得たものと失ったもの
丘の中腹に、ルーターの作った小さな集落があった。
100メートルほど離れた場所から、双眼鏡を使って確認する。瓦礫を使って建てた粗末な住居が10戸ほど並び、集落の真ん中に、井戸らしきものがあった。集落のそばには小さな畑があり、野菜などを育てているようである。どこから連れて来たのか、ブタやニワトリなどの家畜までいた。
集落の奥には洞窟があり、時々、中から村人が出てくる。両手両足を鎖で繋がれ、自由を奪われていた。背中に背負った籠の中には土が入っているようだ。集落の外に土を捨てると、また、洞窟へ戻る。本当に穴を掘っているようだ。
ここから確認できる限り、ルーターの数は、ヴァルロスが4体、シーミアが10体だ。まだほかに隠れているかもしれないが、何体であろうと、今のあたしの敵ではない。
――ボットちゃん、見ててね。
心の中で呟いて。
あたしは剣を抜き、走った。
集落の外では3体のシーミアが見張っている。あたしに気付くと、腰に下げていたナイフを抜き、歯を剥き出して威嚇する。あたしは構わず走った。2体が向かって来る。ナイフを振り上げ、同時に跳んだ。だが、そのナイフが振り下ろされる前に、あたしの剣の一閃が、2体同時に斬り裂いた。四つの肉片と化したシーミアが、地面に転がった。
残ったもう1体のシーミアを見る。ギリギリと歯ぎしりをし、後退りする。怯えている。弱々しい姿。まるで、1年前のあたしを見ているかのようだ。
あたしが1歩近づくと、シーミアは空に向かって吠えた。集落中に響き渡るほどの大きな咆哮だ。シーミアは人語を話すことはできないが、鳴き声で仲間同士のコミュニケーションを取ることができる。今の叫び声は、周囲に危険を警告するものだ。叫び声を聞いたルーター達が集まって来る。残りのシーミアと、ヴァルロスが4体。
ヴァルロスが、あたしと、地面に転がるシーミアの残骸を見て、醜い顔を歪めた。「なんダ、貴様ハ?」
あたしは、無言でルーターを睨み返した。剣を構える。
ヴァルロスが笑った。「フン。どこのバカか知らンが、面白い。ちょうド、退屈しテいたところダ」
1体のヴァルロスが剣を抜き、前に出た。1対1で戦うつもりのようだ。愚かな。全員一斉に戦えば、ほんの少しだけ、お前たちにも勝つチャンスがあるかもしれないのに。
「貴様、覚えテいるぞ。1年前、恐怖ニ震えて戦うことガできなかった娘ダ」
ヴァルロスの言葉で、あたしも思い出す。1年前の襲撃の日。あたしが初めて対峙したヤツだ。確か、ベルドと呼ばれていた、腕利きのヴァルロス。
いいだろう。あたしがどれだけ強くなったかを知るのに、うってつけの相手だ。
あたしは剣を振り上げ、ヴァルロスに向かって走った。ヴァルロスも剣を振り上げた。2人同時に振り下ろす。がきん! 金属音が鳴り響き、火花が舞い散った。身体の芯まで響くような衝撃が伝わってくる。勢いで、あたしは大きく後方に飛ばされた。なんとか踏みとどまり、剣を構え直す。凄まじい馬鹿力だ。ザコのシーミアとは比べ物にならない。
「ヌハハ、どうした? そんなものナ?」
剣を肩に乗せ、余裕の表情であたしを見下ろすヴァルロス。後ろのヴァルロスとシーミアも笑っている。あの程度の一撃で、早くも勝利を確信しているようだ。
と、騒ぎを聞いたのだろう。ルーター達の後ろ、切り立った岩山に開いた洞窟の中から、捕らわれている村人たちが出て来た。あたしの姿を見ると、みんな目を丸くして、言葉を失う。
その中に、ひときわ小さい、か弱い少女の姿があった。
――ハンナちゃん。
1年前、あたしをかばって肩に大きなケガを負った村の自警団のウォルターさんの娘・ハンナちゃんだ。生きていてくれたんだ。嬉しさのあまり、涙がこぼれそうになる。しかしその感情は、すぐにルーターへの怒りへと変わった。痩せ細った身体と希望を失った目。1年前の、天使のような笑顔は無い。それが、この1年の全てを物語っているようだった。満足に食べ物も与えられず、最低限動ける程度の長さしかない鎖に両手両足を繋がれ、その小さな身体で過酷な労働をさせられてきたのだ。
――ゴメンね、ハンナちゃん。すぐに助けるからね。
胸に誓う。
あたしは再び剣を振るった。今度は、右から水平に振るう攻撃。金属音が鳴り響き、ヴァルロスに受け止められる。間髪を入れず、今度は左から剣を振るった。その攻撃も、ヴァルロスに受け止められた。すぐに上からの攻撃に切り替えたが、これも受け止められる。4発、5発、と、全ての攻撃を受け止められた。8発目の攻撃が、ようやく相手を捉えた。右腕を斬り裂く。しかし、浅い。皮膚1枚斬った程度だった。ダメージと呼べるほどの傷ではない。逆に、ヴァルロスが左から剣を振るってきた。がきん! なんとか受け止めるものの、やはり、凄まじい力で吹き飛ばされる。踏みとどまるあたし。
「フン。これデは、暇つぶしニもならンな」
薄ら笑いを浮かべるヴァルロス。完全に見下されている。まあ、それも仕方なかった。相手はリーチが長く、力は圧倒的に上。スピードはわずかにあたしの方が上だが、リーチと力の差を補うほどではない。まともに戦えば、相手の方が強いのは確実だった。ダメだな。まだまだあたしは弱い。もっと強くならなければ。もっと強く……。
「ダメだ! イルマちゃん! 逃げるんだ!!」村人が叫ぶ。「僕たちのことはいいから、早く逃げて! イルマちゃんは、人類最後の希望なんだから! 絶対死んじゃダメなんだから!!」
「大丈夫ですよ」あたしは、みんなに向かって言う。「あたしが本気を出せば、こんな奴ら、何匹いても敵ではありません」
それを聞いたヴァルロスは、醜い顔をさらにゆがめて笑う。「おもしロい。では、そノ本気とやラを見せてもらおウか!」
ヴァルロスが踏み込んできた。剛腕から繰り出される剣を、あたしは受け止める。上からの攻撃を受け止めると、すぐに右からの攻撃、さらに左からの攻撃と、鋭く、正確な攻撃が繰り返される。受け止めるあたし。
「ヌハハ、どうしタ!? 本気ヲ出すのでハなかったノか!?」
剣を振るうヴァルロスも、戦いを後ろで見ているルーターも、余裕の笑い声。
だが、その笑いもここまでだ。
あたしは、上から振るわれたヴァルロスの攻撃を、相手の右側に回り込んでかわし。
左手で、ヴァルロスの肩に触れた。
「フン、なんノつ……」
能力を発動する。
「……も……」
その瞬間。
「……り……」
ヴァルロスの喋り方が、ゆっくりになる。
「……だ……」
同時に、その動きも、スローモーションのように、ゆっくりとした動きに変わった。
ルーター共から、笑いが消える。
あたしは、剣を振り上げた。
ヴァルロスは動かない。いや、動こうとはしている。あたしの剣を受け止めようと、自分の剣を振り上げようとしている。しかし、その動きはあまりにも遅く、間に合うはずもない。
あたしは、ヴァルロスの首めがけて、剣を振り下ろした。
一閃で、ヴァルロスの首を斬る。
しかし、首は落ちない。
ゆっくりと、首が胴から離れていく。ゆっくりと、首から血が噴き出す。ゆっくりと、胴体が倒れて行く。
ヴァルロスの全てが、スローモーションで進んでいく。
やがて、能力が解除されると。
ごとり、と、首が地面に転がり、血を吹きだしながら、胴体が倒れた。
ルーターの顔から余裕の笑みが消え、驚愕の表情。
「貴様、ホルダーか!!」リーダーと思われるヴァルロスが叫んだ。
そう。これがあたしの能力。早送りの能力――ではない。
あたしは、自分の能力に関して、大きな勘違いをしていた。
あたしの能力は、時間を早送りにする能力ではなく、対象物の動きを、ゆっくりにする能力だったのだ。
1年前までのあたしは、能力をうまくコントロールすることができず、自分自身に能力が発動していたのである。
そう。世界が早送りになっているのではなく、あたし自身が遅くなっていたのだ。その結果、早送りになったように感じていたのだ。
もう、1年前のあたしではない。あたしは強くなった。自由に能力を操れるようになった。どんなに強敵でも、動きを遅くすれば、首を斬り落とすことは容易だ。
「銃を使エ!」リーダー格のヴァルロスが右手を上げた。「近づかナければ、能力は使えなイ」
驚愕の表情を浮かべていたルーターだったが、リーダーの声に対する反応は早かった。銃を取り出す。ハンドガンやアサルトライフルなど、デルタ隊から奪ったと思われる実弾系の銃が中心だけど、ビームガンやビームマシンガンを持っている者もいる。
リーダーの判断は正しかった。能力を発動するためには、相手に触れる必要がある。触れなければ、相手をスローにすることはできない。
「残念だっタな」再び勝利を確信した笑みに変わるリーダー。「撃テ」
その合図で、ヴァルロスの1人がハンドガンを撃った。狙いは正確だった。あたしの頭部を、確実に捉えていた。
しかし。
その弾が、あたしの頭を撃ち抜くことはなかった。
頭に当たった弾は、そこで止まっている。いや――動きが、ゆっくりになっている。
あたしは、左手で弾を払い除けた。
何が起こったのか分からない表情のルーター達。
「何をシている! 撃テ! 殺セ!!」
リーダーが叫ぶ。我に返ったルーター達。一斉にトリガーを引く。ハンドガンの弾が、サブマシンガンの弾が、ショットガンの弾が、ビームガンの弾が、一斉に飛んで来る。
――無駄だ。
あたしは、避けることなく、ただ、その場に立つ。
弾は、全て、あたしの身体に触れた瞬間、スローになり、その場に留まる。
あたしの能力は、触れた物すべての動きをスローにする。それは、銃弾とて例外ではない。すべての弾は、あたしに触れた瞬間、動きがゆっくりになるのだ。そこで、動エネルギーはリセットされるため、銃弾に限らず、どのような武器も、あたしの身体を傷つけることはできないのだ。能力を使っている間は。
あたしは、羽虫を払うように、身体中にまとわりついた銃弾を払い落した。
ルーター達の顔に、本当の恐怖が浮かぶ。
あたしは、剣を構え。
怯えるルーター達へ向かって、走った。
一番近くにいたヴァルロスに対して、剣を振るう。ヴァルロスの反応は早かった。剣を抜き、あたしの攻撃を受け止める。やはり、身体能力ではヴァルロスの方が上だ。しかし、あたしが左手で触れた瞬間、動きがゆっくりになる。首を斬る。その隣にいるシーミアを、返す刀で斬る。さらにその隣のシーミアも斬る。後ろから、別のシーミアがナイフを振り上げて襲い掛かって来た。しかし、ナイフはあたしに触れた瞬間スローになる。振り返ると同時に、そのシーミアも斬り捨てる。別のシーミアが銃を撃つ。あたしに触れた瞬間、弾はゆっくりになる。そのシーミアを斬る。もう一体のヴァルロスが剣を振り下ろしてきた。あたしに触れた剣は、運動エネルギーを失う。ヴァルロスの首を斬り落とす。残りのシーミアも、全て斬り捨てた。
あたしは、大きく息を吐き出した。後は、リーダー格のヴァルロスのみ。
銃声が鳴り響いた。
それとほぼ同時に、あたしは左腕に鋭い痛みを感じる。
皮膚が裂け、血が飛沫となって飛び散った。
――今、あたしは銃で撃たれたのか?
銃声のした方を見る。リーダー格のヴァルロスが、あたしにハンドガンの銃口を向けていた。また、勝利を確信した笑みを浮かべている。
能力は解除していない。普通の銃弾は、あたしを傷つけることはできないはずだ。
だが、左の二の腕からは、だらりと血が流れ落ちた。幸いそれほど深い傷ではないが、まさか、あたしを傷つけることができる銃弾が、こんな所にあるなんて。
――P.S.C.鋼か!
P.S.C.鋼。別名、ホールドブレイクとも呼ばれている金属だ。惑星リオの地下深くでのみ採掘できる金属で、あらゆるホルダーの能力を無効化する特殊な磁気を帯びている。かつては1万人以上が軍に所属していたホルダーが、急激に数を減らしたのは、このP.S.C.鋼の出現が原因だ。P.S.C.鋼で作られた銃弾や剣、アーマーなどの武具は、ホルダーに対して絶大な効果を発揮した。特に、P.S.C.鋼を非常に細かい粒子にして空気中に散布する『P.S.C.バリア』は、ホルダーの存在そのものを無効化する決定的な兵器となった。P.S.C.鋼粒子の散布された一帯では、ホルダーは一切の能力が使えなくなるのである。能力の使えないホルダーなど一般兵以下の戦力でしかない。20年ほど前、惑星リオ西部の都市ナイトフォールで、このP.S.C.バリアが初めて戦場に投入され、5000人のホルダーが虐殺された。これは、『ナイトフォールの悲劇』と呼ばれ、この日を境にホルダーの数は激減し、戦況は、人類側の圧倒的不利な状況へと変わったのである。
「残念だったナ」余裕の笑みを浮かべるリーダー。「銃弾だけデなく、剣も、アーマーモ、全てホールドブレイクだ。貴様ノ能力は、効かヌ」
剣とアーマーを誇らしげに見せるヴァルロス。ご丁寧に教えてくれて、ありがたいことだ。
しかし、まさか、ホールドブレイクの武具を持っているとは思わなかった。政府軍のホルダーが激減した現在、ルーター軍もあまり使うことが無くなった武器なのだ。
とは言え、特に焦りはしない。もしP.S.C.バリアを持っていたらさすがにピンチだったかもしれないけれど、銃や剣なら、なんとでもなる。
ホールドブレイクの銃を前にしても、あたしは表情ひとつ変えない。それが気に入らなかったのか、ヴァルロスは顔を歪めた。「随分と余裕だナ。まあいい。すぐに、恐怖を教えてヤる」
ヴァルロスが、トリガーを引いた。
その瞬間。
あたしは、右に大きく跳ぶ。
ホルダーブレイクの銃弾は、何も無い空間を貫いた。
ヴァルロスの顔が驚愕に歪む。2発、3発と、さらに銃弾を撃つ。あたしは、右に、左に跳躍し、全ての銃弾をかわす。
「貴様、銃弾が見えるノか!?」焦るヴァルロス。
銃弾が見えているわけではない。ビーム弾ならともかく、実弾を目視でかわすなど、どんなに動体視力を鍛えようとも不可能だ。しかし、銃口の向いている方向を見れば、どこに銃弾が飛んで来るか分かる。相手の筋肉の動きや表情を見ていれば、撃つタイミングは分かる。その2つが分かれば、銃弾が見えなくても、かわすことは難しくない。
あたしは何も言わず、ただ銃弾をかわし続ける。種明かしをすれば何でもないことだが、それをわざわざ相手に教える必要はない。さっき、このヴァルロスは、自分の武器がホールドブレイク製であると言ったが、ああいうのは、弱い者がする典型的な行動だ。わざわざ手の内をさらすことに何の意味があるだろう。ただ、相手を怖がらせて優越感に浸りたいだけだ。あたしは、そんな愚かな行動はしない。
やがて銃弾が尽きる。ヴァルロスは忌々しげに銃を睨みつけ、投げ捨てた。
「フン、銃など無クても、貴様なド、恐れるに足りんワ!」
剣を抜くヴァルロス。そのセリフが恐れている証だ。弱い者は、これほどまでに滑稽なのか。
だが、ヴァルロスの言うことにも一理ある。相手の剣とアーマーはホールドブレイクだ。あたしの能力は通用しない。まともな剣術勝負なら、恐らく相手に分があるだろう。
仕方がない。アレを使うか。
あたしは、剣を背中の鞘に納め。
腰のベルトに下げた金属製の筒を取り出した。
携行できる武器としては人類最強。この世に斬れない物は無い。あたしの、もうひとつの武器――エナジーソード。
あたしは、洞窟の前の村人たちに向かって言った。「みんな、危ないから、あたしの後ろへ」
みんな、戸惑いながら顔を見合わせていたが、ゆっくりと、あたしの後ろに回った。
「エナジーソードか……」ヴァルロスが笑う。さすがに、人類最強武器のことくらいは知っているようだ。「御大層な武器を持っていルようだが、そレは機能するのか? エナジーソードにエネルギーを充填すル施設が、今の貴様らにあるとは思えんガ」
その通りだ。今の人類に、エナジーソードのエネルギーを安定して供給するシステムは無い。このソードは太陽光で充電できるように改造されてあるが、現在の充電率は0.2%。使用時間は0.1秒程だろう。そんなわずかな時間で、あのヴァルロスを倒すことは難しい。
しかし、あたしの能力と組み合わせれば――。
あたしは、ソードのスイッチを押すと同時に、能力を発動させる。
筒の先端から、光の刃が現れる。0.1秒を過ぎても、1秒を過ぎても、10秒を過ぎても、光の刃は消えない。
あたしの能力は、あらゆるものの動きをスローにする。つまり、使用時間の短い武器に使えば、その時間を延ばすことができるのだ!
ヴァルロスがそのことに気付いた。怯えている。後ずさりしている。
あたしはエナジーソードを構え、走った。
「ク……クソオォ!!」
ヴァルロスは死を覚悟し、剣を構える。
エナジーソードを振り下ろす。
ヴァルロスは、剣で受け止めようとする。
もちろん、エナジーソードを受け止めるなど、できるはずもない。
あたしは、一気に剣を振り下ろした。
何が起こったのか分からない表情のヴァルロス。
エナジーソードのスイッチを切る。光の刃が消える。
ボトリ、と。
ヴァルロスの剣の刀身の半分が、地面に落ち。
続いて、ヴァルロスの身体が、左肩から右の腰にかけて、ずるりとずれた後、地面に落ちる。
そして。
ヴァルロスの背後の大地が裂け。
その後ろの、瓦礫を寄せ集めて作った粗末な家が、真っ二つに斬り裂かれて崩れ落ち。
さらには、洞窟の掘られた切り立った断崖も、二つに斬り裂かれる。
あたしは、ヴァルロスに背を向ける。
危険を察した村人たちは、走って集落から離れる。
あたしも、ゆっくりと、その場を後にした。
雷鳴のような轟音が鳴り響き、大地が揺れる。
エナジーソードによって斬り裂かれた崖が、崩れ落ち。
瓦礫の家を、シーミアの死体を、ヴァルロスの死体を、ルーターの集落を。
飲み込んでいった――。
☆
村からハロルド先生たちがやって来た。ルーターに捕らわれていた人たちと抱き合い、無事を喜び合う。
「しかし……」ハロルド先生は、土砂と土埃に埋もれたルーターの集落を、信じられないと言った表情で見ていた。「これは本当に、イルマちゃん1人でやったのか……?」
「ええ。あたしはもう、1年前の、弱いあたしではありません。あたしは、強くなりましたから」
あたしは、みんなに向かって微笑んだ。
――笑顔は、あなたの最大の能力なんですから。
一瞬。
1年前、ボットちゃんや村のみんなから言われた言葉が、また、胸をよぎった。
あたしが笑うと、みんなも笑ってくれた。1年前は。
だが、今は。
戸惑いの表情で、あたしを見ている。笑っている人もいるけど、それは心の底からの笑顔ではない、ひきつった笑顔だった。
もう、みんな、昔のように笑ってはくれない。あたしも、昔のように笑うことはできない。別にそれは構わない。笑顔が最大の能力。そんなのは、弱い自分に対する言い訳だ。笑顔など、戦いでは何の役にも立たない。もう、あたしには必要ない。
ハンナちゃんがやって来た。
あたしはしゃがみ、ハンナちゃんと目線を合わせる。
「ゴメンね、ハンナちゃん。助けに来るのが遅くなって。この1年、本当に、辛かったよね」
1年前と同じように、ハンナちゃんの頭をなでようと、手を伸ばした。
でも。
ぱちん、と、音がして。
その手が、払われた。
そして、もう1度、ぱちん、と、音がする。
あたしの手を払ったハンナちゃんの手が、今度は、あたしの頬を叩いた。
――え?
何が起こったのか、分からない。
いや、分かっている。あたしは、ハンナちゃんに頬を叩かれたのだ。でも、ハンナちゃんがそんなことをすることが信じられなかった。
ハンナちゃんは、目にいっぱいの涙を溜め。
「今頃来ても、遅いよ!!」
叫んだ。
「お父さんは死んだ! 村のみんなも死んだ! ボットちゃんたちも死んだ! みんな、お姉ちゃんのせいだ!! お姉ちゃんが逃げたから、みんな死んじゃったんだ!!」
その、小さな叫びで、全てを悟る。
「今さら助けに来たって、みんなもう、死んじゃったんだよ!!」
もう、ここに、あたしの居場所は、無いんだ、と、悟る。
「返して! お父さんを! みんなを! 返して!! 返せ!!」
ハンナちゃんの握りしめた小さな拳が。
あたしの身体を叩く。
何もできない。
ハンナちゃんの言う通りだった。
今さら助けに来ても遅い。死んだ人は、決して、戻ってこない。
あたしは、何を期待していたんだろう。
ルーターを倒し、捕らわれているみんなを救えば、許されると思っていたのか。
そんな訳は無いんだ。
1年前、あたしはみんなを見捨てて、1人、逃げ出した。
あの時のあたしに今の強さがあれば、みんな死ななかったはずだ。ハンナちゃんのお父さんも。村のみんなも。ボットちゃんたちも。誰も、死ななかったはずだ。
今さら強くなっても、今さら戻って来ても、もう、全て、遅すぎるんだ。
「こ……こら! ハンナちゃん、よしなさい!」ハロルド先生たちがハンナちゃんを引き離した。でも、他のみんなも、ハンナちゃんと同じことを思っているのは明らかだった。
あたしは立ち上がり。
「……ゴメンね、ハンナちゃん。みんな」
もう1度謝る。決して許されることのない謝罪。
そして、みんなに背を向け、歩く。
「イルマちゃん、どこへ行くんだ?」ハロルド先生が言った。
「戦場へ、行きます。この戦いを、終わらせるために」振り返らずにそう言った。
もう、この村には、あたしの居場所は無い。それは仕方がない。もうあたしは、1年前のあたしではない。
あたしの居場所は、戦場だ。
今のあたしは、戦うことしかできない。
500年間続いている戦争だ。あたし1人で終わらせることなど、できるはずもない。それは分かっている。
それでも、あたしは戦い続ける。命の尽きるその瞬間まで、戦って戦って、戦い続ける。
あたしには、それしかないから。
「戦いを終わらせる!? そんなこと、あんたにできるもんか!!」
ハンナちゃんが叫ぶ。
「あんたなんか、1人で死んじゃえ!!」
悲しい言葉とともに。
ハンナちゃんが投げた、握り拳ほどの大きさの石が、あたしの頭に当たる。
その瞬間。
石の動きが、スローになる。
銃弾すら通じぬ身体だ。握りこぶし大の石など、あたしには何の意味もない。
だが、その投石は、今まで受けたどんな攻撃よりも、大きな痛みとなった。
頬を、涙が伝う。あたしは泣いているのか? 涙を流すなど、いつ以来だろう? 1年前の、あの日以来か。もう、泣かないはずだった。涙など、弱さの象徴でしかないから。
――ダメだ。もっと強くならなければ。強くなることが、唯一、今のあたしの、生きる意味だから。
強くなりたい。
強くなりたい。
もっと、強くなりたい。
もっと、強く――。
だが、その日、あたしは、どうしても。
流れる涙を、止めることができなかった――。
(充電切れの笑顔と早送りの恋 終わり)