表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空と海と水精と  作者: 数え唄
12/13

アルカディアス(2)

 時間は少し(さかのぼ)る。

 逃げることも出来ずに遺跡の崩壊に巻き込まれたミミは、大きな瓦礫にのしかかられて海底に沈んで行こうとしていた。

 ミミは朦朧とした意識でも何とか瓦礫の下から身体を外す。だが、上手く力の入らない身体とジギーを纏った状態では、いくらウンディーネでも浮き上がることは出来ない。

(……ごめんねジギー……)

 ミミは強制的にパワードスーツの状態を解除しようとする。機体の回収は不可能になるが、海中で使えない物を後生大事にしていても仕方がない。

――――

 ミミは強制解除のスイッチに伸ばしかけていた手を止めた。

(今、何か……)

 ミミは周りを見渡すが、沈んでいく瓦礫くらいしか見当たらなかった。

(気のせい?)

 首を傾げるミミ。だが、それを否定するようなタイミングでそれが来る。

 ――――……み……よ……

(声? どこから…………下?)

ミミは視線を真下に向ける。光の届かない深海は奈落のように暗く見通すことが出来なかった。声は聴覚ではなく頭に直接響くようなものだ。

このままでは埒が明かないと考え、ミミは深海への潜行を開始する。水に近しい種族であるウンディーネの肺活量や水圧への耐性は人類の域を優に超える。ハーフであるミミにもその体質は十分に備わっていた。

 海の中へ潜るというのは沈むのと変わらない。しかもミミは今、ウェーブライダーを纏っているので重量に任せて沈んで行ける。

(ここに海獣さんは居なかったし、そもそも人の言葉なんて使えないはず……。一体、誰なの?)

 自問に答えが出るのを待たず、ぼんやりと足場らしきものが見えてくる。そこに降り立ったミミは足場が平らであることに胸を撫で下ろす。

 陸地が沈んで出来ている現アクエリアスの環境では、降りてみると山の(いただき)だったということもあり得るからだ。ミミは何となく視線を上げて水面との距離を体感で測る。

(八百メートルくらいかな? ギリギリ息は持ちそう……)

 そう計算した時、先ほどよりもはっきりと声がする。

――――……やはり……そうか……

(声! こっち?)

 声の方向に見当をつけたミミは歩き出す。少し凹凸があるものの歩きやすい地盤――否、岩かもしれない――で、ミミはすぐにその足場を踏破する。彼女の眼前に現れたのは壁だった。緩く傾斜を描くそれは坂と言ってもいいかもしれない。

(行き止まり、か。――ねえ、誰か居るの?)

 海獣に呼びかける時と同じ感じで意志を辺りに向ける。残して来たジョゼット達が心配になって来たので、これで何も起きなければ海上に浮上しようとミミは考えていた。

 結果としてそうなることはなかったが。

――――久しいな……海の御子

物理的な圧を錯覚させる重厚な声音がミミの頭に響く。ミミは慌てて周囲を見回すが、声の主はやはり見つからない。と、不意に視線を感じてミミは壁の方に向き直った。

いつのまにか、彼女の間近に金色の月が浮かんでいた。

ギョッとなるミミだが、次の瞬間、縦に長い瞳孔を見てその正体に気づく。

(まさかこれ目? え? ええ!? じゃあ……)

 さすがに驚くミミ。

 自分が今立っているのが、とてつもなく巨大な海獣の目元だと分かれば、どんなに豪胆な人間でも肝を潰すことだろう。

(お、大きい。こんなに大きな海獣さんを見るの、私初めてかも)

 ――――否。忘れたか? 海の御子よ

 知らない内にミミの内心が伝わったらしく、巨大な海獣は億劫そうに告げる。

――――我はアルルカイン。この海に生きる獣の王なり

アルルカインの大仰な言葉遣いを噛み砕くのに少々苦労しつつ、ミミは頭の中で語りかける。

(海の御子ってウンディーネのこと? というか、海獣さん達の王様!? そんな人がこんな所で何をしてるの?)

――――あの時の約束に従って、汝を待っていたのではないか。海の御子

(私を待ってた? ……私、あなたとは初対面のはずだけど)

 ミミが未踏破海域にここまで深く踏み込んだのは初めてだ。となればザイン周辺で会ったことになるが、ミミには全く覚えがなかった。不思議に思うミミを眺めてアルルカインは言う。

――――そうか、違ったか。悠久の時を経て、ようやく来おったかと思ったのだがな

(……ちなみにどれくらい待ってるの?)

――――正確な記憶はないが……恐らく二千年ほどだな

(うん、完全に人違いだね)

 ミミがそう言うと、遠くの方で大量の泡が生まれる音がする。アルルカインが溜め息をついたのだろう。失望が彼の瞳に浮かんでいた。

――――分かってはいた。似てはいても、汝は何か普通の御子とは違うようだからな

(私は人とウンディーネのハーフだから。差し詰め海と人の子供ってところかな)

 ミミの言葉にアルルカインは微かに目を細める。

 ――――海と人の子か。今は汝のような者は多いのか?

(ううん。今はハーフどころかウンディーネ自体が居なくなってるの。だから、あなたの待ち人ももう……)

 言いにくそうにするミミの言葉に、アルルカインは再び深い吐息を漏らす。

――――我を待ちぼうけさせるか。あの娘ならばやりかねぬ

 アルルカインは責めるような言葉遣いだが、響き自体には懐かしさが含まれている。

(あの……約束って何だったの? 二千年も待つなんてよっぼどだよね?)

 ミミが尋ねるとアルルカインは重々しく告げる。

――――我がここであの娘を待ち続けられれば、あやつの名を教えると言われたのだ

(その人の名前を聞きたくて二千年も?)

 目をぱちくりとさせるミミをアルルカインの声が射抜く。

 ――――我が周りに一切の我が同属が居ないことに気づいているか?

 ミミが無言で頷くと、アルルカインは静かに言う。

――――我を恐れて近づかぬのだ。我は王。孤高であることは当然であり、それを苦にすることなどあり得なかった。だが、ある日突然現れたあの娘との日々が、我に孤独というものを教えた

あの娘は、とアルルカインは言う。

――――あの娘は去る時に言った。自分が再びここを尋ねる時まで待っていられれば、我に友と呼ばせることを許し、自らの名を教えると。だから、我は待っていたのだ。……笑うか?

不貞腐れた口調で問われたミミは、小さく微笑んで首を横に振る。

(笑わないよ。初めての友達って嬉しいもんね)

 それからミミは表情を引き締める。

(ごめんなさい、私、行かないと)

 ――――行く? そう言えば上が随分騒がしい。何をしている?

(悪い人がアルカディアスって兵器を手に入れて、世界征服しようとしてるの。皆、その人と戦ってる。だから私も戦いに行くのよ)

 ――――ウンディーネの血を引く者が、人の争いに介入するのか?

(私がここに来たのは、初めて出来た女の子の友達のためなの。あの子は真面目だから、きっとまだ上で戦ってるはずなの。戦うのは嫌だけど、友達が困ってるなら私はなんだってするよ)

 ミミは決意を込めて言う。

――――友のためか

アルルカインはゆるりと息を吐いた。

――――それは、理解出来る

そう言ったアルルカインの瞳には、はっきりと笑みの色が浮かんでいた。


             ◇


 そうして、現在に到る。

 海抜五百メートルの高みから連合側の船を見下ろしたミミは、状況の凄惨さに息を飲んで胸を押さえる。それでも無事な者達の中に海猫海賊団の海賊旗を見つけてひとまず安堵する。

「良かった。皆無事だ」

 安心のあまりミミは涙ぐむ。

――――自ら封じておきながら〝(まが)(つみ)(つるぎ)〟を目覚めさせたか。人間とは愚かだな

アルルカインのそんな呟きを聞いて、ミミはごしごしと目元を拭う。ミミはアルカディアスを指して足元のアルルカインに言う。

「やったのは悪い人だよ。……アルルカイン。あの戦艦、何とか出来る?」

――――外部からの破壊は不可能だ。だが、抑え込むだけなら難しくはない

「……分かった。じゃあ、私をあの船に下ろして少し時間を稼いでくれる? その間に皆と方法を考えるから!」

 ――――よかろう

アルルカインは頷く口調でそう言うと、ミミが降りやすいよう海猫海賊団の船の前で頭を低くする。ミミが鱗の隙間や外殻の出っ張りを足場にして船の甲板へと降り立つと、間髪入れずに駆け寄ってくる金髪の少女が居た。

「ミミ!!」

「ジョゼット!!」

 ミミは涙を零して飛びついて来たジョゼットを正面から抱き止める。少女達は互いの無事を確かめるように強く抱き合った後、潤んだ目をしてしばし至近距離で見つめ合う。口火を切ったのはジョゼットだった。

「あんなことをして! (わたくし)達がどんな思いをしてたか……!」

「心配かけてごめんなさい。マズイと思ったら咄嗟に身体が動いちゃったんだ」

「……っ!! ……お馬鹿!」

 言ったジョゼットは唇を真一文字に引き締め、再びミミの首元に顔を埋める。そんな彼女の背中を優しく撫でていると、ジョゼットに一歩遅れて来たナイとレイモンドが声をかける。

「ミミさん! よくご無事で……!!」

「マジで心配してたんだぜ? 特にレインなんかボロ泣きでよ……」

「泣いてねえだろ!」

 ミミを取り巻くレイモンドの部下達の向こうからレインの声が反論する。彼の声の調子がおかしいことには気づいたが、ミミはそれを茶化したりせずに謝罪する。

「ごめんねレイン」

「…………いいよ。けど、今度やったら本気で許さねえからな」

 そうして和解がなされたタイミングでレイモンドが話題を変える。

「……にしても、スゲェ助っ人を連れてきてくれたなミミちゃん」

 さしものレイモンドも引き攣った表情になっている。彼の視線の先にあるのは、この世のものとは思えない闘争の坩堝だった。

「ギャガアアアアアアアアアア!!」

 アルルカンが咆哮と共にアルカディアスに襲いかかっていた。アルカディアスは砲門を全開にしてそれを押し止めようとする。だが、砲撃はアルルカインの硬く分厚い龍鱗を浅く削っただけだ。アルルカンはそのまま上下の顎をガパッと開けて敵に迫る。

 一本一本が小山のようなアルルイカンの牙が、食らいついたアルカディアスの装甲と火花を散らす。しかし食い破るには到らず、アルカディアスはアルルカインの口腔に砲弾を叩き込む。堪らず身を引いたアルルカインは、すかさず胴体の一部で敵を打撃した。

 その光景を目撃した者達の口から歓声が漏れる。

「スッゲー!! これ、行けるんじゃねーか?」

「俺達助かるんだ!」

 だが、ミミは申し訳なさそうにそれを否定する。

「それが駄目みたいなの。外部からの攻撃でアルカディアスを壊すには無理なんだって。今は何とか時間を稼いでくれてるけど、長くは持たないわ」

 ミミの言葉を裏付けるかのように、船体を大きく押し飛ばされたアルカディアスが主砲の準備を終えていた。アルカディアスから放たれた光線はアルルカインの長大な身体の一部を捉えた。しかし不安定な姿勢で撃ったためか一部を浅く焼き切っただけで済む。それでもアルルカインは痛みに絶叫する。

「何か手を考える必要があるんですね」

 ナイがミミの考えを代弁すると、ジョゼットが腕を組んで口を開く。

「外部からの攻撃が通じないのなら内部から破壊するほかありませんわ。問題はどうやって侵入するかですけど……」

 答えは出ているのにそれを実践する手段がないという状況に、ミミ達は一様に頭を捻るが名案は出てこない。


「ならその手段、私に任せてちょうだい」


 立候補者は船内に繋がるドアから出てくる所だった。

 ふらつく足取りで甲板に上がって来たその人物は、手を青い髪に埋めるようにして頭を押さえながら、翠緑の瞳に理性の光を湛えて微笑んでいた。

 その唐突な登場に誰よりも早く反応したのは誰あろうミミだった。

「――お母さん!!」

 叫んだ時にはすでに、ミミは電光石火を体現する勢いでアーシアへと飛びついていた。女性にしては長身なアーシアも、ウェーブライダーを纏うミミを受け止められずに尻餅を着く。ミミは構わず顔を彼女の腹に擦りつけるようにして抱きしめる。

「お母さんっ! お母さん、お母さん、お母さんんん……!!」

「こらこらミミ。手加減してくれないとお母さん潰れちゃうわよ」

 言うほど苦しげな様子を見せずに苦笑したアーシアは、両手をミミの髪に潜らせ彼女の両頬に添えると顔を上げさせる。

「辛い思いをさせてごめんなさいね。お母さん、ちょっと油断しちゃって……」

「もういいよぅ……。目を覚ましてくれたならそれだけで~」

 顔を涙でぐしゃぐしゃにしたミミが言うと、アーシアはミミを胸に抱いてその後ろ頭を撫でて宥める。そして自分達を遠巻きに眺めるジョゼット達に視線を向ける。

「貴方達はミミのお友達? 初めまして。アーシア・シュトランゼです」

「ええ。ミミから聞いていますわアーシアさん。私はジョゼット。こちらはナイです」

「俺はレイモンド。で、後ろのはウチのクルー共だ」

「よろしく。……あらら? レインちゃん。あなた、海賊船のクルーになったの?」

「ちゃん付けは止めてくださいよ。あと、違うっスから。これにはいろいろと事情が……」

 オタオタと言い訳しようとするレインを遮ってジョゼットが言う。

「申し訳ありませんがそのお話は後にしましょう。アーシアさん。アルカディアスに入る手段というのは一体どのようなものですの? どこかに入口があるとか?」

「残念ながらそんなスマートな方法ではないのよねぇ。そもそもあの状況でそんな悠長なことは言っていられないし」

 言う間にもアルルカンとアルカディアスの戦闘は激化の一途を辿っている。どちらも致命傷を与えられていない状況だがそれも長くは続くまい。

「ぐすっ……じゃあ、どうするの?」

 ミミが涙を引っ込めながら先を促す。アーシアはそんな我が子にウインクを返した。

「簡単な手だから上手く行くと思うの。任せて」

そしてアーシアは、ミミによく似た顔立ちで勇ましい笑みを浮かべた。


               ◇


 アルルカインとアルカディアスによる戦闘の天秤は、徐々にアルカディアスの方に傾き始めていた。アルルカインは確かに高い戦闘力を有しているが、その攻撃手段は牙や体当たりと限られている。アルカディアスに距離を取られればほぼ無力に近い。

 ――――さすがは業深き〝(まが)(つみ)(つるぎ)〟。使い手を得て十全に力を振るえるというわけか

 アルルカインは敵の厄介さに独りごちる。時間を稼ぐというミミからの願いは果たせているだろうが、どれだけ稼げばアルカディアスを破壊する策が出てくるものだろうか。

「貴方がアルルカイン?」

 アルルカインを呼んだのは人語だった。人間と彼のサイズ差にもかかわらず、言葉ははっきりと届いて来た。

「こっちこっち。下ですよ」

 声の導きに従ったアルルカインは、海の上に立っている人影に気づく。青い髪と翠緑の瞳を持つその女はウンディーネだ。生身のまま海の上に立っているのは水を統べる力故であろう。

 ――――海の御子。それも新しき友と違い純粋な存在か。何者だ?

「新しき友っていうのはミミのこと? あの子は誰とでも仲良くなるわねえ。――私はミミの母親でアーシア・シュトランゼと言うの。早速で悪いけど、貴方に伝えることが二つあるわ」

 ――――申してみよ。ただし手短にな

「ありがとう。まず一つ目は、これからミミ達をあの戦艦の中に入れる手伝いをして欲しいの。貴方にかなり負担を強いるけど頼める?」

 ――――構わぬ。話せ

「いえ、了承してもらえたなら十分よ。その前にもう一つの話をさせてもらうわ」

 アーシアが告げるとアルルカインは怪訝そうな気配を出す。それを気に止めることなくアーシアは口を開いた。

「『約束を守れなくてごめんなさい』と。母様――イリアナからの伝言よ」

 アルルカインは無言で大きく目を見開いた。数秒言葉を探すように黙した後、アルルカンは言った。

 ――――今はどうして居る?

「……もうこの世界には居ないわ」

 ――――……そうか……そうであったか

 アルルカインの巨躯が静かに震える。やがて彼は身体をしならせて空を仰ぎ、天を揺るがすほどの咆哮を上げた。

 ――――汝は確かに約束を果たしたぞ古き友! イリアナ!!

 そして、アルルカインは続けて言い放つ。

 ――――最早心残りはない。さあ、存分に暴れてやるぞ!

 そんな言葉を受けたアーシアは愉快そうに笑う。

「頼もしい限りだわ。なら存分にやってちょうだい」

 そしてアーシアが口にした作戦は、アルルカインをして驚愕に値するものだった。


                ◇


リグルはアルカディアス艦橋のモニターで、海龍が不穏な動きをしているのを見ていた。その傍にアーシアとアジルが居るのも見える。

「何をするつもりか知らないが、全ては無駄なことだ。――攻撃しろ」

リグルの指示に従い、砲弾やミサイルがアルルカイン達を狙うが、アジルの船が放った数条のレーザーによりその全てが叩き落とされた。

「主砲用意!」

間髪入れない指示にもリグルの部下は見事に従う。アルカディアスから放たれた莫大な光線は、アジルの戦艦を消し飛ばすかに見えた。だが、それを遮る形で水の壁が幾つもそそり立つ。アジルの船に立つアーシアが水を繰ったのだ。光線は一息に水の壁を貫いて行くが、一枚ぶち破る度に減衰して軌道を曲げる。

直後、攻防の際に発生した濃霧がアルカディアスの観測を妨げた。そこへ降り注ぐアジルからの攻撃で船体に穴が幾つも開く。

「周囲に警戒。海中にも網を張れ!」

リグルは最善の指示を飛ばすが、それは一手遅かった。

「海中から巨大な物体が接近! これは……例の海龍です!」

観測係が叫ぶと同時に、アルルカインがアルカディアス直近に飛び出す。すぐさま迎撃しようとするリグル達だが、その時すでにアルルカインはアルカディアス後部に空いた穴に、自らの頭を捻じ込むようにして突っ込んだ。

「チッ! 振り払え!」

アルカディアスの各所からアルルカインに攻撃が集中する。血を撒き散らして船から首を引っこ抜き、海龍は海に潜って身を隠す。

「被害状況は!?」

副官の問いに各員が船内の状況を確認し始める。それを尻目にリグルは違和感を感じていた。

(ずいぶんあっさりと引いたな。一体何のつもりだ?)

「大変です司令官!」

 部下の一人が椅子を回転させて振り向いた。リグルは脳の大半を思考に裂きながら言う。

「どうした?」

「侵入者です! どうやらあの海獣の口の中に隠れていたようです」

「……そういうことか。モニターに映せるか?」

 彼の指示を受けた部下の一人がコンソールを操作し、正面の透明な板に映像が流れ始める。

「あれは海猫海賊団!」

 船の中からぞろぞろと現れる海賊達の姿に副官が声を上げる。

「彼等が居るということは、ジョゼットとウンディーネのお嬢さん達も来ているな」

 リグルは静かに呟いて立ち上がる。

「司令官、どちらへ?」

 副官の問いにリグルは酷薄に笑う。

「奴等の狙いは分かっているからな。万が一を考えて俺が行く。鹵獲した例の物も使わず終いと言うのは惜しいしな」

 

                ◇


 アルカディアス内部に入り込んだ一行に息吐く暇はなかった。

「何なんだこいつらは!?」

 レイモンドは叫ぶなりショットガンの引き金を引いて、向かって来た来た白い物体を弾き飛ばした。それはガシャガシャと鎧が転がるような激しい音を立てる。

彼等を襲っているのは奇抜な一団だった。形は亀に似た物や人型など様々だが、共通しているのはどれも機械的で無機質な人工物であり、機関銃や刃などの武器を携えていることである。

「恐らく、アルカディアスのセキュリティでしょう!」

「何て数だ! 次から次へと湧いてくるぞ!?」

 レインとナイがそれぞれ敵を捌きながら言う。ミミはジョゼットを庇って立ち回りつつ叫ぶ。

「どうするの!? このままじゃ押し切られるよ!」

 さすがというべきか、海猫海賊団の面々は奮戦している。しかし、通路に斜めに突き刺さるアジョット号が自己修復に巻き込まれ、退路が塞がりつつある状態だ。

 レイモンドは盛大に舌打ちした。それからジョゼットを見やって言い放つ。

「ジョゼットちゃん。アンタはコアとやらの場所が分かるんだよな? ちょっと行って止めて来い! ミミちゃんもついてけ!」

「そんな! でも……」

 指示されたミミは反論しようとする。ここで彼等を残して行くのはアルセイユを置き去りにした時と同じだからだ。だが、ミミが喉元まで出かけた言葉を放つ前にレインが怒鳴る。

「いいから行け! 俺達もすぐ行くからよ!」

 敵の刃を両手の拳銃で受け止めていたナイが付け加えて言う。

「お願いします!! この船の機能を停止させれば、この兵隊も止まるはずです!」

 そう言われてはミミも二の足を踏んではいられない。

「……分かった。じゃあ皆、気をつけて!」

 おお! と頼もしい返事を受け取って、ミミはジョゼットへと近寄る。

「きゃっ!? ミミ何を?」

 突然ミミに姫抱きにされたジョゼットが慌てる。

「こっちの方が動きやすいから! 行くよジョゼット!!」

 ミミは言うが早いか傾いた船の甲板を利用して下に滑り降りる。降りた先は上と変わらない通路だった。

「ジョゼット、どっち?」

「少々お待ちを。――まず右に行ってくださいな」

ジョゼットは周囲を見回して、記憶の中の設計図と現在地を照らし合わせて指示を出す。ミミはジョゼットの指示に従って通路を駆けて行く。

「この通路の先ですわ! ……ミミ?」

 幾度目かの角を曲がった所で、通路の突き当りのドアを指したジョゼットは、ふとミミを見て目を見開く。ミミが蒼白な顔色に汗まで伝わせていたからだ。

「どうしましたの? ……もしや(わたくし)は自分で思うより重いですの?」

「ん……ジョゼットは軽いよ……でも、少し前から何か調子悪くて……」

「無理しなくていいですわ。下ろしてくださいまし」

 ジョゼットの求めに応じて彼女を手放したミミは、身体をふらつかせたかと思うとそのままペタンと座り込んでしまう。ジョゼットはミミの背中を装甲越しに撫でて問う。

「本当にひどい顔色ですわ。前に陸に上がった時みたいですわよ?」

「あー、うん……それに似てるかも。……多分、この船のせいだよ。長い間海の底にあったのに、新造船みたいにほとんど海の気が染みてないから。使ってる材質のせいかな……」

「なるほど。上の階には突入時の海水が残ってましたものね」

 納得するジョゼットを横目に息を整えたミミは壁に手をついて立ち上がる。

「動けないほどじゃないから大丈夫。さ、行こう」

 ミミの促しにジョゼットは逡巡の様子を見せたが、結局異論を挟むことなく歩き出した。

 通路を抜けるとそこは、二つの円錐台を底面で合わせたような造りの空間であった。すり鉢状になった壁には星のように幾つもの色が点々と散りばめられ、四方にはミミ達が入ってきたような出入り口が設けられている。

 すり鉢の底には柱があった。床から天井までを貫いたそれは、中央付近が内部を液体で満たしたガラスになっており、直径五メートル程の銀色の球体が浮いている。

「これがアルカディアスの心臓ですのね」

 ジョゼットが押し殺した口調で呟く。この兵器のために故郷を失った彼女にとっては、親の仇にも等しい存在なのだ。ミミはジョゼットの横顔に言う。

「急ごうジョゼット。皆が心配だよ」

 二人は目の前に続く階段を降りてコアの前まで行く。巨木の如きそれの根元にはメンテナンス用にかコンソールが置かれていた。

「使えそう?」

「ええ。遺跡の中で見た物と変わらないのでどうにか……」

 ジョゼットは慎重な手つきでキーを叩いていく。ディスプレイを流れていく意味不明な文字の羅列を二人して眺めていると、キーボードの一部が開き小さな穴を露出させる。

「これって……」

 ミミが窺うように問うと、ジョゼットが真剣な顔で頷く。

「自壊システムの起動準備は完了しましたわ。あとはこの鍵穴に――きゃっ!?」

 ジョゼットが驚きの声を上げる。ミミが突然彼女を抱いてその場を飛び退いたからだ。そして、それと入れ替わるように上から落ちて来た物体が、床を叩いて硬い音を響かせる。そこに居たのは赤い甲冑を纏った金髪の美男子だった。

「リグル・アズベルト!」

 ジョゼットが噛み付くようにして相手の名を呼ぶ。リグルは愉快そうに笑って立ち上がる。

「完全に不意を突いたのによく躱せたものだ」

 ところが、ミミはそれを聞いていなかった。ミミが注意を向けているのは甲冑の方である。

「それ、お母さんのウェーブライダー!? どうしてあなたが!?」

「ああ。便利そうだったので貰っておいたんだ。水上用だと聞いていたけれど、筋力のアシストなどは充分に使えるな。要はバランス感覚と言う訳か」

 リグルはその場で軽く跳ぶ。足の裏にはエッジが付いているはずだが、全く重心が崩れていなかった。ミミ同様の高い身体能力が窺える。

「さて、せっかくだ。実戦での性能を確かめさせてもらおうか」

 言うが早いか、リグルが床を蹴ってミミ達に肉薄して来た。推進器を利用した風のような踏み込み。咄嗟にジョゼットを突き飛ばしたミミはガードを固めた。リグルの蹴りはガードの上からミミを捉え、装甲によって重量を増した少女の体躯をよろけさせる。

「うわっ!?」

 弱っているせいで姿勢の制御が上手く出来ず、体勢を崩したミミをリグルの拳が襲う。反射的に彼女が上げた右腕を掻い潜り、強化された上に腰の乗ったリグルの一撃が、情け容赦なくミミの腹を打据える。

「ぐっ!?」

 衝撃がウェーブライダーの装甲を貫き、くの字に身を折ったミミの美貌が苦痛に歪む。

「ウンディーネと言っても、水がなければこんなものか」

 リグルは言うと同時に両手を組み合わせ、ミミの後頭部へと打ち下ろした。

 ゴガッと嫌な音がして、ゴトリという重い音が空気に溶けて消える。

「ミミ!?」

 倒れ伏したミミを見たジョゼットは、己の心の芯の部分が冷えるのをはっきりと自覚した。だがその直後、これまでに感じたことのない類の怒りが彼女の頭を沸騰させた。

 尻餅から立ち上がったジョゼットは間髪入れずに駆け出し、握り固めた右拳をリグルの顔面に振り抜いた。しかし、素人少女の拳が訓練を積んだ軍人に当たるはずもなく、手首を掴んで簡単に止められてしまう。ジョゼットはすぐさま左を放つが同じようにして止められる。

「放しなさい!!」

 身を捩って抵抗するジョゼットの敵意をリグルはどこか愉快そうに受け止める。

「君らしくもなく取り乱しているね。そんなにこの少女が大切かい?」

「ううううううっ!!」

 ジョゼットは言葉にならない唸り声を返したが、その態度だけで答えは明確である。リグルはくつくつと笑った。やがて体力が限界になったのかジョゼットは抵抗を止めて俯く。

「……何で……何で、ですの?」

 顔を伏せたジョゼットが独りごちるように言った。

「お父様、ダイゼンの皆、そして今ミミまで……どうして貴方は私の大切な人達を奪うんですの!? アルカディアスとか、世界征服とか、そんなに大事ですか!?」

 声はだんだん大きくなり、リグルを糾弾するものとなる。リグルはそんなジョゼットを見つめて微笑む。かつての平和な日々を思い起こさせる笑みだった。

「女性の君には分かりにくい話かもしれない。けれど、男というのは野心を秘めた生き物なのさ。世界を手に入れる手段と実現力があるなら、手を伸ばさない方がおかしい」

 リグルはジョゼットの左手を離すと、すぐさま首を掴んで持ち上げる。

「ぐっ!?」

 ジョゼットはリグルの手を外そうとするが、パワードスーツの膂力に生身では勝てない。

「君は俺の野望を邪魔しようとしている。ならば排除するしかない」

 リグルは左拳をゆっくりと構える。それが放たれればジョゼットは確実に絶命するだろう。

(こんな所で終わるわけには……!)

 ジョゼットが表情を歪めた直後、擦り傷や切り傷を多数作ったレインとレイモンドとナイが、息を切らしながら飛び込んで来た。

「ミミ!?」

 倒れているミミを見たレインが目を剥く。即座に状況を理解したナイが、手にしていた銃を構える。

「お嬢様を放せリグル!!」

 銃を突きつけられても余裕の表情を崩さずリグルは言う。

「思ったより早かったな。ガードロボは思いの外役立たずだったかな?」

「ウチのクルーを舐めてもらっちゃ困るぜ。あんな鉄クズものの数じゃねえよ」

 レイモンドが曲刀を肩に担いニヤリと笑う。それが強がりなのは傷だらけの顔で明らかだが。

「さすがは海賊七王に数えられる海賊だ。言うことが違う」

 挑発の口調で言うリグル。しかし、彼の眼光には隙を探る気配がある。

「テメエ、ミミに何しやがった!?」

 その時、レインがリグルに向かって走り出した。ミミの無惨な姿に頭に血が上っているのだ。

「馬鹿っ」

 レインが射線上に入ったことでナイは銃口を外して明後日の方に向ける。それが隙になった。

 リグルはジョゼットを放り出してレインに向き直るや地面を蹴った。レインに肩からタックルを食らわせて転がすと、リグルは彼を飛び越えてナイに襲いかかる。ナイは即座にリグルの頭目掛けて引き金を引き絞る。

 しかし、リグルの右腕が射線に割り込んで銃弾を弾くと、間髪入れず左拳を打ち下ろす。

「ぐあっ!?」

 ナイはほとんど無防備に殴り飛ばされる。ナイが取り落とした銃が回転しながら床の上を滑っていく。武器を失い無防備になったナイに、リグルは追撃をかけようとはしなかった。レイモンドが振り下ろした刃を躱したからだ。

「我流だが鋭いな。いい腕だ」

 手を休めず打ち込まれる連撃を掻い潜りつつリグルが言う。

「チィッ! 余裕こいてんじゃ……ねえ!!」

 眼光を鋭くしたレイモンドは、右手で剣を左から真横に放った。だが大振りだったためか、リグルは右腕を垂直に構えてガードする。同時にレイモンドは銃を抜いてリグルに向けた。

 それは不意打ちの一手だったはずだが、リグルは一歩早くレイモンドの懐に踏み込んでいる。

「がっ!?」

 拳が脇腹を斜め下から打ち抜き、肉を打つ鈍い音に合わせてレイモンドの苦悶の声が漏れた。

「レイモンド!」

「くっ!」

 体勢を立て直したレインとナイが再びリグルに向かって行く。それら一連の出来事を見たジョゼットは必死に頭を働かせていた。

(どうすれば……!)

 リグルの纏うウェーブライダーの性能の一角は先にジョゼット自身が体験している。いくら腕に覚えがある三人とは言え、今のリグルに勝てるとは思えなかった。

(もしそれが出来るとしたらミミだけですわ)

 だが、少し離れた所に倒れているミミはピクリとも動かない。しかもアルカディアスのせいで体調不良なのでまともに戦えないだろう。

(一体どうすれば……)

 自問したジョゼットは、次の瞬間あることに気づいてハッとした。未だ戦っているリグル達の方を一瞥してから、彼女は音と気配を殺して目的の物に向かった。

 それから一分と経たず、機関室は静寂に包まれていた。

 リグルの前には三人の男達が倒れている。砕けた剣や曲がった銃、飛び散った血や折れた歯が戦いの激しさを物語っていた。

「意外にしぶとかったな」

 リグルが両手をブラブラさせて血を払い落としつつ呟くと、まだ終わってないと言わんばかりにレインが起き上がろうとする。

「この……ヤロ……ぐあっ!?」

 しかし、リグルに背中を踏みつけられて無様に地面に張り付く。

「もう止めたまえ。力の差は歴然だ。これ以上は見苦しいだけだよ」

 スケートのブレード状の足裏で踏み躙られ、レインは痛みに表情を歪める。

「止め、ろ……」

 絞り出すように言うのはナイだ。リグルは仰向けになった彼の目を失望の眼差しで見返した。

「ナイ。お前、随分と弱くなったな。昔はもっと、こう、ギラギラしていて俺はそこを買っていたんだが……。今のお前は見る影もない。仲間を気にかけるとは……」

「……五月蝿い……僕はお前とは違う……お嬢様に変えていただいたんだ」

 ナイの反論を嘲笑うような表情を浮かべたリグルは言う。

「ならそのお嬢様を目の前で殺せば、昔のお前に戻るのかな?」

「キッ……サマ……!!」

 痛みを忘れてナイが目を剥くのを楽しげに眺めたリグルは、レインから足を退けて踵を返す。

「?」

 しかし、リグルは表情を怪訝なものとした。そこに居るはずの少女の姿がなかったからだ。見回すまでもなくジョゼットは見つかった。

 コア基部にあるコンソールの前で、今まさに鍵を差し込んだ所だった。

「何をしている!!」

 リグルの怒鳴り声にジョゼットがハッと肩越しに振り返る。が、すぐに手元の作業に戻る。

「あと五秒!」

 ジョゼットの鋭い声が響く。構わずリグルが彼女に駆け出す寸前、その彼を背後から羽交い絞めにする者が居た。

「海賊が! まだ動けたのか!?」

「海賊のしぶとさ舐めんな」

 レイモンドは木にしがみつくようにリグルの身体に手足を巻きつけた。そして叫ぶ。

「何寝てやがる! 手伝え!」

 彼の言葉に反応してレインとナイがリグルの足に抱きつく。リグルはすぐにそれらを振り払い、ジョゼットをコアの前から殴り飛ばす。

だが、その寸前にキーを押す手は止まっていた。

(わたくし)の――私達の勝ちですわ」

 倒れたままジョゼットが強く笑った直後、コアが輝きを帯びてシリンダーを白く満たし、一気に破裂した。ガラス片が混じった内部の液体が溢れ出し、銀の球体を外へと押し流す。

 投げ出されたコアは床に当たった瞬間、砂細工よりもあっけなく砕け散った。

 僅かな沈黙の後、アルカディアスが蠕動を始める。遠くで連続する爆発音が聞こえ、周囲で機器の光が明滅し、けたたましいアラートが船全体を駆け巡る。

「……やってくれたな」

 リグルは破裂したコアの前で、秀麗な容貌を怒りに引き攣らせながら言った。いかに最強の兵器であっても動力源を破壊されては終わりだ。

「ざまあみろですわ」

 地べたで身体を起こしたジョゼットが言うと、リグルはぎろりと彼女を睨む。早足にジョゼットに近づいたリグルは彼女の胸を蹴り飛ばす。

「あっ……ぐっ……!?」

 激痛に悶えるジョゼットをリグルは執拗に蹴る。

「お嬢……さま……!」

「リグル、テメエ! 止めやがれ!!」

「クソ。身体が動かねぇ」

 歯噛みするレイン達が何も出来ないでいる内に、ジョゼットは蹴られても呻きすら上げなくなる。しかし、リグルがジョゼットの右腕を踏みつけると、少女は激痛に悲鳴を上げた。

「あああああああ!?」

「まだまだ。こんなものでは済まさないぞ。生まれてきたことを後悔するくらいの地獄を見せてやる」

 リグルはジョゼットの腕を踏み躙って冷たく言葉を落とす。その時、部屋の四方に設けられた通路への出入り口や通気口、頭上に生じた罅割れから水が流れ込んでくる。爆発の破損箇所から海水が流れ込んできたのだろう。

「チッ! 浸水が早い。仕置きは後にしてやる」

 あっという間にすり鉢の底を満たした海水に、リグルは引き摺っていくためジョゼットの髪を掴む。

「ふふ」

 ジョゼットが微かに笑うのがリグルの耳に届く。

「……何がおかしい?」

 怪訝な表情のリグルにジョゼットは告げる。

「……リグル、貴方、この世界で絶対怒らせてはならない物が二つあるのをご存知?」

「何?」

 ますます不審な顔になるリグルを見据えてジョゼットは口を開く。

「一つは海獣。もう一つは――何だと思います?」

「何を言っている?」


 リグルが片眉を上げた瞬間、彼の肩を誰かが掴んだ。


リグルはジョゼットから手を離し、そのまま振り向きざまに裏拳を放つ。

拳が捉えたのは青い長髪の先端。それを追って視線だけを下へ向けたリグルは、銀の鎧を纏う青髪緑眼の少女を見つけて己の失策に気づく。

「まさかこの浸水で……!?」

全身を水に濡らしたミミは、リグルを見上げて片目を閉じる。

「答えは、ウンディーネだよ」

 ミミは無防備になったリグルの胸板を抉るように貫手を放った。彼女の指先は胸部装甲の間を見事に貫いた。一瞬息を詰めたリグルは、直後に余裕を取り戻す。ダメージがなかったのだ。

「しくじったな。俺を倒す千載一遇のチャンスだったのに」

 ところが、その余裕は十秒と持たなかった。

何故なら、彼が纏っていたウェーブライダーが外れてバイク形態に戻ったからだ。

「なっ!?」

 生身に戻った両手を見下ろして言葉を失うリグル。そんな彼にミミは教えてやる。

「私のジギーとお母さんのウェーブライダーには強制解除のスイッチがあるの。普通のウェーブライダーには無い機能だから知らなくても無理ないよ」

「くっ!」

 リグルは忌々しげにミミを睨んで構えを取る。対するミミは戦意を見せなかった。

それどころか二、三歩下がって見せる。

「……私、人を叩くのって苦手だから」

 面食らうリグルを前にしてミミは続けた。

「レイン、ナイさん、レイモンドさん……お願い」

 リグルは騒々しく水を跳ね上げる音を聞いた。向き直ろうとするがすでに遅い。

 レインは右から、ナイは左から、リグルの腹にそれぞれ拳を叩き込む。堪らずくの字に折れたリグルの顔面を最後にレイモンドが蹴りつけた。

 リグルはコアの残骸に背中からぶつかって、気を失ったのか再び立ち上がることはなかった。

「はあ。どうにかなった」

 ミミは深々と吐息する。するとレインが水の中に座り込んで言ってくる。

「どうにかなったじゃねえよ。起きてたんならもっと早くやってくれよ」

「いや、意識はあったんだけど気持ち悪いし頭殴られたしで動けなくて。ジョゼットが浸水させてくれたからどうにかね。ありがと、ジョゼット」

「いえいえ。上手く行ってなによりですの」

 ジョゼットが震える身体を浅く抱きながら笑う。痛みもあるのだろうが、緊張から解放されたのが主な理由だろう。

「とりあえず、全部終わったってことでいいのか?」

 胡座を掻いてレイモンドが尋ねる。アルカディアスのコアを破壊し、敵のリーダーであるリグルも倒した。やるべきことは全て済ましたと言って良い。

「まだです」

 しかし、ナイがレイモンドの問いを否を唱える。彼はいつの間に拾っていたのか銃を携え、踝まで来ている水を跳ねさせてリグルに近寄ると、銃口をリグルの頭に向ける。

「ナイさん!?」

 ミミが制止の声を張り上げる。しかし、ナイはリグルから視線を離さず口を開く。

「この男が犯した罪は重過ぎる。生かしては置けません」

 ナイの固い表情には強い決意がある。ミミは思わずレインとレイモンドを見やるが、彼等は何も言わずなりゆきを見守っている。

 誰にもこの復讐を止めることは出来ない。それが分かってミミは唇を噛む。その時だ。

「ナイ。……銃を渡しなさい」

 ナイの横から手を差し出したのはジョゼットだった。ナイは戸惑った様子を見せたものの、すぐに真剣な顔に戻って告げる。

「お嬢様。これは僕の領分です。こんな奴のために貴女が手を汚すことはない。ミミさんとこの場を離れていてください」

 だが、ジョゼットは首を小さく横に振る。

「いいえ。自分代わりに人の手を血に染めるだなんて出来ませんわ。それに、これから背負う罪は一緒にと約束したでしょう? さあ、銃を渡して」

 強い口調で命じられ、ナイは渋々と銃を手渡す。ジョゼットは重そうに両手で持ってリグルを見下ろす。

「起きているのでしょう?」

 ジョゼットが声をかけると、リグルが億劫そうに顔を上げる。鼻が折れたのか鼻血で顔を汚し、脂汗を流す姿には最前の余裕がない。身構えるナイを見上げて彼は力なく笑みを作る。

「バレていたか。安心していい。さすがにこの状況では巻き返す目はない」

 リグルはジョゼットに視線を向け、観念した様子で言い放った。

「殺せ。そのためにここに居るんだろう? 故郷を滅ぼし、父親を殺した俺に復讐するために」

 父親という単語を聞いた瞬間、ジョゼットは静かに目を眇めた。殺気立った表情だ。ジョゼットが銃を強く握り締める。震える拳からはギリギリという音がしそうだった。

 今にも銃声が聞こえそうな空気に耐え切れず、ミミは思わず目を背ける。

「――もういいんですわ。復讐とか」

 だからこそ、ジョゼットの結論に皆驚いた。

「い、いいのかよ?」

 レインの問いにジョゼットは頷く。

「ええ。アルカディアスは壊しましたし、リグルもこの有様。(わたくし)の恨みの分は十分でしょう」

 平然と言葉を紡ぐジョゼットを肩透かしを喰らった顔でレイモンドが見る。

「随分あっさりしてんな。銃なんか持つから、俺はてっきり殺っちまうのかと」

「ナイが撃たないように手を打っただけです。リグルには生きて罪を償ってもらいますから」

「駄目ですお嬢様! こんな奴、生かしておく理由はありません。やはり僕がやります」

「これでいいんですのよナイ」

 異論を唱えるナイを笑みで封じるジョゼット。だが、彼女に異論を唱える者はもう一人居た。

「何だそれは」

 リグルだ。彼は蔑むような目をして言葉を吐く。

「綺麗事を言って、結局は自分で手を汚す覚悟がないだけじゃないか。偽善者め」

「貴様っ!」

 憤るナイを片手で制したジョゼットは、小さく溜め息を吐いた。

「……確かに、偽善者と呼ばれるのは仕方ありませんわ。けど、それははっきりと否定させていただきます。何せ私は最低の娘ですもの」

「……どういうことだい?」

 リグルが理解出来ないという顔をする。ジョゼットはリグルを真っ直ぐに見返す。

「最初は貴方を殺してやろうと考えてました。けど、ここに来るまでに多くの人に出会って、たくさんの経験をして、大切に思える相手も出来ましたわ。私は彼女とずっと手を繋いで行きたいんですの」

ジョゼットはそこでミミを一瞥した。不安そうに自分を見る彼女に頷いて見せて、ジョゼットはリグルに言い放つ。

「もしも貴方を殺したら、二度とミミの手を取れなくなってしまう。彼女の綺麗な手を汚してしまうわけにはいきませんもの。……酷い娘ですわよね? 土壇場で父親を選ばないんですから。――でも、後悔は絶対しません」

厳然とした態度で言って、ジョゼットはリグルを見下ろした。

「リグル、貴方には生きて罪を償ってもらいます」

 リグルは呆気に取られたように目を丸くしていたが、やがてフッと息を吐いた。

「負けた負けた。完敗だ。貴女は俺が思っていた以上に強くたくましく変わっていたようだ」

「賞賛は素直に受け取っておきますわ」

 ジョゼットは失笑を零して踵を返す。

「沈みかけた船でモタモタしていられませんわ。乗員全員連れて脱出の準備ですの」

「乗員全員? つーことは……」

 レイモンドの確認にジョゼットが頷く。

「ええ。リグルの部下達もです。ナイ、レインさん。リグルを連れて彼等の説得に。リグル自身が投降を呼びかければ素直に従うでしょう。いいですわね?」

「仰る通りに」

 有無を言わさぬ目つきで問われて、リグルが肩を竦める。そんな彼を左右から抱え上げて、何やら言いたげな表情でレインとナイは部屋を出て行った。

「俺も先行っとくぜ。早く来いよ」

 続いてレイモンドが部屋を出て行く。気を利かせてくれたらしい。

「ジョゼット」

 ミミはジョゼットに歩み寄る。何か言おうと口を開くが、良い言葉が出て来ない。

 ジョゼットがリグルを殺さなかったことに、ミミは心の底からホッとすると同時に、自分の存在が彼女に仇討ちを捨てさせたという負い目があった。

「あの、そのぉ……」

 ミミが言葉に迷っていると、突然ジョゼットがミミの右手を取った。動きを止めたミミを見て、ジョゼットはミミの手を撫でて優しく微笑む。

「ミミ。前にアルセイユで言ってくださったこと、覚えてますか?」

「え? ええと……ああ、あのこと?」

 ミミが思い出すのを待って、ジョゼットは言った。

「あの時は断ってしまいましたけど、今度はこちらからお誘いしてもいいかしら?」

 ジョゼットは真っ直ぐにミミを見つめた。

「私とお友達になってくださいませんか?」

 それに対して、ミミは満面の笑顔を浮かべた。答えなど、決まっている。

「私で良ければ」


 海を駆け巡る彼女達の長い長い物語は、こうして幕を閉じたのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ