3-7
「大変お待たせ致しました」
フランシスが部屋に入ると、ユリシスがソファに座って優雅にこちらを見ていた。
シャナはユリシスの膝を枕に寝息を立てている。
「ユリシス様、うちのシャナが大変御迷惑を…」
「いえ、お気遣いは結構です。私もこの様な可愛い妹が欲しいものです」
ユリシスはシャナの頭を撫でた。
「ありがとう御座います。お誉め頂き私も光栄です。しかし、彼女は遠慮というものを知るべきですね、シャナ、お客様に失礼ですよ。起きなさい」
優しい声でシャナを諭すが、ぴくりとも動かない。
「シャナ…」
そう言ってフランシスはシャナを抱きかかえようと近寄った。
「ですから、気遣いは無用だと申し上げた筈です」
ユリシスはお気に入りの伸縮自在のコンパクトステッキを胸ポケットから出し、シュッと伸ばした。
その先端で近寄るフランシスを、どんっと押し返す。
鈍い傷みと共にフランシスがよろめく。
「おっと、そんなに力を加えたつもりはなかったのですが失礼しました」
ユリシスがポンポンとスティックを叩く。
「…懐かしい品をお持ちですね」
フランシスも胸元をほろいながら笑みを浮かべた。
「ええ、昔話をするにはちょうど良いかとお持ちしました。まあこれは、先日アリエル様が開発されたニュータイプなのですが…」
ユリシスもにっこりと笑うと、朗々とその性能について語り始めた。
手元のわずかな動きを読み取り、しなること鞭のごとし、
指先の微細なタッチから増幅される先端の破壊力はナイフのごとし…
ーーよくもまあ
とフランシスは思った。
その高性能のステッキは、彼の主人であるアリエル嬢の会社から販売された大ヒット商品だ。
変幻自在な機能を持ちながら洗練されたシャープなフォルム、しかし一方でその開発に隠された血塗られた背景を背負うそのスティックは
まさにアリエルの本性そのものを現していた。
雪洞より3つ年上のアリエル嬢は、飛び急を重ねた雪洞の同期かつライバルでもある。
田舎娘丸出しの雪洞の一方で、常に最新のブランドに身を包んだ可愛らしいアリエルはいつも蝶よ花よともてはやされてきた。
雪洞は彼女が嫌いだった。
というのも、色香で周囲を騙しては次々と毒牙にかけていく彼女の本性を知っていたからである。
しかし、「いけすかないヤツ」と思いながらも当初は大して気にも止めていなかった。
一方でアリエルは、常に自分の一歩先で周囲の称賛を集める雪洞をいつも悔しそうに眺めていた。
何故、知能も美貌も併せ持つこの自分よりあんな幼児体型の田舎娘がちやほやされているのか…
異常なまでの嫉妬心がアリエルに沸き上がっていた。
二人の仲が目に見えるほど劣悪になったのは、ちょうどアリエルがこのスティックで一大センセーションを巻き起こしたころからだ。
表沙汰にはなっていないが、その伸縮自在の変幻スティックは、何を隠そうアリエルの元恋人の発明品であった。
彼は秀才の集まる雪洞たちの学校で物理学のトップに君臨する期待の星であり
何より、当時から理解者の少なかった雪洞の貴重な友人であった。
天才には天才同士しかわかりあえないこともあるのだろう、いつも一人で教室のすみにいた雪洞の隣を、彼はいつからか一緒に歩くようになった。
そんな二人に対し周囲は、「天才同士の最強コンビ」と一層の関心を寄せたのであった。
そんな彼の様子に異変が起こったのは、卒業研究の迫る最終学年のことだった。
「ねえ、雪洞は卒業研究何にするの?」
「…人工知能よ」
「え!?そりゃまたなんでそんな壮大なテーマを」
分厚い物理学の本を肩にかつぎ、少年が雪洞を見た。
「ちょっとね、やりたいことがあるの」
同じく分厚い教科書を両腕に抱えた雪洞が答える。
「ふぅん。それが何かって、聞いても教えてくれないんだろ?」
「うん。成功するまで、誰にも言いたくない」
少年は笑って雪洞の小さな頭を本でポンポンと叩いた。
「はは、そういうと思ったよ。…お前に俺の手助けなんか必要ないだろうけど、なんかあったら言ってくれよ」
「うん、ありがと。そういうシンレイは?」
「俺は、どこまで機能性を濃縮した小型機器を作れるか、限界に挑戦したいんだ」
シンレイと呼ばれた少年は、分厚い眼鏡の下からまっすぐな瞳で前を見据え、はっかきりとした声で言った。
「そして利益とかなく、社会に普及させたいんだ」
「ははっ、シンレイらしいね。…シンレイならできるよ」
この頃から起業を本格的に考えていた雪洞は、無償で社会貢献を行いたいというシンレイを少し眩しく感じた。
俺も、天下の雪洞に言われたら出来る気がしてきたよーー
シンレイも屈託のない笑顔で笑った。
その後、言葉通りシンレイは不可能とまでいわれた100もの機能を僅か10cm足らずの金属に集約するという一大発明を成し遂げた。
おまけに社会性も実用性もあるこの大発明は、学校始まって以来の功績として表彰されるだろうーー
と、誰もが思った。
各メディアが集まる卒業発表会で、その超高性能機器を手に現れたのは
シンレイとーーーアリエルだった。
一斉にたかれるフラッシュの中、口下手なシンレイをサポートするように、無邪気な笑顔でアリエルは口を開く。
「これは、私と友達のシンレイ君が一緒に考え、協力して作り上げたものです」
ね、シンレイ、とアリエルが彼の指をなぞった。
すっかり魂を抜き取られたような顔でシンレイは答えた。
「はい…僕とアリエルの、共同制作です」
数々の質問が飛び交う中、雪洞はただ口をあんぐりと開けてそれを見ていた。
ーーそんなばかな!
あの機器は、シンレイが一人で、血のにじむような努力を重ねて作ったものだ!
そんな雪洞をさらに裏切るように、アリエルは言った。
「私たち、これを新たな生活補助グッズとして発売したいと考えております。ね、シンレイ」
「うん…僕はこれを、商品化します」
うつろな瞳でシンレイが頷いた。
雪洞は耳を疑った。
ーーーバカなバカなバカな!
利益とか商品とか、あんたの一番嫌いな言葉だったじゃない!
雪洞は出演者席から立ち上がって声を張り上げた。
「どうしちゃったのシンレイ!
崇高な工学発明を金のために行うべきじゃないって、いつも言ってたじゃない!」
慌てて周囲から宥められる手を振り払い雪洞は叫んだ。
「そんな女のために、信念を捨てたの!?そんな馬鹿だったのあなたは!?」
すると、それまでずっと下を見ていたシンレイが顔をあげて雪洞に言った。
「雪洞…僕の気持ちは、君にはわからないよ」
これは後から分かったことだが、アリエルは奥手な彼をあの手この手で誘惑した後、発明家なら絶対口を割らないはずのメカニズムを枕元で聞き出したとのことだった。
ついで、共同起業の話を夢物語のように説いて聞かせ、現在まで続くアリエルの会社を立ち上げさせたのだった。
雪洞の起業に先手をうっての、雪洞への明らかな挑発だった。
シンレイがアリエルに利用されている、それは内部事情を知る誰の目にも明らかだったが
一度捕まえてしまえばもうお手のもので、純朴なシンレイなどひとたまりもなかった。
シンレイはその後、人が変わったように金をアリエルにつぎ込んだらしい。
全財産と、世紀の発明特許を横取りされた彼は、次第に憔悴し、その後自ら命を経った、と風の噂で聞いた。
苦虫を噛み潰したような顔でフランシスに一連の話を説明しながら、雪洞は
「自業自得よ、あの馬鹿…」
と言った。
こうしてこの一件は、アリエルという少女の美しさがもたらした悲劇の一端として人々の記憶の片隅にしまわれることとなった。
これは余談になるが、この話を聞いてフランシスは、なにかしらまだ残っているような主人の表情を不審に思いこの件について極秘に調査を進めた。
そして実際のところ、元々の原因は他でもない雪洞にもあったことが判明した。
シンレイは雪洞が好きだった。
卒業の迫る日、彼は出来上がった発明品を手に、雪洞に想いをつげた。 そしてあっけなく、振られてしまう。
気落ちするシンレイのもとに現れたのがアリエルであった。
アリエルは優しい言葉を巧みに操りシンレイの心の隙間に入り込んで行く。
それでも元は堅気な科学者、なかなか心を開かないシンレイだったが
アリエルの一言を聞いて呆然と立ち尽くした。
「知ってる?雪洞って、恋人がいるのよ。
人工知能の研究も、その人に捧げるんですって」