その九〜その十
その九
「クソ、はぁはぁ。もう駄目だ。休憩!」
暫くぶりに大地に降り立ち、背負っていた後藤をゆっくりと座らせる。緊張の糸が切れたと同時にどっと疲れが押し寄せた。
「やっと、着いたんだな。ありがとう。」
依然として、瞼を閉じている後藤が申し訳なさそうに言った。俺は降りてきた木を見上げる。登った時の軽く倍は時間がかかってしまった。人一人を背負ってこの高さはきつ過ぎる。
「いいんだ。みんなお前に命を救われたんだからな。」
俺は呼吸が整い始めてから言った。
「休憩中に悪いんだけど神崎と僕の力に着いて教えてくれるか?…それと僕の目はもう…」
「開くよ。また見える様になる。」
それは不確かな発言だった。俺はその未来を見てはいない。しかし、何故かは解らないが絶対にそうなると思った。
「俺の力か…。なんなんだろうなコレ。」
そう言い、俺は、俺の身体に起こった出来事を話し始めた。
「あの時…二手に別れて隠れる場所を探し始めた時だ。お前の背中を眺めながら、俺はどうすれば全員が生き残れるかを考えたんだ。…しかし考えれば考える程、不安だけが大きくなっていった。本当は残るって決めた時から分かってはいたんだ。でも考えないようにしていた。だってそうだろ?あれだけの怪我人を連れて隠れるなんて出来るわけがない。不可能なんだ。
お前を呼び止めておいて悪いんだけど、俺は絶望って奴に押し潰されていたんだ。」
(そう。死を覚悟したんだ。)
「その時だった。目の前の何も無い空間に、ビー玉ぐらいの大きさの白い、綺麗な玉が出現した。するとそれから急に強い引力が発生して小さな玉に吸い込まれたんだ。信じられるか?俺はビー玉の中に入ったんだ。」
俺の問い掛けに後藤は目を瞑ったまま、真剣な顔をして言った。言葉には強い意志が感じられる。
「信じるって。続けてくれ。」
俺もその声に答える。
「ビー玉の中は居心地が良かった。ずっとそこに居ても良いと思ったぐらいだ。でもビー玉の壁面に映った映像を見て、考えが変わった。
そこには、みんなを助ける手段が映画の様に断片的にだが流れていたんだ。俺はそれを見てすぐに元いた場所に戻してくれと強く願った。すると次の瞬間には元いた場所に立ち尽くしていたよ。」
電車の中で始めてビー玉の中に入った時も大体同じだった。あの時はビー玉の映像を見て後藤に聞きたい事が出来た。その途端に[戻った]のだ。
「なる程な。大体解ったよ。この世界では僕達の常識が通じないって事も…。それで?僕の能力は?」
「わかんねえよ。」
「わかんねえっておい!お前が指示して馬人を追い払えたんだろ!」
(確かにそうだ。)
「俺はビー玉に写った通りに行動しただけだよ。なんでビー玉に写った俺があんな指示を出せていたのかはわかんねえよ。」
後藤は難しい顔をして考えている。
「それって未来を見たっていうよりは未来の対処方法…未来の改善方法を見たんじゃないか?」
俺は少し考える。
(未来の改善方法。…それが一番合う言葉の様だな。)
俺は妙な納得を得て頷いた。
「じゃあ、妻が妊娠している未来も見えたんだな?」
「え?ああ、うん。」
(しかし、あれは。)
応えると後藤はとても嬉しそうに笑った。
「そうか!僕に子供が!それにそれが事実なら妻に生きて会えるって事だ。上手く行けば元の世界に帰れるかもしれない!」
「そ、そうだな!取り敢えずみんなに状況の変化を伝えに戻らないと!」
俺は慌てて応えてからもう一度考える。
最初にビー玉に入った時に聞きたかった事…。それは後藤に何があったのかという事。しかし今は聞ける雰囲気ではない。聞いたところで不安しか生まれないであろう。
俺はあの時の映像を思い出していた。
笑顔で話す腹の出た女とそれに応える笑顔の後藤。
しかし後藤は二つの目玉を失い、右耳も切断されていた。
その十
後藤さんと神崎さんが隠れる場所を探しに出掛けてすぐにまた暗闇が訪れた。車両内は非常照明が点灯しており、明るさを保っている。しかし非常用のバッテリーがいつまで持つかは誰にも分からない。早く手当てをしなくては。
怪我人が15人。富さんは乗客が置いていった荷物の中から中身を物色して使えそうな物を集めている。
私はというと後藤さんのリュックの中からポーチを取り出していた。中には包帯やガーゼ、消毒液等の医療道具がある。後藤さんに使ってくれと頼まれた物だ。
私はそれを持って足に火傷を負っていた女性の手当てを始めた。
「ごめんなさい。私達の為に…。」
花柄の可愛らしいワンピース…であったであろう服を着たその女性は申し訳なさそうに言った。
「いいんですよ。みんなで頑張りましょう。」
私は応えながら器用に処置を行う。消毒液を付けたガーゼを傷口に当てると女性は苦痛の表情を浮かべた。しかし、それに応えている暇は無い。無言の女性もそれを察している。
私は女性の手当てを済ませると足早に次の負傷者に向かう。背中越しにお礼を言われたが無視する。
三人目の中年の男性を手当てしている時に富さんから声が掛けられた。
「上條ちゃん。あの子、もう駄目じゃよ。」
老婆の悲痛な声に私は顔を俯ける。私と富さんは一人の全身火傷を負った者の手当てを後回しにしていた。それは二人で話し合った訳では無く、暗黙の了解であった。ここは医療器具の揃った病院でもなければ私達は医者でもない。
しかし、一目で分かるのだ。
(…あの人はもう助からない。)
私はその者に歩み寄る。性別すら判断出来ないその者の呼吸は浅く、早いものであった。
「ごめんなさい。私達に出来る事はもう…。」
そう言うと自然に涙が溢れ出てきた。私はこうして人の死に立ち会う事は初めてである。それは想像以上に重く辛いものであった。
私はしゃがんで、手を握ろうとした時、自分のポケットに目がいった。そこには小さな容器の形がくっきりと浮かび上がっている。
(回復は無理でも痛みぐらいは和らぐのかしら。)
私は容器を取り出すとゆっくり、緑色の液体を口の中に流し始めた。
「薬だから…辛いだろうけど、しっかり飲んでね。」全身火傷を負っている者は言葉が通じたのか、一度軽くむせてから液体を飲み始めた。
すると呼吸が安定して、そのまま安らかな眠りについた。
(痛みは和らいだみたいね。これぐらいしか出来なくてごめんなさい。)
私は立ち上がると他の負傷者の手当てを始めた。
(時間が無い。急がないと。)
私は今、片足を失っている若い男を診ている。重傷患者だ。私は誰に教わる訳でも無く応急処置を進める。その処置のやり方が正しいものなのかは分からないがやるしかないのだ。
どれ位、時間がたったのだろうか。そろそろ後藤さん達が戻って来ても良い時間だろう。
時が経つに連れて、私に焦りが生じてきた。しかし、富さんはというと何処で見つけたのか、複数の医療品を持って冷静に手当てを続けている。負傷者に笑顔を見せる程の余裕ぶりだ。
(凄い、怪我人を見るペースが早いし、とても丁寧だ。)
「上條ちゃん。後少しで全員じゃ。頑張るんじゃよ。」
富さんが私の視線に気付いて言った。私は返事をすると慌てて目の前の怪我人の手当てを始める。この人で最後の様だ。
「動くな。動けば額にどでかい穴が空く。」
私は驚愕して目を見開いていた。突如、目の前に男が出現したのだ。痩せこけた色白い顔に冷たい細い目、そして頭の上の耳、二本の尻尾、それはノブリさんと同じ種族である事を物語っていた。その男は私の眉間に銃口の様な物を突きつけている。
「貴様ら何者だ。ここで何をしている。」
その声でやっとこちらに気付いたのか、私が最初に手当てをし、その後、座席に座っていたワンピースの女性が悲鳴を上げる。
その瞬間、男は銃を構えていない方の腕で腰に巻いたホルスターから銃を引き抜き発砲した。
「パッ!」
銃とは思えない軽い音が聞こえると、女性はうつ伏せに倒れた。
「なっ!何をするんで「黙れ!騒いだ者はあいつと同じ目に合わせる。言え!ここで何をしていた。」
みんなが驚いた様に私を見る。正確には私の喉から発せられた言葉にだ。
(そうか。会話助長機。私しかこの人の言葉を理解出来ないんだ。)
「みなさん。私に任せて下さい!」
私は口だけを動かして声を上げた。
(取り敢えず、話さない事にはどうにもならないわね。)
どの道、抗う術を持っていない私は、これまでの経緯を突如現れた男に話し始めた。