四
マンションを出て、すぐに大通り――岡山西バイパスに出ると、北上して国道180号線に出る。今度は、そこから西に向かって走るルートだ。
真夏の日差しが照りつけて、三人の体力を奪う。額に汗を滲ませて由衣はつぶやく。
「やっぱり暑いなあ」
「由衣、無理はしないでね。辛かったら休みましょう」
「うん、でもまだまだ大丈夫だよ」
三人は北上して間もなく山陽本線に到達、左折して笹ヶ瀬川沿いを北上するルートを進んだ。山陽新幹線の下を通って、ひたすら進んで行く。
「田舎ねえ。田んぼだらけだわ」
滝澤が周囲を眺めて言った。由衣がそれに答えた。
「180号線までは、ずっとこんな感じだと思う」
市街地から少し外れただけで、田舎の景色が広がる。ただ、バイパスのゴツい高架道路が常に視界の片隅に見えるのが、少し異様ではある。
「——あの向こうで合流するわ。左折して西に向かうのよ」
一宮で180号線に合流すると、今度は西に向かって走る。ちなみに、国道180号線と岡山西バイパスを分けているが、実は岡山西バイパスも180号線である。
180号線を走り始めて間もなく、滝澤が「ちょっと休憩しよう」と言った。
「え、もう?」
由衣は、ずいぶん早いなと思った。
「ゆっくり行けばいいじゃない。あそこに自販機があるわよ」
滝澤は、早々に店舗の片隅にある自動販売機のところに寄って行き、目の前で止まった。そして、早速ジュースを買っている。そういえば練習したのか、ビンディングベダルから外すのにはそれほど苦労しなくなった様だ、。由衣と早紀も同じく、それぞれ飲み物を買った。
「ふう、やっぱ暑いわねえ」
滝澤がヘルメットを脱いで、ペットボトルのスポーツドリンクを飲んだ。
「走ってる時はいいけど、止まると汗が吹き出るなあ」
由衣は手で顔をあおいでいる。もちろん大して風はこない。由衣は建物の影に入った。
「早紀、先生。こっちはそんなに暑くないよ」
「あら、本当ね。ちょっと休憩よ」
滝澤も由衣のそばにやってきて、ウェアの腰のところにあるポケットからスマートフォンを取り出すと、地図を表示させた。
「もう少し行くと吉備津彦神社の近くね。結構楽勝じゃない?」
滝澤はやたらと自信がある様だ。
「でもまだ半分も来ていないわ」
早紀が言った。
「ええ、そうなの? ……って、まあ稲荷へ入る辺りまで行かなきゃ、半分とは言わないかしらねえ」
滝澤は意外そうな顔をしている。由衣は、いやまだ五キロも走ってないだろう、と思った。
「そろそろ、行こうよ。飲み終えたし」
由衣は空になったペットボトルをゴミ箱に放り込んだ。
「そうね。行きましょう」
しばらく走ったところで、山の方に建物が見える。
「あれ、吉備津神社だね」
由衣は神社の方を指差して言った。前を行く滝澤が振り向いて言う。
「ちょっと寄ってく?」
「さっき休んだばっかりじゃないかなあ」
「もう少し進んでからの方がいいわ」
「ええぇ、いいじゃない。ちょっとくらい」
滝澤は不満そうである。
「さあ、がんばって走りましょ」
早紀は滝澤に微笑みかけた。
最上稲荷の大きな鳥居が見えたところで、道路の先にコンビニが見える。滝澤が振り返って言い放つ。
「あのコンビニで休憩よ!」
「了解!」
由衣と早紀は返事した。
「ふぅ……」
滝澤は気取った手つきでヘルメットを脱いだ。そして周囲をチラチラと見ている。何を見ているのかと思えば、店先に派手なロードバイクが数台停めてあるのに気がついた。どうもロードバイクでサイクリングをしている人が、このコンビニいる様だ。
そう思っていると、そのコンビニから出てきた。派手なフル装備の自転車乗り達が。
「どうもこんにちは!」
由衣達を見かけた、ロードバイクの中年男性グループが声をかけてきた。四人チームで、ヘルメットとサングラスをとると、五十代くらいの男性だ。皆、人が良さそうである。
「あら、こんにちは。いいバイクねえ」
滝澤はフレンドリーに答えた。それにリーダーっぽい大柄な男が答えた。
「あなたがたも、いいの乗ってるじゃないですか。お、デローザ? お姉さん、かっこいいなあ」
「それほどでもないわよ。あ、そのパーツ。いいやつ使ってるじゃないの」
おじさんレーサー達と、自転車談義に花を咲かせている。もっともらしい事を言っているが、本当にわかっているんだろうか……と由衣は思った。
「――コルナゴじゃないですか、いいですね。今日はいないけど、仲間に乗ってるやつがいるんですよ」
早紀にも別の男が声をかける。針金の様に細い男だ。
「いいですよねえ、僕はリドレーですけど、バイクはやっぱりヨーロッパですよ」
「バイクはヨーロッパだけじゃないぞ、ほら、この子は俺と同じトレックだ」
唐突に自分が話に出てきたので、少々狼狽したが、愛想笑いしてごまかした。
それからしばらく、あれこれ雑談が続いた。盛り上がっているのは、おっさん達と滝澤だけだ。早紀は話しの内容がよくわからず、困惑している。それに早紀は、この中年レーサー達に大人気で、終始話しかけられていた。
結局、少しの休憩のはずが、一時間くらいになってしまった。
「いやあ、ゴメンね。やっぱサイクリスト同士だと話が弾んじゃってさ」
滝澤は笑っているが、由衣からしたら迷惑な話だ、と密かに憤慨していた。このまま付いてこられたら、どうしようかと考えたが、彼らは倉敷から来たらしく、由衣達とは方向が逆だった。
おっさん達に別れを告げて、再び走り出す。
「ふふん、やっぱ最高ね! デローザの走りを見よ!」
滝澤は調子にのって加速する。おっさん達と楽しい自転車談議をしていたせいか、やたらとテンションが高い。
「あ、ちょっと待ってください、先生!」
由衣は慌てて加速する。しかし、由衣の脚力など大した事はなく、次第に距離が離れていく。
「由衣、大丈夫?」
早紀が、そばにやってきた。
「早紀。先生行っちゃったけど……大丈夫かな?」
「たぶん、どこかで待っててくれると思うけど」
いろいろと困った人だな、と思いつつ、ふたりは先を急いだ。
高松最上稲荷や、秀吉の水攻めで有名な高松城跡の付近を通り過ぎて、岡山自動車道の下を潜り抜けると、早紀が言った。
「もう少し進むと、総社市の市街地だわ」
「手前で左折だね」
「ええ」
このまま国道180号線を進むと、総社市の市街地に入っていくが、手前の県道429号線を南下すると、間もなく備中国分寺の近くまでやってくる。
ちなみに429号線を南に走って右に見えるのが備中国分寺である。近づくと五重塔が見える。反対に、左に見える小さな山――というか丘というかが、作山古墳である。国内第十位の大型古墳だ。
由衣と早紀は429号線に近づいてきたが、滝澤の姿が見えない。途中、サイクリングのホビーレーサーと何人がすれ違う。
「どこまで行ったのかしら」
早紀が少し不安そうに周辺を見渡した際、電話がかかってきた。
「あら、先生からだわ」
「先生から?」
早紀は電話に出た。
『さぁきぃ……どこぉ……』
滝澤は泣きそうな声で喋る。
「せ、先生? 今どこですか?」
『ええと……どこだったかしら、街中に入って――ちょっとわからないわ』
「わからないって……地図を見て現在地を確認できますか? 私と由衣は、国分寺の近くまで来ています」
『ああ、そうだわ。地図ね。ええと、カルピスの工場の近くだわ』
「カルピス……ああ、大分通りすぎているわ」
早紀も地図を確認して、大体の位置を見当つけた。
「そこは工場のどの辺ですか?」
『うぅん……あら、あそこに門があるわね。たぶん工場の北側と思う』
「じゃあ、421号線ですね。とにかく東に向かってください。私達ももう少しそちらに近づいていきますので」
『ええ、早紀――迎えに来てぇ。私、総社は詳しくないし。もう疲れた……』
「先生、そんな事を言っていたら、自転車が泣きますよ。がんばって走ってください」
由衣は、そばで滝澤と電話している早紀を見て、また先生が困った事を言ってるんだなと予想した。早紀は電話が終わると、「由衣、少し西へ向かいましょう。先生は大分、通りすぎたみたいだわ」と言った。由衣は「やっぱりか……」と頭を抱えた。