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【完結】俺が連続殺人事件の犯人かもしれない  作者: ドネルケバブ佐藤


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第1話前編

完結まで毎日投稿します

読みやすいように一話を短くしました。



雨が降っていた。


 大学四年の秋、僕は傘も持たずに記憶屋の前に立っていた。ネオンサインが濡れたアスファルトに反射して、赤と青の光が足元で踊っている。「Memory Market」という英語の看板の下に、小さく「記憶市場」と書かれた文字が滲んで見えた。




 後悔が胸の奥で疼いている。


 昨日の夜、サークルの飲み会で田中に言われた言葉が頭から離れない。




「お前って、本当に何もないよな」




 酔っ払った勢いとはいえ、その言葉は僕の急所を正確に突いていた。大学四年間、僕はこれといった成果を残していない。恋人もいない。就職活動も中途半端で終わった。アルバイトも続かない。サークル活動も幽霊部員状態。友人と呼べる人間も、田中くらいしかいない。




 その田中にすら、「何もない」と言われてしまった。




 僕の名前は山田太郎。ありふれた人生。二十二年間生きてきて、人に語れるような思い出が一つもない。恋愛経験も皆無に等しい。高校時代に片思いしていた女の子に告白すらできずに卒業してしまった。大学では気になる子がいても、結局声をかけることさえできない。




 そんな僕が、なぜ記憶屋の前に立っているのか。




 理由は単純だった。他人の記憶を買って、せめて疑似体験だけでも味わってみたかったのだ。




 記憶の売買が合法化されたのは五年前のことだった。脳科学の飛躍的な進歩により、記憶を抽出し、他人の脳に移植することが可能になった。最初は医療目的で使われていたが、やがて娯楽産業として発達していった。有名人の記憶、美食家の味覚記憶、旅行家の冒険記憶。様々な体験が商品として売られるようになった。




 もちろん、倫理的な議論は絶えない。人の記憶を商品化することの是非。アイデンティティの混乱。依存症の問題。それでも、市場は拡大を続けている。特に僕のような「何もない」人間にとって、記憶屋は魅力的な場所だった。




 店の扉を開けると、チャイムが小さく鳴った。


 店内は思っていたより狭く、薄暗かった。壁一面に並んだ棚には、手のひらサイズの透明なカプセルが無数に並んでいる。それぞれのカプセルには小さなラベルが貼られており、記憶の内容と価格が記されている。




「いらっしゃいませ」




 カウンターの向こうから、四十代くらいの男性が声をかけてきた。痩せ型で、眼鏡をかけている。どことなく研究者のような雰囲気があった。




「初めてですか?」


「はい」




 僕は緊張で声が小さくなってしまった。




「でしたら、こちらの同意書にサインをお願いします」




 差し出された書類には、小さな文字でびっしりと注意事項が書かれていた。副作用、依存のリスク、記憶の混同の可能性……。目を通すだけで気が重くなるような内容ばかりだった。




「どのような記憶をお探しですか?」




 店主は慣れた様子で棚の前に案内してくれた。




「青春の記憶というか……恋愛の記憶を」




 恥ずかしさで顔が熱くなったが、正直に答えた。




「ああ、青春カテゴリーですね。こちらになります」




 案内された棚には「青春・恋愛」というプレートが掲げられていた。無数のカプセルが並んでいる。




「初恋の告白成功体験 18歳男性 ¥15,000」


「文化祭での演劇成功と恋人との初キス 17歳男性 ¥25,000」


「修学旅行でのグループ告白体験 16歳男性 ¥20,000」




 値段を見て、僕は思わず息を呑んだ。バイト代一日分以上する記憶もある。でも、今の僕にはそれだけの価値があるように思えた。




「こちらが人気商品です」




 店主が指差したのは「青春パッケージ 17-18歳男性 3時間相当 ¥50,000」というラベルの貼られたカプセルだった。




「文化祭での告白成功、クリスマスデート、卒業式での別れのキス。一人の男性の高校最後の一年間の恋愛記憶をまとめたものです。非常に品質が高く、リピーターの多い商品ですね」




 五万円。僕の全財産に近い金額だった。でも、手が震えながらも財布を取り出していた。




「これを」




「ありがとうございます。お客様は初回ですので、軽いカウンセリングをさせていただきます」




 奥の小さな部屋に案内され、簡単な精神状態のチェックを受けた。うつ病の既往歴、現在の精神状態、記憶に対する認識など。僕は正直に答えた。特に問題はないと判断されたようで、記憶の移植手続きが始まった。




「ヘッドギアを装着してください」




 SF映画に出てくるような装置を頭に被せられた。コードが何本も伸びており、機械に繋がっている。




「記憶の移植は約三十分かかります。その間、軽い夢を見ているような感覚になりますが、心配いりません。終了したら、ゆっくりと記憶を思い出してください」




 機械が起動すると、頭の中に微弱な電流が流れるような感覚があった。そして、意識が朦朧としてきた。




 ◇




 気がつくと、僕は高校の教室にいた。


 いや、正確には「僕」ではない。僕は田村という名前の高校三年生になっていた。でも、不思議と違和感はない。田村としての記憶、感情、人格がすべて自分のもののように感じられる。




 放課後の教室。夕日が差し込んで、机の上の教科書を橙色に染めている。僕は……田村は、一人の女の子の前に立っていた。




 佐藤美咲。


 クラスのマドンナ的存在で、誰もが憧れていた。長い黒髪、大きな瞳、いつも微笑みを浮かべている。そんな彼女が、今は僕の告白を聞いてくれている。




「佐藤さん、僕は君が好きだ」




 田村の口から出た言葉が、僕自身の声として聞こえる。心臓が激しく鼓動している。手のひらに汗をかいている。でも、勇気を振り絞って言葉を続ける。




「もしよかったら、僕と付き合ってもらえませんか」




 美咲は少し驚いたような表情を見せた後、頬を赤く染めながら微笑んだ。




「私も、田村君のこと、気になってたの」




 その瞬間、世界が輝いて見えた。夕日がより美しく、美咲の笑顔がより眩しく感じられる。胸の奥から込み上げてくる幸福感に、涙が出そうになった。




 これが、恋が成就する瞬間。


 僕が一度も味わったことのない感覚だった。




 記憶は続く。美咲とのデート。映画を見て、カフェでおしゃべりをして、夜の公園で手を繋ぐ。すべてが新鮮で、すべてが特別だった。




 文化祭での演劇。僕……田村は演劇部に所属していた。主役を演じる僕を、客席から美咲が見つめている。演技が終わった後、舞台袖で美咲が駆け寄ってくる。




「田村君、すごかったよ!」




 そして、初めてのキス。唇が触れ合った瞬間の、電気が走るような感覚。世界が静寂に包まれ、時が止まったような錯覚。




 クリスマスの夜。イルミネーションが煌めく街を、美咲と手を繋いで歩く。プレゼント交換。彼女からもらったマフラーを首に巻きながら、これ以上ない幸せを感じていた。




 そして、卒業式。


 桜が散る校庭で、美咲との別れ。彼女は遠くの大学に進学することになっていた。




「きっと、また会えるよね」




 美咲の頬を涙が伝う。僕も泣いていた。でも、それは悲しい涙ではなく、美しい青春を共に過ごせたことへの感謝の涙だった。




 最後のキス。桜の花びらが舞い散る中での、永遠を誓うような口づけ。




 ◇




「お疲れさまでした」




 店主の声で意識が現実に戻った。ヘッドギアを外すと、自分が記憶屋の椅子に座っていることを思い出した。でも、田村としての記憶は鮮明に残っている。まるで自分自身が体験したかのように。




「いかがでしたか?」




「……すごかった」




 僕は震え声で答えた。胸の奥に、まだ幸福感の残り香が漂っている。美咲の笑顔、彼女の温もり、キスの感触。すべてが自分の記憶として刻まれている。




 店を出ると、雨は止んでいた。街のネオンが濡れた路面に反射している光景が、さっきとは違って見えた。まるで映画のワンシーンのように美しく感じられる。




 アパートに帰って鏡を見ると、そこには相変わらずパッとしない山田がいた。でも、心の中には田村としての記憶がある。美咲との思い出がある。それが僕を少し違う人間にしてくれているような気がした。





感想、批評、批判お待ちしております。

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― 新着の感想 ―
まずタイトルで惹かれました。 どんな話の展開なんだ?と好奇心をくすぐられ1話を拝見しました。記憶を購入する…というアイデアがとても個人的に好みで…ミステリーのフックが強く、読み進めたくなります。ゆっく…
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