第3章前編
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三人目の被害者の記憶は、予想通り翌日に入荷していた。
「連続殺人の記憶 第三回」——価格は三十万円に跳ね上がっていた。希少性と話題性によって、記憶の価値は日々上昇している。まるで株式市場のように、人の死が投機の対象になっていた。
僕は迷わず購入した。もはや借金の額など気にしていなかった。消費者金融三社から限度額まで借り、クレジットカードも上限まで使っていた。でも、それでも足りなかった。
「分割払いは可能ですか?」
店主は困ったような表情を見せた。
「当店では一括払いが原則なのですが……」
「お願いします。どうしても、この記憶が必要なんです」
僕は必死に頭を下げた。他の客の視線が痛かったが、構わなかった。
結局、店主は特別に分割払いを認めてくれた。ただし、金利は法外に高く設定されていた。でも、僕は即座に同意した。
七度目の記憶移植。
今度の被害者は山本理恵さん、二十一歳の大学生だった。アルバイト帰りに一人で歩いているところを襲われた。彼女は看護学生で、将来は小児科の看護師になることを夢見ていた。
犯行現場は前の二件とは違う場所だったが、やはり人気のない公園だった。犯人は彼女の行動パターンを詳しく調べ上げていた。アルバイト先、通学路、帰宅時間。すべてを把握した上での計画的犯行だった。
山本さんは前の被害者たちより若く、抵抗も激しかった。必死に逃げようとし、助けを求めて叫んだ。でも、深夜の公園に人はいない。
犯人は彼女を追い詰めながら、異常な興奮を感じていた。若い女性の恐怖に歪んだ顔、必死の抵抗、そして絶望。それらすべてが犯人にとっては最高の entertainment だった。
そして、最後の瞬間——
記憶移植が終わった時、僕は床に倒れ込んだ。今度は吐き気だけでなく、意識が朦朧としていた。あまりにも鮮明で残酷な記憶に、脳が処理しきれなくなっているのだ。
「大丈夫ですか?」
店主が慌てて駆け寄ってきた。でも、僕にはその声が遠くに聞こえた。
しばらくして意識がはっきりすると、僕は店の奥の休憩室にいた。簡素なソファに横たわらされ、額には濡れタオルが置かれていた。
「気分はいかがですか?」
店主が心配そうに覗き込んでいる。
「あの記憶は……強すぎました」
僕は震え声で答えた。
「やはり、お客様には刺激が強すぎるようです」店主は申し訳なさそうに言った。「これ以上の記憶購入はお勧めしません」
でも、僕はもう止められなかった。山本理恵さんの記憶が、他の記憶と混ざり合って僕の人格を形成していく。彼女の恐怖、犯人の興奮、すべてが僕自身の体験として刻まれている。
「他の客も、同じような記憶を?」
「はい」店主は頷いた。「特に犯罪記憶は人気が高いんです。普通の人には体験できない、極限の感情を味わえますから」
僕は愕然とした。僕だけでなく、他にも犯罪記憶を楽しんでいる客がいるのだ。人の死を娯楽として消費している人間が。
「どんな人が買うんですか?」
「様々です。作家の方、研究者の方、それに……」店主は言いよどんだ。「単純に刺激を求める方々も」
刺激を求める人々。人の死をスリルとして消費する人々。僕もその一人なのだ。
店を出ると、街の風景が違って見えた。行き交う人々が、皆、記憶を売り買いしているように思える。誰が犯罪記憶を買っているのか。誰が自分の記憶を売っているのか。
コンビニで雑誌を立ち読みしていると、記憶市場に関する特集記事を見つけた。
『拡大する記憶ビジネスの光と影』
記事によると、記憶市場は年々拡大を続けている。恋愛記憶、冒険記憶、技能記憶など、あらゆる体験が商品化されている。有名人の記憶は高額で取引され、一般人の記憶も質によっては高値がつく。
しかし、問題も多い。記憶中毒者の増加、偽記憶の販売、そして犯罪記憶の流通。特に犯罪記憶については、被害者の人権を侵害するものとして社会問題化している。
記事には、記憶市場で働く人々のインタビューも掲載されていた。
記憶ブローカー:「需要がある限り、供給は続く。それが市場原理です」
記憶コレクター:「希少な記憶は投資対象としても優秀。特に犯罪記憶は価値が上がり続けている」
被害者遺族:「娘の死が商品として売られているなんて、許せない」
最後のコメントが胸に突き刺さった。田島由紀子さんの母親の言葉が蘇る。娘を思う母親の気持ちを、僕は理解していながら、その娘の死を娯楽として消費していた。
でも、記事にはさらに衝撃的な内容が続いていた。
『記憶市場の新たな闇 遺族による「復讐記憶」の購入』
被害者の遺族が、犯人の犯行記憶を購入するケースが増えているという。愛する人がどのような最期を迎えたのかを知りたい、という切実な思いからだった。
でも、その記憶を体験した遺族は、深刻な精神的ダメージを受ける。犯人と同じ視点で愛する人の死を体験することの苦痛は、想像を絶するものだという。
それでも、遺族は記憶を求め続ける。真実を知りたい、という思いが、自分自身を破壊することがわかっていても。
僕は雑誌を置いて、コンビニを出た。外の空気を深く吸い込んだが、胸の奥の重苦しさは消えなかった。
アパートに帰る途中、僕は記憶屋が入っているビルの前を通った。まだ昼間だというのに、多くの客が出入りしている。年齢も性別も様々だった。主婦らしい女性、スーツ姿のサラリーマン、大学生風の若者。
彼らは皆、どんな記憶を求めているのだろう?
僕は好奇心に駆られて、ビルの中に入った。記憶屋以外にも、複数の記憶関連店舗が入っていた。
「メモリーカフェ」では、記憶を体験しながらコーヒーを飲める。「思い出レンタル」では、短時間の記憶レンタルを行っている。「記憶クリニック」では、トラウマ記憶の除去や、記憶中毒の治療を行っている。
一つのビルに、記憶に関する全てのサービスが集約されていた。まるで記憶のショッピングモールのようだった。
メモリーカフェに入ってみると、カウンターには記憶のメニューが並んでいた。
「初恋の記憶(甘さ控えめ)」
「青春の記憶(ほろ苦)」
「成功の記憶(濃厚)」
客は軽い記憶移植装置を頭につけながら、ドリンクを楽しんでいる。まるでファーストフードのように、記憶が気軽に消費されていた。
「いらっしゃいませ」
若い女性店員が声をかけてきた。
「初めてですか? お勧めは青春記憶のブレンドです。複数の青春記憶を混ぜ合わせた、当店オリジナルの記憶です」
僕は断って店を出た。記憶がファーストフード化されている現実に、嫌悪感を覚えたのだ。
次に「思い出レンタル」を覗いてみた。ここでは時間単位で記憶をレンタルできる。価格も手頃で、学生でも利用しやすい設定になっている。
店内には個室が並んでおり、それぞれに記憶移植装置が設置されている。まるでネットカフェのようだった。
受付で料金表を見ると、様々な記憶が時間貸しされていた。
「恋愛記憶30分 1,000円」
「冒険記憶60分 1,500円」
「成功記憶90分 2,000円」
そして、その中に恐ろしいものを見つけた。
「犯罪記憶30分 5,000円(要身分証明書)」
犯罪記憶まで、時間貸しされているのだ。しかも、身分証明書があれば誰でも利用できる。
受付の女性に尋ねてみた。
「犯罪記憶の利用者は多いんですか?」
「ええ、特に週末は予約でいっぱいです」彼女は事務的に答えた。「スリルを求める方が多いですね」
スリルを求める人々。人の死を娯楽として消費する人々。僕と同じような人間が、この街にはたくさんいるのだ。
「どんな犯罪記憶があるんですか?」
「殺人、強盗、暴行など、様々です。ただし、あまりに残酷なものは年齢制限を設けています」
年齢制限。まるで映画のレーティングのように、犯罪記憶にも規制が設けられている。人の死にランクをつけているのだ。
僕は店を出て、最後に「記憶クリニック」を訪れた。ここは記憶関連の問題を扱う医療機関だった。
待合室には、様々な年齢の患者が座っていた。皆、疲れ切った表情をしている。記憶中毒や記憶混乱に苦しんでいる人々だった。
受付で資料をもらった。記憶中毒の症状、治療法、予防策などが詳しく説明されていた。
記憶中毒の症状:
・現実と記憶の区別がつかなくなる
・自分の記憶に確信が持てなくなる
・記憶なしでは生活できなくなる
・記憶の内容がエスカレートしていく
すべて、僕に当てはまる症状だった。
治療法の説明を読むと、記憶中毒の治療は困難で、完治する患者は少ないとあった。一度混乱した記憶を元に戻すことは、現在の医学では不可能に近いという。
僕は愕然とした。僕の症状は、もう取り返しがつかないレベルまで進行しているのだ。
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