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外観にそぐわず内部は意外と単純な作りになっていた。
一階のロビーを過ぎれば、螺旋状の階段がただただ上に続くばかりである。
「あの場所からあの角度で見えたということから分析からして、あの人物が居たのは7階の8号室です」
フランシスは声を幾分かひそめて言った。
「エレベーターは何が起こるか分かりません。
何かありましたら面倒ですから、階段で参りましょう」
雪洞は黙って頷くと、後に続いて歩き始めた。
すると、フランシスは再び立ち止まって
「お嬢様、その前に靴を履き替えて下さい。それでは足音を消せません」
と、雪洞の赤いヒールを指さした。
「でも靴なんて持ってないし」
雪洞が口を尖らせる。
「執事に不備・不可能など許されません」
当然、と言った顔で笑うと、フランシスはと胸元からピンクの運動靴を取り出した。
「どうぞ」
「貴方は秀吉なの」
どこにしまっていたそんなもの、と呆れた声を出しながらも
どこか満足げに雪洞は差し出された靴に履き替えた。
雪洞とフランシスは一段一段静かに階段をのぼっていく。
廃虚ビルの中は勿論明かりも無く、足元も見づらい。
気を抜けばすぐに転んでしまいそうである。
「お嬢様、おわかりでしょうがくれぐれも声は出さないでくださいね」
雪洞は再び黙って頷いた。
二階、三階…大会場のある四階を超えて五階、六階…
ようやく七階にたどり着くと、途中でついに体力が切れフランシスに負ぶわれた雪洞がそっと降ろされた。
薄暗く絵画の一つも無い無機質な廊下を、
二人はゆっくりと歩いていく。
雪洞は時折背後を確認しながら、壁づたいに部屋を回るフランシスに続く。
彼の合図に合わせ最後の部屋に入ろうとした時だった。
カタン、
と小さな音が聞こえた気がして、
雪洞はふと後ろを向いた。
出口の見えないトンネルのような暗闇の先には、何も無い。
――風かしら
雪洞が再び部屋に入ろうとした、
その時だった。
さっ と
視界の隅で何か黒い物が横切って行った。
思わず「あっ」と声をあげる。
顔をしかめて振り向くフランシスのスーツを引っ張ると、
影の主も此方に気づいたのか慌てて走り去る音が響いた。
「追いましょう」
すばやく向き直ると、フランシスは少女を乱暴に担ぎあげ
暗闇に向かって一直線に走り出した。
影は更に長い階段をのぼり、最上階の一室に駆け込むとバンッとドアを閉めた。
それを追うフランシスが、一足遅れて乱暴にドアを蹴破る。
そしてそこに現れたのは―――家具も全て取り払われた無機質な空間だった。
人影どころか一切の影もない。
フランシスは居るはずの影を探すように部屋中を見渡すと、雪洞をどさりと降ろした。
「胸が潰れて、苦しかった…」
「強く圧迫するほどの胸はございませんので心配ございません。
それよりお嬢様、影が消えました」
胸を押さえながらフランシスを睨みつけていた雪洞であったが、
ようやく状況を確認すると
「消えたってどういうこと!?」
と声をあらげる。
しっ と端整な指を口元に当てると、フランシスは
「この部屋に入ったところまでは認識したのですが。」
と辺りを見回した。
珍しくどこか腑に落ちない顔をしている。
「私の視覚データミスでしょうか」
「見間違いじゃないわよ、私も見たもの。
仕方ないわね、わかったわ。ここに何か手がかりがあるのかも知れない。
とにかく探してみましょう」
珍しく心細げなフランシスを見て気分を良くしたのか、今度は雪洞が先立って颯爽と歩きだした。
探す、と言っても部屋には大きな窓が一つあるだけで、そこから差し込む光以外に部屋に残るものは何も無い。
それでもわずかな痕跡が残っていないかと、二人は部屋の隅々まで丁寧にチェックしていった。
しかしやはり、何も見つからない。
足跡の一つも見当たらなかった。
「無いわねえ。そんな突然人が消えるってこと、ある?
ああここは篝だから論理的に不可能じゃないわね」
と、捜索に飽きた雪洞が大きな窓から地上を眺めていたときだった。
「お嬢様、こちらへ」
何かに気づいたのか、フランシスが雪洞を手招きしている。
「ここに何か、跡があります。」
フランシスが真っ白な壁の中央部を指さして言った。
「跡?部屋の装飾や改造はを所有者は許していなかったはずよ」
壁を一面ぐるりと見渡すと、フランシスは手袋をはめた右手をそこに押し当てた。
バコッという音とともに壁が抜け落ち――というよりそれはもとある扉が開かれたように――
大人一人分ほどの大きな丸い穴が現れた。
二人は思わず顔を見合わる。
中に入ると、そこには一転して雑多な、多くの物が散乱している煩雑な部屋が現れた。
「何よ、これ…」
あるはずのない部屋を見渡して、雪洞はただ驚く。
「こんな部屋、設計図には無かったわ」
雪洞に続き、フランシスが部屋へと足を踏み入れる。
と、
ツルリ
原始的な効果音とともに彼の重心を支える足が滑った。
「っと」
フランシスが猫のように体を曲げて体勢を整える。
「えっ!」と雪洞が振り向く。
良質な革靴は滑りやすい、加えて先程の雨で濡れている。
普通の人間ならそのまま転倒していた摩擦係数だったな
などと真剣に分析しながらフランシスが床を見ると、
そこにはハガキ大の少し黄ばんだ厚手の紙が落ちている。
フランシスはそれをひょいと拾い上げた。
何も書かれていない。
――ただのゴミか?
不満げにその真っ白な紙を裏返すと、
突如カラフルな画像が現れた。
それは、ケイマ家屋敷の居間の写真だった。
「何これ。うちの写真じゃない」
雪洞は背伸びしてフランシスの手元を覗き込む。
「厳密には写真ではなく、居間をレーダーで透視した映像を超薄型タブレットに映しているようです」
フランシスは食い入るようにそれを見つめ、人で言う虹彩にあるスキャンモードを作動させた。
「何か残ってる?」
「人体データは―それが篝内の指紋となる―は付着していません。
代わりに何かの繊維のようなものがかすかに。これは…」
その時だった。
「――――動くな」
二人の後頭部にヒヤリと冷たい物が押し当てられた。
ガチャリ、と弾を回す音がする。
銃。
それも、神経回路にそれなりの傷跡を残しそうな、ライフル銃。
「両手をあげて跪け」
背後からひどく冷たい声が響いた。
フランシスと雪洞は黙って手をあげると、
寄り添うように動く銃口に合わせ、ゆっくりと膝をついた。