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由衣の冒険5  作者: 和瀬井藤
バニラ・スカイ 前編
32/43

「暑いなあ……もう、どうにかならないものかねえ」

 由衣は天を仰いで呻いた。八月に入って、もうずっと炎天下が続いている。サイクリングに行きたいなとも考えていたが、あまりの暑さにそんな気も失せてしまう。今日もリビングのソファで、ゴロゴロと自堕落な姿をさらしている。

「由衣、買い物に行きましょう」

 ふと早紀がダイニングの方から言った。

「えぇ、暑いよ。ダルいなぁ」

 由衣は嫌そうな顔をした。

「暑い時こそ、暑い思いをして汗をかくのもいいのよ」

「そうかなぁ……。わたしも前はかなり暑い職場でがんばってたけど、あれがよかったかといえば、どうなのかなあって」

 由衣は発症前は、鉄工所の金属加工職人だった。こういう職場は、空調の完備された環境ではないため、とても暑い職場なのだ。

「涼しい部屋にばかりいたら、体調を崩すわ。さあ、行きましょう」

 早紀は、由衣の腕を引っ張って買い物に出た。


 マンションの駐車場から、由衣のフォレスターが出ていく。運転はいつも早紀がしている。由衣は助手席だ。

「何を買いに行くの?」

「ゴミの袋とか、ラップとか。タオルも新しいものを買っておきたいわ……ホームセンターよ」

「ふぅん……」

 早紀は赤信号で止まると、チラリと隣の由衣を見た。自動でアイドリングストップが作動して、エンジン音が消えた。急に世界から音が消えてしまった様に感じた。

「由衣……元気ないわ」

「そうでもないけど。なんかさ、いやまあ……いいや」

「――そう」

 早紀は少し表情を曇らせた。


 ホームセンターサンディにやってきた。マンションの近辺にもある、比較的よく利用する店である。特に日用品などを買いに来る事が多い。

 駐車場に車を止めると、早紀はエンジンをきった。由衣はそれを制止する。

「あ、エンジンはかけたままにしといて」

「どうして?」

「わたし、車の中で待ってるから」

 由衣はそう言うと、iPhoneを取り出していじり始めた。

「もうっ、由衣。ダメよ。一緒に行きましょう」

 少し強い口調で由衣に言うと、エンジンをきって、由衣に降りるように促した。最近の由衣は、どうもダラけすぎている。暑さも本格的になってきているが、それ以上に以前からの怠け癖が目立つ様になってきた。

「……暑いのになあ」

 由衣は嫌そうな顔をしながら、のろのろと車を降りた。


「暑いぃ、早く中に入ろう」

 早足で店内に急ぐ由衣。早紀はそれを慌てて追いかけた。

「まずは日用品ね」

 早紀は、入り口の自動ドアを入ってすぐのところにあった、買い物カゴをひとつ取ると、店の奥に進んでいく。その後を由衣がついて行った。

 ポリ袋などがある棚にやって来ると、岡山市の指定ゴミ袋を二袋取った。これは一袋に十枚セットになっているので、合計二十枚になる。ちなみに一袋、二百円だ。割合高い。

 早紀は、他にも必要なものを次々と、買い物カゴの中に入れていく。そうしながら、由衣にといかける。

「由衣、何か必要なものはある?」

 しかし、返事がない。早紀は振り向いた。そこには、由衣の姿はなかった。

「由衣?」

 早紀は由衣を探した。


 早紀は店内をあちこち移動しては、由衣の姿を探した。由衣は、以前の職業の関係からか工具などに興味があるので、そういうものが陳列された場所を探してみた。

 しかし、いない。

 ――由衣はどこに行ったのだろう? まさか誘拐……。

 少し飛躍しすぎだが、可能性としてありえない話ではないと考えて、早足で移動し、さらなる場所を見て回った。店内はそれほど広くはない。商品の陳列棚の辺りにはいない様だ。

 早紀は店の一番端にある、自転車の売り場の向こう側、リラックスルームと書かれたベンチのあるスペースを覗いてみた。

 ここには、ベンチと自動販売機が複数設置してあって、飲み物を飲んだり、ベンチに座って雑談をしたりしている。四人ほどの人がいる。その人達の向こうに、探している人を見つけた。


「由衣」

 早紀は由衣に近づいた。それに気がついた由衣が、手に持ったiPhoneから目を離して早紀を見た。

「あ、早紀。終わった?」

「ええ、由衣は何か必要なものはある?」

「別にないなあ、早紀が買ってるものでいいんじゃないかな」

 そう言って、再びiPhoneの画面を見た。それを見ている早紀は少し表情が浮かない。

「そう……」

 早紀は由衣の隣に座った。何か話題はないかと思いつつ、iPhoneをいじっている由衣に話しかけた。

「何か面白い事があるの?」

「ううん、別に。早紀、どうせだから、どこかで食べて帰ろうよ」

 そっけない反応に落胆したが、気を取り直して答えた。

「ええ、そうね」


「――いらっしゃい」

 店の奥から中村の穏やかな声が聞こえた。

「こんにちは。お昼食べに来ました」

「何にする? 新メニューを考えたんだよ」

 中村が差し出した新しいメニューを受け取ると、目立つ部分に写真入りで掲載されている料理を見た。

「ふぅん、カツ丼があるね。それから、トンカツ定食……これってそういえば前はなかったんだね。ようやくメニューに加わったのか」

「そうだね。まあ、うちはカフェだから、あんまり食べ物を充実させるのもアレだけど……」

 中村は苦笑いしている。


「早紀ちゃんは、仕事の方はどうだい?」

「みなさん、いい人ばかりで……やりがいがあります」

 早紀は、市内の花屋「宮田花店」でアルバイトをしている。

 宮田花店は、由衣の住むマンションからそう遠くない場所だ。およそ距離にして一キロ程度で、早紀も自転車で通勤している。

 この祖父の代から商売している老舗の店は、店舗はさほど派手な印象はないものの、割と経営状況は悪くないらしい。基本的に数カ所の結婚式場や葬式場と提携しているらしく、安定しているという。

 早紀は、中村のつてで紹介してもらっていた。店長は中村の義弟で、妹の夫という事らしい。昔から親しいらしく、「Y&H」の開店時にも「宮田花店」の名前の入った花が複数飾られていた。

 先月にバイトがひとり辞めていて、替わりを探していた。早紀は仕事を覚えるのも非常に早く、人当たりも良いので店長以下、先輩店員達の印象もよかった。

「この間、早紀ちゃんを褒めていたよ。仕事もできるし、職場にもすぐに馴染んで、本当にいい人を紹介してくれたってね」

 中村はニコニコと、義弟の言葉を伝えた。

「ありがとうございます」

 早紀は微笑んだ。

「早紀は人気者だね。前に店をのぞいた時も、他の店員と親しそうだったし」

「早くに打ち解けてよかったねえ」

 中村はそう言って笑うと、由衣を見て、「由衣ちゃんもアルバイトしてみるかい?」と言った。

「……いや、わたしは遠慮しておきます」


「ああ、そうそう。近々、数日店を閉めているから」

 話が途切れたところで、ふいに中村が言った。

「あれ、どうしたんですか?」

「実はね、旅行に行ってくるんだ」

 中村は笑顔で答えた。

「へえ、いいですね。どこにいくんですか?」

「ありがちではあるけど京都だよ。修学旅行以外では、まともに行った憶えがなくてね。少しお金も貯まった事だし、いい加減、観光してみようかって計画していたんだよ。送り火も見てくるつもりなんだ」

「大文字のやつですよね。へえ、京都かあ。わたしも京都なんて修学旅行以来かな。……ふふふ、お土産期待してますよ」

「ははは。あまり期待されると困るね」


 ちょうど食べ終えたタイミングで、由衣のiPhoneが鳴った。

「電話だ。誰だろう? ――お母さんか……」

 母親の宣子からの電話だった。

 やれやれ、と思いつつ、由衣は電話にでた。また、どうでもいい事を長々と喋り続けるんだろう、と思って少しうんざりした。

「もしもし、どうしたの?」

 しかし、返事がない。訝しんで、再び声をかけると、ようやく話始めた。

『……由衣ちゃん、お父さん……お父さんが……たおれた……の』

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