2-1 二〇四五の《吸血鬼》事件
タレイア音楽大学の朝は平日、休日関係なくとにかく早くて、なおかつスピーディーです。何故ならば、朝食の時間が決まってるからです。
昼食や夕食の時間に関しましては結構ルーズな学園なのですが、朝の事に関しましては「良い音楽を作るためには、朝をしっかりと出来ないといけない。全ての始まりはト音記号から始まるのだから」という謎の方針の元、朝はしっかり食べないといけないという方針から、朝食は朝早く起きないといけないという事になっています。
朝食が食べられる時間は「朝6時~8時の間」と言う事になっており、その時間に1分でも、1秒でも遅れた生徒はどんな理由があっても朝食が食べられないと言う、かなり過酷な話です。しかもうちの大学は大学内に飲み物こそあれども、昼まで食べ物を売っている場所はないので朝を逃すと昼まで何も食べられなくなります。
私は日本での生活が長かったので大丈夫なんですけれども、夜遅くまで作詞や作曲をやっている学生も多くて朝が起きられなくて朝食が食べられなくて困ってる方も多くいらっしゃいます。私の同寮のアニータちゃんも、1回だけ朝食が食べられなくて困っていた事もありましたが、見ているこちらが不憫で、哀れに思えるくらいで、勉強に全然身が入らなくて困っておられました。私もそれを見て、絶対朝はしっかり起きて朝食を食べようと決意しました。
そんな彼女、アニータ・ビスマスちゃんとは同室の子であり、日本とイギリスという違いはありますけれども同じ留学生と言う事で私達はすぐに仲良くなった。担当する楽器も私がピアノ、アニータちゃんバイオリンという違いこそありましたが、ピアノとバイオリンはコンテストで一緒になる事が多いのですぐに仲良くなれました。今ではアニータちゃんに私の髪をセットして貰うくらい仲良しです。
アニータちゃんには音楽以外でも色々な事を教えて貰いました。名物教師の講義の上手い出席の仕方とか、それからうちは貴族や大財閥の人も多いので有名な3人、『メダル三大令嬢』の事についてだとか。後、それからうちの大学に伝わる嘘か本当か分からない七不思議のお話とか。
アニータちゃんが居なければ、私は今のように楽しく学校生活を送れなかったんじゃないかってくらいの仲です。
アニータちゃんが『メダル三大令嬢』の事を話してくれなかったら、私は大変苦労していたんじゃないかなって思っています。
うちの大学には気安く話しかける事が出来ない3人の女学生――――家がとてつもない金持ちの財閥の3人がいらっしゃいまして、全員名前が金・銀・銅を思わせる3人だからこそ、学生の間では『メダル三大令嬢』と呼ばれているらしいです。
一代という成り上がりながらも、イギリスで流行している蒸気製造品を多く取り扱ったゴルラド家の長女、ショコラ・ゴルラド。ピアニストながら過去の作曲家達の想いよりも自分の想いを強く表現するピアニストにして、通称『金のショコラ』。
実家は九代も続く老舗中の老舗で、アメリカ貴族の懐事情を熟知しきった金融業で有名なシルバニア家の次女、メロディ・シルバニア。心に吹きすさぶようにして響いてくる素晴らしきピアノを弾く孤高のピアニストにして、通称『銀のメロディ』。
実家は三代続く宿泊のホテル業で、一昨年と昨年と2年続けてイギリスの宿泊業の誉れとも言うべきグレート・オブ・ザ・ベストホテルという賞で五つ星を獲得しているホテル界の名門たるブロンズ家の三女、フランチェスカ・ブロンズ。大胆な響きの中にある細やかな気配りが特徴のティンパニ奏者にして、通称『銅のフランチェスカ』。
3人合わせて『メダル三大令嬢』にはそれぞれ独自の派閥のような物が存在しており、絶対にどれかの派閥に所属したりしなければならないとか、別の派閥の人と仲良くしたらいけないという事もないんですが、一個だけ注意点として"彼女達を怒らせてはいけない"という禁断の行為が存在しているみたいです。
一回、『銀のメロディ』ことメロディ・シルバニアさんの機嫌をなんらかの形で損ねてしまった女子生徒が2か月も経たないうちに学校を自主退学、さらに長年続いていた家業の実家もワシントンを離れてしまったという逸話まで存在しているらしくて、もしこの事を知らなかったら私も同じようにこの大学を自主退学しなければならない状況に追い詰められて、さらに日本の実家にまで多大なる迷惑をかけなければいけなかったと思うと、アニータちゃんには頭が上がらない。
そうやって私が言うと、いつもアニータちゃんは自慢のふわふわのカールヘアーを弾ませながらニコヤカな笑顔で
「ノープログレムだよ、レンカちゃん! 私達はお互い、それぞれの国の意思を持ってこの大学に来ているんだもの! 自分達に出来る事は国のため、そして自分自身の成長のために日々努力する事だけ。そして同じように困っている人がいれば自分達で助け合わなきゃ! それが日本でいう"ギリトニンジョウ"って奴なんじゃないの?」
って、軽やかな口調で言ってくれる。
その言葉に私はとーっても嬉しくなって、絶対アニータちゃんとはいつまでも、それぞれの国に帰ったとしても、お互いに親友と呼ぶべき間柄で居ようと約束していた。
それくらい私にとってアニータちゃんという存在はまだ一か月にも経たない間柄ではあるけれども、何十年と続けてきた親友とも呼ぶべき間柄になっていました。
だからこそ、信じられなかった。
そんなアニータちゃんが。
いつも可愛く笑顔で、音楽に熱を入れすぎてしまって暴走してしまう事もあるけれども、すごく元気で。
明るく、私の相談に親身になって答えてくれる、この国で出来た親友という間柄の彼女が。
まさかあの事件で――――私がタレイア音楽大学の授業に慣れ始めた頃に学校で発生した二〇四五の《吸血鬼》という事件で。
"被害者"と言う形で関わるだなんてその時は思いもしませんでした。
「……どうして、どうしてアニータちゃんが!」
私はいまでも時折夢に見る。
アニータちゃんが巻き込まれるあの事件の、始まる前日の出来事を。
そう、あれはあの日の、チャールズ・ダーウィン先生の講義から始まったのです。