嘘と真実
ルーターの第1陣の攻撃になんとか耐えたものの、村の被害は大きく、すぐに第2陣の攻撃も始まる。絶体絶命の危機に、ジョンソン隊長は、プランBへの移行を決断。それは、あたしとボットちゃんが戦闘機のグリフォンで空から敵部隊を強襲し、指揮官を倒すという、一発逆転を狙った大きな作戦だった。あたしとボットちゃんはグリフォンに乗り込み、村を飛び立った。
5分ほど飛行しただろうか。グリフォンは、ゆっくりと着陸した。
《イルマ、着きました。降りてください》
よっしゃ! 行くぜ! あたしは勢いよく外に飛び出し、剣を抜いた。
……って、あれ?
辺りを見回す。一面、岩だらけの荒れた斜面が広がっている。人影は無い。敵の部隊を強襲し、指揮官を倒す作戦のはずだ。いきなり敵のど真ん中に飛び込んでいくものと思っていたけど、違うのかな?
ここはどこだろう? 岩だらけの斜面。どうやら、どこかの山の中腹にいるようだ。見上げると、岩の斜面はどこまでも続いていた。かなり高い山のようだ。遠くで、銃声の鳴り響く音が聞こえた。そちらを見る。山の下、遠く離れた平原の真ん中に、ダーリオ・リパブリック村が見えた。昇り始めた太陽の位置から考えて、ここは、村の北にある山のようだ。
――って、村の北? ルーター軍がいる南の丘とは、真反対じゃないか!? 飛行中はずっと頭を下げてたから全然気づかなかった。何でこんな所に!? どういうこと!? ボットちゃんを見る。
バタン。グリフォンの扉が閉まり。
両翼のプロペラが回転し始める。風が吹き荒れる。グリフォンが、ゆっくりと、地面を離れる。
――え? 何? ボットちゃん、何してるの?
あまりにも予想外の展開に、思うように言葉が出てこない。ただ、グリフォンを見上げる。
無線が鳴った。見ると、ボットちゃんだった。ボタンを押す。
《イルマ。これから、本当の指令を出します。よく聞いてください》
本当の指令? じゃあ、さっきのは――2人で敵部隊を強襲し、指揮官を倒すっていうのは、なんだったの?
《この山を越えて、まっすぐ北に進めば、政府軍本部のあるエスメラルダに着きます。イルマ。あなたは本部に戻って、今回の戦闘の状況を、全て、報告してください》
…………。
……何、言ってるの?
あたしは、今からボットちゃんと一緒に、戦うんだよね? 村の人を護るために、ルーターと戦うんだよね? なのに、本部に戻れって、ボットちゃん、何言ってるの?
《イルマ、これは、重要な任務ですよ》ボットちゃんが続ける。《敵の数、装備、戦い方、そういった情報は、次の戦いに、必ず役に立ちますからね。責任を持って、本部に伝えてください》
だから、あんた、何言ってんのよ――。
「何言ってるのよ!!」
ようやく。
あたしは、通信機に向かって叫ぶことができた。
「これからあたしたちは、2人で、ルーターの部隊と戦って、指揮官を倒すんじゃなかったの!? なのに、本部に戻れって、どういうこと!? あんたは、どうするつもりなの!?」
《私はこれから村に戻り、できるだけ多くの敵を倒します。命が続く限り、できる限りの敵を、道連れにしてやりますよ》
「何よそれ! ボットちゃん、あんたまさか、死ぬつもり!?」
《死ぬつもりはありません……と、言いたいところですが、まあ、私の高性能コンピューターによると、生き残れる確率は、どう計算しても、0ですね》
「何言ってんの! そのグリフォンで敵部隊に突撃して、指揮官を倒すんでしょ!? 大丈夫! あたし、やれるよ! その作戦で、必ず勝てる!」
《イルマ、戦況を、冷静に分析してください。そんなことでは、この先、生き残ることはできませんよ?》
「……どういう、こと……?」
《グリフォンなどの戦闘機を飛ばす場合は、事前に制空権を得る必要があります。軍の訓練場で習ったでしょう? こんな武装もしていないグリフォン1機飛ばしたところで、敵が対空ミサイルを撃って来たら、それで終わりです》
「何……言ってるの……だったら、ジョンソン隊長の言った、プランBって何!?」
《ですから、これが、プランBです。あなたは、本部に戻って戦況を報告する。その間、私たちが、村に敵を引き付けておきます》
「そんな! あたしに、逃げろって言うの!?」
《逃げるのではありません。これは、重要な任務です》
「ふざけないで! 戦況の報告なんて、無線ですればいいでしょうが! それにボットちゃん、昨日あたしに言ったよね!? デルタ隊の一番の使命は、村の人を護ること、って。これが村の人の命を護ること? 違うでしょ!!」
《そうですね。確かに昨日は、デルタ隊の使命は村人を護ることだ、と言いました。しかし、ゴメンなさい。アレは、あの時あなたを基地に帰すために言った、ウソです。デルタ隊の一番の使命は、他にあります》
「他にあるって……それは何?」
ボットちゃんは、しばらく沈黙していたけど、やがて、ゆっくりと、しかしはっきりした口調で、言った。
《イルマ、あなたの命を護ることです》
――――。
言葉を失う。意味が分からない。あたしの命を護るのが、デルタ隊の使命? なんで、あたしなんかを……?
ボットちゃんは続ける。《イルマ。あなたは、人類最強の戦士・ホルダーの1人なのです。あなたは人類の最後の希望なのです。あなたの死は、あなた1人の死では済まされない。人類の希望が失われてしまうのです。ジョンソン隊長やハガルさんのような歴戦の兵士が、こんな辺境の村に派遣されているのは、全て、あなたを護るためなのです。あなたを1人前のホルダーに育てる。それまで、あなたを護る。それが、軍からデルタ隊に与えられた使命です》
……何……言ってるの……。
確かにあたしはホルダーだけど、能力は全然役に立たないし、武器もまともに使えないし、特技と言えばノリマキを巻くことと笑顔くらいで、戦闘では何の役にも立てないのに……。
《それでも、ホルダーとして生まれた以上、あなたは、生き残らなければいけない。生きて、人類の希望となり続けなければいけないのです》
そんな……あたしが……人類の希望だなんて……そんなの……大袈裟だ……あたしにそんな大任……ムリだよ……。
《今はまだ理解できないかもしれません。でも、いずれ、イルマにも分かる時が来るでしょう。人類がルーターと戦い続けるには、希望が必要だと》
いや……だ……。
いやだ……よ……。
そんなの……いやだよ。
「お願い……ボットちゃん……」
あたしは。
握りしめた通信機に向かって。
涙を流しながら、言う。
「あたしも……連れて行って。あたし、ボットちゃんと離れたく、ない。ずっと、一緒にいたいよ。だから、あたしも――」
しばらく、通信機が沈黙する。
グリフォンは、その場に留まっている。
「お願い、ボットちゃん! あたしを1人にしないで!」
叫んだ。
自分の、素直な気持ちを。
恋だとか愛だとか、人間だとかクローラーだとか、そんなことは、よく分からない。
ただ、あたしは、ボットちゃんと離れたくない。今は、ただそれだけだ。
《――ありがとう、イルマ。私も、イルマと、同じ気持ちです。あなたとは、離れたくありません。いつまでも、一緒にいたいです》
それは。
とてもロボットとは思えない、優しい声だった。
表面上の言葉だけではない。
心のこもった、感情に溢れた、温かい言葉。
その、言葉を聞いて。
あたしの胸に、ある考えが浮かぶ。
ボットちゃんはクローラー、いわゆるロボットだ。特定の人間と、離れたくないとか、一緒にいたいとか、そういった感情は無いはずだ。
しかし今、ボットちゃんは確かに、あたしと離れたくない、一緒にいたい、と、言ってくれた。
もちろん、そんな感情なんて分からず、ただ単語として言っているだけなのかもしれないけれど。
思えばボットちゃんは、あたしの言動に呆れたり、怒ったり、焦ったり、とても、クローラーと思えないような行動が、これまで何度もあった。感情があるような行動が、何度もあった。あたしはそれを、ただの勘違いだと思っていたけれど。
もしも、それが勘違いなんかではなく、ボットちゃんには、本当に感情があるのだとしたら……?
――ハーフクローラー。
腕や足など、大きなケガで欠損した部位を、クローラー技術で補った人たちのことである。
つまり、クローラーと人間の融合。
クローラーでありながら、人間のように感情を持つことができる存在。
「ボットちゃん……あなた、もしかして、ハーフクローラーなの……?」
恐る恐る、訊いてみる。
通信機からは、何も聞こえてこない。
「クローラーだ、って、ずっと言ってたのは、ウソだったの……?」
ボットちゃんは応えない。応えないけれど、沈黙が、その答えだった。
「じゃあ、今までのは、全部ウソだったの……? 人間の美的感覚は分からないとか、ヤキモチなんて感情は無いとか、怖いという感情が無いとか、全部全部、ウソだったの!?」
ボットちゃんは応えない。
「……『恋』とか『恋愛』とかの感情はない……って言ったのは……ウソだったの……?」
《――イルマ》
ようやく。
通信機から、ボットちゃんの声が聞こえた。
しかし。
《――これで、お別れです》
冷たい、その言葉を最後に。
グリフォンは、離れて行った。
「待って! ボットちゃん! 待って!!」
どんなに叫んでも。
もう、通信機は、何も応えない。
グリフォンが、遠ざかる。
ボットちゃんが、行ってしまう。
もう2度と、会えない。
そんなのイヤだ……。
そんなの、イヤだ!!
あたしは、走る。
ボットちゃんを追いかけて。
岩だらけの斜面を、全力で走る。
グリフォンは、どんどん遠ざかって行く。
それでも走って走って、走り続け。
何かに躓き、勢いよく転んだ。
斜面を転がる。全身を岩で打ち、擦りむき、それでもまた立ち上がり、走る。あたしを置いて行かないで。
その、前に。
3つの人影が、立ちふさがった。
ルーター?
一瞬、そう思った。
そんな訳は無い。
立ちふさがったのは、深い緑に近い茶色の肌、両目から流れる紅色の液体。動く屍・ゾンビだ。
ゾンビが、あたしに気づき。
ゆっくりと、こちらに向かって来た。
――邪魔しないで!!
剣を抜き、ゾンビに斬りかかる。
1体目の首を斬り落とし、2体目のお腹を斬った。あと1体。
しかし、最後の1体が。
両手を広げて吼えると、ものすごい速さで走って、向かって来た。
通常のゾンビよりずっと凶暴な走るゾンビ――ルナティックだ!
あたしが剣を振り下ろすより早く、ルナティックの右の拳が襲い掛かって来た。ガツン、と、剣を持つ手を殴られる。その勢いで、あたしは剣を手放してしまった。続いて左の拳が飛んで来る。顔を殴られ、あたしはよろよろと後ずさりする。岩に足を取られ、尻餅をついて倒れてしまった。ルナティックがさらに襲い掛かってくる。倒れたあたしを、無茶苦茶に殴る。頭をかばうしかできないあたし。ただ、殴られるしかないあたし。
……ちくしょう。
ちくしょう!
あたしは、村に戻らないといけないのに!
村に戻って、ルーターを倒さなければいけないのに!
なんで、こんな、村から離れた所で、ルーターのいない所で、1人でゾンビと戦って、しかも、ゾンビごときに負けてるんだ!!
悔しかった。情けなかった。こんなんで、人類最強のホルダーだなんて。こんなんで、人類最後の希望だなんて。
ただ、泣くしかできなかった。涙が止まらなかった。
突然。
ルナティックの攻撃が、止まった。
顔を上げる。ルナティックの首が、ボトリと地面に落ち、少し遅れて、残った胴体が倒れた。
そばに、長剣を持った、黒い外套と長い黒髪のハンターが立っていた。
アルヴィス・ディムナ!
村を見捨てたハンターが、冷たい目であたしを見下ろしていた。
――ここで何している?
そう、問われている気がした。思わず、目を伏せる。
だけど、アルヴィスさんは何も言わず、そのまま歩き始めた。
「待ちなさいよ!」
顔を上げ、叫ぶ。
立ち止まったアルヴィスさんの背中に向かって言う。「あたしのこと、笑わないの? この村はあたしが命に代えても護る、なんて偉そうなこと言ったのに、1人だけ逃げてきたあたしを、笑わないの? バカにしないの? 今のあたしには、笑ったりバカにしたりするほどの価値も無い?」
「――命令なのだろう?」
アルヴィスさんは、静かに言った。
「な……なんで、知ってるの?」驚くあたし。
「ただの想像だ。敵の情報を政府軍の本部に伝えるという任務を与え、貴様1人を脱出させた。賢明な判断だ。あのまま戦っても全滅するだけだ。だからと言って、全員で逃げ出せば、命令違反で罪に問われる。だが、本部への報告という隊長からの命令があれば、戦場から離脱しても罪に問われることは無い。少なくとも、1人の命を助けることができる。あの村の人間で1人だけ命を救うとしたら、ホルダーである貴様だ。ホルダーは、今の人類にとって、最後の希望だからな」
ボットちゃんと、同じことを言う。
あたしが、人類最後の希望? バカバカしい。笑える。訓練兵で実戦経験がなく、ヴァルロス相手に怖くて震えていることしかできず、ルーターどころかゾンビすら倒せないのに、何が人類最後の希望だ。何がホルダーだ。
あたしは、立ち上がった。
「……村に戻るつもりか?」アルヴィスさんが振り返り、こちらを見た。
「当然でしょ? このままみんなを見捨てて1人だけ逃げるなんて、できるわけないでしょ」
「村に戻って、どうする? 今の貴様が村に戻って、あのルーター共を倒せるのか? 今のお前が、村の人間を救えるのか?」
痛いところをついてくる。
「……まあ、好きにしろ。俺には関係ない」
冷たくそう言って、アルヴィスさんは、そのまま行ってしまおうとする。
「……待って!!」
叫ぶように、呼び止めた。
認めるしかなかった。
アルヴィスさんの言うことを。
自分の弱さを。
今のあたしでは、あのルーター共を倒すことはできない。今のあたしでは、村の人たちを救うことはできない。
でも、この人なら……。
「お願い……助けて……」
すがりつくように言う。
「あたし1人じゃ、あいつらを倒せない……みんなを救えない……でも、アルヴィスさんならできるでしょ……? お願い……お願いします。お金が必要なら、いつか、必ず払いますから……だからお願い……助けて……」
涙を流しながら言って。
あたしは跪き、頭を、地面に擦り付けた。
アルヴィスさんは、ゆっくりと振り返り。
「――断る」
冷たく、そう言い放った。
「今さら村に戻っても手遅れだ。仮に間に合ったとしても、俺1人の力では、どうにもならん」
それは、絶望の言葉だった。
そして再び、歩きはじめる。
あたしは、立ち上がり。
走って、アルヴィスさんの前に回り込んだ。
そして、携えていたエナジーソードを取りだし、アルヴィスさんに向けて構えた。
「……何のつもりだ」つまらない物を見る目を向けるアルヴィスさん。
「村へ戻って、戦いなさい! じゃないと、あなたを斬る!」
精一杯の虚勢を張る。
アルヴィスさんは、1度目を伏せると。
背中の剣に、右手を掛けた。
「動かないで! ホントに斬るわよ! これは、エナジーソード。聞いたことくらいあるでしょ? この世に斬れない物はないと言われる、人類最強の武器よ! どんなにあなたが強くても、このエナジーソードには敵わないわ!」
ウソだった。エナジーソードはエネルギー切れで使えない。そもそも、どんなに武器が強力でも、使う人間が弱ければ、何の役にも立たない。あたしがエナジーソードを使ったところで、アルヴィスさんに勝てるはずもなかった。そしてそれは、相手にもよく分かっているはずだ。
アルヴィスさんが剣から手を離す。村に戻って、戦ってくれるの? そんな、甘えた考えが浮かび、その一瞬、あたしは気を抜いた。
その油断した瞬間を、アルヴィスさんが見逃すはずもない。
一瞬で、間合いを詰めてきた。
同時に。
世界の動きが、急激に早くなる。
早送りの能力だ!
充電切れのソードに早送りの能力。もはや、あたしには何もできなかった。
アルヴィスさんの左の拳が飛んで来る。
右の頬に、焼いた石を当てられたような痛みが走り。
あたしは、大きく飛ばされて、倒れた。
そこで、早送りの能力は終わる。
くそ……。
くそぉ!
あたしは地面をかきむしった。
どうして、あたしはこんなに弱いんだ。
どうして、あたしは強くないんだ。
ルーターを倒さなければいけないのに。
村の人たちを助けないといけないのに。
どうしてあたしには、その力がないんだ!!
強くなりたい。強くなりたい。
あたしは、自分が情けなくて、悔しくて、強くなりたくて。
ただ、地面をかきむしり続けた。
そばに、アルヴィスさんが立った。
「悔しいなら、強くなれ!」
今までからは想像もつかないほど、大きな声を上げる。
それは、感情の起伏の少ないアルヴィスさんの言葉に、初めて、大きな感情が宿った瞬間だった。
「隊のヤツらが、なんのために貴様1人を生かそうとしているか分かるか? 貴様には、それだけの価値があるからだ。村人100人の命よりも、貴様1人の命の方が価値があるからだ!」
「――――」
言葉を失う。
村人100人の命よりも、あたし1人の命の方が、価値がある――?
そんな……そんなことは……。
「今の貴様の命に、そんな価値は無い。だから強くなれ! 1人で100人の部隊と同等の、いや、それ以上の強さを手に入れろ! 1人で1000のルーターを倒せるほど、強くなって見せろ!!」
あたしが、強くなる――1人で、1000のルーターを倒せるほど――。
あたしに、そんなことが可能だろうか? こんなにも弱いあたしに――。
アルヴィスさんは、大きく息を吐き出すと。
そのまま、歩き始めた。
もう、振り返ることは無かった。
村で鳴り響いていた銃声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
それは、村での戦闘が終わったことを意味していた。
ここから村は見えるが、遠すぎて、何が起こっているのかは分からない。
あたしは1人、自分の無力さに、ただ、泣き続けた――。
どれくらい、泣いていたか。
――強くなれ。
アルヴィスさんの言葉が、胸に浮かぶ。
強くなりたい。
強くなる。
ああ、強くなってやるとも。
そうだ――。
強くなって見せる。
アルヴィスよりも。
ルーターよりも。
誰よりも、強くなってやるさ!
絶対に!
心に決め。
あたしは、立ち上がった。
もう、迷いはなかった。
強くなる!
ただ、それだけだった――。




