2-2 二〇四五の《吸血鬼》事件
その日は次の日から二日間の休日である、学生にとっては嬉しい金曜日だったので皆どこか嬉しげな表情で授業を聞いていた。
もっとも、そんな学生達がどこか浮かれる休日の事など金曜一時限目の講師、生物学の権威である非常勤講師のチャールズ・ダーウィン教授にとっては関係無くて、いつものように日焼けした小麦色の肌で授業を展開していました。
「ワーハハハ! 生物というものは音楽にまったく関係のないと君達は思っているかもしれないが、音楽と生物には密接な関係があると言う事を説明しておこう!
例えばラテンアメリカの多くの地域で広まっているラテン音楽。これに使われている打楽器のひとつ、キハーダはウマやロバのアゴの骨を乾燥させて作った楽器なのだ! ヤギの爪で作ったラットル(ガラガラ)や、羊をまるごと作ったバグパイプのザンポーニャなどもそ、楽器に詳しい人などは知ってる者も多いだろう。この辺りは期末考査でも出すから要注意してくれたまえ! 有名どころで言えば、やはりバイオリンの弓だな! この学園でもバイオリンをメインに使っている者も多く、バイオリンの弓にはウマの尻尾の毛を使っている事も広く知られている事だろう!」
そう言いながら、物凄い勢いで黒板に文字を書いていくチャールズ・ダーウィン博士。
その言葉にはなんの迷いもなくて、文字も図表に関しても頭の中に最初から絵があるように、黒板にはダーウィン教授の言葉が描かれておりました。
「さて、次に紹介すべき事はリラだ。亀の甲羅や動物の皮革などを使うこの楽器は、世界各国で色々な動物を使って作られているのだが、ここまで話せば興味のない君達も生物の偉大さというものが分かるだろう!
生物の多くはこのようにして楽器と言う形で人に寄り添っているが、同時に自然など環境にも寄りそうのが研究として知られている! まず、この島は火山地域が多く、人間が住むには適さない硫黄などが多く、この辺りに昔から住む生物は進化と言う過程において生き残るために硫黄を身体で分解する機能を持った生物が多く、同じ種類の生物でも氷山などの極寒の地に行くとまたその機能が変わっており! やはり生物は自然と寄り添い、進化していくと言う事がこれから分かるであろう! で、あるからにして――――」
と、いつものように例のごとく。
生物大好きの64歳、チャールズ・ダーウィン教授の講義は、いつものように教授の生物自慢へと変わってしまった。生物の一部が楽器として使われているというのは非常に興味深かったのに、どうしていつも脱線してしまうんだろう……。
さらにダーウィン教授は生物自慢を始めると長い。そりゃあもう長い。
一回最初から最後までメモを取って聞いた事もあるんですが、ノート4ページ分を端から端まで使ってもまだ言っているんだから、途中から諦めました。
「しっかし、いつものように脱線してるね、レンカちゃん! ほら、あそこなんて楽器の調整なんか始めちゃってるのに、先生、注意しないよ! 真ん前なのに!」
「それだけ集中してるんだと思うよ、アニータちゃん」
生物自慢が始まって教授が誰も注意しなくなったのを見計らって、隣の席のアニータちゃんが声をかけてきた。今日もふわふわのカールヘアーがとっても可愛い。
「しかし、いつもこの講義、もっと後にして欲しいなーって思うよ。だって、ここまで気の抜けた、生徒が生き生きと自由な時間を過ごせる講義って、これくらいだもの」
「生き生きし過ぎて楽器の調節始めちゃってる子も居るけどね……。先生の前で」
「まっ、教授によって違いが出るのは楽しいけどね! それよりもレンカちゃんの髪、さらさらで羨ましいな~」
そう言ってアニータちゃんは、私の髪を撫でるようにして触って来る。ちょっとこそばゆい。
「ちょ、ちょっとアニータちゃん!」
「艶も、色も良いし! 教授が言ってた生物の一部を使った楽器ってのも、レンカちゃんの髪だったらまず間違いなくいけるよ! えっと、なんだっけ? "ゴハンサンバイ"?」
「それはなんか違う気もするけどね……。ご飯三杯って、それだけでいっぱい食べられるって意味だから」
私の髪でご飯三杯いけたら、ちょっと怖い。
猟奇的な考えをしていると、アニータちゃんが「ごめん、ごめーん♪」と明るい笑顔で謝って来た。
「ちょっと間違っちゃったね。日本の言葉って難しい!
でもレンカちゃんの髪って本当に綺麗! ねぇ、ちょっと髪弄らせて貰って良い?」
良いよ、って答えるとアニータちゃんは見ているこっちが嬉しくなりそうな笑顔で、こっちを見て鞄から櫛を取り出して髪をとかし始める。
サー、サーっと心地のいい感触と音が聞こえると、そのままクルクルと髪をまとめて――――
「はい、出来た! みてみて~! じゃじゃーん!」
「うわぁ!」
手鏡を出して貰って、私は自分の髪を見て嬉しくなった。私の髪が綺麗な三つ編みになっていたからだ。
「アニータちゃん特製の三つ編みだよ~! 綺麗でしょ~! とは言っても私、これだけしか出来ないんだけどね! そしてさらに――――!」
「……?」
そう言ってアニータちゃんは自分の髪を櫛で器用にとかして、そのまま髪を編んでいく。そして、
「じゃじゃーん! 私も三つ編みにしてみました~!」
と、私とお揃いの、可愛らしい三つ編みを披露してくれるアニータちゃん。アニータちゃんの三つ編みは私の三つ編みとはちょっとだけ違って、髪質の問題なのか少しふんわりとカールしているけれども、それでもとっても可愛らしかった。
「うん! 可愛いよ、アニータちゃん!」
「えへへ~、ありがとうね! レンカちゃんと一緒の髪型! これが日本で言うところの、"シュニマザワレバ、アカクナル"って奴だよね! うんうん!」
相変わらずドヤ顔で、どこか日本語を間違った使い方をしているアニータちゃん。それも微笑ましくて、私も釣られるようにして笑みをこぼす。
「ちょっとあなた! 失礼じゃなくって!」
と、そんな風に笑っていると、教室中に聞こえるくらいの大きな金切声が聞こえてきた。
思わず私の事かと思ったけれども、違っていた。
教室の真ん中、2人の生徒が睨み合っていた。
大きな金切声を発した、金髪ツインテールの釣り目のお嬢様であるショコラ・ゴルラドさんは、着ているドレスを大きく揺らしながら相手に向かって指差していた。
「あなた! そんな気難しそうな顔でこちらを見ないでくださるかしら! このわたくし、ショコラ・ゴルラドの華麗なる美貌を前にして気難しい険しい表情を向けていたら、まるでこのわたくしが汚らわしいとでも言いたげじゃない! 今すぐ、その変な顔を止めて貰えるかしら――――メロディ・シルバニア!」
「しょ、ショコラ様! 落ち着いてくださいませ! ほら、涼しく~、涼しく」
「……アイスもご用意致しております」
ショコラ・ゴルラドに常に付き従う2人の取り巻き――――シビラ・アルティミさんは扇で必死にショコラを仰ぎ、カノン・ガイリウムさんは持っているクーラーボックスの中からアイスを取り出していた。
「シビラさん、カノンさん、おやめなさい! 今、わたくしは冷静に相手に向かって抗議しているのですわ! それともなんですか、このわたくしが間違っているとでも言いたいのかしら?」
「「そ、それは……」」
そう言って口をつむぐシビラさんとカノンさん。そんな中、話題の中心の人物たるメロディ・シルバニアさんはと言うと――――
「…………」
冷ややかな表情でショコラさんを見ていた。
銀色の綺麗な髪と、なにもかも見透かしたような緑色の瞳によって、孤高のクールな女帝とも呼ばれているメロディ・シルバニアさんは、ただただ黙ってショコラさんを見つめていた。
それが当の本人であるショコラさんの勘に触ったようで、さらに顔を真っ赤にして怒り出す。
「ムキー! この私の偉大にして崇高な言葉を無視するだなんて許しませんことよ! ムカつきますわね、本当に! えぇい、シビラさんとカノンさん! 一緒に次の授業の準備を致しますわよ!」
プンプン顔のショコラさんはと言うと、取り巻きのシビラさんとカノンさんの2人と共に次のルイス・キャロル先生のオーケストラ学の講義の準備を始めていました。まぁ、こんなのはダーウィン先生の授業だとなんも珍しくはなくて、一部の生徒は3人と同じように次に出る講義の準備をしているんだけれども。
「いやー、今のは驚いたね。『メダル三大令嬢』の2人が遂に激突かと思っちゃったよ。もっともあの2人はいつ激突しても可笑しくないって言われてるけれどもね!」
アニータちゃんが言うように、ショコラ・ゴルラドとメロディ・シルバニアの2人は学園内ではいつ衝突しても可笑しくないと言われています。
ショコラ・ゴルラドさんの家は確かに『メダル三大令嬢』の中では一番の一大企業ではありますが、それでも歴史としては20数年程度と一番短い成り上がりの家。それゆえか成り上がりと言う印象が強いです。そしてショコラさんはさっきのように些細な事で喧嘩を吹っかけているそうです。
対してメロディ・シルバニアさんの家は200年以上続いているとも言われている金融業の大手であり、歴史ある一族と言えます。そしてシルバニア家の次女のメロディさんは今のように何も喋らず、人を見つめる事が多い人で、良くああやって人に怖がられています。
3人目のフランチェスカ・ブロンズさんは友好的な方なのですが、ショコラさんが喧嘩を吹っかけやすいのと、メロディさんが人に怖がられるので、この2人はいつ戦いになるのかと言われています。
そんな事を考えていると、アニータちゃんにひそひそ声で声をかけられます。
「ねぇ、レンカ? どうもメロディにじーっと睨まれてるわよ?」
「えっ!?」
アニータちゃんに言われて驚く私。だって、メロディさんとはほとんど喋る事もなく、ただ一回横を通り過ぎたくらいであり……ま、まさかそれで怒って!?
「うぅ……」
その授業の間、私はずーっとメロディさんの視線を受け続けていたのですが、今にしては違ったのかもしれません。
――――メロディさんは私ではなく、アニータちゃんを見ていたんじゃないかって。
そう思ったのは次の日の、休日の事であった。