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「成功と言える代物では無かったわ。
確かに物質の輸送には成功した跡が残っていたのだけど…
それがどこへ行ったのか、分からなくなってしまったの」
雪洞は今にも泣きだしそうな顔で唇をかみしめた。
心なしか潤んでいる瞳には、何が映し出されているのか
フランシスには分からなかった。
「輸送先が分からないなど…
もう一度、同じ手順を踏まれても駄目だったというのですか?
科学的に確立され得る手法なら、それでもなんらかの手がかりが…
ましてやお嬢様ほどの方が一度掴みかけたものを失うなど…」
雪洞は黙って首を振った。
そこには大切な何かを無くしてすっかり項垂れた子供のような
少女の姿があった。
昨夜見た怖い夢を思い出して
泣きべそをかいている子供のようでもあった。
驚くでも訝しむでもなく、
フランシスよりよっぽど冷静に話を聞いていたトムキンスが
そっと雪洞の肩に手を置く。
そして雪洞の悲痛な想いを写し取るように
少しばかり顔を歪ませた。
「…少し休んだ方が良い」
雪洞はすがるようにトムキンスを見あげる。
そんな彼女の横顔を振り向かせるかのように
フランシスは言った。
「お嬢様、あなたは…
あなたは陽炎に、一体何を送ったのですか?」
どうしてそんな言葉が口から出たのか咄嗟に分からなかった。
しかしその時、雪洞は何かに刺されたように体を強張らせた。
ぐるりと世界を縦断するように目が泳ぐ。
しかしそれと同時に
ピシッ!!
突如、フランシスの頭を激痛が襲った。
全身が痺れるほどの痛みだった。
そして絵具を混ぜたパレットのような画像が
渦を巻いて目前で旋回していく。
頭の中に突如現れた濁流が咆哮し
幻覚なのか幻聴なのか、視覚も聴覚もあらゆるものが
回り始めた。
――なんだこれは…
痛い!!!
「ぐ…ぁ…」
フランシスは今にも弾けそうな頭を必死で抑えた。
何かが自分の中から溢れ出ようとしている。
――出したら、死んでしまう!!
フランシスは訳も分からず、それを必死で抑えた。
歪んでいく視界の中でぼんやりと、雪洞が駆け寄ってくるのが見える。
「フランシス!!どうしたの!?」
慌ててフランシスの肩を掴み、瞳の色を確認する。
――濃淡を繰り返している…
交感神経系がパニックになっているわ
雪洞は咄嗟にトムキンスを見た。
「ドクター!フランシスが!!
そうよ、私を庇ってユリシスから攻撃を受けていたのに…」
陽炎にすっかり気をとられて
あろうことか彼の体を気遣う余裕すら失っていた自分に
叫びだしたいほどの怒りがこみ上げる。
「今すぐ直しに行かないと!」
走りだそうとした雪洞の手を掴み、フランシスは唸るように声をあげた。
「…大丈夫です。大したことは御座いません。
それよりお嬢様、現状の解析を…」
「嘘をつくな、中枢神経回路がやられているのだろう」
フランシスに肩を貸しながら、トムキンスが反論する。
「やっぱり…」
雪洞の顔から見る見る血の気が失せて行く。
「フランシス!!こんなことしてる暇は無いわ、治療します!」
「い、今からで御座いますか?」
「今しなくていつするのよ!?」
「いや、しかし…」
フランシスはトムキンスを見た。
そんなことをしている余裕はありません、と目で訴える。
トムキンスはすぐ近くで喘ぐ青年の端正な顔立ちを苦虫を潰しながら見つめたあと
雪洞に目を向けた。
すっかり取り乱して慌てている彼女自身も
顔色が十分芳しくない。
重心もぐらついている、心身の緊張から足に力が入っていないのが分かる。
医者が普通の人間の体を直すのでさえ、全気力と体力がそぎ落とされる。
それがましてや、確かなセオリーも確立されていない超高性能ロボットの治療となると
雪洞にどれだけ心身の負担がかかるかは想像に難くない
しかし…
「…雪洞ちゃん。
その身体ではろくなパフォーマンスができない。
少し落ち着いて、私の出す薬で体力を回復してからにしなさい」
「馬鹿を言わ無ないで!」
雪洞はトムキンスを睨むと、自分を落ち着かせるように一呼吸置いて
今度は正面からトムキンスを見据えた。
「ろくでなくても、やります」
「これはドクターストップだぞ」
「ドクター。
フランシスが力を発揮できない今、このケイマ邸は無防備な状態に等しいのです。
そんな時に何かあったら、ケイマ邸は終わりです」
「先程の攻撃から時間はたっておりません。
彼らが動くのはまだ先かと…」
「フランシス、本当に頭がいかれちゃったのね。
いつもの合理的かつ効率的に仕事が進むような補助プログラムはどこに行ったの?」
雪洞が諭すような声で、フランシスの頬に手を添えた。
触られた箇所から痛みが走る。
感覚神経が過敏になっているようだ。
「うっ…」
「雪洞ちゃん。
私もフランシスも、君のことが心配なんだ」
「わかってます。
でも、やりたいんです。
やらなきゃいけないんです」
自分を見つめる雪洞の強い瞳を見て、トムキンスは目を細めた。
先ほどまでの絶望に打ちひしがれていた顔から
ようやく少し、生気を取り戻したものになった。
――強く、大きくなったな。
あのか弱かった少女が…。
「わかったよ、許可しよう。
ただし条件がある。施術には補助ロボットを同行させること。
万が一倒れたときに備えて、医療ロボットも施術室に数台配置させる。俺もすぐそばで待機する。
そして五時間以上の作業の継続は許さない」
「はい!!」
――また貴方は、人の助言を聞かずに無茶を…
そう言いかけた時、それまで張っていた緊張の糸が切れたかのように
ずしんと重たい疲労が体に伸しかかった。
すぐに手配させます、ドクターフランシスをそのまま連れてきて…
と、雪洞の声が次第に遠ざかって行く。
トムキンスの腕が自分の体に回されるのを感じながら
フランシスはゆっくりと、意識を失った。