抵抗したかてええやんか
兵站基地に来て早くも数週間が経つ。夏の暑い盛りも過ぎたけど、空気の中に残暑が残っている。
「はあ、今日もまた怒られるんですか。嫌だなあ」
ヒヒヒと隣で笑う後藤。これから白井から怒鳴られるというのに気楽なものだ。
「今日もカオリンに会えるなあ」
「カオリン。怒った顔も素敵やからなあ。カオリンに罵声を浴びせられると、背中がなんかこう、ゾクゾクってするわ」
「もうそんな事ばっかり言って、僕達の評価ダダ下がりじゃないですか」
「えっ?アラやん、そんなん気にしてんかいな?」
「そりゃ気にしますよ」
僕はこの二人の鉄のハートが羨ましい。今日もため息でいっぱいだ。この頃は二人に混じって馬鹿な事もするようになったけれど、怒られるのはやっぱり嫌だった。
「あのなあ、アラやん。人の目から自分をのぞくからおかしな事なりよるねん。俺は俺、前ちゃんは前ちゃん、アラやんはアラやんや」
「そうは言っても、やっぱりルールは守らないと駄目でしょう」
「自分が気持ち良くなかったら、そんなもん放っておいたらええねん。俺らかってここの一員やねんから、気持ち悪い思うたら、抵抗したかてええやんか」
ああ言えば、こう言う。後藤は口が達者だ。それに妙な説得力がある。何も考えていなさそうなのに、よくもこんなにすらすらと言葉が出てくるものだ。
それにしても言われてばかりは少しばかり悔しい。
「そんな生き方していると人からろくな事言われませんよ」
「難しい事言うなあ。アラやんは。でも、そんなんは犬の考え方や。人の顔色見て、生きるんなんて俺はいらんなあ。俺は俺やの。そうでないと誰の人生だかわからんようになってまうやん。俺は俺の人生を生きるねん」
「少しは顔色は見ないと駄目でしょう?皆から見捨てられてしまうじゃないですか?それはちょっと寂しいというか。残念というか」
「そやから、俺らがおるやんか。アラやんがアホな事しても、俺らは見捨てたりせえへんで。俺らもう友達やん」
「な、何を恥ずかしい事言ってるんですか。もういいです。早く白井兵站監の所に行きましょう」
「ヒヒヒ、照れとる。照れとる」
「アラやんは相変わらずのツンデレさんやでえ」
後藤と前田は頭の後ろで腕組みをしながら笑ってついてくる。
本当に仕方がない連中だ。
二人はいい加減だけれども、割りと色々考えているみたいだった。度々道をたがえた事もするけれど、そこには自分の意思があると言う。
僕は最初は取り合わなかったけれど、最近はそんな生き方もアリなんだろうかと思うようになってきた。
父親から、母親から、学校から、社会から、こうすべき、こうしなさいと言われ続けて、それに従って生きてきた僕には驚きだ。
扉を開くとそこには怒れる白井が居た。
「お前ら!これで怒られんのん何回目や!ええ加減にしときや!」
「まあまあ、カオリンそんな怒りなや」
「カオリン言うな!」
「カオリン。怒りは美容の大敵やねんで」
「こじわも増えてしまいますしね」
「余計なお世話じゃ!こじわ増やしてくれとんのは、どこのどいつじゃ。うちかて好きでこじわ増やしとるわけちゃうわい!ちゃんとケアもしとるわ!好き勝手言いやがって、うちの事もよう知らんと…」
落ち込む白井。後藤が大声で騒ぎ出した。
「うわー、アラやん。地雷やったみたいやぞ。カオリンへこんでしもたやないか!」
「女の人にこじわの話は禁物やで。でも、へこんでるカオリンも中々ええな」
仕方が無い。これというのも自分のせいだ。なんとか場を盛り上げよう。
「はいはい、こじわとかけて茶柱と解く」
「ほうほう」
「その心は?」
「これはげんが良い」
「即興とは言え、これは苦しいなあ。20点」
「もうちょっと何とかならんかったのかな。黙っておくのも勇気やで。俺は30点」
「厳し過ぎでしょう」
「お前ら、ええ加減にせんかい!」
僕達は頭にコブをこさえて部屋を出た。
「ありがとうございましたあ」
「おや、君達どうしたんだい?頭にコブ作ったりなんかしちゃってさ」
左藤とすれ違う。彼も白井に用があるようだ。
どうも彼は僕達を陥れようと、ある事ない事吹聴しているらしい。最近、職場でヒソヒソ話が増えたのも、コイツに原因がありそうだ。
左藤は捨て置いて僕達は倉庫に戻る。
「ほなら、アラやん。これからネズミ返し付けていったらええのんか?」
「そうですね。そうしたら、後藤さんお願いできますか?」
「おっしゃ。わかった。まかせとけ。俺はアラやんみたいに帳簿つけたり、前ちゃんみたいに勘定つけてくのんできひんから、丁度ええわ」
「それにしても前田さんって、計算とか得意だったんですね。ちょっと驚きです」
「まあ、前ちゃんは昔から金にはうるさかったからな。適材適所やわ」
この世界は文明が低い。だから衛生管理も全然だ。食料は平気で腐るし、ネズミも入り放題。
食料が途中で腐るので、輸送時は廃棄分を計算した上で送らなくてはならない。
また、軍は戦地に広範囲に展開していて、それぞれ補給タイミングが違うという有様だ。その上、それぞれの軍から要望があって輸送が行われる。だから、輸送がバッティングして、遅れたり、運ぶはずの物資や食料が足りなくなる場合があった。
仕方がないので、食料や物資の残りを帳簿をつけて管理。補給タイミングもこちらで設定して、厳密にスケジュール管理するようにした。
少しは僕達の仕事もましになったのだけれども、問題もある。
「こらああ!お前らか!俺らの食料を勝手に減らしやがって!何を考えとんねん!兵隊が食えんようになったら、勝てる戦も勝てんやろうが!このアホンダラ!」
これだ。
今まで軍に言われるがままに食料を送ってきたものだから、急に補給物資が少なくなったと勘違いして、苦情を言いにくる奴らがこのところ増えてきてしまった。
「わちゃあー。今日もお客さんがきよったわ。ほんまにうるさいなあ。あないに大声ださんかて聞こえとるっちゅうねん」
「ほんまやな。しゃあないな。俺が行ってくるわ。二人とも自分の仕事をしといてくれや」
「頼みます」
「ゴットーちゃん頼むわ。今日は近くの農村から搬入があったもんやから、帳面つけたりと何かと忙しねん」
「ここは俺に任せとけ。くぅーええな。何か俺、格好良くない?」
それがなかったら本当に格好がいいのに。
後藤は意気揚々と歩いていく。他は女の人ばっかりだし、軍人相手に口論できるのは彼しかいない。幸いな事に後藤は口が達者。今の所、防衛ラインは敗れていない。
「それにしてもアラやん。物資の節約はできてるとは思うんやけど、ほんまにこれでいいんかな? 軍人は乗り込んで来て騒ぎよる。おまけに他の連中はもういいやんみたいな顔しよるやん。もうちょっと適当でもええんちゃうんの?」
「いや、ここの食料って付近の農村から集めてくるじゃないですか。だから、あんまり多く調達していると、軍の印象が悪くなるんですよね」
前田はなるほどなあ、という表情をした。彼は素直だから、僕の言う事を信じてくれる。だけど、左藤を筆頭に他の連中は疑わしいと思っているようだ。
ただ、白井だけは僕達の事については放っておいて好きにやらせとけと言っているようだ。僕達はそれに甘えて好きにさせてもらっている。
「それにしても何やなあ」
「どうかしましたか?」
「いや、ここに来るまでに比べて、アラやんええ顔するようになったなあと思うてや」
「そんなつまらない顔してましたっけ?」
「つまらん顔はしとらんかったで。でも、よう難しい事ばっかり言うてイライラしてばっかりやった印象があるんやな。性が細かいから、こういうの合っとるんやろうな。水を得た魚みたいや」
「そうなんですかね?あまり自分ではわからないんですけど?」
「人からどう見られてるとか、もうええやん。アラやんはアラやんで自分の思う通りにやったらええねん。俺らも助太刀するからな」
何か少しだけ嬉しくなった。そうすると向こう側から声がした。
「さっきの軍人さんやりこめてきたったで!はは、大声出すばっかりで、あんまり大した事なかったわ」
後藤の自慢話が始まった。