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【完結】俺が連続殺人事件の犯人かもしれない  作者: ドネルケバブ佐藤


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第7話後編

本日完結



  翌朝、僕は決意を固めた。


 事件の解決を諦める。


 真犯人が誰なのか、僕の中にある記憶が本物なのか。それらはもう、どうでもいいことだった。警察も捜査を中断した。記憶の提供者も誰も真実を知らない。


 僕一人が真実を追い求めても、何も変わらない。


 それよりも、僕は自分自身を取り戻すことに専念すべきだった。


 記憶クリニックに電話をして、カウンセリングの予約を取った。医師は快く受け入れてくれた。


「記憶統合障害の治療は長期戦になります」医師は説明した。「でも、諦めないことが大切です」


 諦めない。僕は何度も諦めかけた。でも、もう一度、自分と向き合ってみようと思った。


 大学にも復帰した。田中が言った通り、僕の居場所はここにあった。


 講義に出て、ノートを取って、レポートを書く。それらは退屈で、意味がないように思えた。でも、それが山田太郎の日常だった。


 他人の輝かしい記憶に比べれば、つまらない日々かもしれない。でも、それは確実に僕のものだった。


 ある日の昼休み、学食で一人で食事をしていると、見知らぬ女子学生が話しかけてきた。


「すみません、ここ空いてますか?」


「どうぞ」


 彼女は向かいに座った。短い髪で、明るい表情をしている。


「あの、社会学の講義で一緒ですよね」


「ああ、そうかも」


 僕は彼女を覚えていなかった。でも、彼女は僕を覚えていてくれた。


「いつも真剣にノート取ってるから、印象に残ってて」


「そうですか」


「よかったら、今度一緒に勉強しませんか? 期末試験、難しそうだし」


 一緒に勉強。僕は少し考えてから、頷いた。


「いいですよ」


 彼女は嬉しそうに笑った。


「私、田村って言います」


 田村。その名前を聞いて、僕は一瞬動揺した。でも、すぐに気を取り直した。


 これは別の田村だ。記憶の中の田村ではない。目の前にいる、現実の田村さんだ。


「山田です」


「よろしくお願いします、山田さん」


 新しい出会い。それは山田太郎としての、新しい記憶の始まりだった。


 その夜、僕は日記を書き始めることにした。自分の記憶を、きちんと記録に残すために。


 『今日、田村さんという人と知り合った。一緒に勉強することになった。彼女は明るくて、話しやすい人だった』


 短い文章だったが、確実に僕の体験を記録していた。これから毎日、こうして自分の記憶を残していこう。


 そうすれば、いつか自分が誰なのか、もう一度わかるようになるかもしれない。


 記憶クリニックでのカウンセリングも続けた。医師と話すことで、少しずつ自分の状態を理解できるようになってきた。


「山田さん、他人の記憶と自分の記憶を区別するために、一つ方法があります」


 医師が提案した。


「感情に注目してください。本当に自分が体験したことは、感情が伴います。他人の記憶は、どれだけ鮮明でも、感情は薄い」


 感情。確かに、田中との思い出を思い返すと、感情が蘇ってくる。嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと。


 でも、記憶屋で買った記憶は、どれだけ鮮明でも、感情は表面的だった。まるで映画を見ているような感覚だった。


「それを基準に、少しずつ記憶を整理していきましょう」


 医師の指導のもと、僕は自分の記憶を一つ一つ見直していった。感情が伴う記憶は自分のもの、感情が薄い記憶は他人のもの。


 時間はかかったが、少しずつ整理できるようになってきた。


 でも、犯罪記憶だけは別だった。あの記憶には強烈な感情が伴っていた。でも、それは僕の感情ではない。他人の、犯人の感情だった。


 その記憶をどう扱えばいいのか、まだわからなかった。


 ある週末、僕は実家に帰ることにした。数ヶ月ぶりだった。


 両親は驚いた様子で迎えてくれた。


「太郎、久しぶりだね」


 母の声は優しかった。


「ただいま」


 実家のリビング、自分の部屋、庭の木。すべてが懐かしかった。そして、確かに自分の記憶の中にあるものだった。


 夕食の時、父が尋ねた。


「大学は順調か?」


「まあ、なんとか」


「就職は?」


「これから考えます」


 父は少し心配そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


 自分の部屋に入ると、子供の頃の思い出が詰まっていた。おもちゃ、本、ポスター。どれも古く、色褪せていた。


 小学校の時に書いた絵日記を見つけた。下手な字で、「今日は楽しかった」「友達と遊んだ」と書かれている。


 その文章を読んで、僕は泣きそうになった。


 こんなに単純で、こんなに純粋な記憶があった。複雑な感情も、深い意味もない。ただ、楽しかったという記憶。


 それが山田太郎の原点だった。


 翌日、母と一緒に昔の写真を見た。


「これ、太郎が五歳の時よ」


 母が指差した写真には、笑顔の子供が写っていた。


「この時、初めて自転車に乗れるようになったのよ。すごく嬉しそうだった」


 自転車に乗れるようになった日。その記憶は曖昧だったが、母の話を聞いて、少しずつ蘇ってきた。


 何度も転んで、膝を擦りむいて、それでも諦めずに練習した。そして、ついに乗れるようになった時の達成感。


 それは誰かから買った記憶ではない。僕自身が努力して得た記憶だった。


「太郎はね、諦めない子だったのよ」母は懐かしそうに言った。「時間はかかるけど、最後までやり遂げる子だった」


 諦めない。その言葉が胸に響いた。


 僕は今まで、簡単に諦めすぎていたのかもしれない。自分の地味な人生に満足できず、他人の輝かしい記憶を求めた。


 でも、本当は諦めずに、自分自身の人生を生きるべきだったのだ。


 実家から帰る時、母が言った。


「太郎、何かあったら、いつでも帰ってきなさい」


「うん」


「あなたはあなたのままでいいのよ」


 母の言葉に、涙が溢れそうになった。


 電車の中で、窓の外の景色を見ながら、僕は考えた。


 事件は解決しない。真犯人も捕まらない。僕の中の記憶も、完全には整理できない。


 でも、それでいい。


 僕は完璧である必要はない。混乱したまま、不完全なまま、それでも生きていける。


 大切なのは、これから作る記憶だ。借り物ではない、自分自身の記憶。


 地味でも、平凡でも、それが山田太郎の人生なのだ。


 アパートに帰り着くと、田中からメッセージが来ていた。


『明日、飲みに行こうぜ。新しい店見つけたんだ』


 僕は返信した。


『いいよ。楽しみにしてる』


 新しい店。また一つ、新しい記憶が作られる。


 それは特別なことではないかもしれない。でも、確実に僕のものになる。


 鏡を見ると、そこには山田太郎がいた。完璧ではないが、確かに存在している山田太郎が。


 僕は自分に向かって、小さく微笑んだ。


 そして、初めて思った。


 これが、僕なのだと。

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