第六十一話 怪しい男
怪しい男という言葉がここまで似合う人物がほかにいるのだろうかと思うようないでたちの男がそっと近づいていた。すぐ隣に来るまで全く気が付かなかったのだけれど、男からは悪意のようなものを感じることもなく、それがかえって怪しさを増していた。
何か言葉を発するでもなくゆっくりと確かめるように顔を見られているまー君は少しだけ不快に思いつつも、この男がいったい何者なのか見極める必要があると思って黙って見つめていた。
「そんなに警戒しなくてもいいのよ。信じてもらえないかもしれないけれど、あたしは前田なのよ。あなたの探している前田とはちょっとだけ違っているかもしれないわね。でも、そんなの気にするような男じゃないわよね?」
気にするなと言われても気にしてしまうだろう。そう言いかけたまー君であったが、ここで余計なことを言って関りを持たない方がい良いと考えて無言を貫くことにした。
目を合わせてしまったのは仕方ないとして、これ以上接点を持つのは良くない。何より、自分の事を前田だと思っているというのが気に食わないので構うようなことはしないのだ。
それなのに、距離をどんどん詰めてくるのが気に入らなかった。
「ねえ、そんなに邪険に扱わないでよ。そういう態度を取られるとあたしも悲しくなっちゃうんだからね。そんな態度をとるんだったら、あたしはずっとあんたから離れないようにしちゃうよ。それでもいいのかしら?」
本当に何を言っているのだろうという思いが一番強いのだが、そんなことをしてこいつに何のメリットがあるというのだろう。俺にはデメリットしかない恐怖の宣告に近いのだけれど、そうならないようにここでちょっと軽く始末しておく必要があるかもしれない。
そう思ったまー君は足元に転がっていた鉄パイプを手に取り、そのまま何の迷いもなく前田を自称する男の首に突き立てた。
「そういうのは良くないな。普通だったら死んじゃってるんだからね」
鉄パイプが肉を貫き骨を砕いたような感触は確かにあった。その手ごたえは夢に出てきそうなくらい不快だったのにもかかわらず、鉄パイプは男に当たる直前で強力な圧力がかかったかのように潰れていた。
何が起こったのかわからないが、とにかく別の方法でこいつを始末した方が良い。そう考えたまー君はなぜか近くに落ちていた道路工事で使うようなバーナーで怪しい男を炙ろうとした。
だが、どんなに火力を強くしても男に火炎が届くことはなかった。
「そんな凶暴な炎は人に向けちゃダメだよ。俺じゃなかったら真っ黒こげになってるところだぞ」
それからもその辺に落ちている致命傷を与えられそうな道具を使って攻撃をしているのだが、そのどれもが男の届くこともなく徒労に終わってしまった。
関わろうとするからよくないのだと思って無視しようとしたのに、男はまー君の歯科医のギリギリのところに移動して挑発するかのように不気味な笑顔を向けてきた。
言い返してしまっては負けだと思ったまー君は無視を貫いているのだけれど、本当に一瞬ではあったが男が前田に見えるような錯覚があって目を逸らすことも出来ない。そんなことはないと思ってはいるのだが、一瞬だけ前田にしか見えないタイミングがあるので完全に無視をすることも出来ずにいたのだ。
「何してんすか。前田さんが出てきたら意味無いでしょ。この人に殺されたらどうするつもりなんですか?」
「大丈夫大丈夫。まー君は俺のことを殺すことなんて出来ないんだから。創造主の一人である俺を殺すことなんてまー君にはできっこないんだよ」
「そうは言いますけど、万が一ってこともあるでしょ。それに、あんたがこのタイミングで出てきたらまー君が混乱するだけで物事が進まなくなっちゃいますって。面白半分で出てくるのやめてくださいよ」
「そうは言うけどさ、俺だって黙って見てるのはつらいんだぜ。俺だけじゃなく他の前田だって黙って見てるのはつらいんだからね。そんな時にさ、まー君が一人でいるって状況になったら見に来ちゃうでしょ。俺が悪いんじゃなくて、他の前田だってこの状況を見かけたらやってくるもんだって。お前たちにも言い分はあるんだろうけど、俺にだって言い分はあるんだからね」
怪しい男と怪しい女の会話なんて聞く価値はないと思っていた。
だが、その会話の内容はまー君が思っているよりも重要なことが隠されているのかもしれない。この怪しい男を前田だと認めたわけではないけれど、他にも前田がいるというのは聞いていなかった。
聞いたところで信じることもないのだが、他にも前田がいるということは良くない情報かもしれない。まー君が合いたい前田とは違う前田のいるところに行ってしまう可能性が出てくるとなると、ちょっと面倒なことになってしまうなとまー君は考えていた。
「その辺は大丈夫だよ。まー君が移動するのはまー君が探している前田のいる世界だからね。今回みたいに俺が来るのは完全にイレギュラーなことで普通だったらありえないことだから。他の世界に移動するってこと自体もあり得ない話ではあるんだけど、その辺は良いってことにしておかないとね」
「だから、余計な知識を与えちゃダメですって。せっかくここまで育ったまー君が前田と離されたんですから、上手い事活用しましょうって。あっちのまー君はほとんど役に立たないと思うし、足止めだってそんなに長くできないはずですよ。だから、あんたの力を使ってまー君を支配しちゃってくださいって」




