3-14
雪洞が触れるより早く、それが叩き壊された。
「大丈夫です。アリエル様に被害が及びますので、これで…」
拳の主はユリシスであった。
「なっ…」
雪洞の予測をはるかに超えた、驚異的なスピードでユリシスは目を覚ました。
驚くと同時にフランシスに抱き寄せられる。
「やはり、アリエル様の仰せの通りにしていて良かった」
ユリシスは立ち上がって言った。
「貴女の行動ぐらいアリエル様はお見通しですよ。
対睡眠薬のワクチンを、ここに来る前にアリエル様が施してくださったのです」
ユリシスは口角を思い切りあげて笑った。
――しかし、このワクチンをうっていても寝てしまうとは。
それにも関わらず、一時にしろ意識を失ってしまったという事実。
それがアリエルと雪洞の埋まらない頭脳の差を物語っていると気付く前に
彼は考えることをやめた。
「さあ、参りましょう」
ユリシスは手を拡げた。
「お嬢様、下がって!」
フランシスが身構える。
「あいつ、何かをする気です」
全身で威嚇するフランシスを一瞥すると、
ユリシスはどこから出しているのか体の芯が震えるような低い声で言った。
赤い髪が逆立ち、目の色も変わっていく。
「雪洞・F・ケイマ。
貴女は精神を遊離させた。
しかしそれは同時間軸上であり単なるコピー。
アリエル様は手に入れたんだ。
偽物でもなく、
肉体も一緒に、
時間すら越えて
お前と篝を超える方法をなああ!!」
ビィィィイィィィィィッ!!!!!!!
ずしんっ!!と巨大な鉛が乗っかったような重圧がかかる。
一瞬なにが起こったのか分からなかった。
建物全体が震えている。
そうか、これは「音」
すなわち空気の振動。
それももの凄い高周波だ。
こんなものを聞いたら人間の脳などひとたまりも…
はっと気付くより早くフランシスは反射的に雪洞を振り返った。
「痛い…頭が…」
雪洞は耳を必死に抑えていた。
何かが頭に入ってくる。
酷く痛い、勝手に脳内をかき乱される。
何故だろう、すごく痛くて悲しい。
だめだ、耐えられた無い、
助けて!!!
そう叫ぼうとした時だった。
ブツッ!!!!
爆音とと共に全身を焼かれたような痛みが走った。
息を止めて、叫ぶ。
しかし、
自分の声が聞こえない。
突如投げ込まれた静寂の中、雪洞は痛みに耐えきれず倒れ込んだ。
ドサッと雪洞を抱きとめると、フランシスはユリシスを睨んだ。
咄嗟の判断だった。
脳内に影響が出る前に、フランシスが雪洞の鼓膜を破ったのだ。
さすがに荒療治すぎる、
そう考える暇は無かった。
「SHDKR9000JIOLEJ138405DAl098…」
その音は、何かのコードであると気付いた。
それも、ものすごい速さで。
一秒当たり、約2000。
篝の精神輸送の方法は、脳内を一時肉体と切り離した状態で動かすために
電気信号を送り続けること。
こいつも真似ごとをしようとしているのか?
「ぐぁっ」
ついに悲鳴をあげたフランシスの脳が、全身の力を彼から奪った。
雪洞を抱いたまま、背後に倒れていく。
―とにかくまずい、この部屋から出なければ!!
最後の力を振り絞ってドアに手をかけた。
その時だった。
ガシャン!!!!
廊下から、何かが割れる音がした。
開かれたドアの前で、顔面蒼白のシャーロットが立ち尽くしていた。
「シャーロット!!」
馬鹿かお前は、ここで何をしている!!!
そして彼女の足元を見てフランシスは
一瞬神経回路が痛みを感知しなくなるほど
視覚に集約された。
紅茶の海に浮かぶ真っ白なカップな破片の隣で
彼女の足は消えかかっていた。