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空と海と水精と  作者: 数え唄
3/13

ウンディーネ(2)

 アクエリアには現在、十二の《都市》が存在する。

 地殻変動後に僅かながら残った陸地に生き残った人々が集まり、長い年月と多くの犠牲を出しながら築き上げたそれらは、学術、商業、軍事、様々な特色を持って繁栄してきた。

 そんな十二の都市の一つが、収束都市ザインである。

 ザインは物資や情報を他都市に送る役目を持った都市で、その特色からここに住む住人のほとんどは配達業務に関わる人間だ。街並みは三つの円に分けられ、一番外から港湾区、次が荷物の仕分けを行う工業区、繁華街を含む市街地となっている。

 港では水夫達が力仕事に精を出し、船賃の交渉がこじれたのか荒げた声があちこちで聞こえ、旦那の帰りを待つ女達が港に入る船の姿に安堵し、海賊ゴッコに目を輝かせて走り回る子供達の姿が見て取れる。

 ザインの活気を肌で感じる度に、ミミは総身に走る嬉しさを自覚する。

 大海原を自由に駆け抜け、潮風を胸いっぱいに吸い込み、海獣と戯れるのはとても楽しい。だが、それは外で遊ぶ楽しさであって、今感じているのは家に帰った嬉しさである。

「おーい! ミミちゃん。今帰りかい?」

 港に入る直前、船の横を通った時、ミミは頭上からそう声をかけられた。

 見上げれば、甲板の手摺りから初老の日に焼けた船乗りが顔を出している。彼女の存在に気づいたらしく、後から後から増える頭の数に苦笑して、ミミは大きく手を振って応える。

「うん! おじさん達もお帰りなさい。皆ちゃんと居る?」

「アンタが出がけに無事を祈ってくれたお陰で、誰も海獣の餌にはなっちゃいないよ。ありがとな!」

 男達から口々に礼を言われ、ミミは少し照れて赤くなった頬を掻く。

 ウンディーネに祈られた船は、その航海で船員を失うことはないと言われている。無論、それが単なる迷信であることはミミが一番分かっている。しかし験担ぎにどうしてもと頼まれるので、ミミは時々祝福の真似事をしたりするのである。実際には何の効果もない気休め程度のものだが、少しでも彼等の不安を取り除けるなら良しとすべきだろう。

 手を振って彼等と別れたミミは、ウェーブライダーを港湾内に入れる。

「あらミミちゃん、おかえりなさい」

「おーいミミ。次は俺の船に祈ってくれよー」

「あっ、ミミお姉ちゃんだ!」

 埠頭に沿ってジギーを走らせると、そこにいた人々がミミを見て親しげに声をかけてくる。

「ミミ――――!!」

 軽く手を振って応えていると、一際大きな呼び声を聞いてミミはそちらを見る。岸壁の上に立ってミミに手を降っているのは、シャツにベストを羽織った船乗り風の少年だ。年頃はミミと同じくらいで、目つきにヒネた印象がある容貌は、ミミのよく知る幼馴染みのものだった。

「あっ! レイン。ただいまー!!」

 ジギーを岸壁に横付けし、ミミは高い位置にいる少年に挨拶する。

「『ただいまー』じゃねえよ。……ったく」

 レイン・ガルバドルは、太陽のようなミミの笑顔に安堵のような吐息を漏らす。

「予定より帰りが遅かったじゃねーか。まさか配達先で遊んでたんじゃないだろうな?」

「違うもん。帰り道でサルベージ船が海獣さんと揉めてたから助けてたんだよ」

 そう反論するミミに対し、レインは片手を腰に当てながら呆れ顔で言う。

「ホント、昔からお人好しだよなお前」

「えへへ」

「褒めてないぞ」

 レインは言いつつ、安心したように吐息を漏らす。

「まあ、ダイゼンの騒動に巻き込まれたんじゃなくて安心したぜ」

 不意に出てきた都市の名に、ミミは片眉を上げた。

「ダイゼンって軍事都市の? 何かあったの?」

 今回の航海で近くを通ったが、立ち寄ってはいないのでミミには何のことか分からない。

レインは一つ頷いて深刻な表情で話し出す。

「一昨日、朝一の船が知らせて来た。ダイゼンが焼け野原になってたんだってよ」

「……海獣さんに襲われたの?」

 数多くの兵器を有していると聞く

ダイゼンを滅ぼせる存在と言えばそれくらいだ。しかし、レインは首を横に振った。

「住人は皆死んでたから、原因ははっきりしてないらしい。でも、どうも砲撃とかでやられてたんだとよ。だから海賊にでも襲われたんじゃってないかって話だ」

 海賊という単語を口にしたレインは眉間に皺を寄せた。彼の海賊嫌いは知っているので、ミミはそのまま会話を続けた。

「ダイゼンって凄い軍事力があるんでしょ? 海賊さん達がわざわざ危険を冒すかな?」

「あくまで噂だからな。……でももし海賊の仕業なら、最悪、七王クラスの海賊だ。この辺に来る可能性もあるから、都市連合の戦闘艦を派遣してもらうってさ」

 七王とは、この世界のどこかにあるという《海賊島》を治める七人の海賊達だ。彼等はいずれ劣らぬ怪物であり、この世の海賊達の頂点に立つ生きた伝説だった。そんな相手に都市連合の戦艦が太刀打ち出来るか疑問だが、備えないよりはマシということだろう。

「ふーん……あっ! だからレイン、私のこと心配して待っててくれたんだ?」

 ミミはレインの意図に気づいて喜色を示す。レインは《アルセイユ》という貨物船の船員で、この時間は船で荷物の積み込みや出港の準備をしているはずなのである。

ミミの問いかけにレインは若干頬を赤らめて言う。

「べ、別にそんなんじゃねーよ。船長がお前を連れて来いって言うから待ってたんだ」

「ゴールさんが、私を?」

 レインの言葉にミミはきょとんとなる。ミミの知るゴールの性格を考えると、全くないことではないが珍しいことではあった。

「昨日から来てる客と揉めてて、お前が居ないと話が進まないらしいんだ」

「そっか、じゃあすぐに行かないと」

 ミミに断る理由はない。レインが世話になっている船の船長は、ミミにとって配達の仕事を回してもらっているお得意様であり、古くからの付き合いでもある相手だからだ。

「十番埠頭に行ってくれ。そこにアルセイユが停まってる」

「うん。りょーかい!」

 ミミはそう言うと、発進の代わりに尻の位置を前にずらし、促すようにレインを見上げる。

「? ……何やってんだ?」

 怪訝そうに片眉を上げるレイン。ミミは機体の位置をその場に留めつつ意図を告げる。

「レインもこれから帰りなんでしょ? だったら乗ってけばいいよ」

 歩くよりは断然早いと善意で提案したのだが、レインはいきなり赤面して慌て出す。

「い、いいよ! 歩いて帰るから。だいたい、お前のウェーブライダーは一人乗りだろ?」

「ジギーは力持ちだから平気。まあ、ちょっと狭いけど、くっつけば大丈夫だよ」

 ミミはおかしなことを言ってはいないはずだが、レインはますます顔色を赤くする。

ちなみに、ミミの位置からでは分からないことだが、二人の問答を聞いていた男衆の視線が殺気立っている。それもまたレインの頬を引き攣らせる一因だ。

「お、お前は、どうしてそう無自覚に……。大体その格好は何だ! 何か着ろよ」

 高低差の関係でレインには、、ミミのシャツの襟元から豊かな胸の谷間がよく見えてしまい、実は目のやり場に困っていたりするのである。

「サルベージ船の時に服が濡れちゃって……。でも、下は水着だから。ほら」

 そんな少年の心中に気づかないミミは、何気なく服の裾を捲り上げて証拠を見せる。頬をピクつかせたレインは、動揺で震える指をミミへと突きつけ言い放つ。

「おま、お前には年相応の羞恥心がないのか!?」

「えー? でも、レインとは今更じゃない? 昔はお風呂とか入ってたんだし」

「風呂の話をするな!」

 小首を傾げながら答えるミミにレインは愕然となる。

「風呂!?」「あの青二才」「俺達の女神に何て真似を!」などと言いたげな視線が、レインの背中を憎しみととともに突き刺す。

「……分かった。分かったからもう何も言うな」

 レインは頭を抱えたそうな様子でミミに口を閉じさせる。

「……行くぞ?」

「いいよー」

 一言断ってから、レインは岸壁から飛び降りる。彼の着地でウェーブライダーが引っ繰り返ることはなかったが、着地の衝撃で機体が大きく浮き沈みする。

「うおっと!?」

 地面との違いにバランスを取り損ねたレインが、覆い被さるようにしてミミに倒れ込む。ミミは両腕を突っ張ると、背中で少年の身体をしっかりと受け止めた。

「大丈夫?」

「あ、ああ。悪い……!」

 レインの慌てた声とともに、彼の身体がパッと離れる。ミミは挙動不審なレインを奇妙に思いながら言う。

「それじゃ発進するよ。私の腰に手を回して、背中にくっついて」

「お、おう」

 レインは恐る恐るという様子でミミの腰に手を回す。しかし、くっつくのには躊躇いがあるのか、彼は可能な限り身体を引いていた。

「ちゃんとくっついてってば!」

「ふぉっ!?」

 操縦桿から手を離して少年の両腕を前に引くと、ミミの背中にくっついたレインが変な声を上げる。構わずレインの手を自分の腹部で組ませ、ミミは再び操縦桿を握って前を向く。

 ジギーを発進させようとしたミミだったが、思い出したように口を開く。

「そう言えばレイン。頼んでた件だけど……」

「ん? ああ……」

 若干頬に赤みが差したレインは言いづらそうに言葉を濁した。それで何となく進捗の度合いを察するが、ミミは無言で続きを促す。

「まだ何にも。船長もいろいろ当たってくれてるみたいだけど、足取りとか、それらしい人を見たって情報は来てないらしい。悪いな」

 幼馴染みの申し訳なさそうな雰囲気を感じ、ミミは努めて明るい声を出した。

「こっちが無理にお願いしてたことだから気にしないで。ホント、今どこに居るんだろうなあ」

 レインはそれが強がりであることを察し、ミミを抱くようにした腕に力を込める。

「前にも言ったろ? きっと大丈夫だって」

 無責任な発言だ。しかしミミにはそれが、レインの精一杯の励ましなのは分かった。

「……うん。ありがとレイン」

 だから、ミミは素直にレインの励ましを受け取った。悪い方向に物事を考えても仕方がないし、それは自分に向いている思考ではないと思い直す。

「暗い気分は風になって忘れようっ! それじゃ行くよレイン!!」

 言いながらミミが推進器を吹かし始めると、レインが目を見開いて言う。

「何? ちょっと待て!? こんな所でスピード出すな!!」

 レインの慌てる声を背中で聞きながら、ミミはジギーを走らせた。


                 ◇


 アルセイユは白い塗装が施された全長百メートル、高さ四十メートルという中型サイズの貨物船だ。遠目には陽光を反射して白さが(まぶし)いが、至近距離で観察すると塗装を重ねた痕跡があって、綺麗な見た目より年を重ねた船であることを窺わせる。

 足場が海に迫り出した桟橋式岸壁に身を寄せたアルセイユでは、ちょうど荷物の積み込みが行われていたが、ミミ達が近づくのに気づいて何人かが手を振ってくる。

「レイン、ミミ。今帰ったのか?」

「うん! ただいま」

 ミミがそう言いながら岸壁にジギーを横付けすると、()()きだった者が数人集まってくる。

「随分仲良さげじゃねーか。レイン。ついにキメたのかよ?」

「ば、馬鹿! 変なこと言うんじゃねーよ!?」

 レインの焦った反論を聞いた船乗り達の間で笑いが起きる。

 ミミは彼等の笑いの意味が分からず小首を傾げる。だが、男同士の会話は女には分かりにくいものだと割り切り、ミミはさっそく問いを投げる。

「ところで、ゴールさんが私のこと呼んでるって聞いて来たんだけど……」

「ああ、船長は自分の部屋で客人のお相手中っスよ。上がってください」

 何気なく若い水夫がミミに手を差し出してくる。引っ張り上げようとしてのことだろう。

だが、それを見た先輩格の水夫が若者を叱る。

「こら、止めねえか! すまんなミミちゃん。コイツ街育ちだからちゃんと理解してないんだ」

「どういうことっスか? 俺はただ上に引っ張り上げてあげようと……」

 何故叱られたのか分からないという様子で若者が先輩格に訊く。そこにレインが口を挟む。

「ウンディーネは陸には上がれねーんだよ」

「そうなんスか!? す、すんません! 全然知らなくて……」

 頭を下げる彼にミミは軽く手を振って答える。

「気にしないでください。レインはどうする? ここで分かれる?」

「いや、一緒に行くよ。大した手間でもないからな」

 レインの答えを聞いたミミは、ウェーブライダーを発進させて、アルセイユの右側へと回り込む。その船体の尻側には甲板へ登れる梯子が設けられていた。

 ミミは座席下からフックの付いたワイヤーを伸ばすと、梯子の最下段横にある係船環に引っ掛けて機体を繋ぐ。

 レインを先頭に甲板に上がったミミは、船員達から穏やかに出迎えられながら近くのドアから船内に入り、ドアが並んだ通路を船長室まで歩く。ちなみに、本来水から離れて動けないウンディーネだが、アルセイユのように水の気が染み込んだ古い船の中だと、日常生活程度なら十分営めたりする。

「船長! ミミを連れて来たぜ」

 船長室の前に立ったレインが少し強めに鉄の戸板を叩くと、中から「おう、入れ」という野太い声が返ってくる。それを受けたレインが扉を押し開けた。

 船長室という肩書きのわりに、部屋の内装はかなり質素だ。海図や来客用ソファなどの仕事に必要な物ばかりが目立ち、趣味的な物と言えば壁に飾られた古式銃や海獣の牙くらいで、(あるじ)の飾り気のない性格が現されているようである。

「その連中が客か?」

 レインが部屋の中央を見て言った。そこにはソファが向かい合って置かれているはずだが、レインの背中が邪魔になってミミからは客の姿が見えない。気になったミミがレインの肩越しに中を見ようとすると、ちょうど中から人が現れた所だった。

「よう、ミミ嬢ちゃん。帰って来たばっかりで悪いな」

 左の眉上から真下に頬まで伸びる古傷と、威厳たっぷりに髭を蓄えた大男であった。褐色の地肌を押し上げる筋肉で、腕の太さはミミの胴ほどもあり、(よわい)五十を迎えたとは思えない(たくま)しさである。

 この巌の如く(いかめ)しい男こそが、アルセイユの船長のゴール・ゼレッドである。

「ただいまゴールさん! あと、嬢ちゃんは止めてよ。私もう子供じゃないから」

 レインの横から顔を出し、唇を尖らせて不満を言うミミ。けれど、ゴールはへっと笑って彼女の頭に手を置いた。

「言われたくなきゃ俺より年取るんだな。一生無理だろうが」

「む~。頭に手、置かないでって言ってるのに……」

 ミミは唸って見せるが、言葉ほど嫌というわけではない。大きくて温かい節くれだった手は、どこか父親を思い出させてくれるからだ。

「そうだ、これ、荷物の受領証」

「ん? ああ。ご苦労さん」

 ゴールはミミから紙の束を受け取って軽く目を通す。

「……確かに。普通なら一週間かかる航路をたった三日で往復とはさすがだな。報酬には色付けとくぜ」

「いいの? ありがとう!」

 喜ぶミミとは対照的に、レインは皮肉を呟く。

「俺等の給料は上げてくれねえのに……。女に甘いぜ船長は」

 ゴチンと、痛そうな音がした。

「くだらねえこと言ってんじゃねえよ。ハッ倒すぞ」

「もう殴ってるじゃねえか!」

 拳骨を食らった頭を押さえてレインが反論するが、ゴールはどこ吹く風でミミに向き直る。

「ミミ嬢ちゃん。もう聞いてるだろうが、アンタに頼みたい仕事があるんだ。依頼人が中で待ってる。入ってくれ」

 どことなくうんざりした様子で、ゴールはミミを招き入れたのだった。

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