強さと笑顔
それから、1年の月日が流れた――。
☆
切り立った崖の上から周囲を見渡した。1年前まで、ここからは、豊かな緑の草原と森、そして、草原の中央に小さな村を見ることができた。しかし、今はもう、その光景は見る影もない。1年前の政府軍の空爆により、この一帯は焦土と化した。かつて草原や森だった場所は黒く焼け焦げた台地が広がり、村があった場所には家屋の残骸がわずかに残っているだけである。
第358地区、ダーリオ・リパブリック。
あたしは、1年ぶりに、この地に戻って来た。
変わり果てたダーリオ・リパブリックの姿を見て、あたしの心は小さく痛んだ。1年前、あたしに力が無かったばかりに、こんなことになってしまった。1年前、あたしに力があれば、こんなことにはならなかった。
すべて、あたしのせいだ。
後悔してもどうにもならないことは分かっている。時間を戻すことができるならば、決して、同じ結果にはならないだろう。しかし、時間を戻すことはできない。あたしの能力では。だから、せめてもの償いをしよう。
――行くぞ。
あたしは、崖から飛び降りた。
高さは50メートルほどだ。崖の下は、硬い岩の大地が広がっている。普通ならば、飛び降りたら命は無い高さだ。どんなに強靭な肉体を持っていたとしても。
あたしは、着地する寸前、能力を発動させた。
世界が、早送りになったように、感じる。
スタリ、と、着地し。
あたしは能力を解除した。
世界が通常の早さに戻る。
50メートルの高さから飛び降りても、あたしの身体には何のダメージもない。
そのまま、かつて村だった場所へ向かって歩き始めた。
20分ほどで、廃墟と化した村に着いた。村の北地区。かつて木の櫓塔があった場所は、爆撃で吹き飛ばされてしまったのか、何も残っていなかった。村の中央塔まで歩く。石造りの中央塔は、半分以上が倒壊しているものの、なんとか形を残していた。さらにそこから進み、村の南地区へと足を踏み入れる。かつては木製の住居が立ち並んだこの地区も、爆撃によって吹き飛ばされ、あるいは焼かれ、瓦礫が散乱するだけとなっていた。
と。
廃墟と化した村に、気配を感じた。
神経を研ぎ澄まし、慎重に探る。
――5人。いや、5体か。
あたしは、最も近い気配の場所へ向かう。レンガを敷き詰めた道路があった場所までやって来た。その右側。焼け落ちた家屋の残骸の下に、いる。
あたしが近づくと。
瓦礫が、ごとり、と、持ち上がり。
その下から、人の姿をした者が、ゆっくりと、立ち上がった。
1年前の爆撃によるものだろう。全身、黒く焼け焦げていた。顔を上げ、こちらを見た。両目から、深い紅色の液体を流している。動く屍、ゾンビだ。
1年前の爆撃によって、多くの村人は吹き飛ばされ、焼け死んだ。しかし、運悪く焼け残ってしまった死体は、こうして、ゾンビとしてさ迷い歩くのだ。永遠に。
ゾンビが、両手を前に出し、ゆっくりとこちらへ向かって来る。かつてはこのダーリオ村の住人だったであろうそのゾンビだが、顔の半分以上が焼け落ちているため、もう、誰だかわからない。まあ、誰であっても、ゾンビ相手に何か感情を抱くことなど無いのだが。
あたしは、背中に背負った剣に手を掛ける。ゾンビが間合いに入ったところで剣を抜き、一閃の元に、首を斬り落とした。バタリ、と、ゾンビはその場に倒れた。
さらに進むと、小型のサルのようなゾンビが現れた。ルーターの種族の1つ、シーミアのゾンビだ。惑星リオでは、死んだ者は、人類ルーターを問わず、ゾンビとなる。
シーミアのゾンビはあたしの姿を確認すると、ゆっくりとこちらに向かって来た。剣を振るい、首を斬り落とす。動かなくなるシーミアゾンビ。あたしはさらに進んだ。
村の南端に来ると、3体の人影があった。2体は身長が170センチほどのゾンビだが、もう1体は、2メートルを裕に超える、大型のゾンビだった。ルーターの種族の1つ、ヴァルロスだ。ヴァルロスのゾンビは、人間のゾンビよりも力が強く、1度捕まると、振りほどくのは困難だ。もちろん、捕まらなければいいだけの話だが。
3体のゾンビがあたしに気付いた。両手を広げ、空に向かって獣のような叫び声をあげると、こちらに向かって、ものすごいスピードで走って来た。通常のゾンビよりも凶暴な走るゾンビ・ルナティックだ。数年前から確認され始めたこのルナティックは、現在その数が増え、今ではゾンビの30%~40%は、このルナティックであると言われている。何が原因で通常のゾンビ・ウォーカーと、凶悪なルナティックに別れるのかは、いまだ分かっていない。
3体同時に向かって来るルナティック。1年前のあたしなら、どうにもならなかっただろう。しかし、今は違う
あたしは、1体目のルナティックの振り下ろす右拳を上体を反らしてかわし、同時に剣を振って首を斬り落とした。続いて襲い掛かって来たルナティックは、拳を振り下ろす前に頭部に剣を突きたてる。最後に襲って来たヴァルロスのルナティックは、すれ違いざまに剣を振るい、横腹から肩にかけて斜めに斬り裂いた。バタバタと音を立て、ルナティックたちが地面に転がる。最後に、胴体を両断されてもまだ動こうとするヴァルロスゾンビの頭を踏み潰した。
なぜ、1年前のあたしは、この程度の相手を倒すことができなかったのだろう? もう、その理由も分からない。遠い、本当に遠い昔のことのように思える。
あたしは背中の鞘に剣を収めた。もうゾンビの気配は感じない。しかし、新たに別の気配を感じている。あたしの背後、倒壊した家屋の残骸の陰にいる。この気配は、ゾンビではない。
「動くな!」瓦礫の陰から飛び出しだした人が、大きな声で言う。「両手を頭の上に乗せて、ゆっくりと、こちらを向け。少しでもおかしな動きをしたら、その瞬間、撃つ」
同時に、ガシャリ、と、銃のハンドグリップを引く音が聞こえた。音から判断して、政府軍で使われているショットガンだろう。1年前、あたしたちが村人に貸した物だ。今のあたしに銃など無意味だが、それでもあたしは、言われた通り両手を頭の上に乗せ、ゆっくりと、振り返った。
懐かしい顔が、そこにあった。1年前、村の小さな診療所で医者をしていた、ハロルド先生だった。
あたしの顔を見たハロルド先生は、一瞬、言葉を失う。
「まさか……イルマちゃん……かい……?」
ゆっくりと、銃を降ろした。
あたしは、小さく微笑んだ。「お久しぶりです、ハロルド先生」
ハロルド先生に連れられ、あたしは、かつてデルタ隊の駐屯基地があった場所にやって来た。この地下には、政府軍の航空機・グリフォンを隠していた地下格納庫がある。現在、ハロルド先生を含めて5人の村人が、ここに隠れて暮らしているのだという。1年前の爆撃を辛うじて生き残った人たちだ。
「イ……イルマちゃん……イルマちゃんかい!?」
地下に降りると、みんなが一斉に駆け寄って来た。こんな場所に長く隠れ住んでいるため、みんな顔に疲労がへばりついているけど、それでも、元気そうではあった。
あたしは、小さく微笑んで応える。「みんな無事で、本当に、良かった」
「イルマちゃんこそ、よく生き残ってくれたよ! イルマちゃんにもしものことがあったら、大変だからね。何と言っても、イルマちゃんは人類最後の希望なんだから」
1年前と、同じことを言う。
かつてのあたしは、あたしが人類最後の希望だ、なんて、想像もできなかった。今では、ほんの少しだけど、分かるような気がする。
「――生き残った人は、ここにいる5人だけですか?」あたしはハロルド先生に訊いた。
「いや、他にも、20人くらいいたけど、みんな、連れて行かれたよ。ルーターに」
みんなの表情が暗くなった。
ハロルド先生の話によると。
1年前、あたしが村を脱出した後、村ではルーターとの戦闘が続いたが、ジョンソン隊長とハガルさんが死に、村に戻ったボットちゃんも破壊されたところで、村人たちは降伏を選んだ。その時点では、30人ほどの村人が生き残っていたという。
降伏した村人たちは、武器を取り上げられ、捕らわれ、そして、村の南にある丘の上に連れてこられた。
そこで目にしたのは、地面に掘られた大きな穴だった。
ルーターが、地上を侵略するために使う穴ではない。
縦横20メートルほど、高さは、3メートルほどの穴。
それは、村人たちを生き埋めにするための穴だった。
ルーターは、やはり、降伏した村人を生かしておくつもりなど無かったのだ。
村人は穴に落とされ、そして、上から土をかぶせられた。皆、死を覚悟した。
しかし、その時。
政府軍の空爆攻撃が始まった。
3機のグリフォンによるDH爆撃は、この第358地区を、ルーターごと焼き払った。
生き埋めになる寸前だった村人たちは、皮肉にも、ルーターの掘った穴の中にいたおかげで、ほとんどの者が助かったそうである。
しかし、ルーターも全滅したわけではなかった。ヴァルロス、シーミアを合わせ、30体ほどが、爆撃の中を生き残った。
穴から這い上がった村人たちだったが、そのほとんどが、生き残ったルーター達に捕らわれた。なんとか逃げることができたのは、ここにいる5人だけだった。
「それで、ルーターと、捕らわれた村人たちは、今、どこに?」話を聞き終えたあたしは、最も重要なことを訊いた。
「南の丘に、小さな集落をつくって、そこで暮らしているよ。捕まった村のみんなも、そこにいる。詳しくは分からないけど、どうやら、穴を掘らされているみたいなんだ」
「穴?」
「うん。1年前、ルーターが地上に進軍するときに使った、地上と地下を結ぶ穴は、軍の爆撃によって塞がれてしまったようなんだ。ルーター達は、地上で孤立してしまったんだ。だから、地下へ戻るための穴を掘ってるんじゃないか、と思うんだけど」
この周辺地域の岩盤は非常に硬い。だからこそ、ルーターも地下から容易に攻めて来ることができないのだ。それなのに、ろくな採掘機械もない状態の村人たち数十人で地面を掘って、地下のルーターの拠点に戻れるとは思えない。それでも、ルーターたちも、そうするしか帰る方法がないのだろう。
ハロルドさんは続ける。「なんとかみんなを助けたいんだけど、敵の数が多くてね。村の武器は爆撃でほとんど失われたし、辛うじて残った武器も、ほとんどルーターが持って行ってしまった。政府軍には何度も救助を要請してるんだけど、返事すら返って来ないんだよ」
生き残ったルーターは30体ほど。兵を動かせば容易に掃討できる数だけど、そんなことをしたところで、政府軍にメリットは少ない。敵がこの地域から侵攻してくる可能性は、今はほぼ0だ。政府軍が動くとは思えなかった。
「話は大体分かりました。では、行ってきます」
「え? イルマちゃん、行くって、どこへ?」
「もちろん、村のみんなを助けに、です」
そう言うと、みんな、言葉を失った。あたしは構わず、地下室を後にする。
「ちょ……ちょっと待って! イルマちゃん!!」ハロルド先生が追ってくる。「今言っただろ、敵は数が多いって。武器も持ってるし、助けに行くにしたって、みんなで、何か作戦を立てないと」
「必要ありません」あたしは、自信を持って言った。「相手がどんな武器を持っていようとも、30体程度のルーター、今のあたしの敵ではありません」
ウソではなかった。今のあたしならば、1000体のルーター相手でも、負ける気がしない。
「……イルマ……ちゃん?」みんな、何と言っていいか分からないような表情。
「みんなは、ここで待っててください。すぐに戻って来ます」あたしは、再び歩き始めた。
「待って、イルマちゃん!」ハロルド先生がまた止める。
「まだ、何か?」振り返る。
「君、本当に、イルマちゃんかい?」
「え……?」予想外の言葉に、思わず返事に詰まる。「え……と……違う人に、見えますか?」
「あ、いや、ゴメン。変なこと言って」ハロルド先生は頭を掻いた。「どう見ても、イルマちゃんなんだけどね。ただ、昔のイルマちゃんは、もっと、こう、笑顔を絶やさない娘だったと思うんだ」
「――――」
言葉を失うあたし。
1年前、ボットちゃんが、そして、村のみんなが言ってくれた言葉が、胸に浮かぶ。
――笑顔は、あなたの最大の能力なんですから。
今のあたしは、笑顔が失われているだろうか?
考えたことも無かった。でも、そうかもしれない。この1年、笑った記憶は、無い。もちろん、表面上笑うことはできる。でも、心の底から笑うことは、もうできないかもしれない。
でも。
それが、何だと言うのだ。
笑顔が、最大の能力?
バカバカしい。
確かに、1年前の弱いあたしは、そうだったかもしれない。
でも、今のあたしは違う。
あたしは、強くなった。
もう、笑顔なんて必要ない。
そうだ。
あたしはもう、1年前のあたしではないのだから。
みんなを見る。心配そうな表情。
あたしは言った。
「笑顔なんて、戦いでは何の役にも立ちませんから――」
そして。
あたしは、村の南の丘へ向かった。