二
由衣は時折、滝澤の診療所に足を運んでいる。無論、遊びに行っているわけではなく、診てもらいに行っている。滅多に体調不良などないが、時々調子が悪いがどうかに関わらず、診てもらうようにしていた。
ひと通り由衣を診ていた滝澤は、ふと思いついた様に言った。
「由衣、あなた運動してる?」
「え? いやあ、まあ……」
由衣は基本、運動していない。身体能力が著しく低いため、満足に運動できないのだ。だから次第に億劫になっていき、さっぱりだった。
「してないのね。ダメよ、ある程度は身体を動かさないと、体が弱るわよ」
「やっぱりそうなんですかねえ」
「当然でしょ……いくらなんでも、何もしないと弱っていくわよ」
<発症者>は、身体の変化がほとんどない。しかし、まったく変化がないかと思えば、そういうわけではなく、例えば長期にわたって寝たきりだと、歩くこともままならなくなったりする。実際に由衣はそうだった。
「……まあ、でも運動といえば、わたし、最近クロスバイク買ったんですよ」
「あら、なに? サイクリングしてるの?」
滝澤は意外そうな顔をした。
「まあ――まだ買ったばかりなんですが。早紀と一緒に買って……」
「ふぅん、いいじゃない。自転車は体への負担が小さいからおすすめよ」
「もっと意識して乗る様にした方がいいですね」
「そうね。私としては、特におすすめだわ」
滝澤はニヤリとした。ふと気になって、由衣は訊いてみた。
「先生、何かあるんですか?」
「ふふふ、よく聞いてくれたわね」
滝澤はニヤニヤしている。次のセリフを喋りたくてしょうがない様子だ。
「――実は、私もサイクリストなのよ!」
高らかと右手を振り上げ、悦に浸っている。由衣は、何で手を振り上げたんだろう? と思った。
「え? 先生も自転車乗ってるんですか?」
「もちろん! やっぱり風をきって走るのは爽快なわけよ」
「もう長いんですか?」
「いや、まあそこそこかしら。でもそんなのいいじゃないの」
滝澤は突然、由衣の両肩を持った。そのまま、ぐいっと顔を近づけた。
「今度、一緒に走らない? 早紀も一緒に」
自宅に戻って、夕食の際に早紀に滝澤の件を話した。
「滝澤先生が? ——先生はいろんな趣味を持っているのね」
「いやはや、本当にそうだよね」
滝澤は非常に多趣味な人物だ。銃が好きだというのもあったが、それだけじゃない。今回の自転車もそうだが、読書などもよくする。小説だけでなく、漫画もよく読む。漫画だけでなく、映画、アニメも大好きな様だ。他にも、カメラだの、オーディオだの、由衣は家に招かれては、趣味の話を一方的に話ては止まない。
「節操ないというか……好きだね」
「そういえば、自宅の方には自転車はなかったわ」
「うん、どうも診療所の方に置いているらしいよ。家がマンションだし。それで、奥の部屋を見せられてびっくりだった。そして話し始めると長い……」
滝澤は、診療所の奥の、倉庫の様な小さな部屋を使って、そこに自転車と関連のものを置いていた。ちなみに自転車は三台あって、ロードバイク二台とマウンテンバイク一台があった。ヘルメットやウェア、道具類など複数あって、なかなかにハマっている風だった。
「みんなでサイクリングするのも、楽しいと思うわ。私は賛成よ」
「じゃあ、決まりだね」
翌日、とりあえず三人で集まった。集合場所は由衣のマンションである。ここは割合敷地も広いので、ちょうど良いのだ。
今日はそれぞれの自転車をお披露目するのと、コースや日時をどうするかを話し合うつもりだ。
午後二時に滝澤がやってくる。由衣は時計を見た。五分前だ。
「来たわ」
「結構ちょうどの時間に来るね」
由衣が道路の方を見ると、まさにそれはやってきた。
ヘルメットにサングラスのため、滝澤かどうかはすぐに確認できなかったが、全身のフル装備っぷりと雰囲気から察するに、滝澤だろうと想像できた。しかし派手なウェアだ。
「ハァイ! 由衣、早紀!」
やはり滝澤だった。
滝澤はマンションの敷地に入ってくると、由衣達の前まで徐行し、足をゴソゴソと降っている。そのうちスピードを失って、バランスを崩して倒れそうになる。
「きゃああ!」
「ああ、ちょっと!」
由衣と早紀が慌てて支えに入った。寸前のところで間にあった。
「ああ、もう! なんなのよ!」
ブツブツ文句を言いいつつ、ようやく片足をペダルから外して地面を踏むと、こちらを見てサングラスを外した。
「ごきげんよう! 由衣、早紀、さっきはありがと」
「……先生、すごい気合い入っていますね」
滝澤の格好はすごかった。ヘルメットは当然として、レーサージャージ及びレーサーパンツと呼ばれる自転車競技用のウェアにビンディングシューズと呼ばれる、ベダルと足を固定できる靴まで履いている。手には、指切りグローブという、やはり自転車用のものだ。
着ているレーサージャージは、赤白青の入り乱れた派手なグラフィックがプリントされており、同じデザインから察するにレーサーパンツもセットなのだろう。ヘルメットは全面が黄色の、やはり派手なものだ。
「由衣はクロスなのよねえ……」
滝澤は由衣の自転車を見てニヤニヤしている。
「……なにか、文句でも?」
「そういうわけじゃないけどね。やっぱ、走るならロードが最高じゃない? ロードは走るためのマシーンなのよ!」
滝澤は誇らしげに語る。初心者がいかにも言いそうな事だった。
「そもそも、あなた達ってヘルメットは? ジャージもレーパンもあるの? ペダルはビンディングじゃないし」
「ヘルメットは一応買うつもりだけど……他は別に動きやすい格好でもいいんじゃ……」
「ダメよ! ロードはストイックなのよ! 走るために最適化されたマシーンなのよ!」
滝澤は力説する。由衣は、――面倒くさい人だな……そもそもわたしは、ロードじゃないし。と、少しうんざりした。
「由衣、後で買いに行きましょう。とりあえずヘルメットは用意した方がいいわ」
「まあ、そうだね」
そのあと、三人でサイクルベースSOMAに行ったが、滝澤がニワカ知識で店員を困らせて少し恥ずかしかった。