一
日本には四月の末くらいから五月の上旬くらいの一週間ほどの大型連休がある。いわゆるゴールデンウィークというやつである。だいたいどの職場でも三日から五日以上の連休となる場合が多く、この時期は地元への帰省、観光地への行楽等でどこも賑わう。
由衣の様な、連休云々が関係ない人にとっては、あちこちで道路が混み合って、迷惑な期間でもある。
由衣は、去年までは仕事でゴールデンウィークはほとんど潰れていたため、あまり連休を意識することはなかったが、今は無職であり、街にあふれる車で連休を意識せざるをえない。よくもまあこれだけ出てくるものだ、と不思議に思う。というより、渋滞を解消する画期的なシステムとかないのだろうか。由衣は、早紀の運転する車の助手席で、一向に進まない車の行列にうんざりしていた。
「多いわねえ」
早紀は、苦笑いして由衣を横目で見た。
「この時期はいつもこうなんだよね。みんな、何のための休日なのやら」
連休中の五月一日に、懐かしい人と会う事になった。由衣の従姉妹である高村景子が、岡山に帰省するのに合わせて、由衣と早紀に会いたいという事で、景子の実家である角川家へ向かっているのだった。
「いやあ、本当に久しぶりねえ!」
景子は由衣の肩を勢いよく叩くと、豪快に笑った。由衣は叩かれた拍子に転げそうになった。よろけながら口を開く。
「……ひ、久しぶりだね、景ちゃん」
「元気してた? ホントに変わってないわねえ」
「ま、まあ。<発症者>って変わらないから……」
「らしいわね。いいじゃない。羨ましいものだわ。なんで年取っていくのかしらねえ。私も最近シワが……」
景子は頰に手を当てて、困った顔をしている。しかし、すぐに由衣の方を見た――いや、由衣のその後ろに視線を合わせていた。そこには早紀がいる。
「――さっちゃん、よね?」
景子は早紀の顔を見て言った。
「う、うん。あの……」
早紀が口を開いたのをきっかけに、景子が早紀に抱きついた。強く抱きしめ、さっきまでの明るい表情は一変、真剣な顔をしていた。
「……また会えると思ってなかったわ。もう会えないと諦めてた。この間、聞いたときには――夢かと思ったのよ。夢かと……」
景子の目尻に光るのもが溢れた。
「よかった。本当によかった……元気でいてくれて」
「お姉ちゃん……」
早紀は、自分より背の低い景子の背中に腕を回して、優しく抱きしめた。
「やあ、君達が景子の幼馴染だね――初めまして。景子の夫である高村です。よろしく」
温厚そうで、恰幅の良い体格の高村は、ゆっくりと由衣の前に手を出した。
「初めまして。早川です」
由衣も多少ぎごちなく手を出して握手した。続いて早紀も握手する。
「いやあ、それにしても不思議なものだね。僕もね、<発症者>の人達はたくさん見てきたし、知人にもいるのだけど……君達が僕とそう年齢が離れていないっていうのは」
「はは、わたしもそう思います。見た目と歳が合わないのは、違和感ありますよね」
「でもいいわよねえ。私なんて鏡見るのが怖いくらいよ」
景子がため息をつくと、早紀は、「お姉ちゃんは、今でもとても綺麗だわ」と言った。
「やっぱり持つべきものは、さっちゃんねえ! お世辞でも嬉しいわ」
景子は早紀に抱きついた。早紀も嬉しそうだ。
そうこうしていると、奥から由衣の叔父である、慎介がやってきた。
「君ら、こんなところで懐かしがってるんじゃなくて、リビングに上がってもらったらどうなんだい」
「おっと、そうね。由衣ちゃん、さっちゃん。さあさあ、上がって」
「――紹介するわ。ってもう挨拶しちゃってるけど……彼が私の夫、克広さん。それからこっちが長男の航太、それから長女の留美」
景子は順番に家族を紹介した。
「……あ、あの。初めまして」
長男の航太は少し照れくさそうに口を開いた。若い頃は美人だったという母親に似ていて綺麗な顔立ちの少年だ。また温厚な父親の印象を受け継いでいるのか、優しそうな印象である。
「航太はちょっと、大人しいのよねえ」
景子は息子の頭を優しく撫でて、つぶやいた。航太は中学一年生である。背丈はもう母親と変わらないくらいだ。
「わぁ、お姉ちゃん達キレイ! お姉ちゃんってABC?」
留美は由衣と早紀の顔を見るなり、目を輝かせている。ABCというのは、現在非常に人気の高い女性アイドルグループである。
「あ、いや……ABCじゃあないよ」
「留美ちゃん、こんにちは」
早紀はしゃがみ込んで、小学二年生の留美に目線を合わせた。
「お姉ちゃんステキ!」
留美はそう言って、早紀に飛びついた。早紀はいとも簡単にそれを受け止め、留美の頭を撫でてやった。
「コラ、留美。危ない事しないの」
そうは言うものの、景子は早紀に懐く娘の姿を暖かく見守っていた。
「——へえ、じゃふたりで暮らしてるんだ」
景子はテーブルの上の菓子を口に放り込むと、由衣と早紀をそれぞれ見た。
「うん。ちょっと大きすぎるマンション買っちゃったからね。ちょうどよかったんだ」
由衣は早紀と顔を見合わせて笑った。
「いいじゃない。ルームシェアってやつよね。ふたりで手分けして掃除して洗濯して……楽しそうよねえ」
実際にはルームシェアとは違うが、由衣は、特に否定はしなかった。
「はは、まあね……」
「どんな感じでやってるの? 料理とかふたりで相談しながら作ったりしてるわけ? 早紀がキャベツを刻んで、じゃあ由衣はこれを煮て……とかって」
景子は楽しそうに話している。ふたりが仲よさそうなのが嬉しい様だ。
それに答えるように、早紀はニコニコしながら答えた。
「ご飯は私が作っているわ」
「そうなの?」
「うん。由衣においしいって言ってもらえるから、とっても嬉しいのよ。作り甲斐があるの」
「へえ、いいじゃない。さっちゃん、料理得意なわけ?」
景子は由衣を見た。由衣はそれに気がつくと、由衣も景子の方を見て答えた。
「まあね、すごく美味しいよ」
「ふぅん、私も今度お盆に帰ってきた時には、由衣の家にお邪魔しに行こうかしらねえ」
「ぜひ来てね。腕によりをかけてご馳走するわ」
早紀は笑顔で答えた。
「——マンション大きすぎるとか言ってたけど、掃除大変じゃない? うちも家建ててから、部屋も増えるし庭もあるしで、掃除が大変なのよねえ」
「まあね。部屋の数も多いから……ちょっと失敗したなって思ってる」
由衣は苦笑いした。実際、由衣は買ってから全く使っていない部屋もある。
「なんでそんな大きなマンション買ったわけ?」
「やっぱりね、お金があったから……ちょっと、いいのを買おうかなって」
「なに? 由衣は結構、調子に乗りやすいわね。ダメよ、いい歳してそんな買い物してちゃ」
「はは……まあ」
「そんな後先考えない事やってるから、後で苦労するんじゃないの」
景子も年相応である。どうも言葉の節々に小言が混じる。しかし、早紀がそれをフォローするべく答えた。
「大丈夫よ、掃除は私が毎日やっているから、何も問題ないわ」
「え? さっちゃんがやってるの? 由衣はなにしてるのよ」
景子は由衣を見た。
「……まあ、手伝って……る、のかな?」
「なんで最後が疑問符になるのよ。あんた、まさかさっちゃんに全部やらせてるんじゃないわよね?」
「い、いや……まあ……」
由衣は横目で早紀を見て、話を合わせてくれ、と目配せした。
「ええ、全部私がやっているわ」
早紀は自信を持って答えた。由衣の思惑はまったくわかっていない様だ。
「……由衣」
景子は由衣を睨んだ。
「えっと……あの……」
「さっちゃんに掃除やらせて、あんたはのんびり寝転がって、くつろいでるんじゃないでしょうね?」
景子は鋭かった。まさにその通りの事をやっている。基本的に早紀が来て以降、掃除をした事がないと言っていい。
「お、お姉ちゃん……あの、由衣は悪くないわ」
早紀は、なにか不味い事を言ってしまったと感じ、弁解をしようとした。
「さっちゃんは、もうちょっとこのグウダラを使わなきゃだめよ。ふたりで仲良くやった方が楽しいでしょ」
「そ、そうだね。早紀、そうしよう。うん、それがいい」
由衣は頭を掻きながら、慌てて同意した。
「……洗濯は?」
景子は由衣に不信の目を向けていた。
「私よ。由衣は綺麗好きなのよ。それに、由衣は服をしまう場所は決まっているから、ちゃんと間違えない様にしまっているわ」
早紀は再び、嬉しそうに答えた。
――あわわ、早紀、また余計な事を。
次第に景子の顔が険しくなっていくのを見た由衣は、これはヤバイと思った。冷や汗が垂れるのを感じながら、由衣は言い訳を探している。
「あ、いや……ちょっと……」
「ふぅん、で――由衣は何をやっているわけ?」
景子は、由衣をチラリと見た。
「……ううむ、えっと……まあ、何やってるんだろうね?」
「由衣はいつもお仕事よ」
早紀は由衣がすごいところをアピールしようと意気込んだ。
「何の仕事よ?」
「投資のお仕事をやっているのよ。由衣はすごいトレーダーだわ。本当よ」
「投資って……あんた別にずっとパソコンの前に張り付いてるわけじゃないでしょうが」
「いや、まあ……その」
「何、さっちゃんを召使いみたいにしてるのよ!」
景子は由衣の頭にゲンコツをおみまいした。
「あいたっ! そ、そういうつもりじゃ……」
「そういうつもりも、どういうつもりも、そのまんまでしょうが!」
今度は由衣の頭を小脇に抱えてグリグリと締め上げた。軽いので別に痛くはないが、中年おばさんの割にアグレッシブな景子だった。妻のハッスルぶりなどお構いない様子で、克広はニコニコしながら見ていた。留美も大喜びである。反対に早紀は、オロオロしながら不安そうな顔をしていた。
「お、お姉ちゃん……由衣は何も悪くないわ」
「さっちゃんは黙ってなさい!」
「は、はい……」
結局あの後、景子に叱られてコッテリしぼられた。
「さぁきぃ――まぁだ?」
「はいはい、もうちょっと待って」
早紀はキッチンで夕食を作っている。
「お腹すいたぁ」
昼間、景子に怒られた事など、とうにどこかに飛んでいったらしい。いつものだらけた由衣に戻っていた。そういえば、由衣はこの頃は割と食べられる様になっていた。以前はお腹が全く空かなく、食べるのが少し苦痛だった頃もあった。
「もう少しよ。由衣」
キッチンの方から早紀の声が聞こえたと同時に電話が鳴った。
「誰だろ? あ、景ちゃんか……なんか嫌な予感するなあ」
少し訝しげにしつつも、とりあえず電話に出た。
「もしもし、どうしたの?」
『あ。もしもし、由衣。今何してるの?』
何か余計な詮索を入れてきたか、と思って嘘を言っておく事にした。ソファにゆったりと座り込んで、足を組むと、早速得意げに語り始めた。
「ああ、早紀が作った晩ご飯をテーブルに並べているよ。これはわたしがやっているし。早紀がおいしい料理を作って、わたしが並べる。いい役割分担だと思うね」
『そう? そういえば、あんたがごろ寝してるソファ、座り心地良さそうねえ』
「まあね、結構高かったし。ずっと寝てられる……やばっ」
唐突に何を言い出すのかと思えば……カマをかけられて、見事に引っかかってしまった。
『由衣!』
「あ、いや――その」
もはや返す言葉がなく、言葉を濁す由衣。
『その日のうちに、早速サボってんじゃないわよ! それに、ジュージューいってる音が聞こえてるの、料理の音でしょ。まだできてないのに、どうやって運ぶわけ?』
「う、うう……」
『由衣、あんたって結構バカね。<発症者>って頭いいんじゃないの?』
「……余計なお世話」
『とにかく、さっちゃんを召使いみたいにするのだけはよしなさいよ。それは絶対に許さないわ』
「そんな事するわけないじゃん、早紀だって好きでご飯作ってくれてるし」
『——じゃあね、ふたりで仲良くね。応援してるわ』
そう言って電話がきれた。
「まったく、景ちゃんは……」
由衣がブツブツ言っていると、早紀がやってきた。
「どしたの?」
「ううん、なんでもない。おせっかい焼きのお姉ちゃんに小言言われただけ」
「?」
早紀は不思議そうな顔をしていたが、由衣は東の方を見て少しだけ笑うと、それ以上は特に喋らなかった。