは言い放つ。

致命的な言葉を。

「リグルの時に、僕達は思い知ったからだ。大きな力が手に入ると分かれば、どんなに立派な人間も最低な行いに走ると。君の所の船長がそうでないと、誰が言えるんだい?」

「ナイ! 言い過ぎですわよ!」

 ジョゼットがナイを叱りつけるが、もうすでに遅かった。

「この野郎――――――――!!」

 レインが怒声を発してナイに殴りかかった。ナイは押すようにしてジョゼットを退避させ、レインの拳を叩き落すように逸らすと、そのまま左拳を相手の腹に突き立てる。

「ぐっ!?」

「レイン!?」

 身体をくの字に折る幼馴染みの姿に、ミミは思わず悲鳴じみた声を上げる。だが、レインは歯を食い縛って堪えると、右拳をナイの顔面に打ち込もうとする。

「フッ」

ナイは小さく笑って、左に動いて拳の軌道上から逃れる。さらに回避動作に合わせてレインの腕を捻り上げたナイは、そのまま彼の背後に回り込んだ。

「無駄なことは――」

勝利を確信したナイが降参を促そうとした瞬間、レインは彼に後頭部の頭突きを叩き込んだ。

「がっ!?」

 額への予想外の一撃に、ナイは反射的に腕を極める力を緩めてしまう。すぐさま腕を引き抜いたレインはナイを船から蹴り出す。

「ナイ!」

 今度はジョゼットが声を上げた。

「余裕こきやがってこの野郎!!」

 レインは痛む腹を無視して船縁から跳躍。仰向けに転がったナイを襲う。ナイは咄嗟に横に転がり、叩きつけられるレインの膝を躱した。

「この石頭、よくもっ……!」

 若干ふらつきながら立ち上がるナイ。レインは低い姿勢からの突進で追い討ちをかける。

 ナイは即座に片膝を突いて相手を迎えると、巴投げの要領で背後に放り投げた。その勢いで自分は起き上がると、レインに向かって走り出す。

 レインは急激な状況の変化に戸惑って砂の上でもがいていた。そこに馬乗りになったナイは、レインを殴りつけ始める。レインの両腕に足を乗せて身動きを封じて一方的に殴り続ける。

 そのまま勝敗は決まったかと思えば、レインは無理矢理引き抜いた右手に砂を握ってナイの顔面に放る。殴ることに終始していたナイは、まともにその不意打ちを喰らって怯んだ。

 レインはその隙を逃さずナイの下から抜け出すと、背後からナイの首に腕を回して絞め上げた。ナイは両の拳を振り上げてレインの顔面を数度殴って逃れる。

「ちょっとレイン! もう止めて! 止めてってばあ!!」

「ナイも止めなさい! 聞いてますの!?」

 ミミとジョゼットの叫びにも反応せず、砂塗れになって格闘するレインとナイ。

「ダメだ。聞いてないや」

「ああもう! ナイは普段冷静ですのに、一度熱くなるとこうですの……!」

 ミミとジョゼットは途方に暮れる。こうしている間にも追っ手は迫って来ているかもしれない。だとしたら、残された時間はそう多くはないはずだ。

(……仕方ない、か)

 ミミはキュッと唇を噛むと、深呼吸して覚悟を決める。

そして、波を跨いで砂の上へと(・・・・・・・・・・)駆け出した。

「へ……あ、ちょっとミミ!?」

 ジョゼットの制止を背に受けながら浜を横切ったミミは、パワードスーツによって強化された膂力(りょりょく)で少年達を突き飛ばす。

「うわっ!?」

「どわあ!?」

 予期しない方向から押されて、ナイとレインはゴロゴロと十メートルほど転がった。

「くそ、何しやがる! 誰だ――」

 顔に被った砂を拭い落として文句を言おうとしたレインは、ミミの姿を見てぎょっとなる。

 顔色は熱病に浮かされたように赤らみ、細い顎先から大量の汗を滴らせ、呼吸もひどく荒い。波打ち際から先のレイン達の位置まではほんの十メートルほどだが、今のミミは数十キロの道のりを休まず駆けて来たかのような有様である

「ミミ!? お前、何で浜に上がって……!?」

 ウンディーネにとって砂や土の上に立つことは自殺行為も同然だ。半分とは言えその血が流れているミミも例外ではないのである。

「まったくもう……世話が……焼け……る――」

 ようやくそこまで口にして、ミミは辛そうに目を閉じる。華奢な体躯がふらりと揺れた。

「ミミ!?」

前のめりに倒れ込むミミを見たジョゼットが悲鳴を上げて駆けて来る。

「くっ!」

「無茶しやがって!」

 レインとナイは意地で立ち上がり、ふらふらとミミの方に向かった。

「ミミ! ミミ!!」

 ジョゼットは揺さぶるが、ミミは反応しなかった。意識がなく、触れた頬は熱く、呼吸も浅く早い。医術の心得がないジョゼットにも、ミミが危険な状態なのは一目で分かった。

「待ってくださいな。今海に戻して差し上げますから!!」

 ジョゼットはミミを抱え上げようとする。ところが、ミミの身体は微動だにしない。彼女が纏ったウェーブライダーの重量が邪魔をするのだ。

「ジョゼット代われ!」

「あとは僕達が」

 そこへやって来たレインとナイにジョゼットは場所を譲る。レインが上半身、ナイが下半身を担当して持ち上げようとするが、男二人でもほとんど持ち上がらない。

「クソッ! 悪いミミ、スーツ脱がすからな。……確かこの辺にっ……」

 レインは胸部装甲の下に手を差し込んで探る。ガチンという音とともにミミの身体からパーツが外れ、ウェーブライダーは彼女を掲げるようにしながら再び単車状態に戻る。座席に突っ伏して気を失っているミミを抱え上げ、他の二人を置き去りにレインは海の方へ駆け出した。

「ミミ! ミミ!? 聞こえるか!?」

レインは頭を浜辺側に向けてミミを波の中に置くと、横から彼女に覆い被さるようにして呼びかける。

「ミミ!!」

「ミミさん!」

 追いついて来たジョゼットとナイも声を張り上げるが、ミミからの反応は一切見られない。

やがて彼女の呼吸が止まっていることに気づき、彼等の間に氷のように冷たい沈黙が流れる。

「けほっ!」

その時、ミミが咳き込んだ。三人は顔を見合わせてからミミに呼びかける。

「ミミ!? 聞こえますか?」

「ミミ!」

「ミミさん!」

 苦しそうに荒い呼吸を繰り返していたミミは、やがて睫毛を震わせながら目を開けた。安堵する三人の顔を順に見たミミが「ああ……」と漏らす。

「そっか。私、気を失って……」

「それどころか息してなかったんだよお前はっ! 無茶しやがって!!」

 歯を剥き出しにして怒るレインを見上げていたミミは力なく微笑む。

「だってレイン、喧嘩止めてくれないんだもん。ナイさんも。……頭は冷えた?」

 痛い所を突かれたレインはぐうの音も出ず黙る。代わりにナイが深く頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。僕達を止めるために無理をさせて……」

「いいよ。絶対助けてくれるって思ってたし。こっちこそゴメン。あんな脅すようなことして」

 ミミが申し訳ないという表情で言うと、ジョゼットが涙ぐんだ瞳で彼女を睨む。

「元凶の私が言う事ではありませんが、もうああいうことはしないでくださいましね」

 彼女の必死な表情に、ミミは心底反省させられる。

「身体の調子はどうですの? 動けますか?」

 ジョゼットに問われ、ミミは右手を持ち上げて開閉する。

「……まだ駄目かな。このまま海水に浸かってれば体調は戻るから、もう少し浸からせてもらうね。でも、話は出来るから。これからのこと話し合おう?」

 ミミの言葉に場が一気に引き締まる。殴り合いをしていたナイとレインも頭が冷えたことで、内輪揉めしている場合ではないと思い出したのだろう。

「……俺は一旦、ザインに戻るべきだと思う。さすがにこのまま未踏破海域は無理だからな」

 最初に口火を切ったのはレインだった。彼の提案は最も冷静な物であり、誰からも反論はないかと思われた。

「それは出来ません。すぐに追うべきですわ!」

 そう言ったのはジョゼットだ。レインは信じられないと言いたげな顔になる。

「……ジョゼット。あんたがどうしても行かなきゃならない理由は分かった。けどな、こればっかりは無理だ。食い物もねえ、水もねえ、人手もねえ、あるのはボート一艘……こんな有様で未踏破海域に行くのは自殺と変わらねえぞ。たとえミミが居ても、だ」

 レインが珍しく理論的に諭す。視線で同意を求められたミミも小さく頷く。

「今回は結構急だったし、想定外のこととかが多くて失敗したけど、ザインで事情を話せばいろいろ手を貸してもらえると思う。私ももっと頑張るし。時間はかかるだろうけど、必ず目的地に連れて行くから。ね?」

 だが、ミミの取り成しにもジョゼットは引かない。頭を振って彼女は焦燥感も露わに告げる。

「それでは駄目なのです。恐らく彼等は海図を手に入れたはず。今すぐにでも彼等を追いかけなければ……!」

 あまりの頑なさにミミとレインは戸惑ってしまう。

「何焦ってんだ? 確かに海図は取られちまったのかもしれないけどよ、奴等がいくら軍艦持ってても、未踏破海域を渡って行くのは簡単じゃない。全滅か、その前に引き返すのが関の山だって。向こうにウンディーネでも居れば別だろうが……」

 レインがそう言った時、ジョゼットが寝巻きの布を両手で握り締め、絞り出すように呟く。

「……リグルはすでに、ウンディーネを手に入れている可能性がありますの……」

 ミミは心臓が跳ね上がるような心地がした。ジョゼットがもたらしたその情報は、ミミにとって重要なものだった。ミミはその動揺を隠せぬまま、震える唇で言葉を紡ぐ。

「そ、そのウンディーネってもしかして、アーシアって名前だったりする?」

 そんなミミの様子に、ジョゼットは痛ましげに目を伏せる。

「実際に確かめたわけではありませんからそこまでは……。ただ、数日前にそんな話があったすぐ後にリグルがダイゼンを裏切ったので、そう考えるのが一番論理的なんです。とは言っても全て推測ですから、アルセイユでは話せなかったんです」

 無論、ミミが知らないウンディーネが他に居て、運悪く捕まっている可能性はある。しかし母の失踪時期と、リグルがウンディーネを手に入れた時期が一致しているのが引っかかった。

「でも、お母さんが悪い人達に協力するなんて思えないよ」

 必死で絞り出したミミの反論だが、ナイは沈痛な面持ちで頭を振る。

「人に言うことを聞かせる方法なんていくらでもありますから……」

「そんな……」

 ミミは青褪めて呟く。

「くそっ! ふざけやがって!!」

 レインは我が事のように怒り、砂の上に拳を叩きつける。

 ミミは静かに瞼を閉じる。いろんなことを知り過ぎて頭が混乱している。だが、母の消息の手がかりが耳に入ったのは大きい。自分の気持ちを確かな物とする準備のために目を閉じたが、そんなことをせずとも自分のしたいことは自覚していた。

「……行こう」

 ミミが吐息と一緒に言葉を吐き出す。全員の注目を一身に受けて、ミミは繰り返す。

「行こう。未踏破海域へ」

 常識で考えれば、正しい判断でないことはミミも分かっていた。しかし、状況の全てが未踏破海域への道をつけているようにミミは感じていた。

「本気なんだな?」

 小さな溜め息を零した後、レインが怖いくらいに真剣な顔で聞いてくる。ミミがはっきりと頷くと、レインは再度溜め息を吐いてから笑った。

「しゃーねえ。俺も手伝ってやるよ。……で、これからどうする?」

「それなんだけど……」

 ミミは少しだけ躊躇ってから、自身の考えを口にする。

「シンカに向かおうかなって思ってる」

「……ああ、開拓(かいたく)都市か。確かに進路的には近いな」

 レインは腕を組んで唇をへの字にする。そんな彼をよそに口を挟んだのはジョゼットだった。

「開拓都市……聞いたことがありますわ。確か未踏破海域の調査を行っているとか」

「うん。そのシンカだよ。ただあの都市は治安が良くないから、ジョゼット達を連れて行くのは少し抵抗があったの」

 ミミの歯切れの悪い説明を聞いて、ナイがレインへと問うた。

「そんなに悪いのかい?」

「海賊も出入りしてる場所だからな。未踏破海域辺りの連中が、航海の途中で見つけた遺物なんかを食料なんかと交換するために持ち込んでるんだよ」

 いつにも増してぶっきら棒なレインの口調にジョゼットが首を傾げる。

「どうしましたの彼?」

「レインは海賊さんが嫌いなの」

「……その割には事情に詳しそうなんですが。嫌いな物はとことん調べて嫌うタイプとか?」

 ナイの問いには曖昧な苦笑で答えつつ、ミミはレインに向き直る。

「シンカなら未踏破海域行きの調査船も出てる。事情を話せば乗せてくれるかもしれないわ」

 希望的観測のように言ったが、ほぼ間違いなく引き受けてもらえるだろう。何せ未踏破海域の海図を頭の中に収めた少女と、ハーフとはいえウンディーネがセットで売り込んでくるのだから。

「今後の方針はそれで行きましょう。でも、シンカに向かうには問題が一つある」

 ナイの言いたいことは皆分かっていた。

「奴等の軍艦か。まだ俺達を探してるだろうな」

 レインの深刻な呟きを聞いたジョゼットが、不安そうに海の彼方を見回す。

「朝まで待ってはここがバレかねませんわ。今のうちに向かうべきでは?」

ジョゼットがそう提案する。悪くない案だった。

「そうだな。今なら暗闇に紛れて逃げ切れるかもしれねえ。動けるかミミ?」

「うん。もう平気」

 ミミは立ち上がってそう言い放つ。十分に水に浸かれたので、体調は倒れる前よりも良いくらいだった。

「行こうか、皆――」

 言い差した直後、ミミは足元から伝わる波の感覚に震えた。彼女は海上を振り返る。

「――ウェーブライダーと小型艇。こっちに来てる」

 ミミの言葉に皆が息を飲んだ。ナイが鋭く問う。

「敵の捜索部隊ですね。ミミさん、数は分かりますか?」

「ん……とにかく沢山。ジギーを取って来て。すぐ動こう」

 眉を潜めたミミの面持ちが、事の深刻さを際立たせた。

「分かった。ナイ、手伝え!」

「ああ」

 レインとナイはウェーブライダーの方へ走った。彼等を見送ってミミはジョゼットに言う。

「ジョゼット! 海にボート押し出すの手伝って」

「わ、分かりましたわ!」

 少女二人で苦労しつつボートを押し出した所へ、レイン達がウェーブライダーを押してくる。

「行けるかミミ?」

「うん、大丈夫! 行くよ!」

 ジギーを纏ったミミの号令とともに一行は沖に出る。

その時にはすでに、遠くにポツポツとライトの光が揺れているのが見えていた。敵はミミ達のことをすでに捕捉しているらしく、ミミ達を追うようにしてライトが動く。

 如何にミミが誘導しようとも、三人も乗せたボートの動きははっきり言って遅い。すぐに敵の射程範囲に捉えられる。

「きゃあっ!?」

 闇の中から数多の銃弾がジョゼット達の乗るボートを襲う。しかも人が抱えられるライフル程度の物ではなく、小型のクルーザーくらいなら粉々に出来そうなガトリングガンだ。

「くっ!」

レインは進路を大きく右に向けるが、それだけでは躱し切れない。

「させない!」

あわや直撃という所で、何とかミミが割って入る。

顔の前で両腕をクロスしたミミの全身を凄まじい衝撃が襲う。当たった銃弾はミミの装甲に傷一つ付けられないまま弾かれ、暗い海中に飛び込んでいく。

「んっ!!」

 無数の銃弾を受けた衝撃はかなりのものだったが、パワードスーツのアシストの御陰(おかげ)で堪えられた。

「ミミ――きゃふっ!?」

 思わず顔を上げそうになったジョゼットの頭を押さえつけ、代わりにレインが言う。

「ミミ! 無茶すんな!」

「こっちはいいから! 早く行って」

 ミミは構えた両腕の隙間から敵を睨む。ミミ達目掛けて突き進んで来る先陣は小型艇六、ウェーブライダー七の合計十三隻。ミミ一人なら対処出来ない数ではないが、今ボートの傍を離れればレイン達は蜂の巣にされることだろう。それに、敵にはまだ後続も居る。

(どうすれば――)

「そのままでお願いします」

 迷うミミの(もと)に、ナイの静かな声が届いた。

次の瞬間、ミミの股下から黒い物体がぬっと顔を出す。

 ぎょっとして足を閉じそうになるのをミミはギリギリで堪える。よく見るとそれが、先端が膨らんだ銃身だと分かったからだ。肩越しに振り向いて状況を把握したレインが怒鳴る。

「おい! 何やってんだ変態野郎! というか、どっから持って来たんだそれ!?」

「アルセイユを出る時、ゴール船長から渡された。弾除けにして申し訳ないですがミミさん、少しだけ我慢してください」

「は、はいっ!」

 思わずゾッとするような冷徹な声音に、ミミは場違いな羞恥心を心の底に押し込む。

 ナイが船縁に乗せて構えているのは対物ライフル――廃れた呼び名で対戦車ライフルである。徹甲榴弾などを使って固く分厚い装甲をぶち抜き、内部の人間を殺す殺傷力の高い銃であった。

「馬鹿か!? ここは海でこんなに暗いんだぞ!? 当たるわけねーだろ!」

「……夜目は利く方だ」

上下する的をナイトスコープ越しに睨んだナイは、引き金を軽く叩いてタイミングを取る。

 凄まじい咆哮とともに銃口が閃光を放った。

銃口から飛んだ弾丸は、先頭を走っていた小型艇の鼻先に瞬時に着弾。その船は火の手を上げて蛇行し、他の船にぶち当たってひっくり返る。

「すっげ……」

 レインがこっそりと感心するのを尻目に、ナイは無言でボルトアクションをこなし、空薬莢を排出してから次のターゲットを定める。予想外の反撃に一旦攻撃の手は止まったが、すぐさま追っ手は銃撃を再開する。しかし、そのほとんどがミミに阻まれ、通り抜けた物は船体を僅かに削るだけだった。

 ナイは淡々と引き金を引いて追っ手の数を減らしていく。しかも、一人たりとも殺しておらず、素人目にも物凄い精度だと分かる腕前だ。

「やるじゃねーか。そんなもんの扱い、どこで習ったんだ?」

 渋々とレインが認めると、丸くなって身を隠していたジョゼットがどこか誇らしげに言う。

「ナイは兵役を経てますの。ダイゼンでは最高クラスの銃の名手でしたのよ?」

「恐れ入ります」

 言いつつナイが新たな標的に照準した時、残っていた追っ手がUターンした。

「……逃げましたの?」

 ジョゼットがおそるおそる口を開き、ナイは油断なくスコープを覗いたまま告げる。

「これ以上やっても無駄と判断したのかも。それに敵は一人も殺してません。拾いに行ったのでしょう」

 すると、付け加えられた一言を聞いたレインが噛み付く。

「ああ? 何で殺さねえんだよ? あいつ等は皆の仇だぞ!?」

「気持ちは理解するよ。けど、ここで彼等を殲滅するには弾数が足りないし、足でまといを作れば敵の行軍速度も落ちて逃げやすくなる。この場は感情より実利を取るべきだ」

「……ああそうかよ、くそ! なら、このまま逃げ切るぞ」

 面白くなさそうだが、レインも納得したらしかった。

 そのことにホッと胸を撫で下ろしたミミだが、不意に顔を強ばらせて叫んだ。

「待ってレイン! この方向はダメ!」

「何!?」

 面食らったレインは、正面に船影を発見する。

 ミミはボートの進路上に軍艦が居ることにようやく気づいたのだ。全ての明かりを消して夜闇に溶け込み、スクリューも切っていたためにミミでも気づくのが遅れた。先程追っ手が引いた理由には、巻き添えを避けるというのもあったのだろう。

 レインが慌てて舵を切ると、軍艦はこちらが気づいたことを察知して砲撃を開始する。

 小さな脱出艇に軍艦からの一撃は致命的だが、夜間で的が小さ過ぎて直撃することはない。むしろ砲弾が引き起こす海面の揺れの方が、脱出艇にとって脅威であった。ボートは掻き乱された波に弄ばれ、突き上げる水柱にひっくり返されそうな頼りなさで翻弄される。

「きゃあああっ!」

 船縁にしがみついたジョゼットが悲鳴を上げる。

「お嬢様っ!」

ナイは何とかジョゼットの元に向かおうとするが、彼自身も身体の固定で手が空いていない上、足元が不安定で近づけないでいる。

「クソが!」

 レインは毒づきながら必死で舵を取った。けれど、いくら彼の技量が優れていても人に出来ることには限界がある。

 脱出艇の直近に落ちた砲弾が大波を起こし、持ち上げられた船体が左に裏返りそうになる。

「危ない!」

ミミは咄嗟に船の後部を両手で(つか)んだ。転覆を防ごうと船体を無理矢理腕力で押さえつける。次の瞬間、大量の海水が覆い被さるようにして一行を飲み込んだ。

一気に視界が悪くなり、身体を横に押し流そうとする力に耐え、ミミは推進器を起動して脱出艇を水の中から押し出す。

「皆、無事!?」

「大丈夫だ!」

「こちらも、平気です!!」

 即座に返って来た返事は二つ。だが、最後の一つはいつまで経っても返らなかった。

「ジョゼットが居ねえ! くそっ、今ので落ちたか!?」

 まずいことになったと表情を歪めるレイン。ただでさえ周囲が暗い上に砲弾に襲われている最中なのだ。ジョゼットを探す余裕はない。

「お、お嬢様――!」

「待ったナイさん!!」

 ひどく狼狽えた様子で海に飛び込もうとするナイをミミはギリギリで止める。

「二人はこのまま先に行って! ジョゼットと追っ手は私がどうにかするから!」

「はあ!? 馬鹿なこと言ってんじゃねえよ! 今度はお前等を囮にしろって言うのか!」

「問答してる時間はないのよレイン!! アルセイユの誇りを守らなきゃっ!」

 ミミが持ち出した言葉で、レインはギリッと奥歯を噛んだ。

「……絶対に追いつけよ! 絶対だぞ!!」

 そう言い残して、レインは急速に速度を上げてこの場を離脱する。ジョゼットを呼ぶナイの声が尾のように伸びて消えて行く。ミミは推進器を全開にして海上を滑る。推進器から吹き出す蒼い光が敵の目を十分に引くはずだ。

(居たっ!)

 砲弾を躱しながら海上を見渡すミミは、荒れる波間に今にも溺れそうな人影を見つける。

「ジョゼット!」

 名を呼ぶと、ジョゼットの視線がミミを向く。

「ミミ!! ごぷっ……!?」

 気の緩みが身体に限界を思い出させたのか、ジョゼットはもがきながら海中に沈んでいく。

「ジョゼット――――!!」

 ミミは手を伸ばして叫ぶ。ジョゼットの指先が水の中に消えると同時に、ミミは水をえぐるようにして彼女の手を掴むと引き上げた。

「大丈夫、ジョゼット!?」

「けほっ、けほっ……ええ、助かりましたわミミ……」

 ジョゼットは濡れた髪を肌に貼り付けつつ礼を言った。しかし、彼女の無事な様子に安堵する時間はない。

「掴まってて!」

 ミミは言うが早いか軍艦の射程から逃れようと行動する。ミミのウェーブライダーの出力なら問題ない。ところが、向かおうとした方向には数台のウェーブライダーが回り込んでいた。

「くっ!」

 ミミはすぐに方向を変えるが、そちらにもすでに小型艇が立ち塞がっている。

「ミミ……!」

 ミミの首に回されたジョゼットの腕に力が入る。彼女にもこの絶望的な事態は理解出来ているのだろう。

 ミミの動きが僅かに鈍った時、如何(いか)なる偶然か、軍艦から放たれた砲弾が正確に二人を襲う。

「しまっ――」

 直撃は避けられない……ミミがそれを感じた瞬間だった。


 砲弾とミミ達の間の海面をぶち破って、巨大な影が現れたのは。


「え!?」

「今度は何ですの!?」

 驚くミミとジョゼット。砲弾の直撃を物ともしない巨躯は、長大な物体を天高く掲げるや否や苛烈に振り下ろす。打撃された軍艦は尻を振り上げて顔を海中に突っ込んだ。再び水平に戻った時、船首側の砲塔が残らず折れ曲がっていた。

 軍艦を一撃でほぼ戦闘不能に追い込んだ巨躯は、しなる足を今度は鞭のように横薙に振るう。進路を塞いでいたウェーブライダーと小型艇がボールのように夜空を舞った。

 縦横無尽に触腕を振り回す姿に、ミミは見覚えがあった。

「ママさん!?」

 そこで暴れているのは、サルベージ船と悶着を起こしていた大蛸(クラーケン)だった。

「知り合い……ですの?」

 唖然としたジョゼットがミミに尋ねる。

「うん。卵ドロボーされてたのを助けたことがあって……」

 あまりにタイミングの良さにさすがのミミも呆気に取られる。しかし冷静に思い出してみると、軍艦に襲われた場所はサルベージ船の一件があった場所からそう離れていない。様子を見に出て来てくれたのかもしれない。

 不意に、クラーケンの巨大な眼球がミミとジョゼットに向けられる。

 行け、と言っているようなその瞳を見返し、ミミはパッと表情を輝かせる。

「ありがとうママさん!! 大好きっ!!」

 ミミは言うが早いかジョゼットを上に投げた。

「ひゃっ!?」

 彼女が空中に居る間に、ミミはジギーを乗り(ビークル)形態に戻す。

ジョゼットが尻を座席に落とすのを待って、ミミは全速力でその場を離脱した。


                 ◇


 どれくらいの時間走ったのだろうか。

 クラーケンが上手くやってくれたのか、ミミとジョゼットを追う者はもう居くなっていた。

だがその代わりに、彼女達を襲ったのは猛烈な風雨であった。

「まさか時化に直撃されるだなんて……!! ジョゼット! 大丈夫?」

 返事の代わりに、ミミの胴に回されたジョゼットの腕に力が入る。

 大型船であっても転覆しそうな大波の中で、木の葉のようなウェーブライダーが浮いていられるのは、ミミのウンディーネの力と操縦技術と根性の賜物だ。しかしそれでも、一瞬の気の緩みが命取りになりかねない状況である。

(早い内に時化の来る方向が分かったのが良かった! このまま真っ直ぐ行けば抜けられる)

 必死に操縦桿を握って暗い海に目を凝らした時、ミミは視界の端に何かを捉える。

「ジョゼット! 向こうに何か見えない!? ほら、あそこ!」

「え!? ……そうですか!? (わたくし)には何も――」

 言い差すジョゼットだが、吹き荒ぶ風雨に細めた目がようやくそれ(・・)を見つける。

「船ですわ!」

 距離にしてニ、三百メートルほど。二人は荒れ狂う波間に船影を発見したのだった。

(あの方向は……)

 ミミは表情を険しくした。その船の舳先が嵐の中心部を向いていたからだ。

(あのまま行ったら沈んじゃうかも。でも……)

 ミミは自身の背に感じる少女の存在を思う。ジョゼットはそろそろ限界が近いはずだ。そんな彼女を連れて危険な行為に身を投じるわけにはいかない。

「行きましょうミミ!!」

 不意の叫びでミミは背後を振り返った。肩越しに自分を見るミミに、ジョゼットは笑みを浮かべて続ける。

「貴女に見捨てるという選択肢がないのは分かっています。私のことは気にせず助けてあげてくださいな!」

「……ありがとう!」

 ミミは前を向くと、死地に向かう船へとジギーを向ける。

 近づき、間近に見たその船はアルセイユより一回り小さい代物であった。だが、各所に砲塔が付いている所を見ると、どこかの都市の軍艦なのかもしれない。

「――ジョゼット! これお願いっ!!」

 ミミは操縦桿の傍に取り付けていた物を後ろ手にジョゼットに渡す。銃身が短く太い銃であるのを確認したジョゼットは、吹き付ける風雨に目を細めながらミミに尋ねた。

「何ですの!?」

「照明弾の射出機!! こっちの位置を知らせて誘導するわ。真上に撃って!」

「分かりましたわ!」

 ジョゼットはミミの胴に片腕を回したまま、危なっかしく射出機を上に構える。

 パシュッという音がして、眩い光弾が曇天に向けて飛んでいく。

 目敏い者が気づいたのだろう。ほとんど間を置かずに、船の方から色違いの光弾が打ち上がる。信号弾だ。ミミについて行くという意思が読み取れた。

「ジョゼット! 時々後ろ見て、向こうと離れ過ぎてたら教えて!」

「はい! ……?」

 返事をしたジョゼットは、自分達に船首を向けるその船を見て疑問符を浮かべる。

(あれは……旗、ですの?)

 吹き荒ぶ風雨のせいで上手く見て取れなかったが、見慣れない黒い布が何となくジョゼットの注意を引いた。しかし、その正体をはっきり確かめる余裕はない。

永遠とも思える濃密な緊迫の時間を乗り越え、何とか時化の勢力範囲から逃れることが出来た時、少女達は疲労困憊だった。

「はあっ、はっ、はあ――――」

「ぜぇっ、ぜぇっ、ふぅ……」

ミミとジョゼットは言葉もなく息を整えることに終始する。

「……何とか、なった……。ジョゼット、大丈夫?」

 荒い息の合間でミミが訊くと、彼女の背中に当たっているジョゼットの頭が上下する。疲労のあまり返事をするのも億劫なのだろう。

 少女達が互いの無事を確かめていると、フッと大きな影が被さってきた。

 助けた船が隣に並んだのである。

「あっちも大丈夫みたい」

 ミミが胸を撫で下ろした時、甲板の上から何かが投げ落とされる。縄梯子だった。ミミとジョゼットが顔を見合わせていると、甲板から男の声が降ってくる。

「上がって来てくれるか!? 船長が礼を言いたいってよ」

「分かりました! 今行きます」

 ミミはそう返してジギーを船に寄せると、速度を合わせて縄梯子の下に付く。

「ジョゼット、先どうぞ。慌てなくていいからね」

「では、お言葉に甘えて」

ジョゼットは頷いて縄梯子に手をかけ、多少もたつきながらも登り始めた。

 ミミはジギーを自走モードに切り替えてジョゼットに続いた。


 甲板でミミとジョゼットが見たのは、待ち構えていた武装集団であった。


『…………』

 予想外の事態に少女二人はきょとんとなって固まった。

「これは……ええと……」

 ミミが目を瞬かせていると、不意に服の裾を引っ張られる。振り向いたミミの目線を引き攣った顔のジョゼットが、人差し指によって上方へ誘導する。

 ジョゼットが指差す先では、艦橋に掲げられた黒いボロ布がはためいていた。船の所属などを一目で分かるようにする旗だ。

一メートル四方のそれに描かれているのは、交差した骨と白い頭蓋骨である。

「……海賊旗(ジョリーロジャー)……? もしかしてここって……」

 ミミの可愛らしい唇が誰にともなく呟いたその時、何者かが同意を返してくる。

「おうよ。察しの通りだウンディーネ」

 すると(ひと)(だか)りが割れて、一人の男が進み出て来た。撫で付けた黒髪にバンダナを巻き、古傷だらけの裸の上半身に厚手のコートを纏った彼は、周りの男達とは明らかに一線を画した雰囲気を持っている。

「えっと……貴方は?」

 ジョゼットが恐る恐る尋ねると、男は豪快に笑って言う。

「カッカッカッ! 悪い悪い。自己紹介しないとな。俺はレイモンド。姓は無い」

 レイモンドと名乗った男は胸を張って言い放つ。

「この海賊船《アジョット号》の船長だ。――俺等みたいなロクデナシのクソ野郎を助けてくれて礼を言うぜ可愛娘(かわいこ)ちゃん達。……たっぷり礼をさせてもらわなくちゃなあ?」

 レイモンドは獰猛な肉食獣の笑顔を向けてきた。周りの男達も似たような、それでいてどこかいかがわしい笑い声を立てる。

「……ミミ……」

 不安げなジョゼットがミミの手を握る。ミミはそんな彼女の手を握り返して一つ吐息する。

「レインに怒られそうだなー……」

 ミミはそう言って晴天を見上げるのだった。



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