うわあ、えらい所にきてしもた
「うはあ、これはまた」
兵站基地に入って僕達は絶句した。着替えた作業服の下から汗がにじみ出る。
まったくの想定外だった。
「これは。この展開だけは想像してなかったなあ」
「そ、そうですね。僕もちょっと何て言えばいいかわかりません」
目の前に広がるこの一大パノラマ。
「ええなあ、女ばっかしやん。しかも美人さんばっかしや。ここは何と言うハーレムやねん。俺はここで死んでも悔いないわ」
「後藤さん。よだれが出てますよ。早く拭いて下さい。みっともない」
「アラやーん。何を気取ってんねん。人間正直にならんとあかんで。ほら、アラやん、君はいったいどこを見てるのかね?」
もちろん僕だって男だ。こんな風景を見せられて、心が躍らないわけがない。
「し、失礼だなあ。前田さん。冗談を言ってもらっては困ります。僕はこんな事で心が動いたりしないですよ。僕はいつだって、どんな時だって冷静なんですよ」
そんな事を言いながら、僕の視線は前方に釘付けだ。跳ね回る女体の群れに僕の心はどこかに飛んでいきそうだ。
「いや、それにしても絶景ですね。天国って本当にあったんだ」
僕はこんな事を言う奴じゃなかった。
後藤や前田と居る内に、何かが壊れてしまったのかもしれない。
でも、こういうのも悪くはない。
「あらまあ、これはこれは。言うてた新人が来たようやな。こんな所で何をしてんの?」
ねっとりと絡みつくような声がした。淡くて、こそばゆい痺れが背筋を走り抜ける。僕達が振り返ると、そこには見目麗しき大女がいた。
「ようきたな。私は兵站監の白井香織や。この兵站基地の最高責任者っていう訳やな。それにしても、あんたらの視線はやらしいな。見られただけで妊娠してしまうんちゃうか」
ちょっときつめの感じがする人だ。ショートカットがすっきりとしていて、首筋が眩い。思わずほうと言ってしまいそうになる。
断っておくが、僕の好みはちょっと違う。
けれども、これはこれでアリだと思う。
「あっ、すんません。皆さんのあまりの麗しさに魂が抜けていたみたいです。俺は後藤といいます。皆さんの期待にお応えする待望の新人です」
「俺は前田です。こう見えて、中々力持ちで頼りになる男です。心優しく、それでいてクール。ちょっと渋めのナイスガイ。前田。前田をよろしくお願いします」
「僕は荒川です。僕は真面目で融通が利きませんが、最後に頼りになるのは僕しかいないと思います。誠実と言ったら僕、僕といったら誠実。何かありましたら荒川に御用命下さい」
僕達の自己紹介を聞いて白石が呆れた。困った表情がまたセクシーだ。もっと困らせたくもなる。
「あー、もう、うっさいのが入ってきたなあ。最初からコレやと先が思いやられるわ!言うとくけど、うちの所は口ばっかりの奴はいらんからな!その辺ちゃんと理解しといてや!ほんま頼むで!」
少しハスキーな声が素晴らしい。僕の耳から入ってきて、脳を揺すぶるかのようだ。耳元で囁きかけられたなら、僕はすすんで魂をも捧げる事だろう。
「ええなぁ。カオリン。最高やん」
「僕はあの声にやられましたね。あの人の声を聞いていると、どう言っていいのか、背中がむずがゆくなりますよね」
「あれは男を泣かすタイプやと俺はにらんだぞ。あの赤い唇。たまらんなあ。多分やけどカオリンは男の生き血吸って生きとるねん。あんな人やったら、好きなだけ俺の血を飲んでくれて構わんわ。いっそ吸って欲しいぐらいやな」
「今日から楽しいなりそうやな。もう、仕事でも何でもやったるわ。もう、頑張って、頑張って、頑張りまくるでぇ!」
「ゴットーちゃん。鼻息荒すぎや。暑い苦しい男は嫌われるんやで。これからの時代の男は俺のようにクールでないとな」
「前田さん。何を笑わせてくれるんですか?前田さんがクールとか言っていると、クールという文字が恥ずかしさの余り、腹を切って詫びを入れてきますよ。僕こそがクールと呼ばれるにふさわしい」
「ははっ。アラやんも言うようなったやん。ここか?今日の仕事場は?」
「やあ、さっそく来たね」
男の声がした。透明で綺麗な声だ。まるで歌い声のように耳に忍び込む。
「あん?お前は誰や?」
積み上げられたズダ袋に寝転がっている奴がいる。そいつはゆっくりと起き上がり、金色に染めた長髪をかきあげた。
「僕かい?僕は左藤だよ。君達の自己紹介は別にいいよ。僕にとってはどうでもいい事だからね」
彼は僕達の方を一顧もしなかった。ポーズをとっているつもりなのか、くねくねとよく動く。
ちょっとこいつキモイんですけど?
「君達にお願いする事はただ一つ。君達は僕の仕事を邪魔をしないようにしてくれるかな。僕からのお願いだよ。それが君達の仕事の一つだから。簡単だろう?僕はエレガントに仕事をする人だから、他の人に邪魔されたくはないんだよね」
そこに駆け寄ってくる女の子がいた。
小走りで一生懸命駆けてくる姿は愛らしい。彼女の幼い顔と相まって自然と僕達の顔がだらしなくほころぶ。
「やあ君か?どうしたんだい。そんなに一生懸命走ったりして。君の可愛い顔が台無しじゃないか?それともそんなに急いで僕に会いに来たのかい?」
そこで顔を赤らめる女の子。どうしてそんな反応をしちゃうのかな?僕はちょっとだけイラッとくる。
「あの、これだけの物資を大至急用意して欲しいんですけど、できますでしょうか?」
「おや?これは今すぐ大急ぎでやらないといけないな。どうしても今なのかい?」
「すいません。こんな無理は言いたくないんですけど、どうしても急ぐからって、前線の人がいうもんですから」
「わかったよ。本当なら無理と言いたいけれど、君のその悲しげな顔をみていたら、そんな事も言えなくなってしまった。君には微笑みがよく似合うから、僕はその微笑を絶やさないのだったら何でもするさ」
キモっ!
そんな僕の意思とは裏腹に女の子は顔を真っ赤に染め上げて嬉しそうに去ってゆく。世の中は理不尽だらけだ。
「さあ、新人君。君達の仕事が来たようだよ。初仕事だから頑張ってね」
左藤はそう言って、女の子から渡された物品リストを後藤に渡す。
「おい左藤!これはお前の仕事やないんかい?」
「何を言ってるんだい君は?君達は今何もする事がないんだろう?丁度いいじゃないか。それに僕はさ、既に今日の仕事は終わっちゃったからさ。ほら、僕は要領がいい人だから。君達やっておいてよ」
「こんだけの物資を今すぐ用意するんかい?とてもやないけど多すぎやろ?」
「なんじゃこれ?何人分やねん?この人数でこんなん直ぐには無理やろ」
「本当にびっくりするよね。こんなの直ぐに用意しろだなんて、軍の奴らは脳まで筋肉でできているんじゃないのかな?あいつらはいつだってこちらの事なんておかまいなしさ。本当に馬鹿な連中だよ。ああ、あそこにある荷台に積み込んでくれたらいいからね」
「ちょっと待って下さいよ。こんな量を直ぐには無理でしょう?何を勝手にできるみたいな事言っているんです。あの女の子もできると思って上司の人に報告してますよ。これができないとなったら大事になるじゃないですか?」
「そうや。アラやんの言う通りやろが。何を勝手にできるって言うとんねん。他の人に迷惑かかるっちゅう事になるかもわからんて考えんかったんかい?」
左藤はちょっと目を丸くする。どうやら深くは考えていなかったようだ。
「そうだね。大事になるかもしれないね。そこまで考えてなかったよ。でもさ、無理を言う軍の連中が悪いのさ。僕は何も悪くない。それにしても君は関西弁じゃないんだね?一体どこから来たんだい?」
彼は僕の所に歩み寄り、興味深げに僕を見つめた。左藤のしゃべりを聞いているとアクセントが違う。どうも関東の人間みたいだった。
「そんな事はどうでもいいじゃないですか。僕は僕ですから」
「そうだね。そんな事はどうでもいいよね。そうしたら、早く仕事をしてくれないかな。こんな事をしてる間にも時間は過ぎちゃうからね。そうでないと、大事になっちゃうんだろう?ねっ、君?」
僕達は腹も立ったが、女の子が嬉しそうな顔をしているのを思い出した。左藤はムカつくけど、あの女の子を悲しませるのは良くない事だ。
「くっそう!何やあいつ。ほんま腹立つ奴やで。まったくもう」
左藤を見ればズタ袋の上で寝転がりながら、口笛を吹いている。こちらには感心もなさそうに花を眺めている。何様のつもりだろう。そして、なんだろうこの芽生えた感情は?
オコッテルノボク?
ボクハオコッテイルノカナ?
「ほら、アラやん。なんとか先が見えてきたで。あとひとふんばりや。そんな物騒な顔をする前に頑張ろうや」
妙なスイッチが入る前、後藤が僕に声をかける。
「あっ、はい。すいません」
すると、女の子が心配そうにこちらをのぞいているが見えた。
「おお、大丈夫やで。何とか間に合いそうや。安心して報告したらええからな」
「すみません。ありがとうございます。すごく助かります」
「ええて。もうちょっとやから。あんたはもう帰ってええで、もう時間も遅いしな」
「やあ、君かい。心配で来てくれたのかい?嬉しいな。荷物は間に合いそうだよ。君の為だからね。僕も頑張ったよ」
左藤がいつの間にかズタ袋の所から僕達の所にやって来て割り込んできた。そして、あろう事か女の子の手まで握っている。
「あの、もしこれ良かったら。差し入れです。迷惑でなかったらええんですけど」
おずおずと女の子が包みを差し出す。遠慮したような、ぎこちない動きが僕達の保護欲をかきたてる。包みはどうやらおにぎりのようだった。人数分用意している。
「ああ、本当に君は優しいね。ありがとう。これで僕も頑張れるよ」
「嘘つけ。お前さっきまで寝てたやろうが!ええ加減な事言うな!」
女の子が視線が左藤へと向く。
「ああ、僕はさっきひどい突き指をしてしまってね。ほらっ、指が動かせないんだ」
「まあ、大丈夫なんですか?」
「ああ、何とかね。でも、君から請け負った仕事だからさ。責任を感じてここにいるんだよ。この人達は新人だから間違ったりしないか見張らないとダメだからね」
「そうなんですか」
「いいよ。君に会えただけで十分さ。その上、差し入れまでもらえるだなんて、とても嬉しいよ。待っていたかいがあったというものだね。それにしてももう遅い時間だからさ。もう帰った方がいいよ。女性が今の時間に一人でいるなんて僕は感心しないね」
「はい。皆さん頑張ってくださいね。それでは失礼します」
「ああ、じゃあね」
手を振る左藤を僕達は白けた目で見ていた。
「やるか?やってしまうか?こいつを。俺はもう耐えられへん」
「いいですね、それ。僕もそう提案しようと思っていた所ですよ」
「奇遇やな。でも、奇遇が三つも重なると、それは必然なんやろうな」
僕達が荷物を積み込み終わった。もう夜中も過ぎてしまっていた。汗びっしょりで差し入れのおにぎりにかぶりつく。米がこんなに甘いとは思いもしなかった。
「うまっ!うますぎやろ!」
「一仕事終わった後だから、余計にうまいです。達成感もありますし」
「なあ、このおにぎりって、やっぱりあの女の子が握ったんかな?」
「ん。そりゃそうやろ?」
「そう考えると、このおにぎりは、あの女の子の味がしてくるように思えへん」
「また前田さんがわけのわからない事を言い出した。でも、そう考えるとちょっと妙な気分になってきたかも」
「お前ら変態かいな」
カラカラと僕達は満月の光を受けて笑った。
隣では手足を縛られた左藤が横たわっている。猿ぐつわをしているので何を言っているのかわからない。
「お前の分はちゃんと残しとくから安心せえ。ほんまは働かざるもの食うべからずなんやろうけど、そこまでいくと殺生や。まあ、これからも、よろしく頼むで」
左藤は恨みがましい目をしていた。それを見ていると明日怒られるのだろうなと思ったけれど、それもいいかと思った。
今は鈴虫の合唱に耳を傾ける。戦争とは思えない静かな夜だった。
山の空が赤く燃えていた。