海賊島の七人(2)
海賊島は、まさしく天然の要塞という景観だった。
島の周囲を囲むように突き出した無数の岩は砲撃の邪魔となり、激しい海流とそれらの配置が生み出した幾つもの渦潮は、外部からの敵の侵入を妨げる役目を果たしている。
たとえ上陸出来たとしても、島自体が切り立った崖や足場の悪い岩場ばかりな上、戦闘のために手を加えられた様子がある。地の利は完全に住人達の方にあるだろう。
七王の会議の場は、島中央にある岩山の中だった。
天然の空洞を利用したそこは薄暗く、燭台の蝋燭だけが光源として闇を薄めている。微かな明かりに照らされた会議室の内装は、空間の真ん中に重量感のある立派な円卓を置いているが、虫が這い回る苔生した岩肌は剥き出しのままと、とてもアンバランスなものである。
「おいーっす。皆さんお揃いで」
レイモンドが飄々とした挨拶をした時、円卓にはすでに四人の船長達が座っていた。
「レーイモンドぉー。アンタまだくたばってなかったのかい?」
敵意に満ちた金切り声がする。言ったのは、レイモンドから見て左側に三つ並ぶ椅子の真ん中に陣取る、美しい少年達を侍らせたざんばら髪にこけた頬の中年の女だ。
〝妖妃〟の二つ名を持つ女海賊、シレーヌ海賊団のマダム・セシルである。
「よう、マダム・セシル。相変わらず男はべらして趣味が悪いな」
セシルの年甲斐のない美少年好きは有名だ。レイモンドの言葉にセシルは鼻を鳴らす。
「ふん! アタシよりいい女なんて居るもんかい。なあ、お前達?」
「「「はい、マダム」」」
少年達が全く同時にセシルを褒め称える。彼等の心酔した様子にレイモンドはオエッという顔になる。
「年を考えろよオバハン」
笑みとともに言い放ったレイモンドは、青筋を立てるセシルを無視して別の者に目を向けた。
相手はセシルの隣に座るレイモンドと同じ年くらいの短髪の男である。褐色の肌に荒々しい刺青を彫った彼は、構成員が血族のみのオルレアン海賊団の船長〝西海の鬼子〟メオである。
「よおメオ! 会えて嬉しいぜ」
親しげなレイモンドとは裏腹に、メオは彼をギロリと睨みつけてくる。
「何だよメオ。久々に親友に会ったからってそう見つめんなよ。照れるじゃねーか」
「……どの口が……言う……。俺……去年のこと……忘れてない……」
ぼそぼそと抑揚のない口調で告げるメオ。レイモンドは肩をすくめて見せる。
「去年? もしかして宝探しの途中で、海獣の巣を壊して追われた時のことか? わーるかったって。あの時はどっちかが囮になるしかなかったじゃねーか」
「誰も……引き受ける……言ってない……宝も持って行くし……」
「あっれー? 引き受けたじゃん。俺の心の中で、お前は快諾してくれたぜ?」
「……やはり今……ここで殺す……! 怪我した家族の仇……取らせてもらう……」
部下共々殺気立って立ち上がるメオに、レイモンドがわざとらしく身を引く。彼の背後の部下達はやれやれと首を振りつつ、レイモンドのガードに入る。
そんな一触即発の空気にある人物が笑声を零す。
「ししし。これは面白い状況になりましたな」
それはメオの対面に居る禿頭に鉤鼻の小柄なスーツの初老だ。彼はシッゾース海賊団を率いるジールといい、金品はおろか殺した敵の骨まで剥ぎ取ることから〝死者漁り〟の異名を取る人物である。
「おいおいジールよ。こういう時は普通止めようとするんじゃないのか?」
「ししし。君が死んで困る者はいないし、潰し合ってくれるならありがたい限りでしょうよ」
「ケッ! どいつもこいつも相変わらずだな」
状況がブレーキ役不在で進むかと思われた瞬間、石を打つ鋭い音が木霊した。
緊迫した空気を砕いた音の主は、鞘に収めた剣を正面に立てて座る長身に白髭の老人だ。
「アジル翁……」
眠るように目を閉じて椅子に深く腰掛けた彼に、歴戦の海賊達は固唾を飲んで目を向けている。しかし、それ以上の行動がないことと見るや、皆一様に胸を撫で下ろす。
「(相変わらず怖いなアジルのじいさん。メオのせいで怒られたじゃねえか)」
「(……悪いの……お前……)」
レイモンドとメオが互いに責任を擦り付け合っていると、セシルが面倒くさそうに言った。
「さっさと座んなさいよレイモンド。あんたで最後なんだから」
「最後?」
レイモンドは怪訝な面持ちで椅子の数を見る。空いているのは三つ。一つはレイモンドが使うとして、残り二つが空いたままだ。
「ニジェルとオーリスが来てないみたいだが? 年だから忘れたのか? 〝一本釣り〟のニジェルと〝乗っ取り〟オーリスだよ」
年のことを言われて怒り出そうとするセシルの機先を制し、メオがもそもそと告げる。
「……奴等……殺された……」
「ニジェルとオーリスが!? 誰にやられたんだ?」
レイモンドの問いに答えたのはジールだった。
「……ニジェルの所の生き残りを拾ったのはウチでしてね。どうやらダイゼンの軍艦に襲われたようなのです」
そこでセシルが溜め息を漏らす。
「普通なら笑い飛ばすんだけど、アタシの傘下の船もいくつか襲われてるからねえ」
「……俺も……仲間……やられた」
「今回の話を聞いて、私の所からはいくらか離脱者が出ましたな。いやはや、一体どうやってニジェルとオーリスを倒したのか……」
皆からの報告を聞いたレイモンドは、空いている椅子にどっかりと腰を下ろして呟く。
「奴等暴れてんなあ。片っ端から戦力吸収して、この前より規模はデカくなってるってことか」
レイモンドの発言を聞き咎めたセシルが片眉を上げる。
「何だって? あんたも奴等とやり合ったのかい」
「ちょいとな。勝てそうにないから速攻で逃げて来たんだ」
「沈め……られれば……良かったのに」
「そう言うなって。――手ぶらじゃないんだからよ」
そしてレイモンドは知りうる情報を開示する。かの戦艦群がすでにダイゼンに弓を引き、世界を支配出来るという古代の兵器を狙って、ウンディーネを連れてこの未踏破海域にやって来ていることまでを包み隠さずだ。
「〝アルカディアス〟ですか。ししし。そんな物が存在するとは……」
全てを聞き終えて最初に口を開いたのはジールだった。セシルがフンと鼻を鳴らす。
「眉唾だ。アジル翁、貴方は聞いたことがあるのかしら?」
水を向けられたアジルだが、目を閉じたまま何も言わなかった。
「……俺は……忙しい……。……アジル翁……何故皆を……呼んだ……?」
焦れたように、メオは懐から取り出した手紙を振って尋ねる。
だが、それに答えたのはジールだった。
「ああ、それは私が書いたのですよ。確実に皆さんを集めるために、アジル翁の名前を使わせていただきましたがな」
ジールの告白にセシルが鼻を鳴らした。
「ふん。おかしいと思ったんだよ。アジル翁直々の手紙なんて。アンタの差し金だったのかい。こんなことして、つまらないこと用件ならぶっ殺すからね」
脅されたことを気にも留めず、ジールは胡散臭い笑みを浮かべた。
「――皆さんをお呼び立てした理由は簡単です。連合軍の結成を呼び掛けるためですよ」
「……な……に……?」
メオが不信を露わに睨むが、ジールはどこ吹く風とばかりに無視して続ける。
「ここで敵の最終目標が分かったのは僥倖です。敵を待ち伏せられますから。ですが、現在の敵の戦力を鑑みるに、我々が個々に当たっても恐らく勝てない。そこで連合です」
ジールの論に異論を挟む者は居ない。それは皆が手を組む必要性を感じている証拠だが、この一件をまとめるには問題が一つある。
セシルがそれを指摘する。
「まあ、手を組むのは良いとして……。問題は誰がそれを取り仕切るかだねぇ。まさか、アンタがそれをやろうってんじゃないだろうね?」
「まさか。それでは誰もついては来ないでしょう。そこで――」
ジールはある人物に目を向けて、こう告げた。
「アジル翁。貴方にその役をお願いしたい。我々を従えられるとすればゼオ殿と貴方くらいですからな」
アジルを選んだのは、考え得る限り最高の策だろう。我が強く、誰も己より上位に置きたがらない七王達が、唯一認めるだろう人選だからだ。
しかし、当のアジルは反応しない。彫像のように同じ姿勢を保ったままだ。
「アジル翁。貴方が不干渉を旨としているのは分かっております。しかしですな、今の状況では頷いていただかねば困りますぞ」
辛抱強くジールが呼びかけるが、やはりアジルは無反応だ。
場内に諦念と困惑の空気が漂い始めた時、レイモンドが手を上げて言った。
「実は俺もジールと同じことを考えててな。連合のリーダー候補を連れて来てるんだが……」
「ハッ! アンタが連れて来た奴なんかに従うくらいなら、ジールの方が千倍マシだね」
セシルの言い分にジールとメオも同意の気配を見せる。冷淡な反応にレイモンドは苦笑した。
「まあまあ。とりあえず会ってから言ってくれよ」
それからレイモンドは立ち上がると、通路の方へと呼びかけた。
「待たせたな! 入って来な」
アジル以外の全員がレイモンドの見る方向を見る。
「待たせ過ぎだ」
不貞腐れたことを言いながら姿を晒したのは船乗り風の茶髪の少年だ。特別容姿が優れているわけではなく、粗暴さが滲み出る生意気そうな顔立ちの海賊の下っ端という感じである。
「何だい、そのガキは?」
セシルの問いにレイモンドはニヤリと笑い、少年の背中に回ってその両肩に手を置く。
「こいつが連合のリーダーになる男さ。名前はレイン。姓は――ガルバドル」
レイモンドの言葉を聞き、アジル以外の全員が息を飲む。海賊の頂点に居る者として、伝説の海賊と同じ姓を知らぬ者は居ないのだろう。
レイモンドはメオへと目を向けた。
「なあメオ? 顔立ちはフィノ姐さんに似てて、目つきはぜオ船長にそっくりだろ? 一緒にあの人の船に居たんだ。分からねえとは言わねえよな?」
「……ああ……確かに……」
メオは愕然となりながら答える。レイモンドを毛嫌いしているはずのメオが認めたことで、レインの出自に信憑性が出てきた。ところが、反論はまだあった。
「しかし果たして、その少年に我等の戦いを勝利に導くことが出来るのですか? それに相手には、嘘か真かウンディーネが居るのでしょう?」
恐れ知らずの彼等と言えど、水と海獣を味方につけられるウンディーネが相手では、分の悪さを感じずにはいられないのだろう。
しかし、レイモンドは予想通りの展開に余裕を持って答えた、
「なら、こいつが海に選ばれた男だと言ったらどうする?」
「……何を……言っている……」
メオが困惑した様子で言うと、ますます笑みを深くしたレイモンドが手を振って合図する。
すると、彼の部下の一人が手押し車を押してやって来る。荷台には大きめの桶が乗っていて、半分くらいまで水が入ったそこには人が座っていた。
「……!」
「ちょ、ちょっとお待ちよ」
「これは……驚きましたねぇ……!」
彼等が見つめる相手は美少女だった。だが、彼等を驚かせたのは彼女が美しいからではない。その青い髪と翠緑の瞳を知らない者はこの場に居ないからだ。
「ええっと、こんにちは。こんな格好で失礼します」
衣服の裾から滴をしたたらせて木桶の上で立ち上がった少女はぺこりと頭を下げる。
「私はミミ・シュトランゼ。――ウンディーネです」
ミミは堂々とした様子でそう告げた。
しかし、返って来たのは冷え切った無言だった。
「レイモンド。アンタはもう少し頭が回る男だと思ってたよ」
「どういう意味だ?」
レイモンドが眉間に皺を寄せると、メオが呆れ顔で言い放った。
「……いくら何でも……都合が良過ぎる……。……偽物……だろ……?」
「髪を染め、カラーコンタクトを入れたという所か。何より君が連れてきたとあってはねえ」
ジールの言葉に皆が頷く雰囲気を出す。レインは半目になってレイモンドを睨む。
「呆れるほどの信用の無さだな。何やったんだよ?」
「いやいや。これはアレだ。ウンディーネなんて珍しい物を見せたから戸惑ってんのさ」
人望のなさから目を反らすレイモンド。そんな彼を無視してセシルがミミを睨む。
「小娘。アンタが本当にウンディーネだって言うんなら証拠見せな。ハーフって言っても何か出来るだろ? 水を操るんでも、海獣を呼ぶんでもいいわ」
「ええと、私、水は操れなくて。それにここじゃ、海獣さんに声が届かないから……」
ミミの話を聞いて、セシルは我が意を得たとばかりにレイモンドへと言った。
「証明出来ないか。どうせ偽物のウンディーネを連れて来て、連合の主導権を撮ろうって腹なんだろう? アンタのやり方はお見通しなんだよ!」
ウンディーネを騙ることは船乗りにとって禁忌だ。それは海賊にとっても変わらない。
海賊達が殺気立ってくると、さすがのレイモンドも厄介そうに舌打ちする。
会議場に漂う一触即発の空気が最高潮に達した時、硬く鋭い音が皆の耳朶を打ち据えた。
皆が振り向いた先にはアジルが居た。彼が再び剣の鞘先で石を叩いたのだ。
先ほどと違うのは、太い眉と深い皺の間に埋もれていた瞳が開いていることだ。まるで魔物が目を覚ましたかのような空気に、その場の誰もが射竦められたように動けない。
アジルがのそりと椅子から立ち上がると、海賊達が身を強ばらせて息を飲む。剣を杖のように突いて歩き出した老海賊の進路から、他の海賊の部下達が慌てて逃げて行く。
アジルはミミの前まで来て足を止めた。猛獣の如き鋭く凶悪な眼光が少女を射抜く。全てを見透かすかのような視線にミミは息を飲む。
「確かにウンディーネの血を継いでいる。だが、純粋な彼女達とは違うようだな」
アジルは低く、しゃがれた声で告げた。老齢の弱々しい印象はない。異界の怪物の唸りを思わせ、人の恐怖心を誘う声色であるが、ミミの中に不思議と恐怖は湧かなかった。
彼の若干色素の薄い鳶色の瞳が静謐な水面のように澄んでいて、害意を感じないせいだろう。
「……お父さんは人間だから。ハーフなんです、私」
ミミがそう言うと、レイモンドが目を覆って上を向き、他の海賊達がざわめく。
アジルは鞘先で床を一突きし、彼等を黙らせてからこう言った。
「仮にもウンディーネの血を引く者が、何故人の争いに関わる? 血に穢れを帯び、精霊の気質を忘れたか? 時代は変わったものだ」
ミミの背後でレインが取り押さえられる気配がした。血の穢れとは最大の侮辱だ。ミミは心の中でレインに礼を言ってアジルを見返す。
「穢れてなんかないです」
ミミが言い放った言葉の続きをアジルは無言で促す。
「私の中に流れているウンディーネと人の血は、ずっと分かたれていた海と人がようやく共存し始めた証なんだって、お母さんは言ってました。だからアジルさんの言う通り、時代は変わったんだと思います。――きっと、良い方向に……」
ミミの言葉に飲まれたかのように一同は黙り込む。一瞬の静寂。幸せそうに目を伏せていたミミは、けれど次の瞬間、厳しい顔を作って言い放つ。
「けど今、それを滅茶苦茶にしようとしてる人がいます。その人は力を手に入れるためにたくさんの人を傷つけて、この海を支配しようとしているんです。……私はこの海が好きで、そこに住んでる人達も好きだから、それを壊そうとするあの人を許せない」
「……それが、貴女がここに来た理由か」
アジルの問いを受けて、しかしミミは首を振ることでそれを否定した。
「理由の半分、かな。……私がここに来たのは、頑張ってる子が居たから」
だからこそ、ミミは正直な思いを伝えることを決めた。
「その子は信じていた人に裏切られて、大切な故郷を滅ぼされて、大事な人をたくさん失くして……。辛いはずなのに、そんな所全然見せないで世界のために頑張ってるの。だから私は、そんなあの子を助けてあげたいんです! だから私は、ここに来ました」
ミミはアジルの瞳を見据える。老海賊は静かにそれを見返していたが、やがて瞼を閉じた。
「なるほど。水精らしく、そして人間らしい。良い答えだ」
そう言うと、アジルはその場で片膝を突き頭を垂れた。
「無礼な物言いをお許しください。ミミ・シュトランゼ殿。我が黒狼海賊団は貴女のご意思に従うことを誓いましょう。たとえそれが、かつての宿敵の子を担ぐことになっても」
誰もが思いもしなかったアジルの恭順は、他の七王やその部下にも衝撃を走らせる。
「もちろん、俺達海猫海賊団もだ。言いだしっぺだしな。他はどうする?」
レイモンドがニヤニヤと周りを見回す。三人の王達はしばし思案を巡らせていたが、まずメオが口火を切った。
「……オルレアン海賊団は……レイン・ガルバドルを……連合の盟主として……認めよう……」
「私どもシッゾース海賊団も構いませんよ。伝説の海賊の息子なら、担ぎ上げる価値は十分でしょう。ししし」
「リグルとやらには散々煮え湯飲まされてるからねえ。シレーヌ海賊団もオーケーだ」
全ての王の了承が得られた所で、レイモンドがニッと口角を釣り上げた。
海賊連合結成の瞬間だった。