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その二十七〜その二十八

その二十七


[どんなに悲惨で辛い夜があろうとも、時が流れれば、爽やかで明るい朝は必ず訪れる。]


以前、この言葉を教えてくれた父上はもうこの世にはいない。その話を聞いた当時の私はまだ幼く、家族を失ったばかりであった為に、そんな話は裕福な者の綺麗事だとしか思ってはいなかった。しかし、もしその話が真実ならば、今のこの絶望的な状況も、いずれは希望に満ち溢れた物に変わるのかもしれない。


(否、私が自分の力で変えなければならない!)


私は細い木の枝の上で、柔らかい木漏れ日を受けながら、強く思った。

昨夜から今朝に掛けて私は一睡もしていない。考えたくは無いが、現実を見れば、恐らくは下で眠っている三人が私の国の最後の希望なのであろう。それを考えれば、私が周囲の警戒を怠って、眠る理由が無い事は明白であった。


(…?ミリヤだ。何処に行くんだ?)


私はみんなが眠っている絨毯から、一人離れて行く、子供の様な体格をした女性を見付けた。ミリヤは少し離れた木の陰に腰を下ろし、サポーターを使用して、何やら話をしている。彼女は片腕を失ってはいるが、しっかりとした足取りをしており、見た限りでは元気そうであった。


(誰と話しているんだ?)


「おーい!お姉さーん!」


私は急に大声で呼ばれて、冷や汗を掻いた。この場所は都市に近い事もあり、[人間では無い者]があまり寄り付かないとはいえ、いない訳ではない。つまり、この森の中であれば何処であれ、大きな音を出すという事は[人間では無い者]達に居場所を教えている様なものなのだ。

私は慌てて、木の枝から飛び降りる。


「あのさー。「この森で大きな音を出すのは危険よ。…少しは考えてくれ。」


「はい。はい。」


声の主。ドレッドヘアーの女性は私の注意を適当に促し言葉を続ける。


「腹減ったんだけど、何か食い物無いんすかー?」


この者達の心情を全て察しているとは到底思えないが、見知らぬ世界に転送されて来て、自分と同じ種族の人間がたくさん殺された者の発言とはとてもでは無いが思えなかった。


(こいつは、自分の置かれている状況が分かっているのだろうか。)


私はこの女性の正気を疑った。


「あれ?通じてないのか?ドゥーユースピークジャパニーズ?」


呆れて何も言えない私をよそに、彼女は話続けている。


「言葉は通じているわ。私の荷物に非常用の食糧が少し有るから、それをみんなで分けて食べましょう。」


「何だ。通じてるじゃーん。そう言う事ならみんなを起こさないとな。任せとけ。」


私が思うのもなんだが、この者の話し方には、女性としての教養が全く感じられない。恐らくは育ちの問題なのであろう。

「まだ、時間はあるわ。ゆっくり寝かせておいてあげましょう。」


(いったい何の時間だ。)


私は自分で言ってから、これからの予定がまだ正確には定まっていない事に不安を覚えた。昨夜の間にいくつかの計画は考えたが、どれもリスクが高く、私の判断だけでは行動に移す事は出来ない。それらの計画を踏まえてこれからの行動は、ミリヤとよく話し合ってから決めていこうと思っていたのだ。そのミリヤはまだ、この場に戻って来てはいないが。


「んな事言ったってよ。ここは危ないんだろ。だったら早く朝飯食って、どっかに移動しようぜ。」


「おまえは、何か食べたいだけだろう。」


「っぐ。」


思わず出てしまった本音に女は言葉を詰まらせた。どうやら図星だったらしい。


「五月蝿いわね!何なのよもう!」


金髪のロングヘアーの女性が私達の話し声に気付き、目を覚ました。彼女は目を覚ますなり、不機嫌そうに文句を吐き出した。


「最悪!あー最悪!」


ぶつぶつと呟きながら髪の毛に付いていた土を払い落とす。その視線はしっかりとこちらを睨みつけたまま。


「良し。後一人だな。お姉さんはチビのお仲間を連れて来なよ。私は男の方を起こすからさ。」


ドレッドは無邪気で屈託の無い表情を私に見せた。


(会話助長機は付けている筈だが。)


ドレッドとの会話が成り立っていない事に疑問を覚えた私は、耳と喉に装着していた機械に手を当て、何度か声を発し、機械が正常である事を確かめた。しかし、機械には異常等は何も見当たらなかった。


(彼女に問題があるようだわ。…先が思いやられる。)


私は絨毯の上に横たわっている少年の身体を乱暴に揺すっている女性を見て思った。少年は急に身体を刺激され、ビクッと身体を波打たせて反応すると、すぐに目を覚ました。そして、寝ている者が自分だけだという事を把握し「す、すいません。」と私達に向かって謝罪した。


「みんな起きたみたいね。」


いつの間にそこにいたのか、私の後ろから小さな女性が声を掛けた。


「ミリヤ。調子はどうだ?」


私は彼女の片腕が有った場所に目をやる。回復薬の効果により、そこは最初から何も無かったかの様に滑らかに仕上がっていた。


(問題は精神面だが…。)


「悪くないわ…と言うとでも思ってんの!?最悪!見てよこの腕!…って見えないか。…見えない。だって無いんだもん!」


「命が有っただけでも良かったと思いなさい。しかし、あの場で良くやってくれた。ありがとう。」


予想外の言葉を掛けられたのだろう。ミリヤは私の目を見て固まっている。


「あんた、頭大丈夫?」


「ふん。」


私はミリヤの驚きが心外だった。私だって礼の一つや二つは言える。しかし、その発言でミリヤが正常な精神状態だと言う事が分かり、大分安心した。私、一人で全員を安全な場所に導くには荷が重い。私達には彼女の力が不可欠だった。


「まあ、いいわ。プランDよ。今、父上に連絡が着いたわ。侍隊の襲撃で数名が犠牲になったけど、迅速な対応で拠点を別の場所に移して、なんとか全滅は避けられたらしいわ。」


(プランD?)


私はその計画を知らない。DどころかAやBといったプランも聞いた事は無かった。なんにせよ、非常用の計画である事は間違い無いであろうし、後々のミリヤの話を聞けば、私が知らない事は当然だという事が分かった。

しかし、そんな事よりも私はG・P(ゴールデン・ピース)がまだ機能している事が嬉しかった。今の私には、その吉報が充分な希望になる。


「それは良かったわ。隠れ家にオウガからの連絡は無かったのか?それとプランDについても教えてくれ。」


ミリヤが顔を俯ける。それだけで私はオウガの状況を察する事が出来た。


「プランDは、あんたとあの最低男が裏切った時、あるいは今回のケースの様に最初から王宮のスパイだった時の非常用の作戦よ。」


当然の対策だろう。彼等がそう易々と王宮の人間を信用する筈が無い。私は返す言葉が見当たら無かった。今回の惨事は、どう考えても、奴の正体を見抜けなかった私に責任がある。


「まず当然だけど、以前の活動拠点はもう使えないから移動したって事は話したわね。現に昨夜、あの拠点には大勢の侍隊が押し寄せて来たらしいから。」


「犠牲が出た事は悲しいけど、全滅は避けられたと聞いて安心したわ。それで何処に移したの?早速向かいましょう。」


私の提案にミリヤは暗い表情を見せる。


「どうした?」


ミリヤは意を決した様に話始めた。


「悪いけど、あんたを連れて行く事は出来ないわ。これはG・P全員の総意で決まった事らしいの。」


恐らくはそんな事だろうと思っていた。しかし、その程度の事で動揺する私では無い。


「当然でしょうね。こんな状況で私を新しい拠点に招く等、バカとしか思えないわ。…それで?お前達は此処からどうやって行くんだ?分かっているとは思うけど、異世界の者達の安全は十分気を使ってくれよ。」


「父上に連絡が通じた時点でこっちの位置は相手に伝わってるから、もうすぐ此処にG・Pからの迎えが来るわ。…あんたはどうすんのさ?」


(さて…。)


「まあ、一人でも上手くやるさ。私は一人でも負けないわ。」


私は根拠の無い自信を見せ、ミリヤに笑顔を見せた。


「はぁ…勿体なさすぎ。」


ミリヤは肩を落として何やら呟いたが、その言葉の意図は私には分からなかった。


「うわ、うわー!」


地面から盛り上がった大木の根っこに腰を掛けていた少年が、遠くを指差しながらこちらを見る。その声に驚き、金髪の女は肩を震わせた。


「な、何よ!」


「何かいます!逃げ、早く逃げないと!」


指差した先には、全身を黒い毛で覆われた、二足歩行の[人間で無い者]が二匹いた。その化け物の体格は肥満体系の人によく似ていて、人間で言う所の頭部が無く、よたよたとおぼつかない足取りで、ゆっくりとこちらに近付いてきている。


「下級種族の黒食(こくしょく)だわ。群れからはぐれたのね。さまよっている内に、私達の気配に気付いたんだわ。」


「ど、どうすんのよ。」


「問題無い。…下がっていて。」


私は金髪の女性に指示し、黒食に向かって歩みを進める。そこで、ドレッドの女性が私の前に立ち塞がった。その顔は浮かない表情をしている。


「どうした?ただの雑魚だ。心配いらないわ。」


色黒で身長の高い彼女は、私より頭一つ分、背が高い為、見下ろす形で応えた。


「雑魚…か。丁度いいや。試させてくれ。」


(試す?)


「何をだ?」「黙って引っ込んでなさいよ。全く。」


私の疑問は金髪の女性に遮られた。それに対してドレッドの女性はニヒルな表情を浮かべた。


「よし!んじゃあ、やってみるわ!」


(……!)


彼女の両足が柔らかい白い光を発し始めた。


「能力?いつの間に、覚えたの?」


ミリヤの問いには応えずに、ドレッドは地面を勢い良く蹴り、黒色に肉迫する。


「早い。」「キャ!」


私はあまりの驚きに声を漏らした。金髪の女性もドレッドの蹴り上げた土が顔面に直撃して、声をあげた。


「セイ!」


瞬く間に自分の間合いに入ったドレッドは、手前にいた黒食の胴体に蹴りを浴びせる。心なしか、蹴りを放った右足が更に強く光った気がした。その身のこなしには無駄が無く、美しさすら感じられた。


「ギギギィ!」


胴体に蹴りを食らった黒食は、毛で覆われた身体の胸の辺りから叫び声を発した。


「イイイヤァァァ!」


ドレッドも黒食に負けじと大きな声で叫ぶと、胴体にめり込んだままの右足が、更に強い光を発した。


「ブシャァァ!」


黒食の、人間で言う頭部が取り付いている部分に亀裂が入り、紫色の液体と共に、ピンク色の肌を剥き出しにした、二本の細長い腕が出て来た。黒食は戦闘体制に入ると、身体の中から、五メートル程の長い腕を出し、その細さからは想像の出来ない怪力で攻撃をしてくる。


「まずい。」


私が援護をしようと腰に手を当てて、そこに有った筈のナイフが無い事に気付く。


(そうか、昨夜…。)


「アァァ!」


ドレッドがもう一度叫ぶと、彼女の右足が黒食の胴体にどんどんめり込んでいった。黒食の胴体と頭部からは紫色の液体が溢れ出て来ている。


「ギィィィ!」


遂に彼女の足は黒食の胴体を二つに分け、そのまま勢い余って、狛の様に一回転してから、静止した。


「よっしゃあ!」


ドレッドは全身を紫色に変えたまま叫んだ。右足には黒食の内蔵の一部が巻き付いている。


「おげぇー。」


金髪はその姿を見てその場にうずくまった。


「あ、…」


ミリヤの声よりも早く、もう一匹の頭部から出現した腕がドレッドに向かって凄まじい勢いで伸びて行った。その腕はドレッドの顔、腹部に向かって矢の様な速度で吸い込まれて行く。


「ぐぅ。」


頭部の方は上体を反らして上手くかわす事が出来たが、それと同時に放たれた腹部の方はかわせずに直撃する。防具を装備していない常人ならば、吹き飛ばされて死亡してもおかしくは無い衝撃の筈だが、彼女は腹部を抑えて両膝を付く程度に収まっている。良く見れば腹部が微かに白く光っている事が確認出来た。

もう一匹の腕が伸び始めた時点で、既に走り始めていた私は、そのままの勢いで黒食に飛び付き、腕の生えた亀裂に右腕を突っ込んだ。伸ばした腕を引き戻そうと足掻いているが、それももう遅い。私は肩まで挿入した所で、(ひだ)状の柔らかい物を掴み、それをそのまま一気に引き抜いた。


「ギゲェ…。」


細長い腕が力無く、地面に落ちる。黒食は立ち竦んだまま、死滅していた。


「流石だな。副隊長さん。」


私達の視界には丁度入らない、木の陰から、聞き慣れない声がした。


「アントン!」


ミリヤがその声に応える。どうやら、その男はG・Pからの迎えの様だ。


(こいつ。戦闘を隠れて見ていたのか?まぁ、加勢のいる相手では無いが。)


「老師から聞いてはいたが、その腕。…大変だったな。」


皮鎧(レザーアーマー)を来こんだ、長身で赤毛の男は、女性の様な長い髪を、後ろで乱暴に束ねている。その皮鎧は馬人の上半身の皮を使用して作られており、丈夫で軽い。そして、安価だ。


「ほんとだよ〜。片腕無くすなんてやってられないわよ。それより。頼んだ物は持って来てくれたんでしょうね。」


ミリヤが予想以上に元気だった事に驚きながらも、男は笑顔を作った。


「ああ、ちゃんと持ってきたぞ。しかし、あんな気持ちの悪い物、何に使うんだ?」


アントンと呼ばれた男は背負っていた布袋を見せながらミリヤに言った。


「気持ち悪いだとぉー!私の傑作の一つよ!」


「うわ!悪い悪い。しかし、渡すのはもう少し落ち着いた場所に着いてからにしよう。それに彼女の手当てをしないと。」


ミリヤの逆鱗に触れて、アントンと呼ばれた男は慌てて話を変えた。


「手当て…。必要無いみたいだな。」


私の発言で二人はドレッドを見て驚いた。


「何者よ。あの子。」


自分が殺害した黒食の上半身に片足を乗せて、こちらに笑顔で手を振っているドレッドを見て、ミリヤが言った。


「先程のあの動き。あれは訓練を積んだ者の動きだったわ。それにあの光も。いつの間に覚えたのかしら。」


「話は後で聞くんだな。全員無事ならば早速だが出発しよう。副隊長さん。あんたも来るんだ。話がある。」


私はてっきりこの場でミリヤ達と別れるつもりだったのだが、当てが外れた様だ。


「異世界から来た方々。大変な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。ここから少し離れた所に簡素ではありますが、我々の隠れ家があります。ここは危険ですので、取り敢えずはそこで休憩致しましょう。」


(隠れ家?私が行ってもいいのか?)


「勘違いするなよ。危険だと分かればすぐに切り捨てられる、簡易的な場所だ。」


私はアントンに小声で言われ、おまけとばかりに睨み付けられた。


(なる程な。)


「そんな事より、朝飯にしようぜ!」


紫色で悪臭を放っている者が言った。私はその姿を見て自分も似たような姿に成っていた事に気付く。


「そんな事より、あんた達、酷い臭いよ。」


金髪の女性は綺麗な瞳にうっすらと涙を浮かべながら言った。


その二十八


歩いてそう遠くない所に、その建物は有った。周囲に溶け込む様にと外壁を全て迷彩色に塗ってある四角い形をしたそれは、僕の予想に反して大きな物だった。


「入ってくれ。」


アントンさんが扉の取っ手を引き、みんなに中に入る様にと指示をすると、僕以外のみんなはそれに従い建物の中に入った。


「村田さん?どうしました?」


アントンさんに名前を呼ばれて、僕は顔を下に向けた。僕は警戒していたのだ。こんな森の中に建っている不気味ともとれる建物の中に、容易に足を踏み入れる事が出来る、みんなの気が知れなかった。先程の怪物が潜んでいない保証はどこにも無い。それにみんなに指示をしたアントンさん自身は、扉を抑えたまま、未だに建物の外に立っている。僕は男の腰に提げてある、刃物が収められているであろう鞘を見て思った。


(さっき、合ったばかりの人を信じる訳にはいかない。これは、びびってる訳じゃないぞ。みんなの警戒心が足らないんだ。)


「村田。どうした?森内が五月蝿いから食事にするわよ。」


ノブリさんが家の中から小窓を開けて僕に呼び掛けた。僕達はここに至る道のりで、一通りの自己紹介を終えている。ノブリさんはどう見ても僕達と同じ人間ではないが、僕達の命を何度も救ってくれた、信頼のおける人物だ。森を行進した時も疲れた僕に優しい言葉を掛けてくれた。


「何してんだよ!早く来いよ!飯になんないだろ!」


全身を紫色に変えている彼女の名前は森内さん。現在、一緒に行動している数少ない同世界の人。まるで男性の様な性格をした彼女は、先程、化け物を一体、殺害している。不思議な光を纏って…。


(他の人達は逃げられたのかな。)


昨夜の悪夢の様な光景を思い出し、僕は吐き気を催したが、既に胃の中の内容物は昨夜、全て吐き出してしまっていたので、嗚咽だけが喉から発せられる。本来ならば然るべき施設で、精神面のケアをしてもらわなければならないのだろうが、そんな施設はこの恐ろしい森には無かった。


「その前に、あんた達二人はシャワーを浴びなさいよ!奥の部屋に有ったから。臭くて堪らないわ。」


「へへへ、わりい。」


(シャワーがあるんだ。電気や水道が引いてあるのかな?)


金髪の綺麗な女性に注意された森内さんは、どうやら別の部屋に入った様だ。

注意をした彼女の名前は雛岸さん。森内さんとは違って、僕と同じ普通の人間だ。


(…口は悪いけど。)


「あんた、いつまでそこに突っ立ってんのよ!馬鹿じゃないの!?」


「あ、…すいません。」


僕は雛岸さんの軽蔑する様な冷たい視線を浴び、反射的に謝っていた。


(やっぱり僕の苦手なタイプだなあ。でも、中も安全そうだし入ってみよう。)


僕が小走りで建物の中に入ると、アントンさんも僕に続き、扉を閉めた。


建物の中にはこれと行って特別な物は無かった。壁や床はコンクリートが剥き出しで、何も塗装されてなく、壁に触れれば、固く冷たい感触が掌で感じる事が出来た。コンクリートの壁の一部を切り取った所に、扉変わりにカーテンが一枚取り付けられており、その奥から、水の流れる音が聞こえてきた。ノブリさんと森内さんが部屋にいない事を考えれば、どうやら二人がシャワーを浴びている様だ。雛岸さんは一人で木製の古いタンスの中から衣類を物色していた。


(僕も後でシャワーを浴びさせて貰おう。自分ではよく分からないけどきっと汗臭い筈だ。)


「あんた…。覗いたりしたらただじゃおかないわよ。」


「え!?いや、そんな事は、」

雛岸さんは僕の返答を最後まで聞かずに、大量の服とタオルを抱えてカーテンの奥に消えていった。


(そんなタイプに見えるのかなぁ。少しショック。)


部屋には僕とアントンさんの二人だけになった。僕はその事実に気付き、急に身の危険を感じて不安を覚えたので、アントンさんから出来るだけ離れた位置の、部屋の角に腰を下ろし、時間の流れを待つ事にした。


(鎧に刀。あの人がその気になったら、僕なんて簡単に殺されちゃうんだろうなぁ。)


僕の視線に気付いたアントンさんは、笑顔を作った。その笑顔に悪意は微塵も感じられなかった。僕は慌てて視線を床に移す。人と関わる事が昔から苦手だった僕は、その笑顔に対する手段が思い浮かばなかったのだ。


(あー。コミュ障だ。情けなさすぎ…。)


「…うわ!」


「どうしました!?」


僕が急に発した声にアントンさんが驚き、鞘に手を掛ける。


「カシャ!」


カーテンが勢い良く開かれた。その先には衣服を全く纏っていない、ノブリさんと森内さんの姿があった。身体には大量の水玉が付着しており、髪の毛からは水が滴り落ちていた。


「どうした!」


「うわぁ!」


二人のあられも無い姿に僕はまたしても声をあげた。


(母さん意外の女の人の裸、初めて見ちゃったよ。)


三人の視線が僕に集まる中、僕は両手で目を隠していた。「どうした!?目を負傷したのか!?」


ノブリさんがこちらに走り寄って来る。


「ま、待って下さい!ストップ!ストップです。」


あんな姿で近付かれたら、僕は失神してしまうかもしれない。そう思い、僕は必死にノブリさんに訴えかけた。


「あそこ!アントンさんの足元に、小さな変な生き物がいます!」


「足元…?何もいませんけど?」


アントンさんは両足を順番に上げながら地面を確認した。足元にいたその生き物は、踏み潰され無い様にと、ちょこまかと走り回り、アントンさんの足がもう動かない事に気付くと、僕に向かって指でピースサインを作った。その不思議な生き物は饅頭位の大きさをしており、丸く緑色の胴体からは直接細い手足が伸びていた。そして、その胴体の表面には、人の顔と同じパーツが揃っている。

その姿を見て、ふと幼い頃の記憶が蘇り、僕はその生き物の事を知っている事に気が付いた。しかし、その生き物が絶対に実在しない事も良く理解していた。


(フニャお?嘘だろ。)


その生き物は僕が幼い頃に頭の中だけで想像した生き物に、瓜二つの姿をしていた。それは、当時の僕には唯一の友達の姿だった。


「嘘じゃあないぜ。俺はフニャおだ。しっしっし。」


「うわぁ!」


僕の右肩から突然声が聞こえ、そこに前触れも無く出現したフニャおに驚き、僕は慌てて左手でフニャおを払い落とした。フニャおはそのまま地面に落下して、うつ伏せになったまま動かない。


「ひでえなぁ。何だよ。友達だろ?俺ら?」


地面でうつ伏せになっていたフニャおの姿が消え去り、何処かに移動したのかと思ったら、今度は僕の頭の上から声が聞こえてきた。その声は特徴的なガラガラ声で、すぐにフニャおのものだと理解出来た。


(声まで想像と一緒だ。僕、疲れてるのかな。)


「お前は正常だぞ。村田和久。俺の姿はお前にしか見えないからな。しっしっし。」


(心が読まれてる!?)


「お前、大丈夫か?」


森内さんが、僕に声を掛けてくれた。いつの間にか雛岸さんも合流していて、森内さんとノブリさんは身体に大きめのタオルを巻いて、肌の露出を減らしていた。心配してくれるのかと思って少し嬉しかったのだが、彼女の表情を見て、すぐにそれが勘違いだという事に気が付いた。言葉とは裏腹に彼女の顔は笑顔だったのだ。それは僕の異常を無邪気に楽しんでいる事を表していた。


「ひでえ女だな。和久がパニクってんの心底楽しんでるぜ。」


フニャおが胴体の顔で怒った様な表情を作った。


「あ、すいません。何でもありませんでした。ちょっと疲れていたみたいで、視界がぼやけていたみたいです。」


(声も僕にしか聞こえないみたいだ。)


「何よもう。迷惑な男ね。」


「これは少し違うな。この女。お前を心配してるぜ。やるじゃねえか!え?和久!」


雛岸さんの肩に出現したフニャおが言った。雛岸さんはタンスの中にあったパジャマの様な、上下灰色のシンプルな衣服を着ていて、スタイルの良い身体の線が浮き上がっていた。僕に問題が無い事が確認出来たノブリさんと森内さんは、もう一度カーテンの奥に消えて行った。


(フニャおは人の気持ちが分かるの?)


「しっしっし。忘れちまったのか?ガキの頃のお前がそういう様に俺を想像したんだぜ。最初は好きな子の気持ちが知りたいからってさ。あの頃のお前と言ったら、情けなくて…。」


「わ、分かったよ。ごめんごめん。ありがとう。」


アントンさんが警戒してこちらを見ている。その視線は鋭い物だった。


(あ、声に出したら変な人だと思われちゃうんだ。…でもなんでフニャおだけ何だろう。僕は現実の友達がいないから、今までにいろんな友達を想像してきたけど。子供の頃に考えたフニャおだけ…。)


「俺だけで悪かったな。」


「わぁ!ごめんごめん。」


僕の目の前に出現したフニャおが、胡座をかいて言った。雛岸さんの視線が痛い。


「なんてな。冗談だよ。他の奴らもいるぜ。お前にはまだ見えないけどな。早く友達に会いたいならもっと強くなる事だな。」


(強くって言っても、運動には自信ないよぅ。)


「身体だけの話じゃねえよ。精神面の話だ。…でもまぁ、俺が見える様になったって事は、ちったぁましになったんだな。しっしっし。」


「おっしゃあ!飯だ!もう文句はねえだろ!」


森内さんが怒声と共にカーテンを開けて、部屋に入って来た。ノブリさんは呆れた表情を作りながら森内さんに続いて来る。二人共、雛岸さんと同じ衣服を身に纏っていた。


「そうですね。食事にしましょう。私も少しですが持ってきましたから。それと…村田さん。本当に異常は無いんですか?」


「はい。お騒がせして申し訳ありませんでした。それと出来れば僕にもシャワ…。い、いえ。何でもありません。」


僕は森内さんの鋭い視線を浴び、身体を清潔にする事を諦めた。


「しっしっし。」


そんな僕を不思議な丸い生き物は穏やかな表情で見つめていた。

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