やってみんとわからんやん
「ちょっと無茶やったかもしれんな」
「僕もそう思います」
名古屋まで後三日。長い旅も終わりに近づいている。漂う風にも戦火が含まれているのか、くすぐったさの中にも鉄の臭いがするようだ。
「いや、やってみんとわからんやん」
今日の後藤はかたくなだった。揺るぎもしない巌のようだった。
「どないしたん。ゴットーちゃん。鼻息荒すぎやろ?」
「いや、いつだって俺は正常や。俺が間違ってるんやったとしたら、それは世界がおかしいっちゅうこっちゃ」
「あの女の人綺麗だったからなあ。でも、そんなのいいから、こんな事はやめません?怪我するだけじゃないですか?」
「いいや。アラやんは黙っといてくれへんか?これは男の勝負やねん。絶対に負けられへんねん」
「いやいや、どう考えたって、あの大男に勝てるわけがないですよ。それに僕まで一緒に怪我をする」
「そんな事はどうでもいいねん。ええか、アラやん。男の誇りが問われる戦いや。そこから逃げたらあかんねん」
僕はしぶしぶバールを持った。
事の始まりはこうだった。僕達は町に着き、鍋焼きうどんを食べていた。どういうわけだか、今日の夕食はうどんが食べたいと前田が言い出したからだ。
前田は少しケチな所があって、僕達はいつも狩りをさせられる。そんな前田がうどんを食べたいと言ったから、僕達はハイエナのように、その提案に飛びついた。こんなうまい話はちょっとない。ちなみに鍋焼きうどんもうまかった。
「うまかったなあ。なあ前ちゃん。満足したか?旨かったか?」
「おお、めっちゃうまいわ。天にも昇る心地やわ」
「大袈裟なんですよ」
「いやいやいや、アラやん。食べ物をありがたがるのに過ぎる事はないんやで。俺達は生命を食って生きてるねん。感謝の気持ちを忘れたら、それはもう畜生と同じや」
胸を張る後藤。してやったりという顔をしているのが、なんとなくムカついた。彼の言う事が正論なだけに、普段の倍はムカついた。
「ふう。旨かったなあ。俺は幸せやあ。もう死んでもうても悔いないわあ」
「食いたかったから余計やろ。空腹はやっぱりあかん事やねん。空腹は人を貧しくするんや。だから、食いたいモンを食うという喜び以上のものは、この世にないねん。前ちゃん。コレは大事な事やからな。しっかり覚えておくんやで」
「そやな。やっぱり食いたいモンを食うのは最高や」
「普段の夕食もこうやってどこかで食べたいですよね。そうしたら僕達はもっと幸せになれると思うんですよ」
「いや、それは頷かれへんわ。アラやん。悪いけど、俺が許しても、財布の紐がそれを許さへんわ」
僕はそれを聞いて舌打ちした。後藤も渋い顔をする。思うところは同じだったようだ。認めたくはないが僕達は財布の紐に縛られて生きている。
「あれっ?あれなんやろ」
「んっ。どうかしたか?」
「あれですか?何なんでしょう?ちょっと雲行きが怪しいですね」
前田の一声で僕達は店の一角で女の人が泣いているのを見つけた。その女の人の周りには人だかりができていて、彼女の正面に大きな男が立っている。
身長が二メートル強はあると思う。天井に頭がつくかと思われた。見れば筋肉も隆々で、僕なんかワンパンで全身の骨が粉々になるだろう。それにしても凶暴そうな顔をしている。まるで狂犬のようだ。体つきが凶暴だと、顔つきまで凶暴になってしまうものなのだろうか?
「ちょっと、待ったれや」
いつの間にか、後藤がそこに立っていた。
地獄に一番近い所に立っていた。
「なんじゃあ、おんどれら?」
その声を聞いて僕は震え上がりそうになった。さっきの声までは、僕達の方を向いていなかったけれど、今回は違う。こちらの方を向いている。
「お前、女の人が泣いてるやないかい!そんなに脅しつけてどないすんねん。それでもお前男なんかい!ええ年して、女をいじめやがって。性根が腐っとるとしか思えんのお!」
「なんじゃと、おんどれ!お前一回死にくされや」
後藤が店の反対側の壁まで吹っ飛ばされる。おまけに彼は気絶した。後に残された僕達は風前の灯火だ。
そこに野次馬が押し寄せてきた。店の中は満員御礼。座るどころか立っているのも難しい状態だ。
「ちっ邪魔が入ったから、今度にしたるわ」
そう言って大男は去ってゆく。僕は胸をなでおろす。
どうやら、女の人はあの大男に脅されているようだ。彼女は非常に美人だった。さめざめと泣く姿が神々しいまでに美しかった。
「そうか。それは大変やったなあ」
後藤はいつになくシリアスだった。無駄なボケを飛ばさないばかりか、いつになく表情がまともだ。僕は悪い予感がした。
「よっしゃ。わかった。俺達にまかしとき。俺達がなんとかしたるわ!」
「えっ!」
僕は衝撃を受ける。後藤は僕達と言ってしまった。それは僕も含まれる。あの大男とは楽しい思い出は作れそうもない。悲惨な未来が見え隠れしている。
「ちょっと。あんな安請け合いしてどうするんですか?本気であの大男をやっつけるんですか?物理的に不可能ですよ」
「はあ、綺麗な人やったなあ。可憐とはあの人のような人を言うんやなあ」
「ちょっと、僕の話聞いていますか?」
「あかんなあ。これはすっかり重症や。ゴットーちゃん、多分何も考えんと引き受けてしまいよったんや。ゴットーちゃん、ええかっこしいの所があるからなあ」
前田がため息をつく。後藤の方を見ると、彼は明らかに惚けていた。多分、さっき自分が漏らした言葉もよくわかってなさそうだ。
どうして勢いだけあんな事をしゃべってしまうのだ。僕は泣きたい気分になる。
散々どうするか揉めたのだけど、結局は闇討ちをする事になった。後藤とても嫌な顔をしたが、背に腹は変えられない。ついでに僕は死にたくない。
「そういや二人とも国境警備隊だったんですよね。それだったら二人で大丈夫じゃないですか?僕の助力なんて必要ないですよね?」
「いや、そうは言うても、俺ら実習なんてなかったからな。この俺もどうなるやら見当もつかへんわ」
「でも、剣を持ってるじゃないですか?それを使ったら瞬殺ですよ」
「いや、これはめったな事では使われへんねん。こんな街中で使ったら、捕まってしまうがな」
僕の希望が蟻のように潰されていく。プチプチプチと音をたてて潰されてゆく。
「希望も何もないじゃないですか」
「前ちゃん。アラやん。死ぬときは一緒やで」
物騒な事を言うものだ。
後藤と前田はいいだろう。彼らには甲冑がある。だけど、僕の場合はそこら辺りで借りてきたキャッチャーのプロテクターとフェースガードだ。どう考えてみても僕が最初に殺されそうだ。
「ゴットーちゃん。来たぞ!」
「よし。いいか皆。いち、にのさんで行くで。皆死ぬ気でいくんやで」
僕はあんまり死にたくない。
「いち、にのさん!」
僕達は大男に飛びかかった。後藤がいきなり殴り飛ばされる。鋼の曲がる嫌な音がした。僕は後藤の後ろにいたものだから、一緒になって飛ばされた。一瞬空を飛んだが、天にも昇る心地にはほど遠かった。
「おお、アラやん。ごめん、ごめん」
「もう、やめませんか?こんなの絶対勝てないですよ」
「あかんねん。ここで退いたら俺は一生後悔するやろうから、それは絶対にあかんねん」
前田が蹴り飛ばされた。綺麗な放物線を描いて、向こうの方まで飛んでゆく。いつか見た流れ星を思い出した。
「くらったれやコラ!」
後藤が剣を大男の頭に叩きつけた。鞘をしているけども、両手持ちの剣だ。これは勝ったんじゃないかと僕は密かに喜んだ。
これでもう戦わなくてすむ。僕はさっきから、怯えで全身が震えていたのだ。
それは甘い妄想だった。
殴られた大男は激昂した。走って飛びかかった前田を張り倒す。そして、再び殴りかかる後藤を叩き伏せる。そして大男は何度も何度も後藤を踏みつけにした。いや、しやがった。
鉄が悲鳴をあげていた。後藤はそんな状態でも抵抗していたが、その内何も言わなくなった。前田も向こうでのびたまま。
僕の中で何かが切れた。それまで膝が笑っていたけれど、それはもう収まった。僕はもう何が何だかわからなくなっていた。ただ、そんな中でわかっていた事はこれだけた。
僕も後悔はしたくない。
「この野郎。足をどけろ!」
僕は金切り声のような声でそう言った。後で思い返せばみっともない。その声に驚いたのか、大男は後藤から足を離す。
「あん?何をゆうとるねん、おんどれ。さっきから、そこで立ってただけの癖しやがって。いっちょまえに口だけは達者なようやのう。こののびてしもうとる猿共と同じようにしたるわ」
確かに後藤も前田も頭は良くはない。猿というより、猿でもしないような事を平気でしたりする。
そんな彼らだけど、どうしようもない彼らだけど、こいつだけには言われたくはない。それを言っていいのは僕だけだ。この二人の友人である僕だけだ。
「猿とか言うなや。このゴリラ」
僕は搾り出すように声を出す。体が震えている。どうしようもなく震えている。でも、それは怯えからではなかった。
「あんやと、このクソガキが。いてもうたるから、はよかかってこんかい。それともビビって動かれへんのんか、ああ?」
「この野郎。よくも後藤をやってくれたな。よくも前田をやってくれたな。お前だけは、お前だけは、お前だけは絶対に許さへんぞ!例え殺されたって。僕は絶対にお前を許さへんからな!」
格好の良い事を言ってはみたけれど、はっきり言って僕はケンカが弱い。どうしようもなく弱い。幼稚園から今まで、一度もケンカに勝ったことはない。いつだってボロボロになるまでやられて泣いて帰るだけだった。
いつしか僕はケンカをしなくなってしまった。負けると痛いから。負けると悔しいから。僕はケンカから逃げ出した。
正直に言って格好は悪かったと思う。なぜなら、大男にバールで殴りかかる前に僕は泣いていたからだ。だけど、その涙は悲しい涙じゃなかった。悔しい涙でもなかった。
殴り飛ばされた。
蹴り飛ばされた。全身の関節がガタガタだ。
突き飛ばされた。
張り倒された。息は上がり、意識も朦朧とする。息を吸っても空気が足りない。
顔は腫れ、手足は擦り切れ、肋骨も軋んでいた。
けれど、思っていたより痛くはない。
今度のケンカは一人じゃない。僕が痛烈なフックで殴り飛ばされた後、後藤と前田が立ち上がる。
「待たせてしもうたみたいやな。ここでヒーロー登場とか、俺ちょっと格好良すぎとちゃうん」
後藤が鼻血を拭いてそう言った。
「随分、苦戦してるみたやないかないか。ここは前田さまの出番のようやで。お前ら俺に惚れるなよ?」
前田が腹をさすってそう語る。
「二人とも遅すぎですよ」
僕は涙を拭って呟いた。口元に笑みが浮かんだ。
「ほな、いっちょいったろか?」
後藤の言葉に僕達は頷いた。
これは男の勝負だから、僕達は絶対に負けられない。
これは男の誇りが問われる戦いだから、僕達はそこから逃げられない。
僕達は三人で大男に踊りかかった。
英雄はそんなに世の中に転がっているものじゃない。
人生は劇的なものじゃなく、ほとんど格好悪い事ばかりだ。
僕達が一方的にやられているのを、他の連中が見つけて加勢してくれた。助けてくれた人に聞くと、僕達はアホみたいに何度やられても立ち上がって、飛びかかっていたらしい。まるでカエルのようだったと笑われた。
やっぱり僕はケンカが弱かった。
ボロ雑巾のようになった僕達は町の出口で座り込む。できるならもう一日ゆっくりするべきだと僕は思う。
「よし決めた」
茜色を溶かした夕日を正面に受けて、後藤が大きな声でそう言った。
「俺、名古屋で戦いに勝ったら、ここへ帰ってきて、あの娘にプロポーズしてみたろ」
僕と前田は黙ってしまった。二人の貝がここに居た。
「それは余りにフラグ過ぎるでしょう」
言っても良かったかったけれど、やめておく事にする。多分、前田もそうなのだろう。
後藤が余りにもすっきりした顔をしていたから、これでいいと思った。
山の向こうに夕日が落ちた。