☆/素直になれない暴君姉撃退法
〈 ☆ 〉
俺は陸上部の練習を終えて帰宅した。
陸上は使野真桜先輩がいることもあり、ゆるい部活なのだけれど、とはいえ今は夏だ。練習は厳しくなくても、屋外での持久走は暑くて疲れる。
すぐに大浴場(男湯)へ行き、汗を流すと、同じくシャワーを浴びたばかりの響が女湯から出てきた。癖のあった赤髪は、くたりと萎れている。毛先には雫が光り、上気した頬とも相まってセクシーと言えなくもない。
ちらと目を合わせただけで、特に会話もなく二人でリビングに戻る。ニゴ姉が料理をしていて、焼き肉系の香りが漂ってきていた。
「なあ」
姉貴が話しかけてきたのは、俺がアイスの一口目をかじった時だ。同じくガリガリくんをガリガリやりながらソファに座っている姉貴に、「なに」と返す。
「なんか気づかねえか?」
「なんかって?」
「おれを見てて、こう、さ」
「耳のピアスが変わった?」
姉貴は「へっ?」と驚いたような顔をして、その後、にやりと笑う。嗜虐的とかじゃなく、単純に嬉しそうな笑みだ。
「おまえ……なかなか目ざといな。りっちゃんは気づかなかったぜ」
「あの人は姉貴がワイルドならそれだけでいいって感じだし」
「前まで使ってたちっちゃい銀色の十字架ピアスを、金色のやつに変えたんだ。かっけえだろ?」
「いくらしたの?」
「五千円」
「バカかよ」
食べかけのアイスを奪われた。俺は姉貴が食べ過ぎで腹を壊すことを祈り始める。
「ピアスに気づいたのはおまえが初めてだぜ。よく見てくれてるんだな。誰も気づいてくれなかったらどうしようかと思ってたけど、ま、宗一がおれのことを大好きで助かった」
「大好きじゃねえよ」
「照れんな照れんな。ところでおまえもそろそろ身だしなみに気ィ使ったほうがいいんじゃねえか? せめて千円カットはやめとけ」
「俺男だし美容院はなあ。ていうか姉貴がおしゃれすぎるんだよ」
「とか言いつつおまえ、最近トリートメント使い始めただろ」
俺は「そんなことないけど」と言いながらそんなことある顔をした。姉貴はくくっと笑う。こいつの前では隠し事はできない。
「普通のトリートメントは男には合わないらしいぞ? 今度おれがアドバイスしてやる。メンズのことには詳しくねーから、今度美容室行ったとき、美容師のお姉さんに聞いてきてやるよ」
「いや……別に……いいから……」
「恥ずかしがることねーって。たぶん実は周りの友達もさりげなくおしゃれしてるからさ。お姉様がおまえを雰囲気だけでもイケメンにしてやろう」
なんだか楽しそうな姉貴。自分の趣味の領域に弟が踏み込んできたのが嬉しいのかもしれない。
そうこうしているうちにアイスは二本ともなくなっていた。姉貴は全く腹を冷やした様子がないので、どうしようかと考え、俺はある反撃方法を思いつく。
たぶん今、俺は姉貴譲りの凶悪な笑みを浮かべている。
「姉貴」
「ん?」
「俺がトリートメント使い始めたのに気づいたのは姉貴が初めてだよ。よく見てくれてるんだな」
「そうか。……ん、あっ、ちょっと待て」
「誰にも気づいてもらえなかったらどうしようかと思ってたけど、」
「だから待てって」
「ま、姉貴が俺のことを大好きで助かった」
姉貴はソファから勢い良く立ち上がった。
なぜか顔を赤くして不機嫌そうな顔をし、「てっ……てめぇ……」とドスを利かせる。
「じょ、冗談だよ姉貴」
「……ちがうからな。おれは別におまえのことなんか大好きじゃねえからな! おまえの変化に気づいたのはたまたまだ! えっと、……そういや今日の晩飯は何だっけな? ニゴ、今日は……って、何で笑ってんだおまえ……。え、シャロ、まゆらも、いつからそこに!? 秘代も……、だから笑ってんじゃねーっつってんだろ! くそっ! 今日はもう寝る!」
〈 ☆ 〉
その後、俺の髪は姉貴にいろいろしてもらったおかげでつやつやになった。そしてサロン代として三千円を巻き上げられた。三枚の野口を手にして「今度はもっと変化がわかりにくいピアスを買ってやる」と息巻く姉貴は、何かを期待するような目をしていて、俺はほんの少しだけ微笑ましいような気持ちになる。ほんの少しだけ。




