4-5
薄緑色の部屋は数十の電灯に照らされている。
光の注ぐ先には半透明のカプセルと
それに寄り添う少女の姿だけがあった。
ケイマ邸のどの部屋より入念にセキュリティがかけられたこの部屋こそが、
超高度機能人工知能型人工生命体ロボット、別名フランシス専用整備室である。
寒々しい静寂の中、雪洞は横たわるフランシスを見つめていた。
「傷つけてばかりでごめんね…」
雪洞の指は、頬に触れて傷跡をなぞる。
フランシスは人形のように冷たかった。
*******
トムキンスは落ち着かない様子で、慌ただしくコーヒーカップを口に運んだ。
視線は明日の医療学会で発表する資料に注がれているが、
内容が頭に入っているかは定かではない。
それはニコラにすら分かった。
「先生…飲みすぎです」
恵永は恐る恐る、19杯目のコーヒーを差し出す。
「やはりうまいな、君の入れる珈琲は。
世界中飛び回ったがここで飲むのが一番だよ」
トムキンスは資料から目を離さずにカップを受け取る。
恵永とシャナは目を合わせて肩をすくめた。
「ねえトムキンスさん、雪洞様が治療室にこもってからもう4時間だよ。
これじゃ雪洞様が倒れちゃうよ!」
ニコラが苛立たしげにつぶやく。
「だから俺がこうして待っているんだろう、明日は久々の総会だっていうのに。
雪洞ちゃんに何かあったが倒れたらすぐに
俺が駆け付けなきゃいけないからな」
「何かあったらってなんだよ!」
思わず立ち上がったニコラを慌てて恵永が抑える。
逆上した猫のように毛を逆立たせているニコラを一瞥し、
トムキンスは珈琲を飲んだ。
「うまい」
シャナがやれやれと首を振った。
「こんなことになるなんて…
俺たちがユリシスさんを入れたばっかりに」
ニコが泣きそうな声で呟いた。
お前のせいじゃないさ、と恵永がニコラの頭に手を置く。
「紅茶だって、シャーロットじゃなく俺が持って行けば良かったんだ」
ニコラに持って行かれたら、また割られちゃうもの!
と、最後に見たシャーロットの顔は、
相変わらず少し口を尖らせて片眉をあげて怒って見せながらも
そこには弟のようにニコラを可愛がる彼女の愛情がにじみ出ていたことも
今さらながら分かっていた。
しょぼくれるニコラに笑いかけるシャーロットの顔が思い出され、
手に爪がくい込むほどの力が入る。
「雪洞様まで倒れたら、もともこもないのに…。
唯一の僕の居場所が、なくなるのに。
雪洞様はフィニステールさんのことしか考えてない…」
「それは違うよニコ」
恵永は少年の栗毛をなでながら言った。
トムキンスは何も言わずに資料をめくっている。
「恵永にはわからないんだよ、独りの世界は見たことがある人にしかわからないもの」
「そうかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれないよ」
恵永は続けた。
「今はただ待とう」
「ねえじーじ、ぼんぼりたんはどうしてお兄様を作ったの?」
シャナがトムキンスの空のカップをのぞきこみながら
ふと思い出したように尋ねた。
じーじと呼ばれたトムキンスは、特に気にとめた様子もなくコーヒーを口に運ぶ。
「んん?」
「シャナは、コドクシ…カイから頼まれたんでしょ。
でも兄さまは?」
シャナは顔をあげてトムキンスを見つめる。
「俺も聞いたことない、というか考えたこともなかったけど」
「あ、私もです。
…そういえば、昔ケイマ家にゆかりのある客人がお見えになったとき、
フランシスさんの顔を見てたいそう驚かれていたことがありました。
フランシスさんは、ただの執事用ロボットではないのですか?」
ニコラと恵永もトムキンスを見た。
一同の視線を横目で受け止めると、トムキンスはきょとんとした顔で
「そうだなあ、作りたかったからじゃないのか」
と答えた。
「なんだ、おじさんも知らないの?」
「そ、そうですよね。
雪洞様ほどのお忙しい方なら、執事の一人や二人必要ですしね」
ニコと恵永の溜息が響く一方で、
シャナはトムキンスを食い入るように見つめている。
ピピッという音とともに、スカイブルーの瞳が大きく見開かれ
「嘘!知ってる!」
シャナはぶうっと口を膨らませた。
「じーじのケチ!顔に知ってるって書いてある!」
トムキンスは苦笑して
「おうおう、女の勘は怖いねえ」
と呟いた。
「カンじゃない、ドクシンジュツ!
大人っていつもそうよね!」
「シャナ、また変な言葉を覚えて…」
「トムキンスさん、知ってるの?
教えてよ!」
ニコラも身を乗り出す。
するとトムキンスはとぼけた様子で
「君たち、こういうデリケートな問題は他人が軽々しく口にしちゃいけないんだよ」
と答えると、そそくさと資料を片づけ立ちあがった。
「いつも医療界の裏事情軽々しく口にしてるくせに・・・」
ニコラをあしらうように手をふると
トムキンスはドアに向かって歩きだした。
が、走ってきたシャナが足にしがみつく。
「いやいや!家族は隠し事しちゃだめなの!
ぼんぼりたん言ってたもん!」
「シャナ…」
頑として動かない少女を見つめると、トムキンスは屈んで
「ごめんよ。
でもな、大人は矛盾した感情も持つ生き物なんだ」
と困ったように微笑んだ。
シャナの目に涙が浮かぶ。
「ま、お前も大きくなったらわかるさ。
大人の深さも、珈琲の上手さもな」
感慨深けに無精ひげをさすりながら、シャナをなでようと手を伸ばした時
「あ、まずい」
とニコラが呟いた。
ん?
とトムキンスが振り返った次の瞬間
「うわーーーーーーーーーん!!!」
つんざくような泣き声が部屋中に響き渡った。
シャナの声だ。
そしてそれを合図に、部屋中の磁気を含む家具という家具が全て
宙に浮かび旋回し始めた。
「わああああああ!シャナ、ストップストップ!」
ニコラが叫ぶ。
「お皿が!!東洋の特注工芸品が!!」
数十万の皿が砕けるとともに、恵永の血の気も散っていく。
「し、シャナがやってるのか!?やめなさい!」
「うわーーーーーーーん!!!」
抱きかかえようとするトムキンスの手を振り払い、シャナはさらに泣き続ける。
テーブルに骨董品、花瓶に絵画と部屋中の装飾品が集まって渦をまき始めた。
「おじさんもう嘘でもなんでもいいから話してよ!!」
戸棚を抑えながらニコも怒鳴る。
「それはできない!」
「なんで!!?」
トムキンスも叫んだ。
「俺は理系だからだ!!
雪洞ちゃん、早く帰ってこいーーー!!!」
***
ロタは一人砂漠の真ん中に立っていた。
あたりを見渡すと、そこには茶色い砂がどこまでも広がっている。
遠くのところどころに灰色のものが見えた。
目を凝らすと、昔教科書で見たような
旧式の建物。
確か21世紀ごろに都市に連立された
『コウソウビル』と言う名前だっただろうか。
23世紀の美しい外観のそれとは程遠い
コンクリートの塊であるそれは、
少なくともそこに街があることを意味している。
「ここは…篝?」
シャーロットはぼやけた頭を振ると、
風の吹く方向へ歩き始めた。
どれくらいの時間が経っただろう。
ロタは背中で息をしながら、一向に終わりの見えない砂漠を歩き続ける。
「暑い…」
汗でぐっしょりと重くなったメイド用のエプロンを脱ぎ捨て、
シャーロットはふぅっと息をついた。
「溶けそう…あぁ、汗と埃でぐちゃぐちゃ。
これは帰ったらはやく洗濯しないと」
自分に言い聞かせるように、帰ったら と
シャーロットはもう一度呟いた。
「大丈夫、きっとお嬢様が助けてくれる。
それまでに私に出来ることをしなくっちゃ」
「アリエル様が恐らく絡んでいて、おまけにこの感じだと…ここは篝よね?
でも身体の感触はある。おかしいなあ…」
シャーロットは屋敷内の家事を一任されるだけあって、
ある意味ケイマ邸の誰よりしっかりした娘だった。
おまけに気丈で、明るい。
「何か歌でも歌おうかな…」
折れそうな心を立て直すように、シャーロットは声を出す。
「らん、らんらららん…」
しかしいつまでたっても、砂漠の終わりは見えてこない。
篝なら身体の負担は擬似的なものである。
しかしどうだろう、この張り付くような気だるさ、あがる吐息、
徐々に動かなくなる手足。
まるで本当の身体みたいだ。
ここは、どこ?
「あっ!!!」
呆けていた瞬間、シャーロットは足元を砂地にとられ
前に倒れた。
-転ぶ・・・!!
思わず目を瞑ったその瞬間、
ふわっ とした甘い香りがロタを包んだ。
次に来るはずの衝撃も、無い。
代わりに感じるのは暖かい何かと、
聞きなれたはずの―――
「大丈夫?」
シャーロットはうっすらと目を開けると、声の主を見た。
ぼんやりとした視界の中で、銀色の髪がなびいている。
「フランシス…さん?」
まさか、こんなところに。
いや…違うわ、目の色が違う。
「あなたは…」
そこまで言いかけて、シャーロットは力尽きたように眠りに落ちた。
青年はふっと微笑んで立ち上がると、
少女を抱えてゆっくりと歩き始めた。
「ようこそ、 陽炎へ」
イントロクイズ
折れそうな心を立て直すように、シャーロットは声を出す。
「らん、らんらららんらんらん
らん、らんらららん」
ヒント:オウム