五
翌日、いくら探しても手がかりがないので、海に行った。滝澤は途中、旅館の方をチラチラと見ながら愚痴っている。
「聞き込みをすれば、絶対手がかりはあるわよ——聞き込みをすれば」
「もう、勘弁してくださいよ。余計なトラブルの元だろうし」
「根拠もないのに犯人扱いされたら、揉めると思うわ。重大事件ならまだしも、下着泥棒くらいでは、旅館にも迷惑がかかるかも」
「まあ、しょうがないわね。もうこうなったら海で楽しみましょ。帰ったら捜査再開よ!」
「……いやあ、また会ったねえ!」
そう言って現れたのは、なんと小野田だった。思っても見なかった人が現れて、由衣は驚いた。
「あれ? 今日から東京じゃないの?」
「いやあ、それがね。実は昨日、夜に電話があってねえ。一週間延期したいっていうんだよ。急遽都合が変わったらしくて」
「で、また来たわけ?」
「そうさ。家から三、四十分かそこらで来れるからねえ。いやあ、すぐに見つかってよかったよ!」
小野田は嬉しそうに笑った。
「しかし、これだけ人がいてよく見つけましたね」
「運が良かったね。ふと見て、すぐに気がついたよ。早紀さんみたいな美女は目立つからねえ」
小野田は再び早紀に会えた事が嬉しい様だった。
少し雑談をしていると、ふと昨晩の泥棒騒ぎの事が話題になった。ちなみに、少し恥ずかしかったので、パンツである点は伏せておいた。
「――へえ、泥棒? そりゃあ、災難だったね。まだ捕まらないの?」
「そうなんですよ。本当に困ってるんです」
早紀が言った。
「けしからん輩が出てくるもんだねえ。まったく。僕も協力させてもらおう」
小野田は憤慨して、犯人逮捕に協力したいと申し出た。早速、由衣や早紀とあれこれ話し始める。しかし滝澤は、その後ろ姿を神妙な眼差しで見ていた。
「――由衣」
滝澤が由衣をこっそりと呼んだ。
「どうしたんですか?」
「……怪しいと思わない?」
滝澤は神妙な顔つきで由衣を見た。
「怪しい? 何がです?」
「何がって、下着ドロの事よ。あのおっさん……小野田さんって怪しくない?」
「ええ? まさか。いや、でも……ありえなくは……ないけど」
しかしそうは言ったものの、懐疑的だ。
「でしょ? 今日、本当は岡山にいないはずなのに、急遽延期になったとか、怪しさ満点でしょ」
「いや、でも――小野田さんって結構有名な作家だし、下着泥棒なんてするかな」
「そんなのわからないわよ。あのおっさんのエロ親父っぷりは昨日見せてもらったわ。あれはまちがいないわよ」
「そ、そうかなあ」
由衣にはどうも断定できない。いくら何でも、という気がする。
「そうに決まっているわよ。――早紀!」
滝澤は早紀を呼んだ。早紀はどこかを見ていて、気がついていない。
「ちょっと、早紀?」
早紀の方をたたくと、気がついた。
「あっ、先生。すいません。どうしました?」
「どうしたって、こっちのセリフよ。どうしたの?」
「いえ、また見られている視線を感じたもので」
早紀はまた、誰かの視線を感じた様だった。
「ええ、本当に? まったく罪なオンナね。まあとにかく、それどころじゃないのよ。下着ドロを捕まえるわよ。ターゲットはあのエロ親父、小野田!」
「ええ? まさか」
早紀は驚きを隠せない。しかし、滝澤は鼻息が荒い。
「まさかも、何もないわ。ヤツよ、犯人は。早紀、準備して」
「――な、なんだ! 君達、一体どうしたっていうの?」
早紀によって、あっさりと組み伏せられてた小野田は、何がなんだかわからないという表情だ。滝澤はニヤニヤしながら、小野田の顔を見ると、「さあ、来なさい」と言って人気のない方に連れて行った。
「一体どうしたっていうんだ? 僕は何もしてないぞ」
「しらばっくれてもダメよ。観念しなさい!」
「何をしたって言いたい? わけがわからん!」
「あんたでしょ、由衣のパンツを持ってたのは。まったくこれだから、おっさんは」
「パ、パン――? いや、いや、ちょっと待ってくれ! そんなの知らん! 僕じゃない!」
必死に抵抗する小野田。
「さあ、由衣のパンツを出しなさい!」
「だから知らんと言っとるだろう!」
ひたすら言い争いを続けている。早紀が間に入った。
「とりあえず落ち着いて」
「僕は昨晩はずっと家にいた。寄り道せずに家に帰ったから、日が暮れる前には家に戻って来ていたんだ。なんなら、うちのカミさんに確認してくれてもいい」
小野田は必死に弁明する。由衣としては、やはり犯人は小野田ではない気がして来た。
「そもそも君達が、どこに泊まっているのかを知らん。宿泊先は聞いてないし」
「本当にぃ? 嘘ついてない?」
「ついていない! 絶対に!」
滝澤と小野田は、お互いに睨み合っている。
「あ、あの……」
背後から声がした。振り向くと、そこにいたのは渋川荘の息子、翔太だった。
「あれ、翔太くん? どうしたの?」
由衣は突然現れた翔太に声をかけた。それに、滝澤も気がついた。
「うん? どうしたのよ。あら、翔くんじゃないの」
「ご、ごめんなさい!」
翔太は突然、頭を下げて謝罪した。
「え、ええぇ! まさか……」
「ぼ、ぼくなんです。持っていったのは……ごめんなさい……」
「ま、まあ、とにかく事情を話してほしいな」
由衣はあまりにも意外な事に、かなり驚いた。――まさか、こんな子が。もう小学生なら興味を持つものなのだろうか……。
「はい……」
翔太は消え入りそうな、か細い声で答えた。それを見ていた小野田は、周囲を見渡して得意になって言った。
「うむ、これで僕の疑いは晴れただろう!」
「ま、まあ……しょうがないわね」
滝澤はどうも不満そうである。
「……僕を犯人にしたいだけじゃないだろうな。君は」
「そんな事はないけど……チッ」
「ああ、やっぱりそうなんだろう! ひどい!」
またふたりで睨み合っている。由衣はあのふたりは放っておく事にした。そして翔太の方を見た。
「それで……持っていったものはあるの?」
早紀が言った。
「はい……これ」
翔太は後ろに持っていたものを、由衣達の前に差し出した。しかし、それは由衣達の探しているものではなかった。ピストルだ。もちろん、おもちゃ……これはエアガンの様である。
「え? ――あれ、これは?」
由衣は手渡されたものを見て驚いた。
「……僕、どうしても触ってみたかったんだ。最初の日に、睦美おばさん達が海に行った後、おばさん達の部屋に用があって入ったんだけど、そこでカバンが開いてて……これが見えたんだ」
「ちょっと、どうしたの? ってそれ、エアガン?」
滝澤がそばにやって来た。
「あ、もしかして私の?」
「うん……」
翔太は母である女将から、先週泊まっていた客から、忘れ物があるかも、と連絡を受けて、翔太に確認に行かせた。翔太が探すと、すぐに発見されたのだが、ふと滝澤の開いたままのバッグからエアガンが見えた。翔太はそれに興味を持った。
忘れ物を女将に渡してから、ちょっとだけ、と思って内緒で滝澤のエアガンを持ち出してしばらく遊んだあと、返しに行こうとすると、由衣達が帰ってきたので、返すに返せなくなった、と言う事だった。
実を言うと、最初はもう少し前に部屋に行ったのだが、由衣達が着替えをしていたので、一度引き返していた。ちょっとだけ覗いてしまったのは内緒だ。
「なぁんだ、翔くんエアガン好きなの?」
「う、うん。かっこいい」
「だったら言ってくれたらいいのに。まあ、未成年の翔くんには撃たせられなけど、うちにきたらたくさんあるし、いくらでも見せてあげるわよ」
「え? おばさん、本当ですか?」
「本当よ、いつでもいらっしゃい」
「う、うん!」
翔太は嬉しそうに答えた。
「それにしても……なんでエアガンなんて持って来てるんですか?」
「え、そりゃそうでしょ。やっぱり護身のためには、忍ばせておくのが普通でしょ」
「いや、普通なわけないし、そもそも護身用とか言いつつ簡単に持って行かれたんじゃ……」
「た、たまたまよ。こんな事はまれよ、マレッ!」
「しかも、いま気がついたんですか?」
「え? いや、まあ――」
完全に忘れていた様だ。いい加減な話である。
とりあえず小野田と翔太は違うと判明したが、肝心の犯人はまだ見つからない。
「や、やっぱり幽霊……いや、そんな……」
由衣は青ざめている。幽霊など信じていないが、少し怖くなってきた。
「それは飛躍しすぎだわ……」
「とりあえず、考えても始まらないな」
「今は海水浴を楽しみましょう」
早紀はそう言って、とりあえず保留する事を提案した。
夕方、旅館に帰ってくると、ちょうど女将と出くわした。
「お帰りなさい。洗濯物、後で部屋に持って行くわね」
「ありがと、スミちゃん」
滝澤は難しい顔をしたまま、従姉妹に返事した。
女将が荷物の束を持ってやって来た。
「みなさん、洗濯物ですよ」
「あ。ありがとうございます」
渋川荘では、旅館の方で服の洗濯をしてくれる。そのため、長く泊まる際にもそんなに替えの服を持っていく必要がない。
「どう。見つかった?」
「ダメね。まったく完全犯罪ね。困ったものだわ」
滝澤は両手を挙げて渋い顔をした。そして、早紀が女将から洗濯物を受け取った。早紀はそれを、それぞれの持ち主に分けるために、一旦畳の上に置いた。その時、束の中にあった由衣のジーパンから、ふと白い小さい布が落ちた。
「あら、これは何かしら? ……下着だわ」
「え? そ、それは……」
紛れもなく、紛失した由衣のパンツだった。
「あれ、どうして?」
「多分、洗濯物に紛れていたのかしらね?」
早紀は、それが答えであろう事を口にした。
「ええ、そんな結末? ちょっと、そんなのアリなの?」
滝澤はかなりガッカリしている様子だ。
結局、洗濯物に紛れ込んでいた。
真相は、持ってきた替えの下着をカゴに入れて、そのまま服を脱いでカゴに放り込んだ時、何かの拍子に脱いだ服に紛れていただけだった。具体的には、その時に履いていた七分丈のジーパンの内側に紛れ込んでしまったのだった。
ない事に気がついた由衣が、慌ててカゴの中を漁ったため、さらに紛れて中に入ってしまい、結局そのまま洗濯された。しかし、運よく干されている間も落ちる事なくジーパンの中に引っかかっていたため、ここでようやく発見される事になった。
「真相がわかってしまえば、本当にくだらない事だったなあ……」
由衣は、浮き輪に乗っかって浮かんだまま、つぶやいた。
「そうね、先生はあんなに騒いでいたけど……でも無事解決してよかったわ」
早紀は由衣のそばで、同じ様に浮き輪に乗って浮かんでいた。
「由衣ぃ! 早紀ぃ! ちょっと、こっちきなさいよ。ボールで遊ばない?」
滝澤が由衣達に向かって叫んだ。
「――うん、行くよ。ちょっと待ってて」
「夏の海」はこれで終わりです。次章の投稿は未定です。