真実の愛を証明せよ
「サンティア王国の王女、アウレリア様におかれましてはご機嫌麗しく」
「堅苦しい挨拶はいいわ。さあ、座ってちょうだい」
そう促され、公爵令息レオナール・グランツェは「失礼いたします」と再び礼をしてから、椅子へと静かに座った。
正面にいるのは、アウレリア・ソラリス……サンティア王国第一王女だ。高く結い上げられた炎を思わせる赤い髪と翠色の瞳は、王族特有の色。
サンティア王国は、二百年の歴史を誇る女王制の国。歴代の君主は全て女性であり、王位は通常であれば母から娘へと受け継がれる……だが近年、それを疑問視する声があがり始めていることもまた事実。
(そのことを分かっているのだろうか……いや、分かっていないからこそ、この茶会が開かれているんだ)
レオナールはしみじみと思いながら、アウレリアを見つめ返した。
室内の温度は少々高い。
アウレリアはカップを静かに持ち上げ、口を付けた。その喉が動くのを見て、レオナールもまたカップに口を付ける。
ほんのりとした甘さが舌へと降り、少々の渋みと馥郁たる香りが口腔内を優しく満たした。
問題ないな、とレオナールは静かにカップを置く。同じようにカップを置いたアウレリアが目を細めた。
「あら、今まで飲んだことのない味ね」
それくらいは気付くのか、と妙な感心をしつつ、答える。
「ええ、我が領地で開発した新種の茶葉です。一番にアウレリア様に召し上がっていただきたいと思いましたので」
「あら、それは気が利くわねぇ」
アウレリアは当然のような顔をして、またカップに口を付けた。
「……失礼を承知の上で尋ねますが、そちらの方は?」
同じようにカップを傾けている令息に視線を向けながらそう尋ねれば、アウレリアはカップを置いてようやく口を開いた。
「紹介するわ、私の『真実の愛』よ」
ぴくり、と。
レオナールの手が少しだけ震えた。
それに気付くことなく、アウレリアは口角を吊り上げてみせる。そして『真実の愛』と紹介された令息は、目を細めて口を開いた。
「エルヴィン・ラクロワと申します」
自信に満ちたその笑みに、レオナールは内心で溜息を吐いた。
ラクロワ伯爵家。エルヴィンは長男ではあるが、家を継ぐのは姉だと聞いている。
ちなみに女王制が貴族の間にも浸透している訳ではなく、姉の方が『優秀』だからだ。
「それで、アウレリア様はどうなさるのでしょうか?」
「察しが悪いわね」
アウレリアは翠色の目を冷たく狭めた。
「貴方とは婚約を解消するわ。私はエルヴィンと『真実の愛』を貫くの」
破棄ではなく、解消、というところが小賢しい。
婚約を結んでから10年。この夢見がち……悪く言えば頭の足りない彼女を支えるべく教育に励んで来たというのに、こうもあっさりと乗り換えるとは、呆れて溜息を吐くのも惜しい。
それもこれも、彼女の母親が蝶よ花よと甘やかしまくったせいだ。それに苦言を呈する者は数多くいたが、彼らを遠ざけた結果がこれである。
「『真実の愛』ですか。なんとも不確かなものですね」
出来るだけ冷たく聞こえるようにそう口に出せば、アウレリアの目が吊り上がった。
「貴方、私を……私たちを侮辱するの? 不敬だわ!」
「私はアウレリア様を心から愛している。これが『真実の愛』ではなくなんだというのだ!?」
軽率な行動もしくは衝動ではないですかね、と言い返してもいいが、面倒なので止めた。アウレリアはうっとりと頬を染めて嬉しそうにしているが。
「失礼いたしました。お二方がそれ程までに想いあっているのなら、仕方がありませんね。ですが、女王陛下はご存知なのでしょうか?」
瞬間、アウレリアの顔が強張ったのをレオナールは見逃さなかった。
「……そのようなもの、書類さえ作成してしまえばどうとでもなりますわ」
そんな訳ないだろう、書類というものを何だと考えているんだ……いや、軽んじているからこその発言か、とレオナールは幾度となく思っても仕方のないことを思うしかなかった。
しかし、確かに『目に見える形にする』というのは大切だ。そういう意味では、彼女も少しは成長しているのかもしれない。
それならば予定通り動くだけだ。
「左様ですか。では、見せていただけますよね?」
「『真実の愛』を」
2人の目が見開かれるのにも構わず、レオナールは言葉を続ける。
「目に見える形で示してくだされば、私も納得して書類を作成いたします」
「……っ。あなたのそういうところが不快だったのよ!」
アウレリアは目を吊り上げて、声を荒げた。
「いつも執務や教育ばかりで私のことなど見もしなかった。会話も贈り物もつまらないものばかり。私がどれだけ惨めだったか分かる?」
そんなことはない。『見ていたからこそ』、会話も贈り物もふさわしいものを選んだ。いずれこの国の女王になるのであれば、実用的なもの……高級なペンや上質な革装丁の手帳、疲労回復のための香油。アクセサリーは自分の目の色である赤い鉱石が嵌め込まれたものを。時と場所で柔軟に使えるようにデザインしたものだったが、シンプルなそれはお気に召さなかったようだ。
会話もこの国の未来を論じたかったのだが、つまらなそうに相槌を繰り返すだけだったので、まあそうだったんだろうな、と思う。
……それがどれだけ大切なことか、分かろうともせずに。
「それは大変失礼いたしました」
レオナールはそれだけを返し、目を細めてカップに口を付けて紅茶を飲み干した。
それにつられたのか、アウレリアとエルヴィンもまたカップに口を付ける。静かに置かれたカップには、もう何も残っていない。
「しかし書類というものは『記録』、そして『証明』や『契約』のために必要不可欠なものです」
従って、とレオナールは言葉を続けた。
「どのような事も口にするだけでは、やがて霞のように消えてしまいます。しかし書類はそれを形にし、誰の目にも明らかな『事実』へと昇華させることが出来るのです」
「私とエルヴィンの言葉が信じられないというの?」
「ええ、信じられませんね」
アウレリアの言葉を、あっさりと否定する。
「婚約者がいると分かっていて声をかける方と、その誘いにあっさりと応じる方の言葉など、信用など出来ません」
「なっ……!」
2人は怒りと屈辱に、顔を真っ赤に染め上げた。
その視線は射殺さんばかりの迫力だったが、レオナールはそれを平然と受け止める。
「だから先程から言っているでしょう」
「『真実の愛』を目に見える形で証明してください」
そう言うとレオナールは、卓上に二つの小瓶を取り出した。唐突な行動に怪訝な顔をする2人に構わず、一つの小瓶の蓋を開け、中身を一気に飲み干してみせる。
そして残った小瓶は、2人の丁度真ん中へと置く。ますます怪訝な顔をされたが、レオナールは静かに口を開いた。
「先程お飲みになった『新種の茶葉』で淹れた紅茶ですが」
「香りも味も普通の紅茶ですが……この茶葉そのものが毒なのです」
「なっ!」
「……っ!!」
2人の顔が青ざめた。
それに構うことなく、レオナールは静かに言葉を紡いでいく。
「まずは指先の痺れから始まり、息が荒くなる。そうして喉の痛み、吐き気、動悸……それらの症状を経て、死へと至ります」
説明すれば、2人は胸や喉を押さえて目を見開いた。息の音が、聞こえてくる程に荒くなる。
「そして私が先程飲んだのが、解毒剤です」
「私はそれを『2本』持っていました。なので、この場にあるのはこの『1本』だけ」
2人は机上の小瓶を食い入るように見つめた。
レオナールは砂時計を取り出し、傍らへと置いてみせる。
「この砂が全て落ちる前に飲めるといいですね」
砂時計を逆さまにすると、中の砂は静かに落ちていく。
「……」
突如死に直面する事態となり、2人は混乱しているようだ。互いの顔を探るように見合っているのは、疑心暗鬼にも陥っているからだろう。
「……質問は、1人一つのみ受け付けます。もちろん真実のみをお答えすると誓いましょう」
そう告げれば、2人は顔を見合わせて口を開きかけたが、また閉じた。相談する時間も惜しいと判断したようだ。
「……」
レオナールはその様子を、ただ黙って見つめている。
その顔からは何の感情も読み取れない。
「他に解毒剤はないのか?」
まずエルヴィンがそう尋ねた。慎重に尋ねているようだが、動揺は隠せていない。
無理もないが、と思いつつも、レオナールは答えた。
「はい、ありません」
ひゅ、と喉が鳴る音が響く。エルヴィンの胸にある手は、ぶるぶると震えていた。
「水を、飲むことで……中和できたりはしないのかしら?」
続いてアウレリアがそう尋ねる。息が隠し切れない程荒くなり、声も震えてか細くなっている。
「いいえ、できません」
指を組み替えながらそう答えれば、アウレリアの顔が絶望に染まった。それはエルヴィンも同様だ。
その間も砂時計は止まらない。無音の中、さらさらと砂が落ちていく。
これ以上質問は受け付けない、とレオナールはただただ2人を真っすぐに見据えている。その赤い瞳には何の感情も宿っておらず、背筋が震える程に冷たく感じた。
ああ、どうしてこんな目に。
2人が同時に思ったことがそれだった。
そもそもは婚約者がいるのを知っていながら甘い声をかけてきたのは。
そもそもはこちらの誘いにあっさりと応えるから。
だから……
私は悪くない!!
砂時計に残った僅かな砂が落ちる瞬間。
ダンッ!
2人は同時に椅子から立ち上がった。
アウレリアの手が小瓶に伸びる。が、すかさずエルヴィンがその手を払い落し、さらに突き飛ばした。
がしゃんっ!
アウレリアが床に倒れ込んだ衝撃で、カップが音をたてた。
それに構わずエルヴィンはもどかしい手つきで小瓶を開け、中身を一息に飲み干す。
そうして砂が完全に落ちた。
瞬間。
「あっはははははは!!」
レオナールの哄笑が高く響き渡った。
「なるほど、これが貴方方の言う『真実の愛』ですか。自身の命が助かるためなら、相手のことなどどうでも良い……やはり物語や演劇とは比べるまでもなく残酷で滑稽なものなのですねぇ!」
言い返す気力もないのか、エルヴィンは呆然とした表情のままだ。アウレリアの顔はこの位置からは見えないが、どうせ同じようなものなのだろう。
それに薄笑いを浮かべてみせながら、レオナールは新しい紅茶をティーポットから自身のカップへと注いだ。そしてそれに口を付けてみせる。
「なっ!? お前、それは毒だと……」
驚愕の表情を浮かべるエルヴィンに、レオナールはカップを静かに置いてから微笑んでみせる。
「嘘に決まっているじゃないですか。そのような危険な茶葉など存在しませんよ」
それに、と口角をさらに吊り上げる。
「『真実の愛を証明してください』と私は言ったのですよ? お二人を殺すような真似をする訳がないでしょう。それに私はちゃんと機会を与えていましたよね?」
「こう質問をすれば良かったんですよ」
「その紅茶は、本当に毒なのか? と」
確かにあの時彼は、質問に対しては真実を答えると言っていた。そう聞いていればこのような羞恥と屈辱を味わうことは無かったと気付いても、後の祭り。
よろよろと立ち上がったアウレリアが、レオナールをキッと睨みつけた。
「レオナール、貴方、私にこのようなことをするなんて、許されると思っているの?」
「ええ、許されますよ」
立ち話でもしているような気軽さで、レオナールはあっさりと答えた。
「これは女王陛下もご承知のことですから」
「なっ……!」
「お、お祖母様が……!?」
2人の顔が蒼白になる。
「ええ、あなた方の態度が目に余るものですから相談させていただきましたよ。女王陛下は『やはり私自ら教育を施すべきだった』と大層お嘆きでした。……しかし身内の情もあるのでしょう、挽回の機会をくれないかと私に懇願……いえ提案をなさいまして、この茶会が開かれたのですよ」
「しかし、婚約者と仲を深めるどころか別の男性と婚約を結びたいなどと仰った挙句、契約や書類、数字を軽く見るような発言、そして、どのような時でも冷静に判断をするという王族として必要なこともできない」
「さらに自分が助かるためなら、他人などどうなっても良いという身勝手さ」
「短時間でこれだけの醜態を晒されては……もう挽回の余地などありませんね」
レオナールはそう告げて、静かに立ち上がる。
「この状況はもちろん私の口からと、録音録画を余すことなく女王陛下にお伝えしておきます」
「ま、待って、ねえ、待ってレオナール!」
「ああ、それから婚約はお望み通り『破棄』させていただきます。後で家から正式な書類を送らせていただきますが、婚約時に交わした契約通り、慰謝料は指定した額を、さらに紅茶の卸値を通常価格に戻させていただきます」
グランツェ公爵家で栽培されている紅茶はその地でしか育たないため希少価値が高く、他国からの人気も高い。これまでは王家であり、婚約者でもあるからと卸値を安くしていたが、そうする必要はなくなった。
舌の肥えた他国の貴人たちが、グランツェ公爵家の紅茶ではない茶葉を出されたら、「何かあった」と推察するには充分過ぎるだろう。そこから付け込む隙がある、と考える輩もいるかもしれないが知ったことではない。販売拒否をする訳ではないのだから、通常価格で買えば良いだけの話だ。
「こ、こんなことが、お祖母様に知られたら、私っ……! ねえ、お願い、何でもするから……!」
アウレリアが涙を流しながら腕に縋り付いてきた。
どうやら王族の矜持すらも失っていたらしい。
だからこそ祖母であるノクティアが未だ現役で女王陛下なのだろうが。
「……ああ、次期陛下についてもご安心を」
レオナールは淡々と言葉を紡ぎ出した。
「女王制に疑問視の声があがっているのはご存知だとは思いますが」
「今回のことで決定的になるでしょう」
「あ、ああっ……!?」
察したのだろう、アウレリアの顔から見る見る内に血の気が引いた。
「性別を問わず優秀な者を。有力なのは貴方の叔父様にあたるゼファル宰相でしょうか」
そう言って軽く腕を振り払うと、アウレリアはずるずると床にへたりこむ。レオナールは襟を正し、未だ呆然としたままのエルヴィンにちらり、と視線を向けて言った。
「ラクロワ家にも慰謝料の請求をさせていただきますので、書類はきちんと確認してくださいね。誠実な対応を期待していますよ」
そう言って背を向ければ、悲鳴のような金切声があがった。
そうして互いを罵り合う声が響き渡る。
レオナールはそれに振り返ることもなくドアを開け、入れ違いに慌ただしく入っていく使用人や騎士たちに後を任せた。
(終)




