表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】俺が連続殺人事件の犯人かもしれない  作者: ドネルケバブ佐藤


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/16

第1話後編

完結まで毎日投稿します

その夜、僕は一睡もできなかった。


 田村の記憶を何度も思い返していた。美咲の笑顔、彼女の声、一緒に過ごした時間。すべてが愛おしく、すべてが眩しかった。




 でも、同時に虚しさも感じていた。


 それは他人の記憶だ。僕自身の体験ではない。どれだけ鮮明に覚えていても、どれだけリアルに感じても、それは借り物でしかない。




 朝になって、大学に向かった。いつもの通学路、いつものキャンパス。でも、田村の記憶があることで、世界が少し違って見えた。




「おはよう、山田」




 田中が声をかけてきた。昨日の夜の暴言のことは忘れているようだった。




「おはよう」




 僕は普通に返事をした。でも、心の中では田中のことを少し哀れに思っていた。彼は美咲のような女の子と付き合ったことがあるのだろうか。文化祭で主役を演じたことがあるのだろうか。桜の下でキスをしたことがあるのだろうか。




 きっと、ない。


 そう思うと、僕の方が田中より上にいるような気分になった。




「なんか今日、雰囲気違うな」




 田中が不思議そうに言った。




「そうかな」




 僕は曖昧に微笑んだ。田村の記憶の中にある表情を真似て。




 講義中、僕は美咲のことを考えていた。彼女は今、どこで何をしているのだろう。もう別の男性と付き合っているのかもしれない。そう思うと、胸が締め付けられるような感覚があった。




 でも、それは僕の感情ではない。田村の感情だ。僕は美咲を知らない。会ったこともない。それなのに、彼女への愛しさが胸の奥に確実に存在している。




 昼休み、学食で一人で昼飯を食べていると、隣のテーブルで女子学生たちが話しているのが聞こえてきた。




「記憶屋で買った恋愛記憶、すごく良かったよ」


「私も今度買ってみようかな。どんな感じ?」


「本当に自分が体験したみたいに感じるの。すごくリアルで」




 僕は耳を澄ませた。同じように記憶を購入している人がいることに、少し安心感を覚えた。




「でも、所詮は偽物の記憶でしょ?」


「そうだけど、本物の恋愛なんて期待できないし」




 偽物の記憶。


 その言葉が胸に刺さった。僕が昨夜から大切にしている美咲との思い出も、偽物なのだ。




 午後の講義が終わって、僕は再び記憶屋に向かった。田村の記憶をもっと欲しくなっていた。美咲ともっと一緒にいたかった。




「また来てくださったんですね」




 店主は覚えていてくれた。




「田村さんの記憶の続きはありますか?」




「ああ、大学時代の記憶がありますよ。美咲さんとは遠距離恋愛になりましたが、月に一度は会いに行っていました」




 僕の心臓が高鳴った。




「それを」




「こちらですね。¥30,000になります」




 財布の中身を確認すると、ぎりぎり足りた。バイト代を全部使ってしまうことになるが、構わなかった。




 二度目の記憶移植は、一度目より鮮明だった。田村としての人格がより深く僕の中に浸透していく感覚があった。




 大学一年の春。田村は美咲に会うために、新幹線に乗って東京から大阪まで出かけていた。ホームで再会した瞬間の感動。数ヶ月ぶりに見る彼女は、より大人っぽく美しくなっていた。




 大阪の街を一緒に歩く。たこ焼きを食べて、大阪城を見学して、夜は小さなホテルに泊まった。初めての夜。緊張と興奮で眠れない時間。美咲の温もり、彼女の寝息。すべてが愛おしかった。




 夏祭り。浴衣を着た美咲と一緒に花火を見上げる。夜空に咲く花火と、彼女の横顔。どちらも美しくて、写真に残したくなるような瞬間だった。




 秋の紅葉狩り。山に登って、赤く染まった葉を見ながら弁当を食べる。美咲の手作りの卵焼きは少し甘くて、それが彼女らしくて愛しかった。




 クリスマス。大学二年の冬。田村は美咲にプロポーズしていた。大学を卒業したら結婚しよう、と。美咲は泣きながら頷いてくれた。




 記憶移植が終わって記憶屋を出ると、もう夜になっていた。僕の心は田村の幸福で満たされていた。美咲への愛がより深くなっていた。




 でも、現実の僕は一人だった。アパートに帰っても誰もいない。メールも来ない。電話も鳴らない。




 その夜、僕は美咲の名前をネットで検索してみた。でも、もちろん見つからなかった。田村も美咲も、記憶の中にしか存在しない人物なのだ。




 それでも、僕は彼らの記憶を愛していた。それが僕をより豊かな人間にしてくれているような気がした。




 翌週、僕は記憶屋の常連になっていた。田村の記憶を買い続け、美咲との恋愛を追体験し続けた。大学三年、四年、そして卒業式。就職してからも続く二人の関係。結婚式の記憶。新婚生活の記憶。




 僕の頭の中は田村の人生で満たされていった。田村の感情、田村の価値観、田村の記憶。それらが僕自身の人格と混ざり合っていく。




 ある日、田中に言われた。




「山田、最近変だぞ。なんか別人みたいになってる」




「そうかな」




 僕は田村の微笑みを浮かべて答えた。




「そうだよ。前より自信があるっていうか、余裕があるっていうか」




 田中の言葉は正しかった。僕は変わっていた。田村の記憶があることで、自分に自信を持てるようになっていた。恋愛経験がある男として振る舞えるようになっていた。




 でも、同時に混乱もしていた。


 本当の自分がどこにあるのか、分からなくなっていた。田村の記憶と山田の記憶が混ざり合って、境界が曖昧になっていた。




 そんなある日のことだった。


 僕は記憶屋で新しい商品を見つけた。




「青春パッケージ特別版 17-19歳男性 5時間相当 ¥80,000」




 今まで購入していた田村の記憶とは別の人物の記憶だった。ラベルには「高校時代の恋愛、大学受験、初体験、文化祭実行委員長体験など、濃密な青春記憶」と書かれている。




 僕は迷わず購入した。もう貯金はほとんど残っていなかったが、構わなかった。




 三度目の記憶移植。今度は高橋という名前の青年になった。彼の青春は田村のものとはまた違っていた。より激しく、より情熱的で、より複雑だった。




 高橋は文化祭の実行委員長をしていた。大勢の人をまとめ、イベントを成功に導く。その過程で様々な人間関係に揉まれ、成長していく。




 恋愛も複雑だった。二人の女の子の間で揺れ動く気持ち。最終的に選んだのは、おとなしい図書委員の女の子だった。彼女との関係は田村と美咲のそれとは違って、静かで深いものだった。




 大学受験の記憶もリアルだった。プレッシャー、不安、そして合格の喜び。すべてを僕自身の体験として記憶していた。




 記憶屋を出ると、僕の頭の中は三人分の人生で満たされていた。山田太郎、田村、高橋。三つの人格が混在している。




 でも、不思議と混乱はしなかった。むしろ、より豊かな人間になったような気がした。三人分の経験、三人分の知識、三人分の感情を持つ人間として。




 大学では、僕の評価が上がっていた。グループディスカッションでは積極的に発言し、プレゼンテーションでは堂々と話せるようになった。それは高橋の記憶のおかげだった。彼の実行委員長としての経験が、僕に自信を与えてくれていた。




 女の子との会話も自然になった。田村と高橋の恋愛経験が、僕に余裕を与えてくれていた。




 でも、ある夜、僕は気づいてしまった。




 鏡を見ながら、ふと考えた。山田としての記憶はどこにあるのだろう、と。




 二十二年間生きてきた僕自身の記憶。それが曖昧になっていた。田村や高橋の鮮明な記憶に比べて、山田太郎の記憶は色あせて見えた。つまらなくて、印象に残らないものばかりだった。




 小学校の運動会で転んだこと。中学校の文化祭で何もできなかったこと。高校時代の平凡な日々。大学での無為な時間。すべてが灰色で、価値のないものに思えた。




 でも、それが本当の僕なのだ。


 田村や高橋がどれだけ魅力的でも、それは借り物でしかない。




 その夜、僕は泣いた。


 自分の人生の貧しさに、自分自身の価値のなさに、初めて本気で泣いた。




 でも、翌日にはまた記憶屋に向かっていた。今度は「青春スポーツ編」という記憶を買った。野球部のエースとして甲子園に出場した青年の記憶だった。




 その記憶を移植した後、僕はより自信に満ちた人間になった。スポーツ万能で、チームを引っ張るリーダーシップを持つ人間として。




 でも、同時に虚しさも増していった。


 借り物の記憶で自分を飾っても、本当の自分は何も変わらない。山田は相変わらず「何もない」人間のままだった。




 それでも、僕は記憶を買い続けた。他人の輝かしい青春を買い続けた。それが僕の生きる支えになっていた。




 現実の僕は何もない。でも、記憶の中の僕は豊かだった。それで十分だと思っていた。




 そんなある日のことだった。記憶屋で新しい商品を見つけた時、僕の人生は大きく変わることになった。




 その記憶は、これまでのものとは明らかに違っていた。ラベルには「特殊記憶 危険につき取扱注意」と赤い文字で書かれていた。




 価格も異常に高かった。十五万円。




 僕は店主に尋ねた。




「これは何の記憶ですか?」




 店主は困ったような表情を見せた。




「こちらは……特別な記憶です。一般的な青春記憶とは性質が違います」




「どう違うんですか?」




「より……刺激的な内容になっています。お客様にはお勧めしません」




 その言葉が、逆に僕の好奇心を煽った。これまでの平凡な青春記憶に物足りなさを感じていた僕は、新しい刺激を求めていた。




「購入します」




「しかし……」




「お金なら用意します」




 僕は消費者金融で借金をしてまで、その記憶を買った。




 四度目の記憶移植。


 そして、僕の人生は取り返しのつかない方向に向かっていった。




 なぜなら、その記憶の中には青春の輝きだけでなく、血の匂いが混じっていたからだった。

感想、批評、批判お待ちしております

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ