天使の寝顔〜名画の裏には親バカあり
フリードは今日も貴族によびだされている。
アカデミーを卒業後、留学して肖像画を学んだ彼は母国に戻り宮廷画家として働いているのだ。
神聖帝国の皇帝の肖像画まで描いた男だ、なかなか評価されていると少しは自惚れてもいいかもしれない。
この貴族の館に来るのは今日で三度目である。
一度目は依頼を聞くだけだったので、もともと画材は持って来なかった。
二度目はデッサンだけのつもりで来ていたが、1枚も描けなかった。相手は2歳の子供。なかなか描けないだろうことは予想はしていた。
果たして、子供は人形を持って走り回り、フリードの足に飛びつき、端に控える侍女のスカートに潜り、母親の膝に登ろうとする。やがてはぐったりした挙句ぐずりながら乳母の腕に抱かれて部屋を出ていった。
依頼人である侯爵夫妻の妻が言った。
「あらあらまあまあ。ごめんあそばせ。」
今日はこれで終わり、帰れと言うことだ。
フリードは幼子のくるくるの巻き毛と、青い人形だけを頭のキャンバスに描き、この場を辞した。早く帰って記憶の新しいうちにデッサンにかきとめなくては。
そして三度目。
まだ描かせてもらえていない。
理由は二度目と同じだ。
それはモデルの幼子ではない。今日のモデルはちょこんと長椅子に座り、足をブラブラさせながらおもちゃをしゃぶっている。
問題なのはその両端、両親だ。
「ほんとうちの子可愛いでしょう?もう天使だと思うの。
結婚して3年目にようやく授かりましたの。しばらくは夫婦二人で、なんて言ってはいても、やはり国の期待もありますし。ようやく生まれたものの公国の跡取りですから、男の子でないと聞いて少し、そう、ほんの少しだけですのよ、がっかりしたのですけれど、抱いてみたらもうそんな気持ちもどこかにいってしまいましたわ。わが子ながらホントかわいくて」
「妻よ、この巻き毛、君にそっくりじゃないか。柔らかで、羽根のようだ」
「この青い目、あなたとお義父さまにそっくりだわ。どんな宝石よりも輝いているのではないかしら」
フリードはキャンバスを立て、画材をセットする。窓からはいる光と手元の位置をみて、少しずらしてみたりなどしていた。
「聞いておられます?ほんとあなたもそうお思いではないこと?」
時に相槌を求められる。返さぬわけにはいかない。
「間違いございませぬ」
夫妻の第一子、マリー嬢は両親をみあげた。
「あー」
「まあ。どうしたの?おなかすいたの?退屈なの?マギー、マリーのおやつは用意できていて?」
夫人は自ら子供を抱き、部屋から出ていってしまった。
「今日はご苦労であった」
三度目が終わった。
四度目。
今日も長椅子に座って夫妻が出迎えた。
マリー嬢は貴族の子らしく今日も白いドレスを着ている。よく見ると三度目のものとは少しデザインが違うようだ。どちらもやわらかなリネンの様だが、胸の切り替えのところが少し違う。マリー嬢はドレスのスカート部分を何やら握ったり離したりしている。
「でね、昨日はお庭でマリーはこう言ったのだ『おはな あかね』もうわが子ながらウリエルかと思ったよ。この歳で律を踏んだこのような詩をつむぐとは先の叡智が垣間見えるようではないか」
「ええ、この子の英邁な所をしっかり描いてちょうだいね。あと、この絹糸のようなまつ毛も。見て、美しい瞳を飾る孔雀の尾のよう」
「このふくふくの焼きたての白パンのようなお手々もしっかり描いてもらわねば」
父親マリウス侯はこの公国の嫡子である。最近当主である公爵は体調がすぐれず公務を明けがちだと専らの噂だ。であれば侯爵は公爵代理。それなのに日常のようにここでこんなに油を売っていていいのか。
フリードは定期的に相槌らしきものを打ちながら絵筆を進める。相槌はかならずしも夫妻の会話と噛み合っていないが、夫妻は全く気にしない。絵筆を進めるとはいえ、モデルはときに両親に運ばれフリードにまつ毛を見せ、足を見せに来る。そのたびにフリードは筆を止め、称賛を浴びせねばならない。モデルの足は画材だろうがキャンバスだろうがイーゼルの脚だろうが、思い立ったら鷲掴みにして投げ捨て、けりを入れる。高い絵の具も惜しいが、万が一口にでも入れられたら大変だ。フリードは何度となく位置を変え、体をずらして画材をかばう。
「うわーん」
モデルが泣き出した。思うように「蹴り」がきまらなかった不満か。
「あらあら、どうしたの。ごめんあそばせ」
四度目はここで終わりだ。
相手が子供という時点で、一度の時間が短く、何度か訪問することになるだろうとは最初から思っていたので、気落ちはしない。
フリードは絵筆を置き、慣れた手で荷物をまとめて館を辞した。
侯爵邸に行く日は大抵、まだ日が落ちようとする前に家に帰れる。フリードの足どりは軽い。
家のドアを開けると、白い固まりが飛び込んできた。
「パパー!」
フリードは半日ぶりに会う我が子を抱きしめた。
「シャルル、ママのいうことを聞いていい子にしてたか?」
「うん、ちゃんとパパのこといい子で待ってたよー」
フリードは腕のなかの宝物にほおずりした。
「うちの子だって天使だよ」
一家団らんの食事を終え一日の終わり。
フリードは我が子の眠りを見守りながらまた呟いた。
「うちの子だって天使だよ」
「あんよ」
今日のモデルはお転婆モードである。
降りたいとマリー嬢が意思表示をすると、部屋の中に緊張が走った。少なくともフリードには。
いつも握っている青いドレスに黒髪のお人形を手に走り回る。転ぶのを心配し、乳母、侍女がマリー嬢に続く。いつでもすくい上げられるよう両手を広げながら。マリー嬢は彼女たちを追いかけようとして、部屋の中にはどこが先頭かわからない奇妙な行列ができている。
「まあ、マリーちゃん。もうそんなに走れるの?軽やかな足取り。踊っているようだわ」
「将来舞踏会の花になるのは間違いないな」
フリードの目は走るマリー嬢を追いかけていたが、やがてキャンバスの一点に集中していた。子供の絵は大抵母親や両親と一緒にか、あるいは座るか立ち姿で描く。どちらにせよ風俗画と異なり、「何かをしている」情景としては描かないので、このモデルが、こちらを向いてじっとしている姿に置き換え、キャンバスの中の位置決めを考えるのだ。
しばらくしてふと部屋が静かになったことに気が付き顔を上げると、夫妻の天使は夫人の膝枕でお昼寝をしていた。
手にはお気に入りの人形を握りしめ、人形と遊ぶ夢を見ているのか微笑んでいるようだ。その白いぷくぷくの頬には赤みが差し、額にかかるやわらかな巻き毛を婦人がそっと撫でている。愛しい我が子の寝顔を見守る夫妻の姿に、自分と妻が夜我が子を寝顔を見守る姿が重なった。
「あの」
幼子をおこさないように小さな声で呼びかける。
夫妻は「しーっ」と唇に指をあてこちらを見たあと、また我が子に目線を戻した。父親は手を動かすが、その位置は起こしはしないかと触れそうで触れないところだ。
フリードはしばらく見守った後、デッサン用の紙に書き付けをする。そのうち1枚を持ち立ち上がった。
そこにはこう書かれていた。
「この天使の寝顔を残しませんか」
侯爵夫妻は一瞬驚いたが二人で顔を見合わせ、そして同時に頷いた。
百年経った今も、絵を見た人々がその可愛さに心を奪われる、
「2歳の天使の寝顔」の絵の誕生である。
最後までお読みいただきありがとうございました!
本作は、19世紀オーストリアの画家フリードリヒ・フォン・アメリングによる名画『マリー・フランツィスカ・リヒテンシュタイン侯女2歳の肖像』(1836年)にインスピレーションを得て執筆した創作物語です。
実在するこの肖像画には、お人形を大事そうに抱え、ふかふかのクッションの上で愛らしくすやすやと眠る2歳の侯女の姿が描かれています。
この絵をみたときあまりの可愛さに悶絶しつつ、「これ絶対親バカだよ。今の親が写真を撮りまくるように『うちのこ天使!』って絶対書かせたんだよ」と思ったのです。そんな妄想から生まれたお話でした。
もし元の絵をご存知でない方がいらしたら、ぜひ『マリー フランツィスカ 絵』で検索して、本物の『2歳の天使の寝顔』もあわせてお楽しみいただけたら幸いです。




