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由衣の冒険5  作者: 和瀬井藤
バニラ・スカイ 後編
43/43

 由衣は駅構内に入っていく。新幹線のホームへ向かう。人が多く、なかなか前に走っていけない。やはり時間帯だろうか。

 ――早紀……きっと。

 由衣は目の前に大きな時計が見えた。もうあと八分しかない。もう、時間的に厳しい。走るスピードを速める。すぐに疲労が体力のない由衣を襲った。しかし、そんな事は構っていられない。ひたすらに走った。


 新幹線の改札が見えた。現在新幹線は、どの駅も様々な進化が見られる。特に改札は自動ドアの様なガラスの扉で完全に遮断されている。

 扉の横に乗車カードを通す装置が据え付けてあり、カードを通して認証されると扉が開く。そして、ひとり通過すると再び扉は閉じられて、再びカードの認証が確認されるまで、扉は開かない。

 岡山駅はカード式だが、東京駅などは、虹彩認証の改札があるらしい。ゲートの手前で一歩止まるだけで認証が終わるらしく、非常にスムーズだという。無論、スマートフォンなどで料金の支払いができる機器を携帯していないと利用できないが。

 なんにせよ、由衣は乗車カードを持っていない。とりあえずは、切符——乗車カードを買わなくてはいけない。

 前方に見える改札ゲートの少し手前に、新幹線の切符の売り場がある。しかし、そこにはたくさんの人が群がっており、何事かが起こっている事を予想させた。嫌な予感がする。

「……ただいま発券機の調整を行なっております。切符の発行ができません。大変ご迷惑をおかけいたします」

 というアナウンスが流れた。

 ――え? どういう……。

 由衣は耳を疑った。まさかこんな事があるとは……。

 近づいてみると「おい、どうなっているんだ!」とか「予定があるんだ、困る!」などという声が飛び交っている。見ると、駅員に掴みかかっている中年の女性もいる。

 人混みをかき分けて、発券機の前にやってきた。切符を発行する発券機が三台設置されているが、どれも使用不能になっている。上部に設置してある液晶ディスプレイには、エラーを伝える表示が出ていた。

 おそらく機械そのものが故障しているのではなくて、切符の発行を管理するソフトウェアに問題が起きている様子だ。

「まことに申し訳ございません。ただいま発券機が使用できません。原因を調査中です――」

 再びアナウンスが流れる。怒鳴る人達。由衣も怒鳴りたい気分だったが、そんな事をしたところで、どうにもならないのはわかっている。

 絶望的な気分で、改札の前までやってきた。すぐ隣で、スーツのサラリーマンが、カードを挿入して、颯爽とゲートを通過していく様を見た。より気分が重くなってしまった。

 ――もう、もうだめなんだろうか……先生があれだけ頑張ってくれたのに。ここまできたのに……。

 あまりの事に、体が重く感じて、両膝をついてしまった。思わず涙がにじむ。――こんな事って……。

「――うん? もしかして、由衣ちゃんじゃないかい。どうしたの?」

 ふいに聞き覚えのある声が聞こえて、後ろを振り返った。そこには、カフェ「Y&H」の中村夫妻がいた。


「……な、中村さん……」

「何かあったの? ほら立った。立った」

 中村は由衣を立たせて言った。

「中村さん……あ、そういえば旅行」

 今日から京都旅行に行くので、店を閉めている事に気がついた。

「そうだよ。これからなんだよ」

 中村は笑顔で答えた。

「夕方から行くんですか?」

「ああ、昼間に用事があってね。でも今晩だろう。京都の送り火」

「送り火? ああ、大文字の」

「そうだよ。午後八時からだし、大丈夫だろうってね」

「そうですか……。そうですね」

 塞いだ由衣の姿を見て、中村は問いかけた。

「さっきからだけど、由衣ちゃん、どうしたの? どうも浮かない顔をしているみたいだが」

「……それは、その……」

 由衣は言い淀んだ。もうだめなんだ、諦めの感情で頭の中がいっぱいだった。

「なんか、切符が発行できないとかアナウンスされてたけど、困ったものだねえ」

「……ええ」

「由衣ちゃんも新幹線に乗るのかい?」

「……いえ」

 由衣がそう答えた後、中村が少し笑った様に見えた。

「——でも、ホームに入りたい、そういう事かい?」

 由衣はハッと中村の顔を見た。中村は隣にいる妻を見て言った。

「……裕子、すまんね。旅行は後日になるよ」

「え?」

 由衣は驚いた。まさか……。

 中村はバッグからカードを取り出した。そしてそれを由衣の前に差し出す。

「これでホームに行けるだろう。さあ」

「……で、でも」

「君の様子だと、ただ事じゃないだろう。遠慮する事はない」

「うふふ、そうよ。旅行は逃げたりしないもの。ねえ?」

 中村の妻、裕子は、そう言って夫を見た。

「はは、そうだ。……さあ、行くんだ」

「中村さん……」

 由衣は、滲み出てくる涙を手で拭った。そしてゲートの方を向くと、動きを止めた。

「……ありがとうございます」

 そう言って、カードを挿入してゲートを通過して行った。

 中村はその姿を見送りながら、妻の顔を見た。

「何があったか知らないけど、うまくいくといいねえ」

「きっとうまくいくわよ。――がんばってね、由衣ちゃん」

 中村は再び、由衣の走って行った方をみて言った。

「由衣ちゃん。君の物語のエンディングは、最後はきっとハッピーエンドで終わる。……そう、きっとそうだろう。だから……最後まで諦めないでくれ」


 ゲートの向こうは人が少ない。先ほどの発券機の故障のせいもあったのか、閑散としていた。

 目の前に階段がある。ここを登るとホームに出られる。エスカレーターが階段の隣にあるが、階段を駆け上がった方が早いと判断した。

「早紀っ! 早紀!」

 由衣は思い切り駆け上がった。すぐに足が痛くなってきた。でも堪えて駆け上がる。二段とびで上がるも、途中で疲労から足が上がらず転倒した。腕を強打し悲鳴をあげた。

 ――くっ! ……い、痛い。

 打ったところを手で触る。骨が折れたりしているわけではない。まだ走れる。そう考えて、再び階段を上がる。二段、三段と必死に上がり、とうとう上まで上がった。

 ホームにやってくると、ぐるりと見渡して、早紀の姿を探した。すでに新幹線が二台停車していた。どちらかにすでに乗車している? 可能性は高かった。

 時間はもうない。どちらかわからない。由衣は叫んだ。

「早紀っ!」

 ホームにいた人が、何事かと由衣を見た。しかし、由衣は構わず力一杯叫んだ。

「早紀っ! ごめん! ごめんなさい!」

 由衣は再び叫んだ。



 浮かない表情の早紀は、新幹線の窓から外をずっと見ていた。両親の眠るオーストリアに帰る。そして、そこで一生を暮らしていこう。貧しくてもいい。今までもそうだった。

 様々な考えが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。

 ふと、由衣の顔が浮かんだ。大切な人。とても大切な人だった……そう思って、すぐにそれを振り払う様に頭を振った。

 だめだ。由衣の事が離れない。別れよう、そう決めたはずなのに。

 ——由衣。

 由衣の事を意識すればするほど、由衣の姿が浮かび上がる。あの笑顔。あの照れた顔。悲しそうな顔。次から次へと浮かんできた。

 でも、もう……そう思った時、ふと聞き覚えのある声がした。

「——由衣?」

 早紀は、新幹線の席に座ったまま、由衣の声を聞いた。窓の外を見るが、そこからは由衣の姿は見えない。早紀はすぐに席を立つと、乗車口から外に出た。

 ずっと向こうに由衣の姿があった。

「ゆ、由衣――」

 早紀は駆け出した。



「由衣!」

 早紀がそばに駆け寄ってきた。

「由衣、どうして——」

 早紀は由衣の体を抱きしめた。強く、強く抱きしめた。もう二度と離したくないというほどに。

「早紀……早紀っ!」

 由衣も早紀に抱きついて、必死に早紀の名前を叫んだ。涙で顔はひどい有様だった。

「早紀っ! どこにもいっちゃだめだ! ずっと、ずっと一緒にいて欲しいんだ!」

「由衣……」

 早紀がそう呟いた時、新幹線の乗車口が閉じた。そして動き出す新幹線。

 そこはもうふたりだけの世界であった。誰もいない、音もない、あらゆるものから遮断された世界。

 ふたりはしばらく、そのまま抱き合っていた。



 あれから早紀は、再び由衣と一緒に暮らしている。

 翌日、宣子がマンションにやってきて、自分が騒がしたせいで、余計な迷惑をかけた事を早紀に謝罪した。早紀は遠慮がちにしていたが、心の中では宣子に感謝していた。由衣があんなにも必死になってくれた事、由衣に大切に思われている事を教えてくれる、いい機会になったからだ。

 由衣は前より、早紀を気遣ってくれる様になった。でもそのうち、また横着なところが出てくる様になって行くだろうと思ったが、そこは一度、とても必死になった後。今度はきっとうまくやっていけるだろう。由衣も早紀もそう信じている。

 親友のためとはいえ、社会的に色々と不味い事をやってしまった滝澤は、あれからどうなったかというと、以外にも翌日には自宅に戻っている。

 岡山県警の滝澤聡一本部長は、滝澤睦美の実兄である。どうやら、兄の方から何らかの圧力が加わったと思われる。

 しかし、免許取り消しとなった上、翌日やってきた兄に散々絞られた様だった。その後、由衣と早紀は滝澤と会ったが、いつもの調子はなく、かなりしょげていた。もっとも、ふたりの顔を見ると、いつもの調子に戻ったが。

 中村夫妻には後日、由衣が切符代を弁償した。無論それだけでなく、旅行にかかったすべての費用を由衣が払う事にした。中村は「本当にいいの?」と少し遠慮していたが、お金にまったく不自由していない由衣には、何も問題なかった。おかげで帰ってきた後、由衣へのお土産は他の人のよりも、随分といいものだった様だ。

 色々あったけど、お互いに綺麗に洗い流してやり直す。そう、ふたたびやり直すのだ。


 そしてまた、ふたたびこれまで通りの日常が戻ってきた。



 由衣は、ふと目がさめた。時計を見ると、まだ午前四時だ。外は薄暗いのだろう。こんなに早く目がさめるのは本当に久しぶりだった。意外なほどの、朝の静けさがとても心地いい。

 少し喉が渇いたので、何か飲もうとダイニングキッチンに向かった。

 冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップに注ぐと、ひと口飲んでリビングにやって来た。カーテンを開けると、夜が明けつつあるものの、空はまだ少し暗い。

 ふと、背後に人の気配がした。

「……由衣」

 下着姿の早紀がリビングに入って来た。早紀も起きてきたばかりなのだろう。

「少し明るくなってきたわね」

「そうだね」

 早紀は、おもむろに由衣の方を向くと、微笑みながら言った。

「私、由衣の事が大好きよ。誰よりも一番。とっても――とっても大好きよ」

 由衣はそれを聞いて、少しだけ頰を染めた。そして、改めて早紀の顔を見る。

「早紀、わたしも……早紀の事が大好きだよ」

「ありがとう」

 早紀も恥ずかしそうに微笑むと、ふたりはふたたび窓の外をみた。

 朝焼けが次第に淡く霞んできた。そうして少しづつ明るくなる空が白んでいく。早紀と一緒にみるこの空は、夢や幻なんかじゃない。由衣は逃げる事なく、ここにいる。早紀と一緒にここにいるのだ。由衣は、それを確認するかの様に、そっと早紀の手を握った。早紀もその手を優しく握り返してくれる。

 ふたりの見ている遠い空は、あの朝の白い空と同じだった。いつまでも変わらない、どこまでも続いている空だった。



  由衣の冒険  終わり

「由衣の冒険5」はこれで終わりです。また、「由衣の冒険」シリーズも、これで完結となります。

最初の投稿から一年余り、長編5連作となり、長い物語になりましたが、シリーズ全てを読んでくれた方、この5のみを読んでくれた方。

読んでくれてどうもありがとうございました。

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