その七〜その八
その七
人々は突如現れた謎の生き物に続き、次々に立ち去っていく。最後尾を任されたのか、投げナイフで馬人間(馬人と言うのか。)を一瞬で仕留めた女はまだ車両の近くで上條と話している。美人ですれ違えば十人中十人が振り返るであろう容姿を持っているが、頭の上の耳と尻から生えた二本の尻尾が我々と違う種族である事を物語っている。馬人の殺害については他の者は気づいていない様だったが僕にはしっかりと見えた。
(さて、どうしたら生き残れるのか。)
急げばまだ先程の発言の撤回には間に合うだろう。しかし、それはしない。
神崎の言葉にまたしても妻の顔が浮かんだ。
ここで怪我人を残して行けばこれから一生、人を見殺しにしたと言う事実が僕の頭に纏わり続ける事だろう。それにそのまま生き残ったとして、いったいどんな顔で妻に会えば良いと言うのか。
(しかし、驚いたな。三両だけなのか。)
外に出て電車の全体を見渡すと、本来幾つも続いていた車両は僕がいた真ん中の車両を含めて三両しか存在しない。それに迷彩服の男達は一番後ろの車両に乗り、僕が乗っていた車両とは大分離れていたはずなのに男達が乗っていた車両は現在、僕がいた車両の後方に位置している。
(ランダムにワープして来たのか。)
「巻き込んじまってごめんな。でもお前なら残ってくれると思ったよ。ありがとう。」
神崎の声で僕は考えるのを止めた。今の状況は考えても解らない事がたくさんあるのだ。そして、その内の一つを神崎にぶつける。
「嫌、いいんだ。それよりさっき言った妻のお腹の子供、あれはいったいどういう意味だ?」
「いや、え〜と、…あれは勘違いだ!何でもないよ。何でもないんだ。気のせいなんだよ。」
神崎は顔を俯かせて自分に言い聞かせる様に言った。
(勘違いって…。)
いつもの優しい顔に少し影が見えた。深く聞いて欲しくない様だが、そんな事はお構いなしだ。
「何でもない事ないだろう。あの言葉で僕は生きる事を諦めなかったんだ。命の恩人って言っても過言じゃないんだぞ。」
お腹の子供の話は別にしても妻の顔を思い浮かべて死にたくないと思い直したのは事実だ。
ばつの悪そうな表情で男は言った。
「見えたんだよ。お前が腹の出てる女と話している姿が。…なんか俺、おかしいよな。」
「見えたって、何処で?」
「二人とも悠長に話している場合じゃないですよ。」
上條だ。
「これ、会話助長機だそうです。一セット頂きました。これがあればこの世界で意志のある大抵の生き物とは会話が可能だそうです。あの猫耳の女性、最初は冷たそうな感じでしたがちゃんと私達の事を気に掛けてくれてました。」
上條は左耳と首を指差して嬉しそうに言った。
(そんな物貰ってもこれから来る者達には何の役にも立たないだろう。)
「あ、神崎です。さっきの言葉、カッコ良かったですよ。宜しくお願いしますね。」
神崎が手を差し出すと、続いて上條は自分の名前を言うと嬉しそうに手を握った。
(自己紹介してる場合じゃないだろ。)
「取り敢えず、急いで負傷者の応急処置をしてどこかに隠れましょう。」
「うむ、負傷者は儂と上條ちゃんが手当てをしよう。男共は隠れられそうな場所を探すんじゃ。」
声の方に目を向けると老婆が胡座をかいて地面に座っていた。
「ば、婆さん!残ったのか。」
神崎の問いに老婆が顔をしかめた。
「お婆さんじゃろ!おを付けんか。おを!それが嫌なら富さんと呼びなさい。」
「富さん。残ってくれるんですね。」
僕に名前を呼ばれて嬉しかったのか老婆は可愛らしい笑顔を作った。
「年寄りがついて行った所で途中で足手まといになって森に捨てられるのが関の山じゃからな。」
「富さんには富さんで出来る事がきっとある筈です。早速ですがノブリさんが言うには早くて後30分程で馬人が来るそうです。急ぎましょう。」
ノブリ?怪我人を見捨てた、あの生き物の事だろう。
(ジブリみたいな名前だな。しかし30分か…。死ぬ気で隠れられそうな場所を探さないと。)
実際に見つからなければそれはそのまま死を意味するだろう。
話している間に退避集団は一人もいなくなっていた。急に心細くなる。
電車の中には負傷者が15人いた。上半身のみを負傷した者は意地でもついて行ったのだろう。残った者は下半身を負傷した者と重症者が数人だ。その中でも最も酷いのは全身に火傷を負っている者だ。
「ノブリさんがこっそり渡してくれた回復薬。飲めば良いって言っていたけど本当に効くのかしら。」
上條は目薬ぐらいの大きさの容器に緑色の液体が入った物を見ている。
(回復薬?大事な物じゃなかったのか?)
あながち僕等の事を考えていたと言うのも嘘ではないのかもしれない。
「後藤!ぼさっとすんな。早く探すぞ。」
正論をぶつけられた。事態は文字通り一刻を争う。
「二手に別れよう。僕は車両の前方を探すから神崎は後方を頼む。」
僕は返事をまたずに車両の前方に向かって走った。
その時、急に辺りが暗くなった。ノブリ達が使用した照明の効果が切れたのだろう。
(最悪だな。)
しかし、気にしている場合ではない。それに隠れるのならば暗い方が有利に決まっている。僕は暗闇の中、何度も足を踏み外し体勢を崩した。おぼつかない足取りで先頭車両から10メートル程先に進んだ所で足を止めて大木に身を隠した。
うつ伏せになれば人が十分隠れられそうな広く背の高い草むらを見つけたのだ。
しかし、僕と草むらを挟んだ所に見た事もない生き物がいた。
(…こびと?)
古い物語に登場してきそうなその生き物は二本の足で地面に立ち、身長が手のひら程度の高さしかない。なにやら四匹でかたまって話しをしている様だ。会話は聞こえるのだが僕には内容が理解出来ない。
(隠れている時に騒がれたら面倒だ。今のうちに追い払っておくか。)
見る限りでは戦闘力は低そうだ。虫を追い払う程度の事だろう。そう思い、僕は大木から姿を表した。改めて見ると、耳が尖っていて成人男性の様な顔をしている。
「みにぃ!みにみにみぃーだ!」
僕に気づいた一匹が驚いた様に大きな声を上げた。しかし僕はもっと驚いていた。背後の草むらからゾロゾロと、こびとの大群が出てきたのだ。それぞれの手には小さな剣や弓矢、中には三匹で一組となり車輪の付いた投石機を引いている者までいる。投石機と言っても乗っている物は石ころだが。総勢、50匹はいるだろうか。全員、こちらに武器を構えたまま固まっている。
「分かった。分かったよ。邪魔して悪かった。もう行くから気にしないでくれ。」
僕は額に大量の汗をかき、両手を上げながら、伝わる事は絶対にないであろう言語で話した。
(頼む!見逃してくれ。)
僕がそう思った瞬間、こびと達が一瞬白い光で覆われた。そして、僕はまた出現した頭痛に顔を歪める。
するとこびと達は僕に興味を失ったのか、武器を下ろし草むらにぞろぞろと帰って行った。僕は安堵の息を漏らすと、今までには無い強い痛みを頭部に感じ、その場にうずくまった。
(助かった。…しかしこの森は危険だらけじゃないか。神崎が心配だ。)
僕は頭を抑えながらゆっくりと立ち上がり、元来た道を引き返し始めた。
その八
呆然と立ち尽くしていた。俺はぼんやりとしていたが確実に見えた[それ]について考えた。見えたのは二回目、しかし今度の[それ]は一回目の[それ]より長く、現実味を帯びたものだった。
「神崎!良かった無事か。この変は危険だ。探索は一緒にやった方が良い。」
頭を抑えながら坊主頭の男が言った。足元は泥だらけである。頭を抑えている理由は…知っている。
「っておまえ、ずっとそこに居たのかよ!状況わかってんのか?」
後藤の怒った顔は始めてみる。仕事でどんな無茶な事を頼まれても怒る事のない男だ。そうとう頭にきたのだろう。
腕時計を見ると別れてから十分程時間がたっていた。
(時間がない。早く連れて行かないと。)
「聞いてんのかよ!おっ」
話しの途中で強引に後藤の手首を掴み歩き始める。
「何処行くんだよ、おまえ頭おかしいのか!」
「説明は後だ!時間が無い。俺は助かる手段を知っているんだ。」
こいつダメだ。そういった者を見る目が向けられている事に気が付いた。
「こびとなんかにビビって話しかけてる場合じゃねえんだ。だまって付いて来い。」
「なっ!」
図星の様だ。その反応だけで自分の行動が正しい事だと信じられる。
(やっぱりそうだ。それならば生き残れる!後藤がいれば。)
「時間がないから歩きながら話すぞ。…俺は断片的に未来が見えるらしい。」
「は?未来?は?」
「質問に答えている時間はない。」
俺は一方的に話す。
「電車のドアが馬人を吹き飛ばした事もこびとがおまえに興味を無くした事もたんなる偶然じゃない。後藤、お前がやったんだ。」
「…僕が?てか待て!こっちは馬人が来る方向じゃないか!」
俺が見た未来と全く同じ事を喋った。
(良し。後はあの場所に行きさえすれば。)
「着いた。…登るぞ。」
俺は一本の背の高い木の前で言った。
「登るって?まさかこの上で馬人をやり過ごすのか?怪我人はどうするんだよ!登れる訳ないじゃないか!」
「いいから早く!一番高い枝に登るんだ。俺は命の恩人なんだろ。なら信じろよ!」
後藤は少し考えていたが、思い切った様に「信じるよ。」と言って一番低い枝に手をかけた。
「これで後で自分達だけが助かる為に連れて来ましたなんて言ってみろ。ただじゃ済まさないからな。」
「はいはい。現場監督さん。」
登りながら、今となっては懐かしい言葉を口にすると、後藤は苦笑いした。
俺を先頭に二人は軽やかに登って行く。一度登り方を見ていたので何も問題はない。後藤もしっかりと俺の後に続いている。5分ぐらい登っただろうか。大分疲れがたまってきた。下を見ると足が竦みそうになるのでもう確認しない事にした。
(落ちたら終わりだな。俺だけじゃなくてみんなも助からない。)
「あの枝だ。間違いない!後藤、あそこに登れ。」
そこには人一人が登れそうな枝があった。俺が指差した枝に後藤は手を掛け、腕の力のみで身体を持ち上げた
「着いたぞ。…どうしたらいいんだ?」
息が上がっている。俺の息も少なからず上がっている。これからやらなければいけない事を考えると気が滅入りそうになる。
「馬人の群れの明かりが見えるだろ?その中に一つ青い光がある筈だ。それを見つけろ。」
俺は少ない休憩時間で出来るだけ体力を回復させようと無理やり気持ちを落ち着かせて馬人の親分の光を教えた。
(ここまでは完璧に見た通りだ。)
「青い…あった!見つけたぞ!てか近いな!もう10分もしないで電車に辿り着くぞ!」
「良し、その光から目を離すなよ。次に木の幹に抱きつくんだ。」
(バカにしてんのか。)
「は?バカにしてん…」
「いいから早く!」
言ってから俺は予想通りの返答に笑みを浮かべた。
「抱きついたな、じゃあ後はこびとにやったのと同じだ。追い返せ。」
「バカ!どうやってだよ!」
後藤は情けない顔をしている。
「何でもいいんだ。見つめながら頭の中で命令するんだ。」
「そんな事!っつ!頭が…割れそうだ。目が…目が見えない!」
その言葉は成功した事を表していた。馬人を追い払ったのだ。
(良し!助かった!後は…。)
「信じてくれてありがとう。後は任せてくれ。」
俺は閉じた瞼から血を流している同期に優しく言った。