表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/32

その四十(前夜)〜その四十一(歌姫の渓谷)

前夜一(その四十)


とあるホテルの一室。隣のベッドで寝ている女性を気遣い、出来るだけ音を立てない様に、慎重にベッドから降りる一人の女性がいた。彼女はカーテンを同じ様に慎重に開けると、部屋に付いている唯一の小窓から、夜空を眺め始めた。


(何て幻想的で美しいのかしら。)


その夜空は、彼女の知る夜空とは全く異なる物だった。生まれてから現在に至るまで、ずっと都会暮らしであった彼女には、満天の星空を見た経験が無い。更に原因を付け加えるならば、この世界の星々は、一つ一つがとても色鮮やかに輝いていた。ピンク、紫、黄。それらの星は、まるで黒い画用紙にクレヨンで描かれた様な、優しい色の光を発している。彼女はこの夜空を眺めているだけで、そこに吸い込まれて行く様な心地良さを感じていた。


(明日、私がみんなの道案内をしなくちゃいけないんだ。…それって、超重要じゃん。やっばー。緊張して眠れないわ。)


彼女の心臓は、優しい夜空の景色に反して、早く、そして強く鼓動していた。


(ふぅー。どうしたもんかなー。)


彼女の悩みは簡単な物では無く、とても複雑な物だった。一般的な思考の人間ならば、彼女の雰囲気から、明るく、人懐っこい印象を受ける事であろう。ショートカットで屈託の無い笑顔、それだけで活発な印象を受ける者もいるかも知れない。しかし、彼女が抱えている闇はそんなに浅い物では無かった。


(私はあの世界には帰りたく無い。…私の本心を聞いたら、みんなびっくりするだろうなー。)


彼女は人を驚かす行為は嫌いでは無い、むしろ人の想像を超えた行為をして、驚愕を与える事を好んでいる。彼女の両親は、生まれついた彼女をとても厳しく教育した。誰からも愛される様に、誰よりも優秀な人間になる様にと。その二つは一見して矛盾した教育なのかもしれない。優秀な人間は、少なからずそうでは無い人間に僻まれるのが世の常だからだ。しかし、彼女にはその二つを見事に達成しうるだけの知能があった。…それはとても人工的な物であったが。


(いっその事、ここから飛び降りれば…。)


彼女は小窓から細い路地を見下ろして、自殺を考えたが、直ぐに考えを改めた。彼女の知能を持ってすれば、建物の高さ、人間の構造、自分の体格、落下速度等を計算し、瞬時にどの角度から落ちれば、痛みを感じる事無く、即死出来るかを容易に計算する事が出来た。しかし、彼女にはその計算を実行に移す事が出来ない。それが出来ないからこそ、彼女は今ここにいるのだ。


[何て事!ここまでは全て上手くいっていたのに!あなた!やり直しましょう。]


[ああ。]


彼女は未だ鮮やかに残る、過去の記憶を思い出していた。ヒステリックに叫ぶ母親、それに無感情で応える父親。

その両親の悲痛な叫びにより、彼女は心に大きな傷を残す事になった。


「眠れないんですか?」


彼女は物音を立てずに行動したつもりだったのだが、どうやら隣のベッドで眠っていた女性を起こしてしまったらしい。…いや、隣の女性も寝付けなくて、ずって起きていただけだったのかもしれない。窓際に立っていた女性は、慌てて目から流れ出ていた液体を拭き取り、質問に応えた。


「何か明日の事を考えるとわくわくしちゃってさ。」


その発言は少なからず偽りではない。かと言って、決して真実でも無い。彼女の胸の中には不安しか無かったのだ。しかし、両親の行き過ぎた教育から、彼女は、人に悪い印象を与えそうな本心を、表に出せない身体になっていた。身体と言うよりは、これは一種の病なのかもしれない。彼女は会話をする際、無意識に相手の感情を読み、そして、会話が聞こえる範囲の人間が、自分に悪い印象を持たない様に偽りの発言をする。これは彼女の育った環境から、無意識に身に付いた能力であった。更に彼女は、周りが暗い雰囲気になった時には、自ら明るく振る舞い、周りがふざけ過ぎていた時には、適度な冷静さを。つまりは場の空気が行き過ぎ無い様に、常に調節して行動していた。誰からも愛されたいが為に…。


「もう…。絶対に無事に帰って来て下さいよ。」


「余裕よ、余裕。そんな事より、上條さんは自分の心配をした方が良いんじゃない?明日は一人なんだから、変な男にナンパされても誰も助けてくれないよー。」


上條は自分が思っていた反応と、良い意味で彼女の反応がかけ離れていた事に安心し、笑みを浮かべた。


「そうね。明日はお互いに頑張りましょう。」


上條は目蓋を閉じ、会話を終わらせようとした。しかし、山口がそうはさせなかった。


「あのさー。」


「どうしました?」


「……。ちょっとお邪魔しまーす!」


山口はそう言うと、急に狭い室内を走り出し、勢い良く上條のベッドの上に飛び込んだ。


「ちょっちょっと!どうしたんですか!?」


上條は山口の思い掛けない行動に、動揺している。


「良いじゃん!今日は一緒に寝てあげるよ。」


「山口さんって。…何か子供みたいですね。」


上條はベッドの隅に移動し、山口にベッドの半分を貸すことにした。それは彼女が、山口の行動に全く嫌悪感を持たなかったからこその行動だった。上條の表情からは、むしろ喜んでいる様にも見える。


「ちょっとー。子供扱いしないでくれる?私は上條さんが淋しく無い様にって…。」


「はいはい。ありがとうございますね。」


上條は満面の笑みで応えた。その姿は、まるで実の子供をあやしている母親の様だった。


「もう…。まぁいいや。お休みなさーい。」


「お休みなさい。」


山口が上條に背中を向けて、ふてくされた様に言う。上條は、その行為に対して、優しく言葉を返した。


(…お母さん。)


山口の瞳から、一度は抑えられた筈の涙が、再度、堪えきれずに流れ始めた。どんなに酷い仕打ちをされてきたとしても、幼い彼女には、まだ母親の存在が必要だったのだ。


「大丈夫ですよ。」


その変化を、背中から悟った上條は、優しく山口の肩を撫でて言った。山口はその言葉が、何の根拠も無い言葉だという事に気付いてはいたが、今はそんな言葉でも、安心する事が出来た。そんな山口に対して、上條も少なからず安堵していた。自分が元気付けられる、守るべき存在がそばにいるのだから。それは、元の世界の彼女には無かった存在だった。彼女はずっと、自分の存在意義に、絶望としていたのだ。


「上條さんに私の秘密教えてあげるね…。」


山口は泣きべそをかきながら話し始める。誰にも明かした事の無かった自分の秘密を。


「何ですか?」


「………………………………………………………。」


話を聞いた上條は、山口と共に大粒の涙を流した。しかし、上條はその行為すらに喜びを感じている。悲しみを打ち明けてくれる相手がいる、その人物が自分を信用してくれている、それだけで彼女は喜びに溢れていたのだ。上條は最後に人前で泣いた時の事を思いだそうとした。だが、その光景が全く思い出せなかったが為に、それは無駄な行為として終わった。


元の世界で大きな壁にぶつかっていた二人が、少しずつだが、壁を壊し始めた瞬間だった。


前夜二


外町の外れに有る、一段低くなっている用水路の脇に、それはあった。そこにある空車と呼ばれる乗り物は、反重力装置と呼ばれる機械を搭載しており、運転手の力を原動力に、空を自由に飛ぶ事が可能だった。現在、ある理由により、その空車と呼ばれる乗り物の、姿形こそ見えないものの、それは確かにそこに存在した。


(……。)


空車と同じく、姿を消している車の所有者は、運転席を倒して、静かに眠っていた。過去の夢を見ながら…。


その夢では、彼が愛する家族と共に、笑顔で食卓を囲んでいる光景が写っていた。家族と食事をしている彼は、現在の彼からは想像も出来ない、別人の様な優しい表情を作っていた。


「明日はいよいよ創立際ね。私もマイと一緒に行って来るわ。」


彼の妻、ナイムが言った。それに続き、愛娘のマイも嬉しそうに言う。


「明日は学校休みなの。パパも一緒に見て廻ろうよ。私ね、今年もママにジャンボ飴買ってもらうんだ。今年は絶対、全部残さないで食べるんだから。」


一生懸命話している娘の姿を、幸せそうな表情で男は見詰めていた。その瞳には暖かい、温もりの様なものが感じられた。


「パパは今年も仕事なんだよ。ごめんな。」


男の言葉に、マイは口を尖らせて、不服そうな表情を浮かべた。


「パパはその前も、その前の前も、その前の前の前もお仕事だったじゃーん。いったい、いつになったらマイと一緒にお祭りに行ってくれるの?」


マイは、先程とは打って変わり、今にも泣き出しそうな震えた声になっていた。


「こらマイ。パパはみんなが安心してお祭りを楽しめる様にって、大切なお仕事をしなくちゃいけないのよ。我が儘言っちゃダメでしょ。」


「だって、だって!」


マイは納得出来ていない様子だ。


「今年はパパの部隊と、もう一つの部隊が一緒になって、国王様をお守りするのよ。マイは国王様が好きでしょ?」


「うん!ノブリさんも好き。」

「だったらパパを応援してあげなくちゃいけないんじゃない?」


マイは少し考えてから、急に大きな声をだした。その声はまだ微かに震えている。


「パパ頑張れー!みんなを守ってあげてね!」


この言葉だけで男は、今までにあった、どんなに辛い仕事からも逃げずに耐えてこられた。


「ありがとう。…ナイム、実はケレン様にお願いして、俺達の部隊だけ国王の警護から外させて貰ったんだ。国王様の警護は、侍隊だけでも充分な程だからね。俺は、サーカス団のショーの警備に派遣される事になったよ。」


「…あなた、それって!」


ナイムに満面の笑みが零れた。マイは状況が把握出来ずに困惑している。


「ああ。サーカス団のショーが終われば、俺も君達に合流出来るよ。」


マイは絶叫した。


「ほんと!?やったー!パパ大好き!」


「おいおい。食事中だぞ。全く、マイはお行儀が悪いなー。」


「だって!だって!」


マイは涙を流して喜んでいる。それに対して注意をしながらも、男の表情からは笑みがこぼれていた。


「今年は一緒にジャンボ飴、食べような。」


「うん!やったー!」





次の瞬間、彼の夢は地獄の景色に一転していた。王宮の地下にある処刑場、冷たいコンクリートの床に、四つん這いの状態で鎖に繋がれている妻と娘。無情にも、二人の首に刃が振り落とされる。


「やめろー!!!」


叫びと共に眠りから目覚めた男は、怒りと共に激しく車の窓を殴りつけた。


(明日だ。明日…。明日でこの悪夢ともけりを付ける。ナーガ、貴様にも地獄を見せてやる。…永遠に終わらない地獄を。)


男にとって不死の洞窟は、復讐を果たすにはうってつけの場所だった。あの洞窟で命を落とした者は、亡者となり洞窟内をさ迷い続ける。…永遠に。

男は珍しく感情を露わにしていた。どす黒く、そして強大な憎しみの感情を。


前夜三


「あのよぅ。明日もし、俺の身に何かあったら…。」


「安心しろ。何もない。」


スキンヘッドで強面の男の言葉を、同じく強面で角刈り頭の男が、鬱陶しそうに遮る。二人は隣り合わせのベッドの上で、別々に同じ天井を眺めていた。


「お嬢の事…。」


「お前が守るんだろ?」


またしても角刈りの男が言葉を遮る。スキンヘッドの男は会話を諦めたのか、笑みを浮かべて口を閉ざした。


「お前も俺も、今日貰った武器があれば充分に闘えるだろ?と言っても明日は闘いに行く訳ではないな。」


「そうだな。…なぁ、全く関係の無い事なんだが、こんな話を聞いた事があるか?」


角刈りの男は返事をしない。元々、無口である彼は、人の話に一々愛想良く相づちを打つ様なタイプではない。スキンヘッドの男はその事を知ってか、構わずに話を進める。


「人間の価値ってのは、その人間が死んだ時に、涙を流してくれる人間の数で決まるって話。」


スキンヘッドの男は、以前育ての親から聞いた話を、そのまま隣の男に伝えた。


「聞いたことは無い。それがどうした?」


「いや、何でも無いんだけどよ。お前を見てたらさぁ。なんだか、この世界に来る前の俺に似てる気がしてさ…。」


「来る前って…。来てからまだ一週間もたってないだろ。…らしくないな。言いたい事があるならはっきり言ったらどうだ。」


「……。」


真っ暗な部屋に、重たい沈黙が流れた。暫くして、意を決したかの様に、スキンヘッドの男が口を開く。その口調はいつもの、明るいものだった。


「兄弟が死んだら、俺が泣いてやるよ。だから安心しな!」


角刈りの男は、何を安心するのかが全く分からなかったが、やっといつもの調子を取り戻した隣の男に、少なからず安堵していた。


「ふん。早く寝るぞ…。」


「おう、兄弟!」


この二人は何処かよく似ていた。何処がと聞かれても分からないが。強いてあげるならば、そんな物があるのかどうかは分からないが、恐らくは、魂が似ているのかもしれない。二人は、長年連れ添った友と、同じ部屋で寝ているかの様に、不思議な安堵感を感じながら眠りについた。


前夜四、ある男の夢


暗闇の中、一人座っている男。その部屋に照明設備が無い訳では無い。しかし、その男は数ヶ月前からそれらを使用していなかった。


「いい匂いだな。何を作っているんだい?」


男が暗闇の中、何者かに訊ねたが、それに対する返事は無かった。男はその無意味な行為に、一人満足し、不気味な笑みを浮かべている。


「あ、そうだ。来週の木曜日、20日は外で食事をしよう。 …特別な日だからね。」


「……。」


又しても返事は無い。今度は困惑した表情になり、更に話続けた。


「ああ、分かった。…ヨヤクシテオクヨ。」



歌姫の渓谷(その四十一)


ハーピー。顔は後藤達と同種族の女性のものに似ており、首から下が、赤い羽毛で覆われている。その下級種族は、人間の腕にあたる部分が、大きな翼になっており、鶏に似た二本の足には、それぞれに鋭い三本の鉤爪が着いていた。この生き物のもっとも恐ろしい部分は、横に裂けて、大きく開く口であり、その中に見える、幾つもの牙であった。過去の事例によると、この口には、人間の頭蓋骨を容易に、噛み砕く事が出来る程の力が秘められているらしい。


「なぁ、こんな時に何なんだけどさ。ハーピーって何て言うか、絵になるよな。」


上空で旋回している、沢山のハーピーを眺めながら神崎は言った。


(本当にこんな時にする話じゃあないな。)


渓谷の崖の中腹。そこにある、周りから丁度死角になっている、自然に出来たのであろう、大きな窪みの中に二人はいた。後藤と神崎である。二人共、茶色の軽鎧と兜を装着しており、鎧の隙間からは上半身は白、下半身は鎧と同じく茶色の生地が確認出来た。彼等が着ている鎧はフレキメイルと呼ばれる物で、とても柔軟な素材で出来ており、少し力を入れただけでも簡単に凹んでしまう。それだけ聞くと、防具には全く適していない様にも思えるが、この素材は柔軟な分、とても壊れ難いのだ。つまりは刃物での攻撃に対して、ほぼ完璧に、装着した者の身を守ってくれる。更に、重量がとても軽く、装着した状態でも身軽な動きが可能である。フレキメイルと同じ素材の兜も、セットで受け取っており、二人とも、工事現場で良く見掛ける様な、兜と言うよりは、ヘルメットに近い物を、頭に装着している。こちらは、体に装着した鎧とは異なり、多少の衝撃は、中の緩衝材が吸収してくれる作りになっていた。ヘムは、侍隊の持つ刀を警戒して、全員にこの防具を支給していたのだ。鎧の下に着ている衣服は、上半身のシャツと下半身の長ズボンで色は違う物の、素材は同じ物である。ナルハイの服と呼ばれるそれは、王宮に生えているナルハイの木の、丈夫な繊維を特殊加工して作られた衣服であり、外部からの衝撃から、僅かにだが身を守ってくれる…とても安価な衣服だ。ヘムは、全員分の鎧と武器を調達した時点で、己の資金不足に気付き、無いよりはましだ、との考えで、この衣服を購入したらしい。しかし、誰もその事に関して文句は言わなかった。全員が、自分達の為に動いてくれたヘムに感謝していたのだ。そして、彼等が右腕に握っている、リレーのバトンの様にも見える、赤く細長い棒が、彼等の唯一の武器である。彼等は現在、二人だけでこの渓谷にいた。王宮外街から、カゲローの空車に乗って来た二人は、一旦、不死の洞窟の真上に位置する、この場所に下ろされたのだ。カゲローの空車は五人乗りであり、一度に全員を乗せて、不死の洞窟に向かう事は出来なかった。試しに無理矢理六人で乗ってみたものも、空車はうんともすんとも言わず、宙に浮く事は出来なかった。カゲローいわく、そう言った作りらしい。後藤と神崎の二人は、この場で一旦待機し、残りのメンバーが到着するのを待っている計画になっていた。


「後藤?聞いてるのか?」


「ああ聞いてるよ。お前、姿が見えないからって油断すんなよな。注意点、ちゃんと覚えてるよな?」


カゲローの能力。[シャドウスマイル]と言う名前らしいが、彼の能力はニコやミツオの物とは違い、距離に制限される事は無い。その代わりに、時間による制限があるらしいのだ。つまりは長時間、姿を消すことが出来ないらしい。カゲローが言うには、少なくとも1日は問題無く、効果を持続出来るらしいが。


「ああ、分かってるよ。少しでも歌声が聞こえたら、すぐに耳を塞ぐ事。だろ?」


自然界にいる動物達は、様々な方法で生きていく為の狩りを行う。その方法の中には、実にユニークで、芸術的とも言える技法も存在した。この世界の生き物であるハーピーも、生きていく為に、ある特殊な技法を使用して、他の生き物達を食らう。この生物は、我々の言葉が喋れないにも関わらず、歌を唄うのだ。それも抜群に美しい歌声で。その歌に聞き入ってしまった時点で、既にハーピーの術中にはまってしまった事になる。歌に聞き入ってしまった生き物は、我を忘れ、自ら歌い主に向かって無防備の状態で歩み寄って行くのだ。そして、近付いたが最後。その強靭な牙の餌食となる。しかし、ハーピーの力も万能では無かった。もし、その術にかかってしまったとしても、外部からの強い衝撃を加えれば、正気に戻る事が可能である。つまり、二人以上で行動する場合では、さして、驚異的な能力とは言えないのだ。


「聞き入ってしまった場合にはぶん殴る。これも忘れんなよ。」


「ああ、任せとけ。きついのをお見舞いしてやるよ。」


神崎は笑顔で応えた。それに対し、後藤も同じ表情で応える。


「お互い様だろ。」


「ラァー。ララァファー…。」


「塞げ!」この声は、後藤や神崎が発したものでは無い。もっと遠く、もっと下方から聞こえた声だった。その声は、渓谷の両岸に反響し、後藤達の場所まで届いてきたのだ。誰が発した声なのかは分からないが、結果として、後藤や神崎の身を守る事となった。


[ハーピーは獲物を見つけしだい、仕掛けてくる。用心しろ。]


二人はカゲローの言葉を思いだした。自分達では無い、誰かがハーピーの標的になったのだ。渓谷の下にいる、声から察するに複数人の誰かが。


「打ち落とせ!降りてきた者には近距離武器で対応しろ!」


先程と同じ声が聞こえた瞬間、沢山の矢が宙を舞った。それらの矢の起動はとても美しく、統率のとれた物であり、美しいシャワーのように辺りに降り注いだ。


「ギャアアー!」


沢山の、人のものとしか思えない悲鳴が、渓谷に響き渡った。身体から緑色の液体を流しながら、次々とハーピーが谷底に吸い込まれていく。そんな中、偶然にも仲間の身体が盾になり、数本の矢しか刺さらなかった何匹かが、凄まじい形相で滑空して行く。それらのハーピーは、一斉に一人の男に狙いを定め、大きな口を開いたが、その男の美しい剣捌きにより、ほぼ同時に、全員の首が胴から離れた。口を開いたままのハーピーの首が、地面に転がる。


「隊長!何匹かが更に上空に上昇し、弓矢が届きません!」


「案ずるな!対ハーピー用の耳栓だけ確実に装着しておけ!奴らは長距離からの攻撃は出来ん!」


後藤と神崎は、何に巻き込まれたのかも分からず、呆然とうつ伏せに倒れている。二人の人差し指はしっかりと自分の耳を塞いでいた。暫くして、物音がしなくなった事に気付いた二人は、匍匐前進でゆっくりと窪みの端まで移動し、渓谷の下を覗き込んだ。


「…マジか。」


谷底には、二十人程の侍達の姿と、ハーピーの無残な死骸が…。侍達は、それぞれが弓矢や刀を構えている。そんな中、一人だけ、西洋風の白銀の鎧を着ている男が目に入った。その男の周りには、二メートルは優に越えている巨体が四人。その者達は、頭からつま先までを、黒いローブで覆っており、不気味な雰囲気を纏っていた。そして、四人とも不自然な程に身体が大きく、長身な事意外にも、肩幅や、ローブから垣間見える電柱の様な腕、それらは人間の物とは思えない程の大きさだった。顔はフードで隠れている為、侍達と同様に、性別すら判断する事が出来ない。その中心部で、黒いローブの者達に護られる様に(先程のハーピーの襲撃の光景から、護られている雰囲気は感じられなかったが)位置している白銀の鎧の男は、兜を被っておらず、その中では、唯一顔が視認出来る。普通の人間の視力ならば、後藤の位置から、男の顔や表情まで確認する事は出来ない。しかし、後藤にはそれが可能だった。


(あの男は確か…。)


「後藤、あれ!」


横から肩を叩かれた後藤は、神崎が指差す上空に目を向けた。正確には自分達の向かい側にある、崖の頂上にだ。そこには、仲間を呼んだのか、先程よりも沢山の数のハーピーが、直径五メートルはあるであろう岩石を、下の侍達目掛けて落とそうとしている。良く見れば、何本かの大木を岩の下に差し込み、梃子を利用して落とそうとしている様だった。渓谷の下にいる侍達には、その姿が見えていない。皆、ハーピーの襲撃に備えて、ただただ、身構えているだけの状態だった。


(あの人は確か、僕達を助けに来てくれた人だ。まずい、助けないと。)


しかし、後藤や神崎に、大声を出して、下の侍達に危険を知らせる事は出来ない。彼等はそこまで馬鹿では無かった。もし、大声をあげて危険を知らせようものなら、次に狙われるのは間違い無く、自分達なのだから。


(支配の眼を使おう。…大岩が降ってくるぞ。逃げてくれ。)


後藤はナーガを見詰めながら、強く思った。ナーガの身体が一瞬、白く輝いたが、直ぐにその輝きを失う。


(失敗?嘘だろ!…いや。)


ナーガは不思議そうに辺りを見回している。


「全死兵!上から落石だ!」


ナーガが指示を出し終える前に、黒いローブを羽織った者達は動きだしていた。それとほぼ同時に、岩石が侍達の遥か頭上に出現する。「退け!退却だ!」


指示を出したのはナーガではない。侍達の一人が大きな声をあげたのだ。


「案ずるな!全死兵よ!その名に恥じぬ戦士達よ!ハーピーを皆殺しにするのだ。」


四人の全死兵と呼ばれた者達が、渓谷の崖を登って行く。登ると言っても、そこにロープや階段等は当然無い。彼等は巨体に似合わぬ、目にも止まらぬ速さで、がむしゃらに、崖の岩肌に腕や足を突き刺し、蜘蛛の様に登っていた。その行為は、人間の成せるものでは無かった。



「グオァァィィ!」


「バギャン!」


全死兵の一人が岩肌を蹴り、宙に浮いた。そのまま、上空から凄まじい勢いで飛来して来た大岩に抱き付くと、全身が波打つ様な雄叫びをあげながら、抱き締める様な形で、大岩を砕いた。岩の破片と共に、全死兵の一人は谷間に落下していく。数人の侍がその下敷きになり、声をあげる間もなく絶命した。


「どっちが化け物か分からないな。」


その間にも、残りの三人は凄まじい速度で崖の頂上目掛けて登って行く。


「ラァーファー。」


岩石の奇襲が失敗したハーピー達は、全死兵の姿に気付き、慌てて歌い始めた。上空に逃げれば良いものを、この生き物は、自分達の歌声に絶対の自信を持っているのか、梃子の原理は利用出来ても、そこまで知能は高く無い様だ。


「神崎!耳を!」


「分かってるって!」


ハーピーの歌声に気付いた後藤と神崎は、いち早く自分の耳を塞いだ。しかし、ハーピーの声量は先程より更に大きくなり、塞いだ指の間からすり抜けて聞こえてくる。……それは歌声とは到底呼べるものでは無かったが。


「ラァー、ギャアァー!」


三人の全死兵が頂上に到着すると、ハーピーの歌声は、そのまま悲鳴へと変わっていった。三人の全死兵が、所狭しと暴れまわっているのだ。ハーピーの肩ごと翼をもぎ取り、頭を林檎の様に握り潰すその姿は、正気な人間の出来る行為では無く、狂気に満ち溢れている行為だった。ようやく、逃げる事を考えて、大きく羽ばたいた者には、その巨体が、その更に上空に飛び上がり、頭上から拳を振り落とす。瞬く間にハーピーの命の叫びは聞こえなくなった。しかし、全死兵の動きは止まらない。


動く物に反応しているのか、既に絶命して、筋肉が痙攣しているだけの、ハーピーの胴体を、何度も踏みつぶしていた。ハーピーの肉片と、地面の欠片が宙に舞う。決して言い過ぎた表現等では無いが、その行為をそのまま続けていたのならば、崖が崩れてしまう程の勢いだった。唯一、その光景を目にする事が出来た、後藤と神崎は恐怖に震えている。


「そろそろか。全死兵よ!戻れ!」


今まで暴れていた三人は、言葉と同時に瞬時に動きを止め、渓谷の頂上から飛び降りた。黒いローブは、ハーピーの緑色の体液や内臓で、酷く汚れている。


「ダ、ダダン!」


四十メートルは有るであろう、高さから飛び降りた三人は、既に大岩と共に地上に降りていた一人と合流し、何事も無かったかの様に、ナーガの周りの所定位置に戻った。


「オォー!!」


渓谷の上で何があったのか知らない侍達は、仲間達の事故死を悔やむ気持ちと、自分達の勝利に対しての雄叫びをあげた。


「みんな!これから不死の洞窟に入る!仲間の死を無駄にするなよ!」


ナーガは、後藤達のいる、真下にある洞窟を指差して言った。


「オォー!」


自分達を震え上がらせる様に、再度雄叫びをあげる侍達。後藤と神崎は未だ、恐怖に震えていた。


(…逃げたい。…でも逃げられない。森の地下で、今も待ってくれている人達の為にも。)


それは、二人が同時に思った事だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ