ちょっとだけでもええやんか
「ほな、これからアラやんって呼ぼか?」
「おっ、ええんちゃう」
「ちょっと、ちょっと、待って下さいよ。どうして、そうなっちゃうんです?荒川でいいじゃないですか?」
「そうは言っても寂しいやん」
「やっぱり、名前呼ぶにしても、愛嬌がないとな。女は度胸、男は愛嬌って言うやん」
二人が期待の目を向けてくる。
焚き火の爆ぜる音がする。夏の虫がジィジィと僕達の周りで鳴いている。それは彼らが地の底に埋められていて、助けてくれと言っているようにも聞こえた。
「アラやーん!」
「あかんやん。そこは突っ込む所やろ?」
「もう今日は散々遊んであげたじゃないですか。もう十分でしょ?」
「いやいや、アラやん。それは間違っとる。この世に生ける全てのものは、そこにボケがあったら突っ込まんとあかんねん」
「そうやでアラやん。ゴットーちゃんの言う事よう聞いときや。今、大事な事言うてるねんで」
僕はもう何を突っ込んでいいのか、わからなくなった。彼らのボケがひっきりなしで、キャッチができないボケだらけ。言っている本人達も半ば中身を吟味しない内にボケているのではないだろうか?
「あのですね」
「アラやんがしゃべり出しよった」
「きーたーでー。説教タイムや」
「元はと言えば、ゴットーちゃんが悪いわ」
「いや、前ちゃんやろ?そやんなあ、アラやん」
僕はいつになく真剣な顔をした。彼らには教育が必要だ。ただでさえ、この世界は文明の発達が遅れてる。そんな状態なのに、このボケ三昧。
「あのですね。ボケとツッコミはキャッチボールなんですよ。何度も言っていると思うんですけど」
「うわあ。キャッチボール・セオリーかい!今日一日で二回目やで!」
「すんません。すんません。もうわかりましたからすんません。ほらゴットーちゃんも謝っとけや」
「すんません。すんません」
「すんませんじゃないでしょう?」
ピシリと僕は言いつける。天の帳が下りてきたように静かになった。
「ボケはね。開始点なんですよ。全てはここから始まると言っても過言じゃありません。だからボケ役の人は相方の力量を見極める必要があるんです」
「おい、アラやんが相方とか言い始めたで」
「もう、アラやんもすっかり染まってしもたな。最初の頃はどうしよかと思ったもんやわ」
片腹痛い。
僕は苦虫を噛み潰したような顔をしているに違いない。この二人から上から目線で言われる覚えはない。
「後藤さん。あなたがボケる時、何に注意していますか?」
「それ今朝も言うたやん。ええと何やったかな。ええと、ええと、すまん忘れてしもた」
「突っ込まないですよ?」
「ええ、そりゃないわ!なあ、前ちゃん。今のアラやん、ちょっと厳しすぎやろ?」
「いや、ここはアラやんの言う事を聞いてみようやないか。俺らちょっと、アラやんに甘えすぎてたんとちゃうやろか?アラやんは関東人の癖して、それは鋭い突っ込みを返してきよる。多分、アラやんが本気になったら、俺らのボケを全部拾えるはずやねん。もう、それは今までの俺の常識をひっくり返すような、とんでもない事やと思うんや。関東人の癖して、些細なボケも見逃さへん。もうそれは関西人に比肩するほどや。いや、関西人でもアラやん並の突っ込みできる奴は少ないで。俺らはとんでもない人材を拾てしもたんかもしれへん」
「言われてみればそうかもしれへんな」
「持ち上げても無駄ですから」
僕は突き放した言い方を敢えてした。二人には厳し過ぎるかもしれないが、ここでは心を鬼にしなくてはならない。
「いいですか?さっきも言いましたけど、ボケは難しいんです。常に相手のキャッチがあって始めて成立するという事を忘れてはいけません。相手の知性、能力、体力。全てをかんがみてボケないといけないんです。それでないとボケが一方通行になってしまいます。相方を無視したボケ。これがキャッチできないボケと言われるものなんです。そして、これは第三者の視点も忘れてはいけません。相方にキャッチしてもらい、そして第三者にも理解ができる必要がある。キャッチボール・セオリーは相方だけではなく、観客の方をも見ておかないといけません。ただ思いついた事を相方に投げるのは赤ん坊でもできるんです」
「いや、赤ん坊はできひんやろ?」
「黙らっしゃい!」
僕の突然の厳しい言葉に二人は憤然とした。枯れ草に放った火のように、怒りの感情が彼らを満たす。
「えー何でなん?今のは抜群のつっこみやったやろ?」
「そうや、そうや。今の何が悪いねん。ちょっとわかるように説明してもらわんと俺ら納得できひんで?」
僕は嘆息をしたいのをこらえながら、辛抱強く二人に説明した。
「ツッコミもね。ただ闇雲に相方の言葉を拾っちゃ駄目なんですよ。僕はボケが全ての始まりといいましたが、ツッコミは終わりなんです。それが終わって始めて全てが完成するんです。会話の中にボケとツッコミがある。ですから、会話の中にその二つは織り込まれないといけないんです。ボケ役のしゃべる事にいちいちツッコミが入ると会話が成立しません。だから、ボケ役の人がいて、その人がボケを意図してない時は突っ込むべきではありません。それはボケ役の気分を害するばかりか、見ている観客にも不快感を与えかねません。いいですか?ツッコミもデリケートなパートなんです。空気とタイミング。それを見極める必要があります」
最初は文句を言っていた二人だったが、彼らは基本的には素直な人間だ。最後の言葉を結んだ時には、彼らは真面目に聞き入っていた。
「なるほどなあ。アラやんの言う事には一々感心させられるなあ。目が覚めた思いやわ」
「そやな。俺らは今まで漫然と生きていたんかもしれへん。いや、漫然と生きてきたんやわ。これからは性根入れ替えて生きていかんとあかへん」
「わかってくれましたか?」
「おう。少ない脳みその俺らでもようわかった。いい話を聞かせてくれた。ありがとう。恩にきるわ」
「ほんまや。ゴットーちゃんの言う通りやわ。今までは俺は何も考えんとボケたおしてきたけど、それじゃあかんかったんやな。色々考えさせられたわ」
ちょっとクドいだろうと思ったが、僕は我慢をする事にした。彼らの目を見ているといつになく澄んで見えたからだ。
それにしても、彼ら関西人というのは、どこに向かって進んでいるのだろうか?人生の限られた時間。彼らは何をもって、それほどの情熱をボケとツッコミに注ぐのだろう。彼らの人生の終着点とは何なのだろう?
空を見上げると、満天に星が輝いていた。瞬く星の間を流れ星が駆けてゆく。関西人はあの流れ星を見て、どんな願をかけるのだろう?
僕にそれがわかる日が来るのだろうか?
はっきり言って、わかりたいとも思わない。
「なあなあ、アラやん。最近全然、関西弁使わへんな?」
「えっ。何ですか?テンドンは一日一回ですよ。それ以上にやるとクドさが残るんです」
「そんな事言うなよ。寂しいなあ」
「いや、この際、明確にしておきますけど、僕は何も寂しくなんてありません。寂しいのはあなた達でしょう?」
しまった。僕は心の中で舌打ちをした。こんな事は言うべきではなかった。始終ボケを拾っていて疲れていたのはあるけど、彼らを傷つける事は言うべきじゃなかった。彼らは素直なだけに、心も傷つきやすい。
「そうそう。俺ら寂しいから、こうやって馬鹿やってんねん…ってなんでやねん」
うわあ。
痛い言葉の上に痛々しいノリツッコミが入り、僕達は居たたまれない気持ちになった。膝を抱えて丸くなって消えてしまいたい。僕と二人の間に急に大きな溝ができた気がした。焚き火がパチンと一際大きな音をたてた。
「すいません。言い過ぎました。ごめんなさい」
「ええんや。アラやん。謝る事なんか、何もあらへんねん。俺ら人間いうのんはそもそも寂しいもんなんや。でもな。それやったら。それだけやったら、人生悲し過ぎるやろ?人生空し過ぎるやろ?俺ら何の為に生まれてきたか、わからんようになってまうやん。俺らはアラやんほど頭良うないから良くはわからんけど、寂しいのは嫌やねん。だからアホな事ばっかり言うてんねん」
「そや。アラやん。落ち込んだりしたらあかんねやで。詰まらん人生でも、ちょっとでも笑えたら十分やんか。ちょっとは幸せになれるやん。そんなちょっとの幸せにしがみつくのは見苦しいかもしれんけど、そのちょっとの幸せだけで俺らは満足やねん」
僕は泣きそうになった。二人が思わぬ優しい言葉をかけてくれたからだ。
僕の心は冷たく、硬く強張っていたけれど、この優しさで僕の心の中にも暖かいものが満たされた気がした。
「でも、流石の俺も傷ついた。これはアラやんに大阪弁で謝ってもらわんとあかへんわ」
「そやな。俺もちょっと傷ついた」
僕は消え入りそうな声で呟いた。
「どうもすんまへん」
「何か。んー何かちゃうんよな」
「そやな。アクセントいうんか、イントネーションっていうんか。何かちゃうわ。悪いけど」
僕は半泣きで言った。精一杯だった。
「どないせいっちゅうねん!」
星達が笑っているようだった。