3-4
ニコラは屋敷の一室で、精神の抜けたフランシスと雪洞の体の番をしていた。
「ちぇっなんだよロタのやつ。
親切心で言ってやったのによう」
ユリシスに出すお茶を作るのを手伝おうとして、また喧嘩したらしい。
5つ年上のシャーロットが最近どうも気になるらしいニコラは、
何かにつけて彼女について回るのだが、
その度に粗相をしては彼女に叱られる日々が続いていた。
「どうせ同じ味なんだから、茶葉なんて大匙も小匙も一緒だろうが。
あんなに怒んなくても…」
ニコラは椅子に座って足をぶらつかせながら、ぷくっと頬を膨らませた。
「あーつまんない。おれも篝行っちゃおうかなあ。
ダメって言われてるけど。
…そしたらあいつ探しにくるかな」
何を想像したのか、ニシシシッと笑う。
そして椅子から軽快にピョンッと飛び降りると、
そろりそろりと「Do not touch」と書かれた標識のある
ガラスのドアに近づいて行った。
そっとドアに手をかける。
と、
扉の向こう側後で寝ていた2人がガバッと起き上がった。
「わぁっ!」
フランシスと雪洞は顔を見合わせ、現実世界に帰ってきたこと確認するように頷いた。
「あ、御帰りなさい雪洞さん!」
驚いた拍子に転んだ体を起して、ニコラが慌てて声をかけると
「ああニコラ!良かった無事だったのね。
そこで大人しくしてなさいよ!」
と、雪洞はシールドの解除ボタンを押してカプセルを開けるや否や
部屋から飛び出して行ってしまった。
続けてフランシスがカプセルから出てくる。
「あ、フィニステールさんもお帰りなさい」
ニコラの呼びかけに手で応え、雪洞の後を追う様に走っていったフランシスであったが
出口でふと立ち止まってくるりと振り返ると
「お前はまだ篝に入れないと言っただろう、ニコラ。
後で私の部屋に来なさい、御仕置きだ」
とだけ言って走って行った。
嵐のように去って行った二人の足音が遠ざかるを聞きながら
ニコラはしばし目を瞬かせていたが、
はっと我に返ると
-げぇっ、ばれた。
と顔をしかめた。
*****
雪洞が長い廊下を走っていると、厨房から出てきたシャーロットが通りかかった。
「お嬢様、お帰りなさいませ!
あのう、先ほどお客様が…」
「シャーロット!」
雪洞はシャーロットを見つけると、駆け寄って両肩を力強く掴んだ。
「大丈夫!?ユリシスに何もされてない!?」
「え!?ええ…」
雪洞はほっと息をつく。
-何かされるって…やはりそんなに危険な人なのかしら。
いつも馬鹿にしているように見えたから、少し軽く見てしまったのかも。
やはり勝手に入れてはまずかっただろうか…
少ししゅん、としてシャーロットが主人の顔を見ていると、すぐさま
「シャナは!?」
と尋ねられた。
「あ、それが、また居なくなってしまったんです。
どこかに隠れていると思うので探し行こうと思っていたのですが…」
それを聞いた雪洞はぐっと口を一文字に結ぶと
「分かった、ありがとう」
と再び走って行ってしまった。
少し遅れて息を切らしたフランシスが現れる。
シャーロットを確認すると、壁に手をついてほおっと息をついた。
珍しく乱れた彼の姿にシャーロットは思わずドキリと胸が高鳴る。
少し顔を赤らめて、シャーロットは尋ねた。
「あ、フランシスさん。篝の方は大丈夫でしたか?」
「ああ、なんとかな」
「それは安心致しました…あの、今お嬢様が血相を抱えて走っていかれたのですが
何かあったのでしょうか?」
「ああ…厄介な客が来たもんでな。また詳しく説明する。
それにしても…」
ふと立ち止まって、フランシスは耳をそばだたせた。
-何かがおかしい
現実世界に戻ったときから、屋敷の異変を感じていた。
まるで何か、目に見えない細い糸が屋敷中に張り巡らされているように、ピーン、と空気が揺れている。
通常の人間では感知できないだろうくらいの、ごく微かな高音の電子音が鳴り止まない。
-何かを仕掛けているのか、ユリシス
かすかな悪寒が背筋をなぞる。
シャーロットの視線などまるで気に留めることなく、フランシスは雪洞と同じ道を走って行ってしまった。
フランシスの背中を見送りながら、シャーロットがため息をつく。
-もう行っちゃった。相変わらずお二人とも忙しいなあ。
恐らくユリシス様の居る居間に向かったのだろう。
あれ?でも私、ユリシス様が来たと言ったかしら。
…どうして、ユリシス様が来たとわかったのだろう?
ちょこんと首をかしげたシャーロットであったが、
-まあ、あの方たちに不可能なことは無いか。
と納得したようにふっと笑うと
「わかりました、とびきりの紅茶をお持ちしますね!」
と二人の背中に向かって声をかけた。
しかし彼女の言葉が、彼らに届くことはなかった。
後に彼らは悔やむことになる。
この時なぜ振り返って一言、「来るな」と言ってやらなかったのかと。