第6話後編
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カフェを出て、僕は記憶の提供者の一人に会いに行くことにした。警察から聞いた住所を頼りに、電車で一時間ほどの郊外に向かった。
住所に着くと、そこは古いアパートだった。表札には「佐藤」と書かれている。インターホンを押すと、三十代くらいの男性が出てきた。
「はい?」
「佐藤さんですか? 私、山田と申します」
男性は警戒した表情で僕を見た。
「警察の方ですか?」
「いえ、違います。記憶屋で記憶を買った者です」
佐藤の表情が変わった。困惑と、少しの恐怖が混ざった表情だった。
「あなたも……」
「はい。犯罪記憶を購入しました」
佐藤は少し考えてから、部屋に招き入れてくれた。狭い一室のアパートで、生活感のある雑然とした空間だった。
「警察に聞いたんですが、あなたが記憶の提供者の一人だと」
「そう言われました」佐藤は弱々しく答えた。「でも、覚えていないんです」
「記憶を売ったことを?」
「はい。警察に言われるまで、全く記憶にありませんでした」
佐藤はテーブルに座り、頭を抱えた。
「記憶を抽出する時、同意書にサインしたはずなんです。でも、その記憶も消されている。何をいつ売ったのか、全くわからない」
「困惑しますよね」
「ええ」佐藤は苦笑した。「自分が何をしたのか思い出せないなんて」
佐藤の状況は、僕と似ていた。記憶の混乱によって、自分の行動が不確かになっている。
「警察は、あなたを疑っていますか?」
「最初は疑われました」佐藤は暗い表情になった。「でも、アリバイがあったんです。事件当日、僕は仕事で別の都市にいました。複数の同僚が証言してくれて、容疑は晴れました」
アリバイ。佐藤にはあって、僕にはない。
「でも、不思議なんです」佐藤は続けた。「僕の記憶が犯罪記憶として売られていたとして、それはどこから来たんでしょうか?」
「わかりません。警察も特定できていないようです」
「僕は犯人じゃない。でも、僕の記憶が使われている。矛盾してますよね」
確かに矛盾している。佐藤が犯人でないなら、彼の記憶が犯罪記憶として売られているのはおかしい。
「もしかすると」僕は推測を述べた。「あなたの記憶は、犯罪記憶のコピーを作る過程で使われたのかもしれません」
「コピー?」
「記憶をコピーする時、他人の脳を経由させる必要があるそうです。あなたは、その中継点として使われたのかもしれない」
佐藤は考え込んだ。
「つまり、僕は犯罪記憶を一度体験させられて、その記憶を再度抽出された。そして、その過程で記憶を売ったという記憶も消された」
「そういうことだと思います」
「ひどい話だ」佐藤は憤った。「僕は被害者じゃないですか」
被害者。佐藤も僕も、記憶市場の被害者だった。
佐藤の部屋を出て、僕は次の提供者に会いに行った。リストには五人の名前があった。できるだけ多くの人に会って、真実に近づきたかった。
二人目の提供者は、二十代の女性だった。彼女も記憶を売った覚えはなく、警察に言われて初めて知ったという。
「怖かったです」彼女は震え声で言った。「私が殺人犯だと疑われるんじゃないかって」
彼女も佐藤と同じように、アリバイがあって容疑は晴れていた。
三人目、四人目も同様だった。誰も記憶を売った覚えはなく、誰も犯罪に関与していない。ただ、知らないうちに記憶市場のシステムに組み込まれていた。
五人目の提供者は、六十代の老人だった。彼は小さな電器店を経営しており、穏やかな表情をしていた。
「ああ、記憶の件ですか」老人は僕を店の奥に案内した。「警察から聞いて驚きましたよ」
「記憶を売った覚えは?」
「ないですね。でも、実は以前、記憶の抽出実験に参加したことがあるんです」
実験。僕は身を乗り出した。
「詳しく教えてください」
「五年前くらいですかね。大学の研究に協力してくれと頼まれまして」老人は昔を思い出すように話した。「記憶抽出技術の実験だって。謝礼も出るというので、参加したんです」
「どんな実験でしたか?」
「記憶を抽出して、また戻す。そういう実験でした」老人は首をひねった。「特に問題もなく終わったと思っていたんですが」
「その時の記憶が、今回使われた可能性がありますね」
「そうなんですかね」老人は困惑した表情を見せた。「でも、抽出したのは私の普通の記憶ですよ。犯罪なんて関係ない」
普通の記憶。それがどうやって犯罪記憶になったのか?
「もしかすると」僕は推測した。「抽出された記憶に、人工的に犯罪の要素を加えたのかもしれません」
「人工的に?」
「記憶は改変できるそうです。元の記憶を土台にして、新しい要素を付け加える。そうすることで、実際には体験していない出来事を、リアルな記憶として作り出せる」
老人は驚いた表情を見せた。
「じゃあ、私の記憶を使って、偽の犯罪記憶が作られたということですか?」
「可能性としては、あり得ます」
老人は深いため息をついた。
「科学の進歩は素晴らしいけど、恐ろしいものですね」
五人の提供者全員に会った結果、一つの結論に達した。
誰も真犯人ではない。
彼らは皆、記憶市場のシステムに利用された被害者だった。実験の参加者、記憶のコピーの中継点、人工記憶の素材。様々な形で、彼らの記憶が悪用されていた。
では、真犯人は誰なのか?
もしかすると、最初から犯人などいないのかもしれない。記憶市場で流通している犯罪記憶は、すべて人工的に作られた創作物なのかもしれない。
でも、それでは実際の事件はどう説明するのか?
田島由紀子さん、佐々木恵美さん、山本理恵さん、高橋亜希子さん。四人の女性は確実に殺されている。真犯人がいるはずだ。
アパートに帰ると、僕は一日の出来事を整理しようとした。でも、情報が多すぎて、頭がついていかない。
記憶のコピー、人工記憶、消去された記憶、提供者たちの証言。すべてが複雑に絡み合って、真実が見えない。
その夜、田中に電話をした。
「太郎、どうした?」
「今日、記憶の提供者に会ってきたんだ」
僕は一日の出来事を詳しく話した。田中は黙って聞いていたが、最後にこう言った。
「つまり、誰も真実を知らないってことか」
「そういうことになる」
「じゃあ、どうするんだ? このまま真犯人が捕まらないまま?」
「わからない。警察も手詰まりみたいだ」
田中は長い間沈黙していた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「太郎、もう事件のことは忘れた方がいいんじゃないか?」
「忘れる?」
「お前は被害者だ。記憶市場の被害者だ。事件を解決する責任はないよ」
田中の言葉は優しかったが、僕には受け入れがたかった。
「でも、僕は犯罪記憶を体験した。被害者たちの最期を知っている」
「それが本物かどうかもわからないのに?」
「本物かどうかは関係ない。僕の中に、その記憶があることが問題なんだ」
電話を切って、僕は再び考え込んだ。
記憶の真偽は不明。犯人も不明。すべてが闇の中にある。
でも、一つだけ確実なことがあった。
僕の中に、他人の死の記憶があること。それが本物であろうと偽物であろうと、僕の人格を形成していること。
そして、その記憶のせいで、僕は自分自身を見失ってしまったこと。
翌日、僕は再び記憶屋を訪れた。店は休業中で、シャッターが下りていた。張り紙には「当分の間、営業を停止します」と書かれていた。
記憶市場は、崩壊し始めていた。警察の捜査、社会的批判、法規制の動き。すべてが記憶屋を追い詰めている。
でも、すでに市場に流通してしまった記憶は、回収不可能だった。僕を含む数百人、もしかすると数千人の人々が、様々な記憶を抱えて生きている。
その記憶が本物なのか偽物なのか、誰にもわからない。
記憶の持ち主が誰なのか、もう特定できない。
真実は、完全に失われてしまった。
僕は記憶屋の前を離れて、桜ヶ丘公園に向かった。田島由紀子さんの献花台の前に立ち、手を合わせた。
「すみません」
僕は小さく呟いた。
「あなたの真実を、僕は知ることができませんでした」
風が吹いて、供えられた花びらが舞った。誰も答えてくれない。ただ、静寂だけがあった。
僕の中にある記憶は、本物なのか偽物なのか。
それは永遠にわからないまま、僕と共に生き続けるのだろう。
真実の見えない世界で、僕はこれからどう生きていけばいいのか。
答えは、まだ見つかっていなかった。
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