2-4
「要求は何?」
雪洞の非日常的な低い声が響く。
「篝創設者、雪洞・F・ケイマ」
「随分と手慣れたようだけど、ここからどうするつもり?」
「その執事兼総取締、フランシス・ド・フィニステール」
ひどく感情の無い平坦な声だった。
微塵の動揺も、焦りも感じさせない。
同じく平静を装いながらも多少強張った雪洞の声と交互に
薄暗い部屋の中を木霊していく。
「町の管理センサーを壊したのは、あなた?」
「…」
「それともただの通りすがりの強盗かしら?
それならここらでやめておいた方が良いわよ。今なら見逃してあげる」
「…うるさいお嬢様だな。この状況が分からないのか?」
ぐっと銃口が押しつけられる。
「…あなたこそ、もう少し冷静になったらどうかしら。
あなたのような無謀な輩と、こっちは何度も顔を会わせているのよ。
そうして無残にも御縄に掛かっていく姿を見てきたわ」
「…」
「金目当てなら、命があるうちに逃げときなさい。
うちの執事の力くらい、下調べしてあるでしょう」
雪洞はわずかに顔をそらしてフランシスを見る。
「動くな。撃つぞ」
「まあ、話だけでも聞いてあげるわ。
どちらにしろ褒めてあげる、ここまで私たちを呼び出せたことを」
「普通に呼んでも来てもらえなさそうだったから、少々工夫したまでだ」
「つまり一連の事態もあなたの仕業には間違いないということね。
そうなると、果たして単独犯かしら…」
雪洞は犯人との接触時の重要性を理解していた。
こういうときは、自分のペースに乗せられた方が勝ちなのだ。
さすが数々の修羅場を経てきただけはあって、危機的状況でも頭はしっかりと冴えている。
――心理戦になら自信があるわ、一気に元締めを暴いてやる。
「誰に雇われたの?これほどの腕がありながら、もっと良い生かし方があるのでは無いのかしら」
「お前には関係ない」
「もったいないわ。私ならもっとうまく貴方を使ってあげる」
「…」
「いくら出されたの?それとも脅迫?」
――かかった!
ごくり、と唾を飲むと、
雪洞は言葉を続けた。
「とりあえずその物騒な物を下してもらえるかしら。
篝内だから撃たれても死なないということは、あなたもご存知かと思うけれど」
「…もう良いか?」
「は?」
銃口がガチャリ、と動いた。
「鍵の場所は?」
「なんですって?」
「篝の鍵だ」
「ちょっとあなた」
雪洞は苦笑しながら答えた。
「篝のシステムキーのことを言ってるのかしら。
そんなもの何に使うの?
手に入れたところで、生憎そこらの人間には扱えない代物よ。」
――篝を狙った犯行か。
なんだ、いつもと同じじゃない。
もう良いわよフランシス、という合図を送ろうと雪洞が手を動かす。
その時だった。
「違う。篝とその先を繋ぐ鍵の場所だ」
「なんですって?」
雪洞の声が部屋に響く。
「もう一度言う。
篝とその先を繋ぐ、鍵を渡せ」
雪洞が口をつぐむ。
「先って、どういう意味かしら?篝の拡張システム、なら存在しないわよ。
これ以上広げるつもりもないもの。あってももちろん教えてあげないけど」
「とぼけなくて良い。俺は知っている」
「何を知っているですって?」
「お前が知られたくないことを、だ」
「…言葉遊びが上手いのね」
雪洞が時間を稼ぐ間、フランシスはできる限りの情報を引き出そうと
懸命に声の主を分析していた。
――懸命に低めてはいるが、声帯は少年から青年への移行期特有のものだ。
犯人は未成年だ。
そして若干東方なまりの発音がまじっている
中東出身か?
とかく感情の無い声だ、心音に乱れは無い。
こういう状況に慣れている者に間違いない。
それも幼きころから訓練を重ねていると見える。
少女へのぞんざいな扱いにためらいもない。
かといって極端な憎しみも感じられない。
この類は個人的恨みでは無いな。
かといってただの刺激を求めた快楽犯罪者の類ではないだろう。
俺としたことが、お嬢様を危険な目にさらしてしまった。
執事としてはあるまじき行為だ。
まあ、あの方はこれくらいで怖がるような神経では…
と、フランシスが横目で雪洞を見ると、いつの間にか主人はひどく強張った顔をしていた。
「…お嬢様?」
――なんだ、久々で緊張なさっているのか?
無理もない、お嬢様もまだ18だからな
これは悠長に構えている暇は無い、と再び思考を巡らせる。
――さてどうするか
この体制から彼女を抱き寄せその反動で銃を蹴り落とすのに、大体0.7秒
相手がどんなに俊敏に反応しても、神経信号が動きに繋がるまで最低0.3秒、引き金から発射されるまでに0.8秒
通常ならなんら危険性を伴うことではない。
しかし問題は…
再び雪洞の横顔を見遣る。
その視線に気づいたのか、雪洞は左手をわずかに動かした。
行って、の合図だ。
確認すると同時に、フランシスは口を開いた。
「お前もロボットか?」
その瞬間、背後でぴくりと体が動いた。
その一瞬の隙をついて、フランシスは風の様に姿を消す。
わずか1秒にも満たない間、部屋中に極度の緊張が走る。
慌てて少年が銃を抱え直すと、突如懐にフランシスが現れた。
鈍い衝撃と共に、銃もろとも腕をたたき落とされる。
バンバンッ!
響き渡る銃声とともに、少年が後ろに跳びのいた。
銃口から上がる煙にも負けない軽やかな動きだった。
フランシスはスカートの埃を払って立ち上がる雪洞に手を貸しながら少年を見つめた。
――若いな。14、5と言ったところか。
身長173cm、左利き。
「遅いわよ、フランシス」
「申し訳ありません。
しかし何分、ここに来た時から銃口を向けるまで彼には人の気配がありませんでした。
その分析に少々手間取ってしまいました。
そして先ほどの画像データに付着していたのは人工皮膚特有のもの。恐らく彼は…」
「俺はロボットではなんかじゃない」
少年はゆらりと立ち上がると、眼光を光らせて雪洞をぎろりと見据えた。
かすかに窓から差し込む月の光が少年の細い髪にそそがれる。
雪洞は目を見開いて少年を見つめた。
灰色の髪をした茶色い瞳
褐色の肌
そして額には煙草を押し付けられたような火傷の跡が残っている。
必死で記憶を手繰り寄せる。
――誰だろう、居ないわ、こんな知り合い。
「多少体を直されただけだ」
少年は自嘲気味に口角をあげる。
その時、窓から差し込む月の光が少年の右腕に注がれた。
先ほどのフランシスの攻撃がかすったのだろう
すっかり首元の伸びたロングTシャツの袖が破け
中があらわになっている。
フランシスと雪洞は、それを見て思わず目を見開いた。
少年の腕は、灰色だった。
肘から手首にかけて、鉄の部品が組み合わされたような機械が覆い
それに皮膚を張り付けたような、なんとも異様な掌。
「お前と同じだ、雪洞・F・ケイマ」
「…なんですって?」
ぴくり、と雪洞の体が動く。
「失ったものを補いたい。二度と同じ物は戻ってこないとわかっているのに。
要するに繰り返しているのだろう、お前も」
一瞬、雪洞が息を飲んだのが分かった。
「お前に何が分かる…」
雪洞がぎゅうっ、と拳を握りしめた。
「繰り返してなんかいない、補おうともしていない」
雪洞の感情―おそらく怒りに近いもの―を抑えようと震える声は恐ろしく低い。
「約束を果たそうとしているだけだ。
それ以上は、何も望んじゃいない」
「じゃあそれは何だ?随分大事そうに抱えてるじゃないか」
「黙れ!」
――何を言っているのだろう
失った物…?
お嬢様の四肢は生まれた時の姿のままなはず。
フランシスは分析しきれないデータ処理に戸惑っていた。
よくわからないが、お嬢様もひどく憔悴している。
とにかくもっとデータを得なければ――
「少年、何を知っている?黒幕は誰だ?」
少年はフランシスをちらりと見た。
「これは別件。こっちの依頼主はそこまで考えちゃいない」
少年はくるりと両手の銃を回す。
――二重依頼?
一つの依頼主でつける傍ら、もう一人本当の依頼主がいるパターンだ。
そして、少年はポケットから小型の機械を取り出した。
ボイスレコーダーだ。
かちっとボタンを押すと
『約束を果たそうとしているんだ。それ以上は何も…』
ブツッと言う音と共に、雪洞の声が切れる。
「確かに頂いた。いざとなればそのお人形を壊してでも心のたがを外させてもらう予定だったけど、案外単純だったな」
――しまった、こいつ…声を私の声を!!
雪洞ははっとして
「私の声紋から分析しても無駄よ」
と声をあらげた。
「そう、使うのは声じゃない」
少年は胸元に手を当てると
とんとんと叩いて言った。
「篝のカギはここにあると、あの人は言っていただろう?
雪洞・F・ケイマ」
鋭い緊張感が
一瞬にして部屋を駆け巡る。
同時に、雪洞が何かにうちのめされたように後ずさった。
「まずいですね。
彼の言動の真意は分かりませんが、精神世界である篝の声紋とは
感情や思考の反映と言いかえられます。なんにせよ―――」
フランシスは声をひそめて言った。
しかし
「…お嬢様?」
雪洞からの返答は無かった。
指示も無い。
――主人の様子がおかしい。
しかし、それを気にする余裕は無かった。
目の前の少年は、一瞬でも目を逸らせば目の前から消えてしまいそうな
全身から、まさに飛び立とうとする動物のごとき張りつめた気迫が感じられた。
「行って…」
雪洞がかすかな声でそう呟いた。
「早く!」
その叫びを聞くか聞かないかのうちに、
フランシスは地を蹴った。
地に積もった埃が煙の様に舞い上がると
それがゆらめくより早く、フランシスは少年の背後を取った。
少年は微塵も体を動かさず、目を右から左に動かしただけだった。
――やった!
次の瞬間には雪洞の脳内には、
執事が少年を締め上げるいつもの絵図が鮮やかに浮かんだ。
ぐっと両手を握った雪洞であったが、
大きく開かれたフランシスの腕は次の瞬間、
少年の体に届く前にむなしく空を切った。
「!?」
「甘いな」
崩れる体勢のまま声の方向に顔を向けると
窓辺に足をかけた少年がこちらを見下ろしている。
「敵を捕まえるには、まず逃げ道を抑える。
そんな基本も、習わなかったの?」
表情一つ変えずそう言い放つと
少年は羽を拡げるように腕を拡げた。
そして
ゆっくりと背中から落ちて行った。
「まさか!ここは20階よ!?」
バンッとフランシスが床に腕を付いて立ち上がると同時に
雪洞も窓辺に走り寄る。
ひやりと冷たい窓枠から、落ちんばかりに身を乗り出して下を見るが――
そこにはただ、灰色の大地が広がるだけであった。
『篝の健はここにあるとあの人は言っていただろう?』
少年は自らの足首を指差した。
雪洞・フランシス『あ、アキレス健・・・・!Σ(゜Д゜;)』