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招かれた彼の家は、真っ赤な屋根にレンガ調の、「いかにも」な豪邸だった。
友人が読んでいた絵本で、主人公がこういう屋敷でこき使われていたな、などと思い出す。
「さあ、家に着いたよ」
彼は自然な動作で私の肩を抱くと、家の隅々まで丁寧に案内してくれた。
父親の書斎、太ったコックのいる台所、執事専用の宿泊部屋――孤児院に来た老紳士は、彼の執事だった
しかしその間、私はちっとも心がはずまなかった。
この豪邸が本当に私の家となり得るなど、微塵も信じていなかったのだ。
どうせ「大人の事情」で、一時期だけ預けられたんだろう
もしくは、シスターの考えた、新手の社会科見学の一環かもしれない
いずれにせよ、すぐに孤児院に送り返しだ
などと本気で考えていたのだから、なんとひねくれたガキだったろう。
最後に案内されたのは、壁中が本棚で覆われた、研究室のような一室だった。
積み上げられた本たちに、私は一瞬にして目を奪われた。
世界各国の有名数学雑誌、科学論文集、物理原則教本…
凄い。
もしこれを全て読めたら、断片的な今の知識が全て繋がる。体系化された学問を入手できるだろう。新しいこともたくさん学べる。
誰にも邪魔されることなく、何も恐れること無く、ここで日がな一日過ごしてみたい――
思わずそれに駆け寄って、仰ぐように眺めていた。
「君の部屋だよ」
振り返ると、三人の大人がそこに立っていた。
口ひげを生やした男性と、それに寄り添うふくよかな女性、そして寝ぐせのついた白衣の男性。
「フィニステールさん。これが例の子かい」
「そうさ。体が弱いみたいなんだ。トムキンス、世話を頼むよ」
体が弱いのは坊っちゃんだけで十分だわ、と白衣の男性が頭をかく。
「どれ、ちょっと手なづけてみようか」
差し出された手からは薬品の匂いがして、私は思わず、彼の背中に隠れた。
「おじさん、女の子を誘う時は、もっと丁寧にやらないと駄目だよ」
彼はわざとらしく肩をすくめ、跪く真似をしてみせる。
「…フィニステールさん。女の子の体調より、俺は坊っちゃんの将来が心配ですぜ」
来た、ついに来た、と私は思った。
さあ、何処に飛ばされるんだ。
この人科学者みたいだから、まさか人体実験とか…
彼の服の裾を握りしめ、大きく息をついた時だった。
真っ白な白い手が、すっと私の前に差し出された。
大きな赤い指輪がついているものの、パンのようにふくよかで、どこか温かい手。
同時に、優しい声が耳に届いた。
「いらっしゃい。あなたに会えて、嬉しいわ」
彼の母親。
最後まで「お母さん」と呼べなかったけれど、一生感謝してもしきれない、私の恩人だ。
導かれるままに、その懐に抱かれる。
初めて感じる、包み込むような安心感だった。
ヒューッ、さすが奥さん、と後ろからトムキンスの声がする。
4人の笑い声を聞きながら、私はようやく、変わり始めた自分の運命に気付き始めていた。