3-12
騎士の鎧を被った大きな警備ロボットを3体
両脇とその背後に引き連れ
雪洞は人形のようにじっとそこに立っていた。
ユリシスを射竦める瞳からは、怒りも恐怖も感じられない。
ーーしまった人質を奪われたか
どくん、どくん、と心臓が脈うつのが聞こえる。
ユリシスの頭に、緊急事態発生、の文字が浮かんだ。
ーーいや、しかし大丈夫だ
執事はしばらく動けまい、この少女だけなら他愛ない
次第にに静まる鼓動を確認しながら、ユリシスは不適な笑みを取り戻した。
「ふっ…ここで雪洞・F・ケイマ様の登場とは、願ってもないですね。
元々、貴方に用があったのですから。
フランシスさん、死なずに済んで、良かったですね」
足元に倒れるフランシスを爪先で小突く。
雪洞を挑発するように、ユリシスはニヤリと笑った。
しかし雪洞は興味無さげにフランシスを一瞥すると、彼女の腕で眠るシャナに向き直った。
「シャナ?シャナ?」
--ふん、瀕死の執事には関心無しですか
随分肝が据わっている、さすがはKAGARI社長といったところ…
再び速まる鼓動を感じながらも、ユリシスは言葉を続けた。
「寝ているだけですよ。
少しばかり、深い深い眠りについて頂いております。
…いつ目覚めるかは、あなた次第になりましょうが」
雪洞は何か考えるようにシャナを見つめると、
「そう」とだけ言って
傍らの警備ロボットに「シャナを彼女のベッドに」と命じた。
ガシャン、
と仰々しく頷いて、小さな幼女を抱き抱えたロボットが部屋を出ていく。
「…治療法を教えてもらわなくても、ご自分で治せると」
「私を誰だと思っているの?」
ようやく雪洞の表情に変化は起こる。
ひどく冷たい、微笑みになった。
そしてユリシスの左腕を指差すと、蔑むように言った。
「その手袋の下、擬似ニューロンを破壊する磁気が入っているわね。
愛撫のごとに神経回路に作用させて、段階的にシステムダウンさせた」
ユリシスが目を見開く。
「だけどお生憎様、脳細胞の復元なんて私にとっちゃお茶のこさいさいよ。
技術も設備も私は常に最先端なの。
一晩もあれば簡単に治せるわ」
抑揚の無い、しかし力強い声で雪洞がユリシスを追い込んでいく。
「ふ…それは大変失礼を。さすがは雪洞・F・ケイマ様」
ユリシスはぼとり、と手袋を落とした。
砂鉄が入っているかのような鈍い音が響く。
ーー惑わされるな、落ち着け
状況は明らかにこちらが有利なんだ
何体警備ロボットを連れて来ようが、フランシス以外は敵ではない
「しかしこちらの、フランシス様の方はいかがでしょう。
生物学で首席にもなられたことのあるアリエル様が開発なさった電磁気ですから、
暫くは痺れが残ると思われますよ。
しかしなんなら、それを内部から早急に打ち消す薬を…」
ユリシスの言葉を全て聞かずして、雪洞は倒れるフランシスに声をかけた。
「だってよフランシス、どうする?」
わずかに痙攣する体のまま、フランシスが顔をあげる。
「恐れながらお嬢様、貴方様は馬鹿です。
来るなと申し上げた筈ですよ。私は何のために居るとお思いですか?飛んで火にいる夏の虫とはまさに…
私の努力をなんだと、くっ…」
端整な顔立ちが痛みで歪む。
しかしフランシスは力を振り絞って弱々異しく立ちあがった。
そんなフランシスを一瞥すると、雪洞はもう一体の警備ロボットに命じた。
「フランシスを別室に」
「恐れながらお嬢様、私に逃げろと申すのですか」
フランシスが声をあげる。
「執事が主人を置いて逃げるなど、許されません!
私の存在意義を貴方は…」
そう言いかけた時だった。
フランシスが、雪洞の顔を見て、はっとした。
--これは…
つかつかと雪洞が歩み寄る。
「今の状況ではどの道役立たずよ。
さっさと連れて行きなさい」
「お、お嬢様!?」
雪洞はフランシスを強く睨むと、思い切り腹を蹴飛ばした。
「うぐっ」
「さっきの仕返しよ」
雪洞が顎で合図をすると、
警備ロボットは倒れ込んだフランシスの肩を持ちあげ
ずるずると引きずるように運んで行った。
残されたユリシスと雪洞が、しばしの沈黙の後視線を交わす。
ユリシスはごくりと唾を飲んだ。
--雪洞・F・ケイマ、何を考えてる?
開かれたままのドアからかすかな風が吹き込み、
ユリシスの赤い髪を撫でる。
それに促されるように
「邪魔者も去りましたところで、本題に入りましょう」
とドアノブに手をかけた。
すると雪洞がすっと近づき
「お客様に悪いですわ」と一足早くドアを閉めた。
部屋はついに、2人と一体の警備ロボットのみを残した密閉空間となった。
「さて、お話を伺いましょう」
雪洞がにこりと笑ってソファに座った。
どうぞ、とユリシスをその向かいに座るよう促す。
ユリシスも懸命に表情を整えて答える。
「本日は我が主人、アリエル様の託を預かって参りました」
「彼女はお元気?」
「ええ、お陰様で」
「最近は、学校にいたころと違ってお会いする機会が減ったからさみしく思っていたのよ。でもテレビで見かける機会は増えものだから、なんだか変化感じだわ。芸能活動も順調みたいね」
「はい」
「会社の経営と合わせて、二束の草鞋を履くなんて私には真似できないわ。相変わらずあの人は器用ね」
「ええ、アリエル様は実に多岐にわたる才能をお持ちでいらっしゃいますから」
「そうね。カメラの前に立ちながら、カメラを人の家につけるなんてなかなかできないわ」
雪洞がにっこりと笑う。
「今回は結構頑張ったじゃない。私も少し冷や汗かかされたわ。
あの規模の火事を起こすなんて、どうやったの?」
ユリシスもつられて笑う。しかしどうしても、顔がひきつる。
「火事?なんのことでしょう、どこかでまた事件でも?」
「そうなの、ちょっと篝でね。ふふふ」
「篝で。それはまた、大変でございましたね。はははは」
人外の力を持ったロボットと、非力な人間の少女では
どちらが有利かなど火を見るより明らかだ。
それでも何故か、胸騒ぎが収まらない
それほどまでの、威圧感。
--面倒が起こる前に、早く終わらせてしまおう
ユリシスは表情を引き締めると、雪洞に向き直って話し始めた。
「雪洞・F・ケイマ様。単刀直入に申し上げます。
アリエル・アンダーザシ―からのご提案になります。
篝の所有権を、わが社にお譲り頂きたい」
ユリシスはまっすぐに雪洞を見た。
弱冠18歳の少女は、眉一つ動かさず悠々とこちらを眺めている。
「それはまた、急ね」
「お譲り頂く、と言いましても、形だけのもの。
つまりお貸し頂くのは名義だけでございます。
ご存知の通り、わが社はこの二年で飛躍的な進歩を遂げて参りました。
市場の占有率、スポンサー獲得数は歴史上でも稀にみる速度で上昇していることは、世界経済アナリスト連盟からも公式に認められているのはすでにご存じかかとと思います。
ゆくゆくは、貴社に追随できる唯一の企業となるだろうと社員一同自負しております」
「同感だわ」
「それもひとえに、我が社の総取締役であるアリエル・アンダーザシーの類稀なる人望の高さ、経営者としての才能ゆえでございます。
現在わが社で働く人数は、全世界で約30万人。
ここまで広い拠点、人材を各国に持つ企業もなかなかおりませんでしょう」
「まあ、もうそんなに大きくなったの」
「一方、貴社KAGARIの雇用者数は、どのくらいになりますでしょうか」
「実質正式な社員とは、私とフランシスだけよ。
強いていえばこの屋敷の者たちも含むかしら」
「そこでございます。
これほどまで多大な影響を世界に及ぼしていらっしゃる企業を、それだけの人数で
むしろ雪洞・F.ケイマ様お一人の力で統括していらっしゃるのは
驚愕以外の何物でもございません。
しかし、果たしてそれはいつまで存続可能なものでしょうか。
この度の訴訟問題、篝での不祥事、更には今後いつコントロール不可能な事態が起こるやも分かりません。
篝の利用者が増えるに連れ、そのシステムも同時に発展していくものと思われますが
それは同時に、潜在する危険性を高めるということでもございます。
つまり、今後の貴社の更なる発展を望むのであれば、これまでのようなワンマン経営はもはや限界では無いか、と
アリエル様は心配していらっしゃるのです」
「そうね。そろそろ一人でやるのも大変になってきたと思っていたところよ」
雪洞は足を組み直して言った。
ユリシスは身を乗り出して言葉を続ける。
「そこで、ここから、アリエル様の提案でございます。
繰り返しになりますが、お譲り頂くのはあくまで名義だけでございます。
実質は協同経営という形で参加して頂きます。
経営や雑多な実務は全てアリエルカンパニーの方でバックアップ致しますので、
雪洞様そのような余計なものに惑わされることなく、これまで以上の時間と労力を持って篝の発展に従事なさることができるのでございます」
「つまり、わが社のスポンサーになって下さると?」
「資金の提供に加え、人材も。
更にはフィジカル面のにならず、開発におけるソフト面での協力もさせて頂きます。
」
雪洞がくすりと笑って椅子に肘をかけた。
「そういうお話は、お断りしておりますの。
篝は私の力だけで動かしていくわ」
「雪洞様が、他人との共同作業をお好みでないのはアリエル様もご存知でいらっしゃいます。
しかし、今後もずっと雪洞・F・ケイマ様お一人で経営を続けていくことが不可能なのは明らか。
そうなりましたときに、この世界で唯一その協力者となることができるのは
古くからの友人であり、雪洞・F・ケイマ様に劣らぬ知能を持つアリエル・アンダーザシーだけでございましょう」
「そうね。可能性だけで言えば、彼女が唯一の候補者になるかしら。
0%か1%かの違いだけだけれど」
「代わりにこちらが求めているのはその名義だけ。
それも、アリエルカンパニーという名前と、更に各プロモーションにアリエル様を起用して頂くことだけが、こちらの条件でございます。
着々とその人気を上昇させておりますアリエル様が全面に出て宣伝を行うことは、
更に貴社にとっても多大な利益となることと思われます」
「彼女の人気は今、飛ぶ鳥を落とす勢いですものね」
「篝の開発から二年、起業から一年たった今こそがまさに、岐路でございます。
ここで一つ、ご考慮頂けませんでしょうか。
決して悪い話ではないと思われます。世紀の天才少女二人が手と手を結ばない、これを世界の財産の無駄遣いと言わずしてなんでありましょうか」
カタカタカタン、と風に揺られた窓が鳴った。
二人は不気味な笑みを浮かべたまま、何も言わず見つめ合っていた。
雪洞は眉を少しあげ、再び足を組み直した。
「お断りしますわ」
そして、さも可笑しそうに声をあげて笑う。
「ここまでして、何を言いだすかと思えば、協働経営ですって?
笑っちゃうわね」
「…やはり考えては頂けませぬか」
「ごめんなさいね。アリエルにこう伝えて
『おとといいらっしゃい』って」
そうですか、と言ってユリシスは目を細めた。
「そういうだろうと思っておりました」
そうしてゆっくりと立ち上がる。
「まあ、もうお帰り?」
「まさか。実はもう一つ、お聞き頂きたいことがあるのです」
――残るは雪洞と、
私よりはるかに弱い一体の警備ロボットだけ
十分だ
いける
「残念です、雪洞・F・ケイマ」
ユリシスはそう言うと、耳に両手を当てた。
そしてゆっくりと、何かを口にする---
「貴方を、別の世界にお連れします---」
そのときだった。
ピピピピピピピピピピ!!!!!!!
雪洞が大きく目を見開く。
そして彼女の体から、けたたましい警戒音が鳴った。
はっ としてユリシスが顔をあげると
パカッとという音と共に、雪洞の右手が地に落ちた。
ユリシスは目を見開く。
そして人形の様にぱかっと開かれた口からは
小さなスピーカーが覗くの見えた。
「残念だったわね、ユリシス」
ばっと振り返ると、ドアもとに立っていたあの大きな警備ロボットから
聞き覚えのある声がした。
そしておもむろに、頭の鎧を自ら外した。
中から現れたのは、
踊るように解き放ていく、桜色の、長い髪―――
――しまった!!!
ユリシスが思わず声をあげて後ずさった。
全身を凍てつくような悪寒がよぎる。
そしてもう一度、体が崩れかけた雪洞を見た。
――これは、偽物!
そうか、本体の雪洞・F・ケイマは警備ロボットの中から
この偽物を操り…
「正解」
鎧をまとったままの雪洞は、にやりと笑って腕をあげた。
その手には、銀色の回転レボルバーが握られている。
――やられた…!
予想外の展開に混乱したユリシスの思考回路は
正しい次の行動を算出すべく高速で情報を処理していく。
それが一瞬の遅れを生じさせた。
直観を持たないロボットの、
致命的な欠陥。
「残念だったわね。遅いわ」
雪洞はその銃から
強力な神経麻酔針を数十本発射させた。
ドスドスドスッ!!
と、鈍い音が響く。
逃げ遅れた体に大きな針を突き刺さるのを感じたまま
ユリシスは目の前が真っ暗になった。