4-1
「医療ロボット!早く!!」
ニコの怒鳴り声と走り回るメイドロボット達の足音
そしてシャナの泣声が屋敷中に響き渡っている。
「お、お嬢、お気を確かに」
恵永に抱えられ雪洞が、医療室へと運ばれて行った。
両腕に器具を取り付けたロボットが出迎え、
患者が医療用カプセルに収納されると同時に
医務室のドアが閉められた。
騒然とした空気の中、フランシスは一人動かぬ体を引きずりながら
コンピューター室へと向かっていた。
コンピューターと言っても、超高度科学時代である23世紀では視覚化され3次元に浮遊するデータそのものを示す。
ケイマ家のコンピューターを統御する人工知能は雪洞の思考回路を基にしているため、
扱えるのは雪洞本人の他にフランシスだけであった。
フランシスが右手でセンサーに触れると、中央の大画面に篝のマークが現れる。
「コンニチワ。篝オーナーシステムキドウシマスカ」
「しなくていい。今日はこれを解析してほしい。」
フランシスはガラスの破片のような黒いチップを端末に挿入した。
「オマチクダサイ。
デンゲンをキラナイデクダサイ。
カイメイシュウリョウマデ8分57秒…」
ふうっと息をつき、フランシスは椅子に座った。
―これからどうするか。
ここまでの緊急事態は初めてだ。
いずれにせよ、このチップでアリエルが何を伝えようとしているのか
それが問題だ
「相変わらず無茶をするな、お前は。」
突然の声に驚いて振り向くと
白衣の男が入口に立っていた。
フランシスはほっと息をつく。
「トムキンス様。
いらっしゃてっいたのですか」
「いらっしゃったじゃないだろう。
社長の鼓膜を破った張本人が」
トムキンス(Tompkins)と呼ばれた男は世界医療工学会の副理事長
即ち医者であった。
体の弱かった雪洞を小さいころから診てきた。
医者に似つかない粗暴な外見と裏腹に温かな内面を持ち合わせ、
雪洞が心を寄せる貴重な存在の一人でもあった。
フランシスもこの男と居る時はセキュリティセンサーを緩めることができた。
カフェイン中毒者の彼はいつものように
コーヒーの入ったマグカップを持って部屋に入った。
「聴覚器官の振動を利用し、脳細胞に働きかける周波数でしたため
危険性が未知数でした。
命を優先した結果です。
お嬢様の容体はどうです?」
「なに、現代の技術を持ってすれば聴覚はすぐ回復するだろう。
開けられた穴も必要最小かつ綺麗だったからな。芸術的なほど。
おかげで縫合しやすかったぜ」
「問題は精神的ショックの方ですね」
「いや問題はお前の方だ。
大丈夫なのか、体は」
「ええ。
少し胸部と頭部の神経中枢をやられましたが」
「俺が診てやろうか?」
トムキンスはフランシスの隣に腰かけると、
飲むか?とコーヒーを差し出した。
「せっかくですが。
私をメンテナンスできるのはお嬢様だけですので、
彼女が回復しないことには」
「大変だな、ロボットも」
「これは?」
せわしなく大画面に表示される暗号を見て
トムキンスが尋ねた。
「アリエル様から頂きましたもので、現在解読中です」
「はぁ~、天才共のやることはいちいち手がこんでるね。
手紙を読むのにも一苦労だ。果たし状か?」
「ラブレターの類では無いかと思いますので、どちらかと言えば」
「ここ最近の騒ぎにはやはりアリエル嬢が絡んでいるのか?
篝の人体影響については理事会でも度々問題になっていたから気になっていたんだが、
ついに発生したそうじゃないか」
無精ひげをさすりながらトムキンスはため息をついた。
「女の嫉妬は怖いねぇ。
学生時代の成績争いに始まり、研究結果の権利争い。
アリエル嬢はいつも社長のライバルだったからな。
それが篝の開発で先越されてからというもの、
あの手この手で社長の邪魔をしてきやがる。
世間ではあの美貌と話術でアイドル並みにもてはやされてるらしいが、
俺はどうもいけ好かんね、あの女は。」
「それでもこれまでは、彼らからここまで実質的な被害を被ったことはありませんでした。
私どもの方がいつも上手だったからです」
フランシスはのど元の蝶ネクタイを外して息をついた。
「今回も、私の予想内で全てことは進んでいた筈でした。
それが、まさかいきなりこうも直接仕掛けてくるとは。
それもお嬢様を狙っての物理的攻撃など。
あまりにも無謀で危険な懸けです。
見合う利益も不確定です。
さすがにシュミレーション外でした…とにかく私のミスです」
フランシスは口をつぐみ画面を見つめた。
「安心したぜ。
お前からミスなんて言葉が出てくるなんてよ。
完璧すぎも逆に不完全だぜ。
人間、どこかしら欠点があるから前に進めるんだ。
じゃなきゃ生きる面白みがねぇってもんよ」
トムキンスはフランシスの右手の傷を眺めながら言った。
「私はロボットです」
「…いや、まあそうなんだが。要はだな…」
フランシスはふっと笑うとトムキンスを見た。
「ありがとうございます。
なんだか胸部の辺りが軽くなりました。
これもメンテナンスの一種でしょうか」
トムキンスもにやりと笑った。
「そうさ。医者をなめるんじゃないよ。
まだまだ成長途中ってことさ。お前も社長も」
「カイサキカンリョウシマシタ。」
二人ははっとして画面を振り返る。
少し和らいだはずの空気が一瞬にして張りつめられる。
それに伴い、部屋中に離散していた小画面が消え、中央画面に半透明な立体物が浮かび上がったかと思うと
設計図や数列を映した画像が部屋中に展開していく。
「これは…」
「なんだいこれは?
どっかの地図か?」
眉をつりあげるトムキンスの隣で
部屋中を埋め尽くす奇妙な図形達を見渡しながら
フランシスが呟く。
「篝だ」
「あ?なんだと?どういうことだ??」
「いや、全てが反転…している、どういうことだ、これは篝ではない?
」
瞳の視覚情報を取り込んで、フランシスの情報解析モードが作動する。
トムキンスは残ったコーヒーを飲み干して、動かなくなったフランシスと拡大を続けるコンピューターをただ見つめる。
「新着メッセージ、一件、デス」
突如、無機質な声が部屋に響いた。
「ウィルス検出、ナシ。
ジドウテキニヒラキマス」
一瞬辺りが暗くなると、画面に女のの顔が現れた。
アリエルだ。
アリエルはふわふわに巻かれたショートカットを少しゆらして
画面の向こうから二人に微笑みかけた。
「ごきげんよう。
時間が無かったので、2次元で失礼しますわ。
今頃は差し上げたプレゼントを開けてくださったころかしら。」
メディアに向けるいつものほほ笑みより少し釣りあがった目を細め、
言葉を続ける。
「気にいっていただけました?も
う賢い貴方がたならおわかりかしら。
そう、これは【篝】であって【篝】では無い世界。
水面に映った篝火の影のごとく、
篝の形、
揺らぎ、
性質
全てを移しとったもの。
名前はまだありませんの。
何かいい案がありましたらつけてくださる?
ほーっほっほっ!」
華奢な白い手を口に当て、大層愉快と言った声で高らかに笑う。
トムキンスが思わず落としたマグカップの割れる音が
アリエルの笑い声の中で小さく響いた。