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「ふぅ…」
一通りの回路整備が終わると
雪洞は額の汗を拭って息をついた。
フランシスが言っていたように、聴覚の神経を伝わる振動を利用しての
脳神経細胞への作用。
その目的が破壊なのか操作なのか分からずとも、通常なら綺麗に整備されていたはずの秩序が犯され
いくつもの『あり得ない』現象が脳内細胞で起こっていた。
人外の強靭さをもつロボットで無ければ、こんな損傷では済まなかっただろう。
もしフランシスが居らず自分が標的になっていたら…
そう考えると、背筋がぞっと寒くなる。
それでも、『愛しい人』が目の前で倒れている姿は
その傷を全て自分が代わりに請け負いたい衝動を引き起こす。
眠るフランシスの顔と、陽炎の図面が脳内で重なる。
雪洞はしばらく夢かうつつかわからぬ世界を漂っていた。
が、突如ぐらりと足元が揺れたことで自分が辛うじて生きていることを認識する。
思ったより自分にも疲労が残っているようだった。
それもそうか、と納得しながら
トムキンスの採配で置かれた補助ロボットに支えられ
ぐるぐると回る視界が収まるのを待つ。
-まずい、ここで倒れたらドクターになんて言われるか
屋敷の皆にも更に心配かけちゃう
そんな雪洞の気持ちとは余所に、
どれほど前のものか分からない記憶が洪水の様に脳内を浸食していく。
-まずい、いつものアレだ…
フランシスの横顔が視界に入った時
猛烈な吐き気が腹から胸へ、そして喉もとへとこみ上げた。
うっと両手で口を押さえ思わず壁に手をついたとき
「ぼんぼりたん!!ぼんぼりたん!!!」
外から聞き覚えのある声がした。
「…もういい加減あきらめなさいって」
「や!待ってる!」
「また今度にしようぜ…
雪洞様、疲れてるんだから」
トムキンスとニコラと
シャナの声だ。
「や!!!待ってるの!
聞かなきゃいけないの!」
「シャナ、物事にはタイミングってものがな…」
「今がそのときなの!シャナは分かるの!」
…また何を騒いでるんだか
整備室のドアを開けると、シャナがそれを待ち構えていた。
「シャナ…ごめんね。さっきは驚いたでしょ。
大丈夫だった?少し休んだら、シャナもしっかり体を直そうね」
そう言って伸ばした手がシャナに触れる前に、シャナは言った。
「ぼんぼりたま!
どうして兄さまを創ったの?」
「…え?」
雪洞の手が空中で止まる。
「シャナちゃん、戻ろう。
雪洞ちゃんは疲れているんだよ」
止めるトムキンスの手を振り払い
「じーじは黙ってて!」
とシャナは動かない。
「ぼんぼりたんは言ったの!隠し事はダメって!
あれは嘘なの!?」
「シャナ…」
「ぼんぼりたんはいつもそうなの!
一人で全部持って、つらそうな顔するの!
どうしてシャナには教えてくれないの!?
うわーーーーーん!」
シャナの声に合わせて家具が浮かび始めるが
雪洞は動じることなくシャナの頬に手を当てる。
「シャナ…ごめん。
隠していたわけじゃないの」
「じゃあ、話してくれる?」
ほっとした顔とともに家具がそっと地につくが、
「ごめん、私もどう話していいか分からないの。
……まだ、認めたくないの…」
雪洞は唇をかみしめて答えた。
「嘘でいいから、何か言ってよ」
「嘘は駄目。
シャナは大事な家族だから、どんな形であれいつかありのままを話したいの」
「ぼんぼりたん…」
切なそうな表情でシャナを見つめながら、
自分では無いどこか遠いところを眺めている雪洞を見て
シャナはがっくりと肩を落とした。
トムキンスが少女の肩に手を乗せ、雪洞を彼女の部屋まで誘導する。
「少し、休みなさい。
話はそれからだ」
ドアの閉まる音に聞きながら、雪洞は一人広いベッドに腰掛けた。
窓の外を見ると、彼女の心を映し出したかのような
今にも泣きだしそうな曇り空である。
引き剥がせば真っ黒な闇が現れそうな雲たちは
あの日開けた、鼠色の封筒に似ていた。
最初に彼に出逢ったのは雪洞が幼いときだった。