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○♡/ポエマー宗一の苦悩

〈 ○♡ 〉



 愛姉が自宅へ帰った後。


 自室で今日の授業の復習を終え、伸びをする。すっかり暗くなった窓の外を見ると、隣の家の窓から光が漏れていた。屋根を伝えばその窓に入れるくらいに近い。

 空き家だったそこも、今日から縛阿木しばらき家の住み処だ。


 と、ちょうど愛姉が窓のところへやってきた。手を振ってくるので、俺は自室の窓を開け、初夏の風を部屋に入れる。愛姉も窓を開けた。


「わー、久しぶりだね、こんな感じで向き合うの」

「うん」

「えへへ……なんだかくすぐったいなあ。覚えてる? 昔はこうして学校の予定とか確認しあったり、小説を貸しあったりしてたよね」

「マリカー貸したりね」


「もう、それについてはごめんってば」

 愛姉が少ししゅんとする。

「あとで弁償するから。あ、そうだ、お詫びと再会祝いのプレゼント! つまらないものですが」


 愛姉が物を掴めるおもちゃのバネを伸ばして紙袋を渡してくる。昔は幾度となくそのおもちゃで物の交換をしていた。なつかしい。


 ちょうどそのとき、外からも「つまらないものですがー」という声が聞こえてきた。窓から身を乗り出して、玄関前を覗く。

 仕事が終わって帰ってきたシャロ姉が香恵さんにお土産らしき箱を渡されていた。


「あら、紅芋タルト? ありがとうございます、子供たちも喜ぶわ」

「あははー、まるでお母さんみたいだねえシャキロイアちゃん」


 仕事用のスーツに身を包んだシャロ姉は、服装だけは仕事人という感じだが雰囲気はまさにお母さんだ。

 だが、香恵さんのほうが主婦という感じはする。外に出ているというのにエプロン姿の香恵さんは、なぜかおたまも持っていた。


「おーい、お母さーん」 「シャロ姉ー」

「おっ、愛香ー。と宗一くんも」 「あらあら宗ちゃん、そんなところでお話?」


「綺麗な金髪! もしかしてシャロさんですか?」

「愛香ちゃん……でいいのかしら? 初めまして、シャキロイアです。碑戸々木家の新しい長女。宗ちゃんや妹たちと仲良くしてね」

「はい! 縛阿木愛香です! こちらこそよろしくお願いします!」

「なんでシャロ姉はそんなところで話してるのさ」


 香恵さんが相変わらずの眠たげな声で言う。

「やー、偶然わたしがお土産を届けようと外に出たら、ちょうどシャキロイアちゃんが玄関前にいてね」


「お土産、いただきますね。あ、もし機械が壊れたりしたら、わたしのところに持ってきてください。直しちゃいますからっ」

「おー、頼もしいね。じゃあ困ったらそうさせてもらおうかなー」

 二人が挨拶をし合い、それぞれの玄関に消えていった。


 そうだ、シャロ姉は機械にとても強い。そのこととかも愛姉に紹介しよう。そして愛姉も沖縄のお土産話をしてくれたら嬉しい。


 愛姉と再び向き合う。

「シャキロイアお姉さん、すごく大人っぽいね」

「うん。葉創母さんよりお母さんって感じがする」

「うちのお母さんと交換しよっか?」

「渡さないよ」

「あははっ。じゃあほら、それ開けてみて」


 渡された紙袋のシールを丁寧に剥がし、中身を見た。

「へー、星の砂のストラップ?」


「一応ちゃんと選んだつもりだけど、どう?」

「なかなかいい」

「ほんと? 他のお土産はお母さんがシャキロイアお姉さんに渡してるはずだから」

「ありがとう。でももう少し欲しいな。思い出的な」


 愛姉は微笑むが、首を横に振る。

「お土産話はまた今度。今日はいろいろ準備をしないといけないから。ちゃんと寝る時間までには終わらせないとね。また明日話そう?」


「多少睡眠時間削ってもいいじゃんか。このしっかり者め」

「えへ、なぜかよく言われる。じゃあおやすみなさい。弟くんもちゃんと早く寝るんだよ?」

「いや、ちょっと一時くらいまで友達と通話しながらゲームを」

「だーめ。まだ弟くんは成長の途中なんだから。そうね、十一時には寝ること!」

「えぇ……」

「あ、だ、ダメ……?」


 愛姉が不安そうにこちらを見つめる。久しぶりに会ったばかりなのに、いきなり距離を詰めすぎたと思ったのかもしれない。

 ずるい、と思った。

 そんな潤んだ目で見つめられたら、いろいろと、キツい。


「……うん。わかった」


「弟くん……! うんっ!」

 愛姉は俺の言葉に、にこっと笑顔になる。

「弟くんは素直ないい子だね! 弟くんのそういうところ、好きだよっ。じゃ、おやすみなさい!」


 お互い、窓を閉める。ほどなくして愛姉の部屋は消灯した。


 俺も寝ようと思い、電気を消してベッドに寝転がる。

 目を開けてじっとしたまま、暗がりで時計の秒針の音を聞く。


 愛姉のことを考えてみる。

 ぷんぷんと可愛く怒る愛姉。

 ぱあっと無邪気に笑う愛姉。


 昔から、愛姉は姉貴に虐げられる俺をかばってくれたり、テストで悪い点数を取った俺を優しく叱ってくれたり――そして理由のない寂しさの発作が起きた夜は、ベッドの上で甘えさせてくれた。

 俺はそんな愛姉の愛情に応えたかった。小学校中学年くらいの頃までは自分は愛姉と結婚するのだと信じていて、毎日が楽しかった。

 けれど高学年の頃、その瞬間はやってきた。それは愛姉が姉貴と雑談している時だったか、俺に勉強を教えてくれている時だったか、それとも他の何かがあったのか……忘れてしまったけれど、ある瞬間にふと気づいた。


 この幼馴染の姉さんは、俺のことを恋愛としての意味で好きなわけじゃないんだ。


 弟的存在であり誰よりも自分に懐いている碑戸々木宗一のことを、好きだけれど、好きではない。


 俺は幼いなりに小さな失恋というものを経験した。


 そして、

 それからの俺は、

 本当に悔しいことに、


「……愛姉がいてくれるだけで、毎日が最高に楽しかったんだ」


 呟くと、普段独り言をしないから無駄に恥ずかしさを感じる。でもその通りだった。俺は落胆しても愛姉を好きなままでそれが心地よかったし、それに、むしろ安心する面もあった。愛姉は恋愛感情を知らない。それはつまり、姉さんが無垢な心の持ち主である証拠だ。俺はそんな姉さんだから好きになったんだ。そしてなにより――その頃の俺は既に姉さんのことを好きすぎた。


 好きすぎるから、もし俺が姉さんから恋愛感情を抱かれていたとして、愛する姉さんにとっての一番であり続けなければならないプレッシャーに耐えられるか……不安だった。

 姉さんが俺を恋愛の意味で好きでないと知って、安心してしまった自分がいたんだ。


 けれど、それでも。

 小学校高学年の俺は運動ができる男子がモテると聞いて陸上部を始めた。


 だって、情けなさすぎる。


 たかだかプレッシャーを感じるくらいで、好きな人の世界一になる覚悟ができない俺のままじゃ、いつかきっと後悔する。

 そんなふうに思った。

 今も思っている。


「…………」


 息を吐く。

 握っていた星の砂のビンを、カーテン越しの月明かりに透かす。


 久しぶりだった。

 沖縄から帰ってきてくれて、久しぶりに俺のことを、好きと言ってくれた。

 しかし香恵さんによれば、未だに『愛は知ってるけど恋は知らない』らしい。

 洞察力の高い香恵さんでなくとも、しばらく接していれば、裏表のない愛姉のことを誰でもだいたいわかってしまうだろう。思春期なはずなのにハートを誰にも射止められていない、愛姉のことを。

 だからさっきの好きは、ただのlikeだ。

 わかってる。


 俺はエル・オー・ブイ・イーのほうの『好き』だけど。


「…………ぐ」


 ぎゃあああ! うわああなんだ今のポエマーかよ! あああああああ! ああああ……だめだ。眠れない。けど、気分は悪くないかな。やっぱ悪い。吐きそう。俺は人知れず心の中で嘔吐し切なさの絞りかすとなってベッドに横たわる。窓の外にはいつの間にか、朝が来ようとしていた。

ちょっと宗一がおかしくなりましたがこれ以降は割といつもの軽い感じに戻ります。

第二部は恋愛メインにはならない予定です。

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