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月も見えない曇り空の深夜、輪郭を浮き上がらせる程度の頼りない光源は、今にも切れそうに頭の上で明滅を繰り返している街灯、それに、遠くの赤い光点。

光点は、近づいてくる、尋常じゃない速度で。

しかも、あろうことか俺の心臓に向かって。

とりあえずは煙草を放り捨て、横に転がって避ける。

過ぎ去る光点は、光条となって俺の眼に焼きついた。

威圧感と、熱気、これはどう考えても法術。

しかも、俺を殺す気満々の。

何で俺がこんな目に遭うんだ?

なぜ、今この状況がある。

今日あったことを、頭の中で反芻していく。

……


今日は、特に依頼はなかった。

金は……まあ煙草を買うくらい問題ない。

あまりにも暇すぎて、適当に選んだ法術犯罪者を捜索することに決めた。俺にしては、非常に珍しい。いつもなら暇を持て余すほうが楽だから、あえて自分で動こうとはしないのだが。まあ、さすがに休日五日目となると、退屈は苦痛に変わる。

電話を留守電に切り替えて外出。即日の依頼があったときは、依頼主には運が悪かったと思ってもらわないとな。

煙草の煙をおって眺めた頭上は、すでに夜の顔を覗かせている。雲は多いが、雨は降りそうにない。

自販機に立ち寄り、煙草を購入。そういえば、なぜ煙草の自販機には当たり機能がついてないのだろうか。ついていれば、もし当たったときは一箱ただで手に入り、経済的にうれしいのだが。

ありえない話をしても意味はないな、当たり機能なんて、大人が興味を持つことでもないし。

首は連続通り魔事件の犯人。被害者は全て女性、深夜のみの犯行で、情報が薄く、顔も割れていない。犯行件数は十を超え、ついに二人の死者まででたため、賞金首として指名手配されるまでに至るが、いまだ捕まることはなく、犯行は続いている。

正直言って、あまり捕まえる気は、ない。

俺は男だ、襲われる心配もない、周りにいる女は、強いのか怖いのばかり、襲われたら逆に殺し返すだろう。その他のことなんて知るか。

よって情報屋も使わない、そもそも大した金額じゃないから、そんなもの使ったら報酬がほとんど飛んでいくことになる。

散歩のついで、くらいでしかない。聞き込みも大した意味をなさないだろう、そんなものは警察がとっくにやっている。

携帯灰皿に吸い終わった煙草を押し込むと、その手で次の一本を取り出す。

駅前、仕事帰りのサラリーマンの群れを横切って進んでいく。

街頭ビジョンに映し出された時計の時刻は、午後七時四五分。街も、人も、眠ることなど考えもしない、今回の通り魔事件とは無縁の時間。

正直、そんな時間にただ街をうろついても収穫があるはずもない、本当に意味のない散歩だ。

ふと、目を引くものが視界に入る。だがすぐにスーツ姿の男の群れに消えていった。

気になって、消えていった方向へと少しだけ歩調を速める。

あっけなく、それを見つけた。

暗色の群れの中、俺の目に付いたもの、それはただの、赤いスーツだった。

なんというか、何であんな物が気になったのかというか、それだけのために急ぎ足になったことというか、とりあえず、がっかりという言葉が適切か。

とにかく非常に目立つ、単なる赤い服ではなく、それがスーツだから。それもサラリーマンのスーツ姿の群れの中ならばなおのこと。

自分も、黒のスーツの中に、真っ赤なワイシャツを着てはいるが、何であんなとっぴな物をおおっぴらに、とは考えてしまう。

どんな奴が着ているのかと思って、それとなく回りこんで顔を見てみたら、何のこともない、普通のオッサン、はげてはいないが頭髪は白の比率が少し多め。

再び時間を確認する、五分も立っていない。暇つぶしにもならなかったな。

さて、事務所の備品、俺の私物の購入、いわゆるおつかいを済ませるとしよう。

あまり頻度よく行くものではないが、備品の買出しは俺の担当。事務所に住んでいるから足りないもののチェックは俺のほうがしやすい。

代金は後で真理に早急に請求。しっかりレシートをとっておかないと経理で落ちないのも留意点。

駅前のデパートはすでに閉店の時間、十時まで開いているスーパーまで少し歩いていくことになる。

駅前からはずれた場所にくると、人もまばらになり、街灯の数も少し減る。

スーパーが見えてくると、それなりに客がいた、いや、この時間にしては多いほうだろう。

よく見れば入り口にはなにやらポイント三倍の文字、機を逃さずに主婦は買い溜めをする気なのだろう。数人のサラリーマンは帰りがけのおつかいか。俺はあいにくポイントカードなんて持っていない。

店内に入ると、レジには全て数人並んでいる。俺も並ぶことになるのか、面倒だ。

備品といっても、消耗品は各種書類、それにコーヒーと紅茶ぐらいしかない。

書類については、いちいち自分で印刷しなければならない。探偵用契約書とか売ってないものだろうか。

紅茶は適当にパックの、安めの奴。あまり興味がない。

コーヒーもこんな店で買えるのはどれも味は大差ない。いつも買ってる銘柄があったので迷うことなく購入。

煙草は、問題ないな、足りてる。

そうだ、煙草で思い出した、ジッポーの発火石(フリント)が切れそうなんだ。真理にもらってから一度も交換してなかったから、少しホイールの動きがぎこちなくなってきた。

後は……電池を買っておこう。

ほとんど空のときと重さの変わっていない買い物カゴを持って、レジへ。

二人の主婦が並んでいる、しかも二カゴめいっぱいに品物を入れて。


いったん事務所へ帰ることにした、さすがに買い物袋を持ったままぶらつく気にはなれなかった。

ちなみに、先ほどのスーパーでは、買い物よりもレジの待ち時間のほうが長かった。

前の二人の客はとんでもない長さのレシートがレジから吐き出されていた。対する俺は、手の平からはみ出ることもない長さ。

事務所に戻ると、まずは書類の印刷用に買ってきた印刷用紙を専用の棚に補充する。

次に、買って来た電池と、最近効きが悪くなってきたテレビのリモコンの電池を交換。

調子を試すために電源ボタンを押す……よし、問題ない。そのままチャンネルを変える気も起さずに垂れ流す、ニュース番組のようだが興味はない。

事務所の所長用、つまり俺用のイスに座り、机の引き出しからマイナスドライバーを取り出す。

続いてポケットから、真理のプレゼントであるジッポーを取り出す。

ちょうどいいから全体的に手入れしておくとしよう。

戦闘中に落とさないようにと考慮したのか、ヒンジから皮製のループが伸びている。

これは助かる作りだ、いちいち予備のライターを二個も三個も持つ必要がない。

それに、プレゼントを無くさなくて済む。

くくりつけられたループをはずし、机の上に置く。

手にとって外観を眺める。ずっしりとした重量感が腕に伝わる。

なかなかいい品物をもらってしまった。今度お返しをしないと。

誕生日はいつだったか……。まずいな……。

表面はクロームブラッシュ、粗めの加工でつや消しがしてあり、落ち着いた雰囲気に仕上がっている。

右下には、トライバルデザインの龍が黒く刻み込まれている。

底面(ボトム)を見てみると、独特の重量感をもたせている理由である、アーマーの頭文字Aが刻まれている。

アーマータイプは、通常のレギュラータイプと外観に大差はないが、ケースが五割ほど分厚く、その分重く出来ている。重量に伴い、開閉音も他とは違う。滑らかに動かすことが出来るなら、こちらのほうがいい音を出す。人それぞれの見解があるだろうが、俺はアーマータイプの音が好みだ。

リッドを開き、インサイドユニットを取り出す。

まずは発火石(フリント)の交換から行なうとしよう。

ドライバーでインサイドユニット底部のネジをはずし、逆さにするとスプリングと一緒に、小さくなった発火石が机の上を転がった。必要ないからそのまま発火石はゴミ箱へ捨てる。

新しい発火石をチューブの中へ入れ、ネジを元に戻す。

ティッシュにジッポーオイルを染み込ませ、インサイドユニットとケースを磨いていく。細かいところも同じようにオイルを染み込ませた綿棒で掃除していく。

(ウィック)も黒ずんでいたから、新しい部分になるまで引っ張り出し、古い芯を切り取った。

ちなみに、チムニーと呼ばれる、芯を覆う防風ガードには、片側八個、両面で十六個の穴が、よほど珍しいものでない限り必ず空いている。なぜかはよく知らない。雑学の一つ。

注油も済ませておくとするか。

フェルトをめくって、オイルを綿(レーヨン)に染み込ませていく。

もう染み込まなくなったところで、発火石のストックを三個入れ、フェルトを閉じる。

無駄なオイルが飛ぶのを待ってから、メンテナンスを終えたインサイドユニットをケースの中に収める。

火をつけると、もらったときの力強い炎がよみがえった。

よし、メンテナンス終了。

壁にかけてある時間を見ると、十時を少しすぎたところ。

時間としてはちょうどいい、さて、再び、夜の散歩でもするとしようか。

寝ることも一瞬考えたが、連日の暇によって夜型になり、あいにく眠気がなかった。

テレビの電源を切り、安らぎと畏怖を同居させる、夜の街に踏み出した。


そう、ここまでは何のこともない、本当に退屈な一日だった。

まだ問題はない、俺に失敗があるとは思えない。

恨みを買うことなんかなおさら。

じゃあ、何が原因だ?


本当に散歩といってもいいくらい意味のない調査。

情報はない、見つかったら、今日はついてたことになる、すでに二時間ほどしか今日はないが。

ほとんどのシャッターが下りたアーケード街を歩く。

わき道からは、夜動き出す人々の活気が伝わってくる。まだまだ人間が寝静まる時間じゃない。

特に通り魔が歩いているような感じはしなかった。こんな人が多い場所にいるはずがないし、そもそもそんな第六感を俺は所持してないが。

あらかた街の中心部を周り終わり、周っているうちに閉じた店も出てくるころ、住宅街に入った。

まだ怪しい奴はみかけていない。

住宅街はさすがに静かだ。うるさいのは個人経営のパブのカラオケぐらい。

二つ先の曲がり角に、また目についた赤い物があった。すぐに曲がって見えなくなる。

それには、既視感があった。

いや、物というより、人か。既視感を感じるのは当たり前だろう、なにせ今日あったことだ。

最初の散歩のとき見かけた、赤いスーツのオッサンだろう。

あんな真っ赤な服を着た人間が、何人もいるものか。

自分の考えに、違和感を感じた。

少しだけ、おかしい、いや、怪しい。

見失わないように駆け足で曲がり角まで行くと、すぐに追いついた。

煙草を踏み消す。口がさびしくなるが少々我慢だ。

尾行をするときは、少しでもばれにくくするために煙草を吸うのはやめている。

なぜ怪しいと思ったのか考えつつ、目標の姿を追う。

自然と俺と目標の歩調が合う。

探偵の日々をこなしていく間に身につけたこの技は、目標との距離を一定に保ちやすくなる上、気付かれにくくする利点もあった。

目標の気配に出来るだけ自らの気配を合わせることは、それだけ存在を悟られにくくする。

目標がポケットから何か取り出した。それを口に持っていく。

煙草だ。

くそ、俺は吸えないって言うのに。いや、ここは、気配を合わせるために俺も……違うな、そんなのは口実作りだ、諦めて我慢しよう。

目標は、最初見かけたときと全く変わらない様子で、一人でとぼとぼと歩いていた。

こちらに気付く様子はない。時折通り過ぎる通行人からも、怪しい目で見られてはいない。

こっちはずっと探偵って仕事してるんだ、ただのオッサンに怪しまれるほどだったら、とっくの昔にやめてるか死んでる。

ずっとあとを尾けるが、怪しい様子は何もない、帰り路を行くサラリーマンにしか見えない。

……ああ、そうか、それがおかしい、そしてそれが疑いに繋がる。

なぜ、スーツ姿なんだ? 今までずっと帰っていたのか? そんなはずは無い、ここまで駅から二十分としない。歩調から考えても、二時間もかかるとは思えない。

会社帰りにどこかで飲んでいったのかもしれない、だが、一緒に飲むような仲間は見かけなかった。

一人で、という可能性もある、しかし、一人で飲むには長すぎるし、酔った気配もない。

それだけじゃ疑うほどの理由じゃない、俺の疑いはほとんど俺の勘から来たものだ。

この尾行が無意味なことに終わったとしても、元から意味なんて無かったからかまわない。

尾行開始から三十分経つが、いまだ目標は行動を起こしていない。

だが、家に帰ることもなく、目的があるようには思えない指向性のない動きは、俺の疑いをより濃厚にしていく。

煙草はかなりいいペースで消えている、ヘビースモーカーだな。しかも道路にポイ捨て、マナーが悪い。

不意に後ろの方からクラクションとブレーキ音、その後に誰かの罵声。幸い事故は起きなかったようだ、衝突音がない。

予想外の出来事だった。

ここは振り向いた方が自然な動作だろう、しょうがないから目標を視界からはずして後ろを向く。

少し遠くのほうで、一台の車が右折して視界から消えていった。

おそらく目標も振り向いた、ということは俺が視界に入ったはず。

視線を戻すが、目標は振り向いてこっちを眺めたままだった。

目標の姿はよく見えているが、俺は街灯に照らされない位置に立っている。目標からほとんど俺の姿は見えてないはずだ。

気付いた様子もなく前を向いて再び歩き出した。

さらに二十分経った、もう人とすれ違うこともほとんどなくなってきた。

やるとしたら、次だ。次会った女に仕掛ける。これ以上待てばタイミングを逃す可能性がある。

目標の動きが変わる。周りをせわしなく見渡すようになった。ばれたかと思ったが、そうではない。獲物を探している感じだ、あれは。

少しだけ動きが止まる、交差点で左の道を注視している。

動かした首の後を追いかけるように、遅れて体が左に向いた。

おそらく獲物を見つけたんだろう。そのための急激な方向転換。

追いついて俺も左に曲がると、目標の先には女性が一人。

目標の足取りが慎重なものになり、息を殺しゆっくりと女性に忍び寄っていく。俺のように煙草を消すようなことはしない。

俺はすぐにでも対応できるよう、煙草に火をつける。やっと吸えた煙草は、体に染み渡る感覚があった。

やっぱり俺はこれがないとダメらしい。喫煙を我慢させてたんだ、通り魔じゃなかったらただじゃおかねぇぞ。

女性の背後に気付かれない程度に近づくと、目標は足を止める。

目標が、くわえ煙草で、空いた右手を動かす。空間に黄色い文字が浮かんでいく。

ビンゴだ! 俺は運がいい!

だが、まだだ、押さえろ。もしここで飛び出して、中止されてしらばっくれられたらどうしようもない。

女性には悪いが、発動するまで飛び出すには行かない。

通り魔は、もっともスタンダードな法陣形成型。魔力を印加させた指で空間に術化法陣を築いている。

あまり精度のいいものには思えない、構築も遅い。

ほとんど死なないわけだ、死んだ奴は本当に運が悪い。

ようやく法陣が完成したらしい、なんか構えを取った。

女は気付いていない、これは、当たるかもしれない。

「グレイト・バーニング!!」

そんなセリフを聞いた瞬間、俺は頭を押さえた。

とりあえず脱力、女性の安否ですらどうでもよくなった。おそらく死にはしないし。

……最悪だ。言としての機能をほとんどなしていないし、何より、センスが悪すぎる。

ここまでダサいセンスの持ち主、赤いスーツなんか平気で着れるわけだ。

こんなのと自分が、法術士という点で同じなんて、認めたくない。相対論的に認めたくない。

とにかくこれで現行犯、ついでに一発法術って物をぶち込んでやりたい衝動で影から姿をあらわにする。

肩辺りをかすめたのだろうか、女性は肩を抑えてうずくまっている。

そこに追い討ちをかけるように、再び法陣を築き始める通り魔。

「おい、通り魔、何してやがる」

後ろから声を掛けるとびくりと肩を震わせ、法陣を消しゆっくりと振り返ってきた。

「え、えぇ? 何で人が……」

俺のことは全然気付いてなかったらしい。

「ん? なんかいったか?」

「え、いえいえ、何も言ってませんよ、今ねほら、女性が倒れてるじゃないですか、だから早く助けないといけないんですよ、ええ、私は今助けようとしてました」

「お前バカか? 俺は最初に、通り魔、とお前を呼んだんだが、通り魔さん?」

「く、くそ!!」

あわてて距離を離して法陣を築き始める。同時に俺も術を行使する。

空間へと、法力を印加させた煙をはきつけ、固定。

風に飛ばされることなく目の前に停滞する煙へと法陣を描く。

出来るだけ力を抑えた拘束用の法術を構築。通り魔が法陣を半分と書き終える前にそれは完成。

「縛せよ……」

法陣に手をかざし、言を放つ。

一連の力が一つの形として確定され、法陣が赤く輝き、一条の鎖を射出。

通り魔の腕へ向かって高速で飛来する。

「なんだって!?」

自分の法陣を完成させるのに集中しすぎ、通り魔は反応が遅れた。

法陣の構築を中断し、横へ飛び退る。そして……運よくよけやがった。

さすがに舐めすぎたか!?

細い横道に通り魔は身を隠す。急いで俺は後を追う。いや、女性が一応心配だ、あまり離れることは出来ない。

「くそ、何でお前みたいな奴に! ありえない、私は最強なんだ!」

……は? こ、こいつ……重度のバカだ。プライドだけ異常に高いらしい。

姿が見えず、ヒステリックな声だけ届くが、あまり離れてはいない。

何も出来ない一般人を襲って、勝手に悦に浸ってるバカだ。おそらく、自分が法術士の中では全く強くないということを、うすうす本心は気付いている、だから、そんなことしか出来ない。

プライドが高くて弱い奴は、もっと弱い相手を見つけ、それを踏みにじって満足するしか方法がないらしい。

「私が負けるなんてことは、ありえないんだ!」

それにしてもよかったな……逃げずに踏みとどまってくれたおかげで、追う手間が省けた。

ここは挑発して、さらに相手の動きを抑制する。

「もうお前の顔は覚えた。ここで逃げても、どうせあんた、捕まるぜ?」

俺を殺せば、その心配もなくなるだろうが、それは不可能だ。ここでの通り魔にとって最善の選択肢は、やはり逃走。

「ほら、俺を殺してみろよ? 最強なんだろ?」

「ふざけるな!」

よし、乗ってきた、これでこいつから、逃げるという選択肢は消えたはずだ。

今まで犯行がばれなかったんだ、利口な奴だと思っていたが、意外と脆いな。

「こんな、女をいじめて何が楽しいんだ。最強だと思うなら正々堂々やれよ」

煙草を持った手で倒れている女性を指す。ついでに肺の中の煙をはき出す。

女を後ろから襲うなんていう卑怯な奴だ、おそらく俺の隙をうかがっている。

隙をさらけ出すように、女性の方に体を向き直す。通り魔に背を向ける形になる。

「あぁ、なんだ、気絶してるじゃねぇか。さっさと終わらせるか」

何か声が聞こえた。法力が収束していくのを肌で感じた。

……!?

聞こえた? いや、まだ発動していない、おかしい、奴は法陣形成型、声が聞こえるのは最後の言を放つときのみのはずだ!

しかも声は右側から聞こえた、奴が移動した気配は感じていない!

すさまじい殺気と共に、巨大な法術が発動。轟音が近づいてくる。

一気に後ろに飛ぶ。反応が遅れた。これで避けられることを願うしかない!

目の前を爆炎が通り過ぎる。間一髪避けた!

仲間か? いや、そんなはずがない、単独犯のはずだ。

しかし、今の法術に乗じて通り魔に逃げられた、くそ。

なんなんだいったい、何でいきなりこんなことになった。

暗闇の中、慎重に敵を探る。

ダメだ、見えない。あいにく街灯は俺の頭の上の切れそうな奴が一つのみ。

ある程度さっきの法術から敵のいる方向はわかったが、どこから攻撃がくるかわからない暗闇の恐怖がある。

背筋にいやな汗が流れるのを感じた。

「彼女の仇、とらせてもらうぞ!」

また法術を発動しようというのか、かすかに空間に圧迫感を感じる。

「……穿、刃、浄、炎……。我、剣を持たぬ者、汝我が刃と為す! 《錬咆》」

敵は、詠唱型のようだ。法術が発動した瞬間、暗闇の一点が、赤く光った。

まともに食らったら一撃で死ぬ法術が俺めがけて飛んでくる。

煙草を投げ捨て、横に転がる。

速度と威力を重視した法術、誘導性はほとんどないから反応できれば避けるのは簡単だ。

余波の熱風に、体があおられる。

理解しがたいが、どう考えてみても、これは俺の狙った法術だ。


そう、こうして現状に至る。全く理解できない。あまりにも唐突に俺は殺されそうになっている。

何でいきなり命を狙われなきゃならない。なんか恨まれるようなこと……それは職業柄よくあるが、それにしたってこんなことは初めてだ。彼女の仇、とか言っていた。女を殺したか、俺? 最近はほとんどないぞ、そんなことは。それに今までだって、数えるほどしかしてない。しかも九割は犯罪者だ、絶対。

じゃあなんだっていうんだ一体。


ビルの工事現場がすぐ近くにあった、とりあえずはそこに逃げ込む。かなり広大な敷地に、見上げるほどの高さがあるビルの骨組みが佇んでいる。骨組みの上端は、鉄骨の高さがそろってなく、まだ上へ伸びることを想像させた。

走りながら吸っていた煙草を投げ捨てる。

街中であんな法術ぶっ放されたら迷惑この上ない、ここなら少しは派手にやっても大丈夫なはずだ。

今この状況は、俺が不利だ。法術を発動しようにも、煙草に火をつければ、この夜闇、それが単なる的になる。ここへも煙草の火を頼りに追ってくるはず。

しかも、相手はこっちに攻撃の隙を与えないように、出来るだけ単純な法術ばかりを連続して放ってくる。法陣を構築する際は身動きが取れないというこちらの弱点を見事につかれている。

威力も申し分ない、一発当たればこっちはおしまいだ。

俺も人を殺すだけの単純な法術を構築するだけなら、スピードで負ける気はしない。だが、殺されかかったからって殺し返すのは、寝覚めが悪い。おかげで手加減しなくちゃなんないが、手加減はいろいろと面倒なんだ。

俺を追って敵も工事現場まで入ってきた、俺の姿を探している。細かい動きまでは暗くてわからない。

ここは危険だが、事情を聞きたい。声を出すしかない。

「おい! 何で俺の命を狙う!」

「仇の言葉など、聞く耳持たん!」

ふざけんな。

「なんだよそりゃ!? 俺は覚えがないぞ」

視線がそれとなく合う、しっかりわかっているわけでは無いだろう、微妙に体が動いている。

「あの世で考えな! ……徹、防、塊、爆……。我、炎を持たぬ者、汝我が爆炎と為す! 《錬咆》」

火球が斜めに発射され、放物線を描いて飛んでくる。

直撃ではない、微妙にずれている、しかし、盾にしている鉄骨の山を越えて俺の至近距離で炸裂する軌道。

判断した瞬間、足が動く。爆発の射程外へと逃げ、ビルの土台となるコンクリートの影に潜り込んだ。

直後、爆発。盾にしていた鉄骨の山が吹き飛び、地面にばら撒かれる。

これじゃ結局迷惑かけちまうじゃねぇか。

まだ正確な場所はばれていないはずだ。敵は警戒を解いていない。

着弾地点に様子を見るために移動してくるはずだ。その瞬間に背後から法術を発動するのが手か。

敵は移動を開始した、やはり着弾地点へと向かっている。

気配を消し、大きく迂回して、背後を取れる位置に回る。

爆発のときにばら撒かれた鉄骨が邪魔だ。気をつけねぇと。

敵が着弾地点に到着し、周囲を様子見し始めた。足の位置としては背後。

そのまま前に注意が向いた、今か!

一挙動で煙草に火をつけ、法陣の構築開始。肺に入れるほど時間はない。火の方で描く。

俺の行動に敵が気付く。予想より気付くのが早い。

「……盾、威、蒼、電……。我、雷火を持たぬ者、汝我が稲妻と為す! 《錬咆》」

速い! まにあわねぇ!

闇を切り裂く雷撃が走る。

構築を中断し、目を腕で覆って後ろへ倒れ込むようにして避ける。俺の体が今まであった場所を、雷撃が駆け抜けていった。かすかに服が焦げた。

予想以上に速い、今のタイミングは危険すぎた。

「……疾、咎、騎、甲……」

くそ、もう二射目かよ!

立ち上がりつつ、煙草を前方へ投げ捨てる。

奇襲が失敗した。いったん退くしかない。いや、退けるかも危うい!

「我、矛を持たぬ者、汝我が射手と為す! 《錬咆》」

随分ずれた位置に法術が飛んでいく。槍かと思うほどの巨大な矢が鉄骨を砕いた。

法術の選択ミスだ、おそらく雷撃の光で目を傷めた。

反撃するほどの隙は無い。

くそ、厄介なことこの上ない。今のミスがなきゃやられていた可能性だってある。

何でこんな奴と戦わなくちゃならねぇんだよ、俺は。

工事現場のプレハブの裏に隠れ、煙草を吸う。

遠くで声が聞こえる。位置がばれているらしい。

煙草を地面に置いて、再び移動する。

プレハブを貫通して何か飛んできたが、確認する暇はない、出来るだけ距離をとる。

クレーンに隠れ、戦術を再構築する。

やはり、隙を突くしかない。

そう、もう一度背後を取る。

それだけじゃまだ足りない、今度は敵に法術の発射方向を間違えさせて背後を取る。

さっきからの敵の行動から予測すれば、障害物越しでも関係なく、位置にめぼしをつければそこに撃ちこむようだ、つまり目視していない。

なら、隠れていると思わせる。

一本の煙草に火をつける。そして、わざと敵から見えるように先端だけクレーンから出して固定。

気付かれないように別の場所へ移動。

敵がクレーンのダミーに反応して、詠唱を開始する。

よし、かかった。

敵の死角から、法陣の構築を行なう。

煙草に火をつける分、時間がロスする。いつも以上に完成に手間取る。

法術をダミーに放った後、罠と敵は気づき、俺の方に向いた。

次の法術を撃つまでにラグがある、俺の勝ちは決定的。

敵が口の前で印を組むと、呼吸に合わせ、手に収束していく法力が濃緑色に明滅した。

「……魔、円、壊、閃、駆……」

高位法術? なぜこのタイミングで?

だが、もう遅い。

「水蛇よ……」

拘束用へ力を変換し、敵を捕らえ、水で窒息、昏倒させる水流が敵へ迫る。

敵が、大蛇に丸呑みにされるが如く、水の波濤に呑まれた。

「お前の負けだ……我、刃に魂を持つもの……」

拘束されずに平然と詠唱を続ける敵がそこにいた。

いつの間に防御法術を!?

そう、水越しに確かに見えた。

法術が到達する瞬間、白い盾のようなものが現れ、全て相殺されるのを。

白い盾は法術を受けきりすでに消滅していた。

「汝、我が魂に……」

……

「いや、あんたの負けだ。そこは俺の、領域だ……」

煙草を前に弾く、火のついたままのそれが、地面へと接地。

敵を囲うように地面に法術の赤い閃光が迸る。

無数の鎖が声を出す間もなく敵を襲い、がんじがらめにしていく、先ほどの防御法術も発動しない。

さっきから、合わせて四本、俺は一度も煙草の火を消さずに、全て捨てていた。

わざと大きく移動し、敵を囲う地点に。

まんまとダミーに引っかかって中心に来たところに、あらかじめ煙草に付加された法力を利用し、法術結界を形成した。

触媒型の得意な戦法は、あらかじめ設置しておいた法術のトラップなどを使用する、待ちの戦法だ。

一級の触媒型法術士の領域に足を踏み込めば、それは死に直結する、無限のトラップ地獄にはまることを意味する。俺ですら術中にはまれば勝てるかわからない、相手が触媒型とわかったら、出来るだけ動かないで触媒型を逆に誘い出した方が得策だ。

俺は法陣形成型であり、触媒使用型であるから、もちろんその触媒型の戦い方も出来る。

今のは、設置しておいた触媒を基点に法陣を構築、高位の法術の展開から発動までを高速で行う、触媒と法陣の複合法術。

鎖を何重にも巻かれ、口にも猿ぐつわのように鎖がはめられ、身動きの取れない敵が殺意の眼差しを向けてくるが、相手にその鎖を破る術はない。

ふぅ、やっと終わったか。

「さて、話を聞かせてもらおうか、間違っても法術を唱えようとするなよ?」

口を塞いでいた鎖が俺の意思でほどける。

「疾、咎……いたっ!! 痛いイタイイタイ!」

体に巻きつけた鎖をさらに強く絞っていく。

「唱えるなって、わかったか?」

声を出すのも辛くなったようで、必死にうなずいてきた。鎖を緩めてやる。

「さて、聞こうか。何で俺を殺そうとした?」

「それは! 自分で考えればすぐにわかるだろう!?」

「あ? 聞こえなかったのか? 俺は、お前に、何が理由で、俺を殺そうとしたのか、聞いているんだ」

「本当にわからないのか、それとも忘れたというんじゃ……ッ!?」

物分りの悪い奴だ。

骨を砕きかねない勢いで縛り上げる、あまりの痛さに声さえ出せないようだ。

「……いいか? 無駄なことを言うな、俺に聞かれたことだけ答えろ。それ以外しゃべる理由が今のお前にはない、俺も聞く理由はない」

さっきと同じようにうなずいて来た、今度は力ない一回きり。

「で、俺を殺そうとした理由は?」

三度目の質問、いい加減聞くのも面倒だ。

「由香里を襲ったのは、お前だろう……」

この部分は俺が襲われたときすでに聞いたが、まあ許してやろう。

「ほう。何で俺だと思った」

「由香里が……、赤い服を着て、白髪で、煙草を吸ってたやつに襲われたといっていた」

赤い服、白髪、煙草か。

……ん?

……

「……お前の彼女は、もしかして……通り魔の被害者?」

彼女は運が悪かったな。そして今の俺も。

「そうだ、お前が犯人だろう!?」

「ふざけんなバカ! おれじゃねえよ! というか俺は今まで追ってたんだよ! もう少しで捕まえるって言うところでお前が邪魔したんだ!」

勘違いとか言うはた迷惑な理由で、俺は通り魔に逃げられたっていうのかよ。

「嘘をつくな! その格好で言い逃れなんて!」

「おかしいことに気付け! 通り魔は赤い服といっても赤いスーツだ。それにこんなスーツの中に着てる赤いワイシャツに、襲われてる人間が気付くわけないだろ! ついでに煙草を吸っているといっていたんだろう!? もし俺が通り魔だったら、より印象強く残るはずの、煙草で法術を使っていた、になるに決まってるだろう!」

「じゃあ、さっきの女性は……」

「あれは通り魔が襲っていたから俺が助けようとしたんだ。よく見てから判断しやがれ!」

「……嘘だろ……?」

「こっちが言いてえよ! ここで嘘つく意味があるか。それだったらとっくに殺してる」

「そんな……」

ようやく自分の間違いに気付いたらしい、どんどん気迫がなくなっていく。

「これでお前は俺を襲う理由はなくなったんだな。鎖を解くぞ?」

法術を停止すると、男は支えを失って地面にへたり込んだ。

これはかなり自分の犯した間違いに後悔してるな。

このまま立ち去ることも出来たが、放っておけないくらいへこんでいる。

「お前、それなりに強いじゃねぇか、戦い方も悪くなかった」

「スイマセン、あんな危ないことして、本当にスイマセン」

「まあいいよ。名前は?」

「私は玉城 俊一です」

「俊一か。俺は空煙 叢紫だ。お前、普段からこんなことをしてるのか?」

「スイマセン、でもまさか、誰かを襲うなんてことしませんよ」

「そうじゃなくて、法術戦闘だよ」

「いえ、今回が初めてです。何かの役に立つと思って訓練はしてきましたけど。スイマセン」

初めてにしては、よくやりすぎだ。かなり手ごわかった。

「そうか。それにしても法陣形成の弱点をうまく利用した戦い方だった。少し危なかったが、まあ、俺が触媒型とまでは予測がつかなかったらしいな」

「はい、まさかあんなことされるなんて。でも、あそこで負けるとは思っていませんでした」

「防御法術のことか?」

「あれは、敵法術を一度だけ吸収する盾の法術だったんです。しかも、ばれないように発動したのに。もしかして気付いてたんですか?」

こいつ、さっきとは打って変わって口調が丁寧だな。

「あぁ、あれはな。分割詠唱という技術が詠唱型にあるのは一応知っていた。何を詠唱したのかはわからなかったがな」

分割詠唱とは、詠唱を他の法術の間に少しずつ割り込ませ、並行的に法術を発動する、詠唱型の高等技術だったと記憶している。

「それだけで二連の発動を判断したんですか?」

「まあ、俺のタイプを予測できなかったのも、分割詠唱がばれたのも、実戦経験の差だな」

防御法術だったのなら、実直な戦い方からして手の込んだものじゃなく、単純にこっちの攻撃を一度防ぎ、その隙に反撃の法術を発動すると判断していた。例えば、一度きり完全に無効化するような防御法術とか。

「さて、俺はそろそろ帰るか。彼女のことは、残念だったな。まったく、偉い目にあった」

「スイマセン、由香里をひどい目に合わせた奴を追ってくれていたのに、私が邪魔をしてしまって。しかも、叢紫さんが犯人だと勘違いまでして。頭に血が上りすぎてました。本当にスイマセン」

「気にするな……」

……?

ひどい目に合わせた?

そういえば、そもそも彼女からいつ特徴を聞いたんだ? 死んでる人間から聞いたんじゃあるまい。

もしかして……

「お前の彼女、生きてんの?」

「あ、はい、入院してます」

それを聞いて、今度は俺がへたり込んでしまった。

生きてる女の仇討ちに来た男に、殺されかけたって言うのかよ。

今日はほんと、ついてねぇ。


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