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空と海と水精と  作者: 数え唄
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ウンディーネ(3)

 レインに続いて部屋に入ったミミは、来客用のソファに依頼人らしき者達を見て息を飲む。

 一人は細長い円筒を肩に掛け、ソファの背中側に立つ燕尾服の少年である。黒髪に鋭利な印象のある顔立ちに、細身ながらも鍛えているのが分かる長身と、滅多にお目にかかれない美形だ。しかも一部の隙もない立ち姿は、素人のミミにも只者ではないことを感じさせる。

 だが、ミミの目を奪ったのは彼ではない。ソファ正面に立ってこちらを出迎える少女だった。

 太陽を思わせる艶やかな長い金髪と、見ていると引き込まれそうな鮮やかな碧眼。身長はミミより頭一つ高く、瀟洒で清楚な白のブラウスに黒のロングスカートで身を包み、高い教養と品性を感じさせるその姿容は華の如く美しい。ミミをして見蕩れさせるほどだ。

「きれい……」

 呆けた声に、ミミは反射的に口元を押さえる。内心だけの呟きが口を突いたかと思ったのだ。しかし、それが間違いであることにはすぐ気づいた。

 目の前の少女もまた、赤面して口元を片手で押さえていたからだ。

「し、失礼しましたわ。(わたくし)ったら急にこんなこと……。驚かせてしまいましたわね」

「い、いえ、そんな! 私も同じこと思ってたから、つい口に出しちゃったかと」

 ミミが照れ笑いを浮かべると、金髪少女は思わずという感じで笑みを零す。そんな仕草すら品があってミミは見蕩れてしまう。

「ありがとう、ウンディーネさん。精霊の末裔と呼ばれるくらいですから、もっと堅い(・・)方を想像していましたけど、普通の女の子と変わらないようで安心致しましたわ」

それからその少女は、スカートの両側を摘んで優雅に腰を折る。

「初めまして。私はジョゼット・リップバーンと申します。こちらは従者のナイ・タリスマン」

 ジョゼットの背後に控えるナイが静かに頭を下げた。二人とも僅かな仕草にさえ高い教養を感じさせる佇まいだ。

「あっ、私はミミ・シュトランゼです。よろしくお願いします」

「レイン・ガルバドルだ。アルセイユで操舵手見習いやってる」

 ミミは慌ててぺこりと頭を下げ、レインがぶっきらぼうな口調で名乗る。自分達とは対称的に慌ただしい自己紹介に微笑み、ジョゼットは小さく頷いて言った。

「お二人とも、よろしくお願いいたしますわ」

「お嬢様。時間がないことですし、そろそろ仕事の話を始めませんと」

全てが済んだタイミングを見計らい、ナイが口を挟んでくる。

「そうですわね」

 ジョゼットはナイの言葉に同意する。その時、ミミは彼女の表情に陰りを見た気がしたが、ミミが指摘する前に話が進んでしまう。

「それじゃ座ってくれ客人方。窮屈でスマンが、ミミ嬢ちゃんもこっちに座んな」

 ゴールの促しに従って、ミミは彼と隣り合ってソファに座る。対面のソファにはジョゼットだけが座るが、ナイは従者なので隣に座るわけにはいかないのだろう。

「船長。俺は?」

 レインが所在無さげに片手を上げると、ゴールは振り向きもせずに告げる。

「もう用はねえから仕事に戻っていいいぞ。居る気なら隅っこで体育座りでもしてろ」

「何つー言い草だ……」

 頬を引き攣らせて拳を震わせるレインだったが、出て行く気はないのか手近な壁に背中を預けて腕を組む。ジョゼットは皆が体勢を落ち着けるのを待ってから話を始めた。

「今回の依頼内容ですが、私とナイを目的の場所まで連れて行って欲しいんです」

 告げられた依頼内容は、別段珍しいことではなかった。今の時代、物資ではなく人間を輸送するというのは、運送業の範疇に充分入っているからだ。

 ただし、疑問はあった。

「でも、それなら私必要ないんじゃないかな? ゴール船長はすごく頼りになるからどこだって連れて行ってくれますよ?」

 ミミが首を傾げると、ジョゼットが少し困った様子で答えを口にする。

「私達も、ザインで一番の船乗りはゴール船長だとお聞きして、頼らせていただいたんですの。――ですが……」

 ジョゼットが窺うように横目を向けた先――ゴールが大きく呼気を吐き出して言う。

「見込んでもらえるのは光栄だがな。この二人の行き先は俺の手には負えんのだ」

「どういうことだよ船長? あんたがやる前からそんなこと言うなんて珍しいな」

 レインが意外そうにそう言った。ミミも同感だったが、次に告げられた一言で理解する。

「その目的地ってのが、《未踏破海域》なんだよ」

 ゴールの言葉に、ミミとレインは思わず息を飲んだ。

 先述した通り、大沈没以後のアクエリアは約九十二パーセントが海に覆われた星だ。しかし、これを実際に確かめた者はいない。何故なら複雑な海流や点在する岩礁、そして獰猛な海獣達が調査の邪魔をするためである。今、人々が暮らす八パーセントの海域を確保するだけでも、多くの犠牲を払い数百年もかかったと言われているのだ。

 しかしそれ以上は、あまりの危険さ故に人間が足を踏み入れることは出来ない――未踏破海域と呼ばれる所以だった。

 驚愕する二人にゴールは険しい顔で頷いた。

「散々説明はしたんだが、この客人方はどうしても行くの一点張りでな」

 珍しく疲れた吐息を零すゴールの様子からは、散々議論を交わしたことが窺える。

「なんだってそんな所に行きたいんだよ? 観光ならもっと別に良い場所があるぜ」

「それは……」

 レインの何気ない質問にジョゼットが言葉を濁す。代わりに答えたのはナイだった。

「我々がどういう目的を持っていようが関係ないでしょう。先にも言ったように、十分な報酬はお約束します。あなた達はただ、目的地まで僕達を連れて行ってくれればいい」

「ああ?」

 ナイの尊大な物言いにレインが青筋を立てる。

「報酬って……」

 ミミが目を向けると、ゴールが鼻を鳴らして肩をすくめる。

一億J(ジュエル)だそうだ」

「一億……!?」

 一般的な生活水準に照らせば、大げさでなく一生遊んで暮らせる金額だ。

 個人が用意するには破格の額にミミは目を丸くし、ゴールは苦笑いを浮かべる。

「馬鹿にしてるよなあ」

 ゴールのその一言で、場の空気が僅かに張り詰める。

「……一億では不満だと?」

 ナイが事務的に尋ねると、ゴールはやれやれと頭を振った。

「ウチは真っ当な運び屋だ。依頼されりゃどこにでも荷物を運ぶってのは確かだが、それは運び屋のプライドだからであって、金さえ貰えりゃいいっていうゴロツキとは違うのよ。まあ、そんな連中に頼んでたとしたら、金だけ取られて途中で海に捨てられるのがオチだろうが」

 ジロリと、ゴールは険しくも真摯な目つきでナイを睨む。

「ウチの船員にも家庭がある。そんで、俺はそいつらの人生を預かってんだ。金積まれたくらいじゃ、部下共に命を賭けさせるには値しねえ。……分かるか小僧」

 低い声で凄むゴール。ナイは怯んだ様子はないものの、それ以上口を開くことはなかった。

 ギスギスした空気の中、口を開いたのはジョゼットだった。

「ゴール船長。我が家の者の無礼は詫びますわ。……けど、私達も遊びのつもりはありません。どうしても未踏破海域に行かなくてはなりませんの」

 ジョゼットが真っ直ぐな瞳でゴールを見据える。強い視線は意志の強さのほどを感じさせる。それに晒されたゴールは困り果てた感じで頭を掻く。

「とまあ、こんな感じで平行線でな。――そこでミミ嬢ちゃん。アンタを呼んだんだ」

「え? あっ、うん」

 なりゆきを見守っていたミミは、不意に水を向けられて驚く。ゴールは構わず続けた。

「あの海域を渡るのは人間には無理だからな。ウンディーネの力を借りたいんだ」

 言われてやっと、ミミは自分がこの場に呼ばれた理由を察する。

 ウンディーネは海流の動きを精密に見る(・・)ことが出来るので、船が予期せぬ方向に流されたり岩礁で難破したりするのを防ぎ、海獣に対しても友好的に対処することが出来るためだ。

「アンタが無理だって言うんなら、俺等はこの仕事を受けない。どうする?」

「うーん……」

 ミミは腕を組んで唸る。ウンディーネであるミミならば《未踏破海域》を渡ることは難しくはないだろうが、それはミミ単独であればの話である。

 ちらりと一瞥すると、ジョゼットとナイが固唾を飲んでミミを見ていた。その目には必死さだけが灯っている。

「……ジョゼットさん、だったっけ? 二つ質問してもいい?」

 少し硬い表情でジョゼットが頷く。そんな彼女の目を真っ直ぐ見据えてミミは言葉を放る。

「一つ目は、しつこいけど二人の目的について。まさか海獣さん関係じゃないよね?」

 それを問うたのは、先の卵泥棒の件があったからだ。

 ジョゼットはきょとんとなったものの、すぐにミミの質問の意図を察して告げる。

「大丈夫。彼等は関係ありませんわ。――貴女のお友達を傷つけたりしません」

 ジョゼットの聡明さに少し驚かされつつも、ミミは相手の答えを了承して続ける。

「じゃあ、二つ目の質問。これが肝心なんだけど、《未踏破海域》って、本当に危ないのよ? ゴールさんは頼ってくれてるけど、私にだって予想や対処出来ないことが起こりうるんだから。もしかしたら守ってあげられないかもしれない。……それが分かってても行きたいの?」

 真剣な口調でミミは問うた。ジョゼットは返す言葉に詰まった様子で黙る。彼女も見通しが甘かったわけではないに違いない。ただ、水の申し子であるウンディーネにすらここまで言わせるという事実に、これから行こうとしている場所の危険性を再認識したのだろう。

 やがて、ジョゼットはポツリと言った。

「……それで構いませんわ。どうしても行かなくてはなりませんの。――無理は承知でお願いします。私達を目的地まで連れて行ってください」

 ジョゼットは立ち上がって深々と頭を下げた。ナイも無言で彼女に続く。

 ミミはしばらく二人を見つめた後、ゴールへと向き直って言い放つ。

「ゴールさん。私、今回の仕事引き受けます」

 それを聞いたジョゼットがパッと顔を明るくする。

「あ、ありがとうございます!」

 と、そこでミミの肩を掴んだのはレインだった。

「おいミミ!! 本気か!? こんなワケの分からねえ話を受ける奴があるか!?」

 ミミは苦笑いを零しつつレインを落ち着かせる。

「だってホントに困ってるみたいだし。確かにいろいろ隠してるっぽいけど、悪い人達には見えないから大丈夫だよきっと」

「お前にかかれば海賊だって聖人君主だろ。このお人好しめ」

 額に手を当てて天井を仰ぐレイン。ミミは「あはは」と笑ってから、少し声を潜めて言った。

「(どのみち行くつもりだったからいい機会だよ。あの人が居そうな心当たりなんて、もうあそこしかないし)」

「(っ! ……そういうことか)」

 レインは全てを悟って口を噤む。そこで、ゴールが膝を叩いて言い放った。

「ミミちゃんが良いなら俺も異論はねえ。この仕事、受けようじゃねーか。――で、いつ出る?」

口の端を釣り上げたゴールの問いに、顔を上げたジョゼットが毅然と答える。

「――出来れば、今すぐにでも」

「よし、レイン! 下で荷物積んでる連中に出航を伝えて来い」

「……たく、どうなっても知らねえぞ」

 レインはぶつくさ言いながらも了承して部屋を出て行く。

「こっちの準備は出来てる。二時間後に出航だ。全員しっかり準備しとけよ」

 ゴールがそう締めくくり、ミミ達は今回の依頼を受ける運びとなった。


 それが、ミミの想像をはるかに超える長い旅の幕開けであった。


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