3-13
雪洞は足元に横たわるユリシスを見下ろすと、ふぅっと息をついた。
腕のボタンを押すと、ぷしゅっと言う音と共に鎧が開く。
すっかり汗だくになった体が冷やされていく。
――さすがはアリエル、冷や汗かかせやがって…
「さてと、あんたにはまだ聞きたいことがあるの」
巨大な像でも一発で仕留められる量の麻酔薬を数本も撃ちこんだのだ
しばらくは動けないだろう、と
雪洞はポケットから電話機を取り出す。
「その前に、御迎えを頼まないとね…」
また返り討ちにあったと聞いたら、アリエルはどんな顔をするだろうか。
またあの整った顔立ちを醜くもゆがめるのだろうか
「今度ばかりは逃がさないわ」
と、アリエル邸に繋ごうとした時だった。
「お待ちください」
顔をあげると、ドアにもたれかかってフランシスがこちらを見ていた。
「フランシス…」
雪洞は目を大きく開けた。
「何故、医務室から出させないように警備ロボットに命じていたはずよ…」
「ふ、あんな低レベルのロボットが私を阻むなどできません。
まあ、あいつは後で焼却炉にぶっこんでやりますがね」
フランシスは笑った。
「その体でどうやって…
いくら知能が低いタイプでも、腕力だけならあなたにそこまで劣らないはずよ」
と言いかけて、雪洞は口をつぐんだ。
彼の首には、くっきりと円形の小さな跡があるのが見えた。
それは、何かを刺した印。
ああ、と雪洞は瞬時に理解した。
恐らく、ドーピング剤を打ったのだ。
「フランシス…あなた、またあの薬を使ったの」
フランシスは、え? という顔で雪洞を見た。
その薬は、人間で言うところノルアドレナリンにあたる神経伝達物質の分泌を促し
通常の数倍の速度で電気信号を体中に巡らせる。
すなわち、危険が迫ったという警報を無理やり発動させ
一時的に爆発的なパワーを引き出すのだ。
もちろんリスクも伴う。
効果が切れれば、細胞はかかった負荷の分だけ破壊が進むことになる。
「私の許可無く使うことは許していなかったはずよ」
「何をおっしゃるんですか」
フランシスは笑いながら雪洞に近づいた。
「こんなときに使わなくてどうするんです。
しかし、驚きましたよ。
最初は、本当に生身のあなたが来たのかと焦ってしまいました。
あの偽物は、本物のあなたより5.6mほど背が高く声も高く
そして幾分目も大きく鼻も高くと、美化されていましたからね。
おかげで気が付きました、あれはお嬢様の姿のみをかたどった操作型ロボットであり
本当の貴女は鎧の中からあれを操っていたと。
ご丁寧に大型の警備ロボットに摸して、中から音が漏れるのを防止してね。
だからこそ、私もわざわざ殴られるふりをしたのですから」
と、フランシスが口元の血を拭いながら
わずかに痙攣の残る手で雪洞の頬を伝う汗を拭おうと手を伸ばした。
しかし、
「そんなこと頼んでないわ!」
雪洞はフランシスの手を思い切りはねのけた。
「お嬢様…」
フランシスが、思わず顔をゆがめる。
「主人の命令は絶対でしょ!
どうしてそんな勝手ことするの!」
言葉とは裏腹に、声がくぐもる。
――まずい、泣きそうだ。
雪洞はそれを隠すように、俯いて自分の足を睨みつけた。
――これ以上あなたを
傷つけたくないのに
黙りこんでしまった雪洞の前で、フランシスは困惑する。
言いたいことは山ほどあった。
しかし、
ロボットである彼の存在意義は、主人の意思の通りに
主人の望むままに従うこと。
そこを突かれてしまえば、なすすべは無い。
フランシスは叱られた犬のように項垂れると、目を逸らして言った。
「申し訳ありません…」
嫌な沈黙が、二人の間に流れる。
先ほどまで窓を鳴らしていた風も
部屋の険悪な雰囲気を察してか、いつの間にかどこかへ行ってしまった。
「お嬢様…?」
雪洞は下を向いたままである。
フランシスはおそるおそる、雪洞の髪に手を触れようと手を伸ばした。
その時だった。
ガタガタガタガタガタッ!!!!
何かがけたたましく、
固いものと固いものが、ぶつかりあうような音が響いた。
一気に静寂が破られ、
部屋の空気が暗転する。
ばっと振り返ると、それが先ほど床に落とした電話機の
震動音と気付いた。
自動的に、通話が開始されると機械で再現された
無機質な人間の声が響いた。
「――セバスチャン。
セバスチャン、何をなさっていますの?
そこに居るんでしょう?
あなたの信号が途絶えたから心配してかけてみたのですが
…まさか失敗しては、いらしゃいませんよね?」
ガツン、と殴られたような衝撃で
血の気が一気に引いていく。
――…アリエル!
酷く冷たい声で喚く電話の向こう側で、
すっかり忘れ去られたユリシスが倒れているのが見える。
――しまった、こんなことしてる場合じゃ…!!
雪洞が慌てて駆け寄り
更に言葉をつづけようとする電話機に
手を伸ばした時だった。