響=☆/おれっ娘姉貴とかっこつける弟
〈 ☆ 〉
俺は通りを歩いていた。夕方だけれど、空はまだ充分明るい。じきにもっと日が長くなるだろう。
近所のスーパーで食材を買い揃えた帰り道だった。バッグは重いけど、肩に引っ掛けてなんとか持ち運べている。長ネギがバッグに一本の矢のように突き刺さっていた。
向こうに見慣れた人影が立っているのが見えた。制服姿の女子高生。女性にしては長身で、身長一七一センチの俺とそう変わらない。
俺は無言で彼女のところへ近づき、自然な形で二人並んで歩いていく。
「あのさ、宗一」
挨拶もなしに、彼女――姉の響はいつもの男口調で言う。
「おれって、可愛くないのかな?」
宗一であり弟である俺はこの実の姉をちらりと見る。
響は高校からの帰路らしい。部活帰りだ。黒いケースに入れられたエレキギターを背負っている。
染髪にピアスにミニスカートに、校則違反のオンパレード。しかし嫌味はなく、例えばところどころが寝癖のように跳ねている赤く染めた髪には不思議と清潔感があった。
客観的に見れば美少女なのかもしれないが、実弟の立場から言うのなら。
「可愛くないよ。だって姉貴、女子の制服着た男みたいなもんじゃん」
「殺すわよ」
「ひえー」
「宗一は知らねーと思うけど、おれ、猫の可愛い鳴きまね上手いぜ」
「そういう問題じゃない」
「おれが猫耳カチューシャと肉球手袋と尻尾つけたらおまえはどうする?」
「保健所に持っていく」
響――姉貴は乱暴な口調だ。一人称も女性らしくない『おれ』。どう考えても猫のコスプレは似合わない。
同性にモテそうな顔のつくりやスレンダーなスタイル、そして良く通る声。そのスマートな雰囲気は、むしろ男装の麗人みたいな感じだ。
「りっちゃん知ってるだろ? おれの親友」
姉貴が癖のある赤髪をくるくるといじると、彼女に似合う耳のピアスが揺れる。
「あいつがさ、髪をサラサラにしたいなって呟いたおれに対して突然怒り出したんだよ」
「りっちゃんさんはワイルドな人が大好きなんだっけ」
「そうそう。怒り出したっていうか、気持ち悪がったっていうか。ひでえよな、『響がワイルドヘアーなのはこの世の絶対的真理なんだから、サラサラキュートになんかなってしまったら海は怒り大地は割けるよ』だぜ?」
「また大げさな」
歩く姉貴と俺に温かい風が纏わりつき、ひゅるりと去っていく。少し前を歩く姉貴のミニスカートがはためき、細い小麦色の脚の日焼けしていない部分がちらりとのぞくので、それ以上のものが他人に見られていないか弟として心配になる。
けれど俺はどちらかといえば、密かにほっとしていた。姉貴が突然「アタシ キレイ?」みたいなことを言ってきたから俺は今から食べられてしまうのではと思ったけれど、いつもの爽やかな姉貴で安心だ。爽やかといっても姉貴は鬼でヤクザで魔王だから、口裂け女の属性が追加されてもおかしくはない。
「そうだ、シャロとまゆらに相談してみるか」
「ゆら姉なんかに相談したら、いつの間にかコスプレさせられる羽目になるよ」
「だな。けどシャロならまともなことを言いそうだ」
「スタイル抜群のシャロ姉が貧乳女性のコーディネートをできるかわからないけどね、痛いつねるな痛い痛いごめんごめんごめん」
「おまえは女の子のどういう仕草が好きなんだ?」
俺の頬をつねった手を引っ込める姉貴。
「やっぱあれか? アヒル口」
「アヒル口をして媚びてくる女を池に放り込んで、犬かきならぬアヒルかきしているのを眺めながら餌やりしたい」
「じゃあ萌え袖か? 長い袖で手の甲を隠して指だけ出すあれ」
「まあ、あざといけど、あれは可愛いと思う。でも結局は、表面的な可愛さは顔に左右されるよね」
「ブスは何しても無駄ってか? 性格悪いなおまえ。そういうところ、母さんに似てるぜ」
赤髪を揺らして、はははっと笑う。
「じゃあ、おれが萌え袖したらどう思う?」
俺は姉貴を見る。
程よく日焼けした肌に、強気そうなつり目。なにより赤色の癖っ毛が、キュートという概念をこの姉から遠ざけている。
「似合わない」
「やっぱりか。なにが似合う?」
「うーん……眼帯?」
「それりっちゃんにも言われたぞ。りっちゃんの分も合わせて二つ眼帯しないとな」
「意味がわからない」
「ちなみにおまえに似合うのは」
姉貴が肩に提げた鞄を外す。
「このバッグです」
「それくらい自分で持てよ……うわっ、やめろ、なんだこれ重い!」
「ひゅー、かっこいいぞ宗一! その崇高なボランティア精神! さすがおれの奴隷!」
「なに入ってんだよこれ、教科書の山か!? 受験生たる重み!?」
「いや、ギターの教本とスコアと音楽雑誌」
「音大でも行くつもりか!? 就職大丈夫なのか!?」
「おれは普通の大学行くよ。ほら、悪かった、返せ」
「……いや、持ってやるよ」
俺は姉貴の鞄を肩にかけなおす。
「今の俺、かっこいいんだろ」
きょとんとする姉貴。
しまった、これはいつものようにからかわれる。
そう思ったが、姉貴は嬉しそうに頬を綻ばせた。
そしてすぐに悪戯っぽくニヤついて、
「はははっ、かっこいいかっこいい」
幼げな八重歯をのぞかせ、弟である俺の背中をバシバシ叩く。
ギターも持ってくれるよなと言われ、調子に乗るなと返しながら、夕日に向かって歩いていく。我が家は、もうすぐだ。