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明日は明日の風とか言うやんか

「何と言うか。納得できないんですよね」

 狭い寝室にはベッドがある。形ばかりの机に、傾きかけている簡素な二段ベッドが二つだけ。粗末な部屋だ。

 僕の言葉に答えたのは前田。キョトンとした顔をしていた。大きく口を開いた彼は、まるで山猿のようだ。

「んっ、どうしたアラやん? えらく機嫌が悪いやん」


 後藤は暢気な顔でベッドに横になっていた。彼は身を起こし、僕の顔を見るなり、神妙そうな顔をした。

「マズいぞ、前ちゃん。アラやんって、時々スイッチ入るねん。何となく理由はわかるんやけど」

「何なん、ゴットーちゃん?」

「いや、アラやんはな、女がらみになると時々こうなるねん。前、エリカちゃんの時も変身しよったんや。あれはかなりスゴかったで」


 前田はほうと言った後、僕の顔をマジマジと見た。その顔には笑みが浮かんでいる。まるで宝物を見つけた子供のようだった。目が輝いている。

「変身って。それは言い過ぎやろ? でもまあ、それはそれで見たいなあ」

「いやいやいや、前ちゃん。甘く考え過ぎたらあかん。あれはただ事じゃなかったで。ほんまに殺されると思ったんやって。アレは人と言う殻を脱ぎ破った何かやねん。頭、カチ割られて血を吸われるかと思ったわ」

「そうなんや」

 彼らがヒソヒソ話を始めた。時折、前田の驚きの声が混ざっているようだ。彼らが僕を見ている。その姿にため息をつく。


 ここ最近、僕達の扱いが悪い。多分、左藤のせいだろう。ある事、無い事を吹聴し回っているみたいなのだ。

 この倉庫には女性が多い。だけど、彼女達の態度が何となく余所余所しい。僕が近寄るだけで足早に去って行き、目線を合わせようともしない。なんというか、土砂降りの中で置き去りにされた子犬のような気持ちだ。


 これだけだったらまあ良いだろう。

 許せないのは、後藤と前田はそんな中でもうまくやっているという事だ。軽く冗談を言って女の子を笑わせたり、何気ない会話をしていたりする。何というか。


 許せざる行為。

 断罪が必要だとと思う。これはれっきとした裏切り行為だ。

 世の中はそこはかとなく理不尽だ。


 余りの理不尽さに、僕の心臓は裂けてしまいそうだ。

 いや、むしろ、彼らの心臓を裂いてしまいたい。


 変身できそう。


「ちょっと、ちょっと、アラやん」

 後藤に肩を揺すぶられ、正気が戻ってきた。臨界点に達しようとしていた心が落ち着きを取り戻そうとしている。

 危い所。もう少しで僕の中に違う僕が現れてくる所だった。

 でも、いっそ現れた方が良かったかもしれない。僕は昏い目をしていた事だろう。


「どうしたんや? 何か寒気がするほどヤバかったで」

「いいじゃないですか。もう僕の事は放っておいて下さい」

「えー、アラやん。拗ねてるで。どうするゴットーちゃん?」

「マズい。これは絶対にマズい。夜中に寝首を掻かれかねへん。命の危険を感じるで。何とかせんとヤバいぞ、俺ら」

「せやかて、ゴットーちゃん。どうするの?」


 密談を始める二人の後ろ姿を見つめる。期待と不安がごちゃ混ぜになっている。この屈折した気持ちがどうにかできる方法があるならば、それはそれで良いかもしれない。

 ただ、それもヒヒヒという前田の低い笑い声を聞くまでだ。僕は何だか話がおかしい方向に向かうのではないかという気がした。


 振り返って満身の笑顔を向けてくる彼ら。


「あのな、アラやんって女の子の前でエエ格好しすぎようとしてるんちゃうかなあ」

「そ、そんな事ないですよ」

「いいや、前ちゃんの言う通りやわ。何か、こう。アラやんって、妥協を許さん所があるねんな。何と言うか、これしかない、みたいな感じがするんやなあ」

 後藤の言葉に前田が相づちをうっている。

「そうそう」


「やから、もう少しいい加減でも良いと思うんや」

「そうそう」


 僕は自分の心をノックする。確かに言われてみれば、僕には固い所がある。物事を決めつけてしまったりするし、視野が狭いと人に言われたりする事もある。

 後藤と前田の方を振り返ってみたら、彼らは結構いい加減。最近は慣れてきたけれど、ああ言えば、こう言うみたいな、捕らえ所が無い所がある。

 のらりくらりみたいな。


「だからな。アラやん。もうちょっとリラックスしいや」

「そうそう」


 何か真面目に僕を気遣っているのを見ていると、少しだけ。ほんのちょっとだけ、心が温かくなった気がした。何だか最近、兵站の仕事がうまくいかないけれど、それもどうでも良いような気がしてきた。


「だからな。物事は気軽に考えた方が良いねん」

「そうそう」

「…そうかもしれませんね」


 三人の間に緩やかで暖かな雰囲気が降りてきた。今まで背負ってきた重いもの。それが取り除かれる気がした。

 僕は休んでも良いんだ。

 僕は心を休めても良いんだ。


「やから、桜塚准将に送る積み荷を間違えてしまっても、怒ったらあかんと思うねん」

「そやそや」

「そうですね」


 なだらかな時間が過ぎてゆく。僕は赦されたのだ。遠い道のりを歩き、疲れた魂はようやく救済を見つけたのかも知れない。


「ちょっと、待って下さい」

「何や、アラやん?」

「……桜塚准将へ送る荷物を間違えたってどういう事ですか?」

「大きな心やで、アラやん。大きくて広い心。それを忘れたらアカン」

「そうそう」


 桜塚とは名古屋軍を指揮している最高責任者。とてもうるさい人らしい。ただでさえ軍との間がうまく行っていないのに、火に油を注ぐような行為。考えただけで気が遠くなってきた。

 軍法会議スレスレの所で何とかやっているのに、これは致命的なミス。相手にケンカの口実を与えるようなものだ。


「そうそう、じゃ無いでしょ? 大変な事になりますよ!」

「ノー・プロブレム。その精神を忘れたらアカン」

「いやいや、ビック・プロブレムでしょ? コレ? 勘弁して下さいよ」


 頭を抱える。どうして、僕の所にはトラブルばっかりやってくるのか? 明日やってくるであろうクレームを考えたでけで頭が痛くなる。冷蔵庫に押込められ、扉が閉じられたような閉塞感。出してくれ。そう叫びたい。


「なので、夜ばいをかけようと思うねん」

「何でそうなるんですか? 意味がわかりません」

「いや、アラやん。こうなれば失う物は何も無いんやし、もういっその事やな。弾けてしまえば良いと思うんや」


 笑いながら僕を覗き込んでいる二人の姿。いつもの粘つくような笑いじゃない。どこか透明感を感じさせる笑みだった。


 あっ。

 僕は気付いた。これは彼らなりの気遣いだ。そう感じたのだ。僕を覆っているプライドやこだわりを脱ぎ捨てて、馬鹿な事をして気を紛らわせようと心を砕いているのだろう。

 そうか、そう言えば彼らは僕の友人じゃないか。

 

「おっ、アラやんが笑った」

「ふう、これで暴発は免れたようやな」

「何言ってるんですか。僕はいつだって正常運転ですよ」

「アラやんも言うなあ! ほな、女子寮に行ってみよか?」

「良いですね。行ってみましょう。たまには馬鹿にならないとダメですよね」

「そうそう」




 結局、何も得るものは何もなかった。

 管理人からは鼓膜が破れるかと思うぐらい怒鳴られた。でも、そんな悪い気はしなかった。隣には後藤と前田。一緒になって頭を下げている。

 空を見ると、星が明々と輝いており、まるで曇りのない僕の心のようだった。清々しい。そんな気すらした。


 僕達の宿舎に戻ったのは、真夜中をかなり過ぎた頃だった。

「あーあ、ゴットーちゃん、ガッつき過ぎや。何もかもぶち壊しやん」

「いやいや、熱い想いを伝えるのに、手段を選んでいたらあかんねん」

「でも、いきなり窓ガラスをブチ破るとか、ありえないんですけど。可哀想にあの女の子、怯えて泣いてましたよ」

「まあ、明日は明日の風が吹くって言うやん」


 大声で笑い出す後藤。その澱みの無い笑い声を聞いていると、何だか僕までおかしくなってきた。前田も一緒になって笑い声をあげている。夜空はどこまでも遠く、開けっぴろげだった。僕も一緒になって笑った。心のつかえがとれたかのようだ。


「それにしても、桜塚の件、どうしようか?」

「えっ?」

「桜塚准将に送る積み荷を間違えた件やんか、言うたやろ?」

「まあ、明日は明日の風が吹くっていう事や」


 明日の風は台風のようだ。


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