エピローグ
南から吹いた温かい潮風が、都市の街並みをゆったりと抜けて行く。
収束都市ザインには今日も数多くの貨物船が忙しく出入りしている。海に迫り出した十五の桟橋の内すでに十二まで埋まっている。どこもかしこも物資不足の世の中なので、運び屋には休息などあってないようなものだ。
そして空いている三つの内の一つに、銀色のウェーブライダーが横付けされている。座席に搭乗者の姿はなく、岸壁に打ち寄せる波に合わせて寂しげに浮いている。
「ぷはっ」
ウェーブライダー側の海中から勢いよく顔を出したのはミミだ。
「よっと」
顔を掌で拭ったミミは装甲の継ぎ目を手掛かりにして愛機の上へと身体を引き上げた。余分な部分のない均整が取れたミミの肢体は青いビキニタイプの水着で飾られている。この姿を見ればどんな朴念仁でも見とれてしまうことだろう。
「ふう……。気持ち良かったあ」
座席の上に脱ぎ捨てていた服を退けて代わりに尻を置き、ミミは後ろに両手をついて胸を反らせ空を見上げる。桟橋が直射日光をちょうど遮り、真っ白な雲がカタツムリが這うくらいの速さで上から下へ流れて行く様がよく見える。そののんびりとした動きにミミの口元が緩む。
「何ニヤついてんだお前?」
視界の上側にニュッとレインの頭が出て来て言った。わっ、と声を上げたミミは手を滑らせて仰向けに倒れる。したたかに頭を打つ音がした。
「あうう……」
「何やってんだ」
レインが呆れ顔で言う。後頭部を押さえて聞きながらミミは彼に向き直る。
「レインこそこんな時間にどうしたの? 仕事は?」
すると、レインは途端に嫌そうな表情を浮かべる。何気なく尋ねただけのミミは意外な反応に目をパチクリさせる。レインは苦虫を噛み潰した顔で言う。
「……アルセイユはあの事件で沈んじまったから、やりたくても出来ねえんだよ。保険とかあるから船はすぐに用意出来るって話だ」
言われてミミは納得した。そしてこう呟く。
「そっか。じゃあレインって今無職なんだ」
悪気のないミミの一言にレインは傷ついた表情になる。
「無職じゃねえ。仕事先が無期限休業になっただけだ!!」
「…………うん、そうだね。すぐに次のお仕事見つかるよ!」
「やめろ――!! 俺が仕事の続かねえ駄目人間みたいじゃねえか!」
レインの反応を眺めてミミはクスクスと笑う。レインはぶつぶつ言いながら桟橋に腰掛けた。
「まあ蓄えもあるし、船が出来るまでは日雇いの仕事でお袋と暮らしてくさ。お前の方は?」
「うーん。レイン達がやらないなら私も運送業はしばらく休みかな。ザインに帰ってまだ三日だし。私も結構貯金はあるから、しばらく自由にさせてもらうよ」
ミミの場合、常人が引き受けない仕事でもやり遂げるため、高額な報酬を個人で得る機会も多いのである。
「羨ましいことで」
口の端をひん曲げて言ったレインは少し黙ってから話題を変える。
「いろいろあったな。あれがたった半月前の話だなんて信じられねえ」
「だね」
座席に座り直したミミは地平線の彼方を見やって思い起こす。
沈みゆくアルカディアスを脱出した後、仲間との二つの別れがあった。
一つ目はアーシアとアルルカンとである。かつての約束から解放され自由の身となった彼は、現在アーシアとともに未踏破海域の調査を行っているはずだ。
二つ目はレイモンドを初めとする海賊連合の者達だ。突入時に破損し、しかもアルカディアスの修復に巻き込まれた船は取り戻せなかったが、すぐに海賊業を始めると息巻いていたレイモンドを思い出すと、今もミミには笑みが溢れる。
「寂しいか?」
レインに問われてミミは苦笑した。
「ちょっとだけ。でも、皆この海に暮らしてるんだもん。そのうちまた会えるって信じるよ」
「お前らしい」
レインは膝に片肘をついて続けた。
「ダイゼンの奴等が今日発つって話だから落ち込んでるかと思ったけど、そういうことならジョゼット達が居なくても大丈夫そうだな」
しかし、それを聞くなりミミは突っ伏した。突如としてミミが取った行動にレインが目を丸くする。しばらく無言で肩を震わせていたミミは、顔を埋めた両腕の間から言う。
「……レインの馬鹿……。私頑張ってその事実から目を背けてるのに!」
「五秒前の自分のセリフを思い出せよ。これで一生会えなくなるってわけじゃないだろ」
「それはそうだけど! ようやく出来た同い年の女の子の友達なのにもうお別れだなんて……。もっと一緒に居たいよぅ」
「……重症だな」
レインがやれやれと吐息するのに対して、ミミが拗ねて唇を尖らせていると、桟橋の上に新たな人影が現れる。
「二人とも! ようやく見つけましたわよ」
桟橋を歩いて来るのはジョゼットとナイだった。ジョゼットは安物だがセンスの良いパンツルック、ナイは珍しくカジュアルなベストを着ている。
「お前等そろそろ出発だろ? こんな所に来てていいのかよ?」
「出航までは時間があるのでお世話になった人に挨拶回りしてますの。本当なら一番に二人の所に来るべきだったんですが、お話したいことがあって最後にさせていただきましたわ」
そこでジョゼットは居住まいを正し、ナイ共々深々と頭を下げた。
「ミミさん、レイン、今日までお世話になりました」
「このジョゼット・リップバーン。お二人へのご恩は一生忘れませんわ」
丁寧な挨拶をされたミミとレインは顔を見合わせてから言った。
「今更他人行儀にすんなよ」
「そうだよ。大変だったけど、楽しかったし」
そう言いつつ、ミミはつい内心を漏らしてしまう。
「でも、これでもうあんまり会えなくなるんだよね」
ジョゼットとナイはこれからダイゼンに向かうのだ。ジョゼットは都市長の娘として父親の跡を継ぎ、都市の復興に尽力することになるのだろう。ウンディーネとは言え一民間人であるミミには気軽に会えない相手となってしまう。
ミミの内心の寂しさを察したのか、ジョゼットが柔らかく微笑んだ。そして告げる。
「そんなことありませんわ。私とナイはザインに移住しますので」
「「え?」」
予想外の返事にミミとレインは目を丸くした。そこにナイが説明を付け足す。
「確かに僕達は、遺体の埋葬と都市連への権限委譲のため一度ダイゼンに向かいますが、それが終わればすぐにこちらに戻ります」
「そうなの!? なーんだ……そっかあ……」
一目で分かるほど安堵するミミを桟橋の端にしゃがみ込んでジョゼットが見下ろす。
「それでですね。お二人にお話があるんですの」
「何だよ改まって?」
レインが促すとジョゼットは口を開く。
「ダイゼンから帰ったら、私、このザインで起業しようと考えてますの」
「起業? 資金はどうしたんだ?」
レインの疑問にジョゼットは頬を掻きながら言う。
「実はゴール船長に払うはずだった報酬がそっくりそのまま残ってますの。『自分達は仕事に失敗したから』と頑として受け取ってくださいませんでしたわ」
「レイモンド船長も『楽しい冒険をさせてもらった』と言って受け取らないままでしたし」
ナイがそう補足する。
ミミはゴールとレイモンドの性分に笑ってしまう。
「起業かー。美少女社長って話題になりそうだね! 何やるの?」
ジョゼットは片目を閉じてニコリと笑む。
「運送業ですわ」
「おまっ、運送業って……。何もそんな競争の激しい所に行かなくても」
レインの反応は予想内だったのか、ジョゼットは小揺るぎもせずに続ける。
「もちろん、私とナイだけで成功するとは思いません。だから、お二人にも力を貸してもらえないかと」
「私達に?」
「ええ。ゴール船長にお力添え頂いて、差し当たり小さな会社と船は用意出来そうですの。お願いできないでしょうか?」
「私はいいよ。レインもやろうよ」
ミミが言うと、レインはやれやれと首を横に振る。
「分かった分かった。手伝ってやるよ! どうせやることないんだし」
それを聞いたジョゼットはパアッと表情を明るくした。
「ありがとう、二人とも」
「お嬢様。そろそろ時間です」
「分かりましたわ」
ジョゼットがナイに頷くのを見て、ミミはレインに声をかける。
「お見送りするよ。ね、レイン?」
「ああ、そうだな」
レインが腰を上げ、ミミはジギーのエンジンをかける。岸壁を歩く三人と同じ速度で海上を行く一人。
燦然と輝く太陽の日差しが、新たな門出を祝うかのように四人に降り注いでいた。
お粗末さまでした